石破茂の発言 (憲法審査会)

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○石破委員 自由民主党の石破であります。
 何回か前の本会において、奥野委員からだったと思いますが、専守防衛と反撃能力、これはどういう関係に立つのか、ちょっと考えを述べてみよという、そういう御下問がありました。
 時間がなくてお答えもできないので、何かよもごもたって考えを申し述べることで恐縮ですが、御容赦をいただきたいと思っております。
 戦後安全保障政策の大転換ということであります。しかし、専守防衛は変わらないのだ、非核三原則も変わらないのだ、そうすると何が大転換なんだろうねということであります。
 それは、恐らく、敵基地攻撃能力という言葉ではなくて反撃能力という言葉を使うんですが、それと専守防衛はどういう関係に立つのという話であります。その議論が予算委員会の中でもっと徹底してなされることを期待したのでありますが、残念ながら、余り国民の皆様方も深く得心をされるには至らなかったのではないかなというふうに、私自身は、自分の能力が足りないことも含めて、残念に思っておるところであります。
 専守防衛というのは、世界軍事用語辞典、何を読んでも出てきません。それは軍事用語ではないのであって、政治用語であります。
 そして、専守防衛ということが軍事合理的にいかに正しいのかということは、一度も検証されたことがありません。それは、憲法の精神にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢であると言われている。そして、その行使の態様は自衛のための必要最小限度にとどめ、保持する防衛力も自衛のための必要最小限度のものに限ると、やたらめったら必要最小限度という言葉が使われるわけですね。
 このロジックは、自衛隊は戦力ではない、戦力ではないから陸海空軍ではない、必要最小限度だから交戦権ではない、このロジックとぴったり一致をするものであります。しかし、これを、英語の得意な方ならお分かりになると思いますが、英語に訳してみて誰か理解できるか。絶対に理解はできない。私も何度か試してみたが、誰も理解はできなかった。理屈として正しいのかといえば、それは正しくないと思っています。これが必要最小限度で、ここから先は必要最小限度ではありませんよというようなものを測る便利な物差しは、この世の中のどこにも存在はしていない。
 では、反撃能力とどういう関係に立つのだということですが、安全保障を考えるときに、何でも自分に都合のいいように考えてはいけません。北朝鮮が何で毎週のようにミサイルを撃っているかといえば、あれは花火を上げているわけでも何でもない。いつでも撃てますよ、どこからでも撃てますよ、どれだけでも撃てますよ、弾道ミサイルでも巡航ミサイルでも撃てますよということを常に常に確認をし、その能力を確実に向上させつつあるということであります。
 確かに、以前、では、いつなんだ、いつなら我々は自衛権を行使できるんだという議論があって、それは、被害が出てからでは遅過ぎる、しかし、おそれの段階では早過ぎる、では、いつなんだといえば、それは着手をしたときだよねと。
 では、着手って何ですかというと、まだ液体燃料が主流だった時代ですが、液体燃料を注入しますのは、車にガソリンをつぐのだって何分もかかるわけで、それをミサイルにつぎ込もうと思ったら何時間もかかる。それは周回衛星によって把握をすることも可能なんでしょう。そして、それが不可逆的、もう途中でやめることはできないんだという段階に入ったらこれは着手であり、そうすれば我々は自衛権を行使ができるというようなことは、それは異論のないところだろうと思っていますが、今や、液体燃料を何時間もかかって注入するなんぞということはやらない。移動式発射台によって、どこから撃つか分からない。そして、何十発同時に撃つかも分からないという状態です。
 我々はもちろんミサイル・ディフェンス・システムによってそれを迎撃しますが、我々が持っている弾以上のものが撃たれたときに、では一体どうするんですかと。どうやって我々は我が国の独立と平和、国民の生命、財産を守るんですかということを本当に真面目に考えないと、大変なことが起こると思っております。
 向こうは百発撃ってきて、こっちが迎撃ミサイルを五十発しか持っていなかったとしたら、では、あとの五十発は着弾します、やむを得ません、シェルターも間に合いませんでしたと。それが真面目な防衛の議論だとは私は全く思わない。そのときに、米軍に頼めばいいと言いますが、では、米軍は我が国のみに集中しているか。そんなことはあり得ない。同時に中東でそういうような事態が起こっていたらどうするんだということであります。極東以外で起こっていたらどうするんだということであります。我々のイージス艦が常に無傷でいられるんですかということであります。
 そういうことを考えたときに、相手の策源地、そこに集中をして反撃をするということは当然必要なことではないのか。当たり前のことであります。それは、軍事合理性なんぞという難しい言葉を使わなくても、当然分かることであります。それが憲法の趣旨に反しますかということであります。座して死を待つことが憲法の予定するところではないと言われます。そのことについて、おおむね異論はなかろうと思っております。
 もちろん、委員の皆様方は「あたらしい憲法のはなし」という本をお読みになったことがあろうかと思います。これは、昭和二十二年、文部省から発行された中学一年生用の教科書です。軍艦も持たない、戦闘機も持たない、戦車も持たない、一切持たない、あらゆることを話合いで解決する。それは、正しいことほど強いものはないというふうな論理で貫かれております。当初は確かにそうだったのでしょう。しかし、そのような美しい理想が通用する世の中ではない。
 私は、軍事合理性というものがどれだけ法律論と整合するかということをきちんと議論しなければいけないと思っています。
 この分館においても、あるいは本館においても、制服自衛官の姿を見たことがない。それが文民統制だと思っている人もいるかもしれないけれども、それは大きな間違いだと私は思っています。軍事合理性というのは彼らでなければ分からない。私もオタクとかマニアとか言われる人間ですが、でも、実際に命を懸けてそのようなものを操ったことは一度もない。命を懸けてそれを操り、我が国の独立と平和を守り、抑止力を体現しているのは彼らなのであって、彼らに対して我々がきちんとした議論をしなくて、どこが文民統制だと私は思っている。彼らの意見を聞かないことが文民統制だと私は全く思っていなくて、彼らの意見を納税者の代表たる我々がきちんと聞き、そして議論をする、そのことが正しい文民統制だと私は思っております。
 専守防衛と反撃能力、これは私は整合するものだと思っていますが、その際に、必要最小限度という論理を本当にこれから先も使い続けていいのですかということが問われなければなりません。
 先ほど来、中山太郎先生についての哀悼の言葉が多く出ております。恐らく、ここにおいでの中で、一番長く先生から御指導をいただいたのは私だと思っております。もう三十数年のことに相なります。
 憲法審査会ではなくて調査会と言っていた時分のことですが、自由討議というのは非常に充実したものでありました。いろいろな憲法の先生方を呼んできて、本当に自由に議論をしました。私どもは宮沢俊義さんとか清宮四郎さんの時代ですが、長谷川正安さんという方と議論したときのことを私はよく覚えております。
 きちんと、ロジカルにきちんと詰めましょう。軍事合理性との整合性もちゃんと取りましょう。いつの日か、なるべく近々にそういう機会が与えられることを心から望んで、発言を終わります。
 以上です。

発言情報

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発言者: 石破茂

speaker_id: 20757

日付: 2023-03-30

院: 衆議院

会議名: 憲法審査会