北神圭朗の発言 (憲法審査会)

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○北神委員 有志の会の北神圭朗です。
 先週、参議院の緊急集会の射程、機能、権限に関して優先的に議論すべきだという提案がありました。これについては、私の考えでは、もうかなり議論が積み重ねられているというふうに思っています。直近では、先ほど玉木委員からもありましたし、私も発言しましたし、浜地委員からもありました。
 その結論、まあ結論まで行くのか分かりませんが、大体収れんしているのは、緊急集会というのは、選挙ができる状況を前提とした平時の制度であって、長期にわたり選挙が実施できないような緊急事態を想定していないということです。しかも、憲法は両議院をもって初めて国会が構成されることを規定しています。よって、我々の、三会派の共同提案では、一時的、暫定的、限定的な緊急対応は緊急集会で対応することとし、七十日を超えるような長期にわたる場合には議員任期の延長で対応すべきだという整理をしています。
 また、任期延長議論に合わせて、国会の閉会禁止、解散禁止、即時召集といった憲法改正事項についても検討すべきだという発言がありましたが、これについても議論をかなり重ねていて、ほとんど反対する者はいないというふうに思います。我々三会派でも、本日から具体的な条文案の作業に入り、今月中にもまとめてまいりたいと思います。これらに対して反論や別の論点があるんだったら、是非お示しをしていただきたいと思います。
 次に、新藤幹事より、九条に関する発言がありました。自民党案では、これまでの必要最小限度の実力の解釈を維持するということです。
 この必要最小限度という文言、基準については、本日は、少し歴史的なお話をしたいと思います。これは東京外国語大学の篠田英朗先生の論文で私も初めて知りましたが、それによると、事の経緯はこういうことです。
 一九五四年と古い話になりますが、その年の十二月に鳩山一郎率いる日本民主党が政権を取りました。この政権は、九条二項にある戦力について、必要な自衛力であれば禁止されないという基準を示していました。他方で、日本自由党は、最小限の実力であれば禁止されないという基準を掲げていました。必要な自衛力なのか、最小限の実力なのか、この争点をめぐって、両党が国会で真っ向から対立していた。
 そして、一九五五年、翌年の六月十六日の衆議院内閣委員会で、自由党の江崎真澄委員が鳩山総理を激しく追及します。総理が答弁に窮し、動議によって委員会は休憩に入る。そして、二時間半に及んだ休憩の末、鳩山総理は、委員会にやわら再登場し、必要でもない、最小限でもない、「必要最小限度の防衛力を持てる」と宣言したそうです。
 自由党側は、これはなかなかの妙案だと評価し、その後に、林修三内閣法制局長官は、何事もなかったように、必要最小限度の実力とはかくかくしかじか、こういうものだと考えることができると自説をとうとうと述べ続けます。そして今日に至るわけです。
 つまり、必要最小限度という言葉は、二時間半の休憩時間内に、国会を切り抜けるために大慌てで内閣法制局らがつくり上げた技術革新のたまものです。民主党の必要な自衛力と、自由党の最小限の実力の新たな結合であります。その五か月後に自由党と民主党が合流して自由民主党ができるので、ある意味では自然な流れではないかというふうに思います。
 逆に言えば、憲法学者や内閣法制局が法律論を詰めたものではないようであります。二時間半の休憩時間の中で編み出された苦肉の策をめぐって、我が国は七十年、口角泡を飛ばし、議論をしてきたのです。
 こうした政局のもうもうたる世界から、より澄み切った国際法の世界に目を転じると、御案内のとおり、自衛権とは、急迫不正の侵害を排除するために主権国家に認められている固有の権利です。
 具体的には、国連憲章第五十一条で、武力行使の一般的禁止を前提に、安全保障理事会が平和及び安全の維持に必要な措置を取るまでの間、各加盟国に個別的そして集団的自衛権を認めています。
 そこで、自衛権の制約については、国際法上、必要性、均衡性の原則という基準が確立されています。必要性とは、武力行使に訴える以外に自衛の手段がないこと、均衡性とは、受けた武力攻撃に対して均衡の取れた形で武力を行使することです。反撃能力もここに入るんだと思います。
 ここで大事なのは、どの兵器は許され、どの兵器は許されないといった厳密さが不可能なところに厳密さを求めるがゆえに、非現実的な制約は国際法上は求められていないということです。新藤幹事がおっしゃるように、当然、それはそのときの国際状況に応じて柔軟な解釈をするのは、私は現実的だというふうに思います。
 問題は、我が国の憲法では、少なくとも今の解釈では、九条で、装備の種類とか軍事作戦の内容にまで、厳密かどうかは分かりませんが、厳密を建前とする制約を設けています。だから、おっしゃるような柔軟な解釈をするたびに神学論争が起きて、逆に柔軟性が損なわれる、そして、野党側からは立憲主義に反しているというような疑いを持たれるというところが私の問題意識であります。
 もう一つ、平和主義の話がありました、フルスペックの集団的自衛権との。
 日本国憲法の平和主義というのは、よく一九二八年の不戦条約の精神を継承するものと言われています。しかし、この条約によって戦争が国際法上違法なものとされたものの、武力行使そのものは違法化されていません。
 また、不戦条約と同様に、戦間期に発足した国際連盟には、対抗措置、ルールを守らない国に対する対抗措置の仕組みが欠けていました。そのため、その後の第二次世界大戦が防げなかったという反省を踏まえて、一九四五年の国連憲章では、武力行使を違法化しながら、安全保障理事会による強制措置という対抗措置の仕組みを設けました。
 しかしながら、御存じのとおり、安保理の機能不全により、期待された安保理の強制措置が発動される見込みがほぼないのが現状です。そのために、これも国際法上の基準としての個別的、フルスペックの集団的自衛権は、依然として私は重要な意味合いを持つものだというふうに考えています。
 新藤幹事の話では、フルスペックの集団的自衛権は、日本国憲法が掲げる平和主義に抵触するのではないかという話なんですが、私が今申し上げた国連憲章の第五十一条、そして個別的自衛権、集団的自衛権の在り方、これも国際法上の平和主義の中身ですよね。だから、日本国憲法の掲げる平和主義と、国際法上の、あるいは国連憲章上の平和主義、この違いがどこにあるのかということを、今後議論を深めてまいりたいというふうに思っています。
 いずれにせよ、必要最小限という基準については、政局を離れて、こうした国際法上の観点をも踏まえた議論が求められるということを申し上げて、私の意見とします。
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発言情報

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発言者: 北神圭朗

speaker_id: 4662

日付: 2023-04-13

院: 衆議院

会議名: 憲法審査会