北神圭朗の発言 (憲法審査会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○北神委員 有志の会の北神圭朗です。
先週、自衛隊の権限の制約の在り方についてお話ししました。警察法的なポジティブリストとなっていて、とりわけ憲法解釈と法律によって自衛権を制約していることが特色だということを申し上げました。先ほど三木委員から、憲法解釈をそのまま九条に明文化するとポジティブリスト化するとおっしゃいましたけれども、もっと言うと、そもそも我が国はポジティブリスト的になっているということを前回申し上げました。これは、通常の定義とは異なりますけれども、我が国の文民統制の範囲が、憲法解釈と法律による規制をも含めていると表現することもできるというふうに思います。
そこで、今回は、文民統制、すなわち政府と軍、政軍関係について考えてみたいと思います。
サミュエル・ハンチントンという方がいます。「文明の衝突」で有名な政治学者であります。その著書で「軍人と国家」という古典的著作がございます。その中でハンチントン氏は、いかなる国の軍事制度も二つの要因によって形成されると分析しています。一つは、その国に対する軍事的脅威を防ぐために必要な機能的要因、どうやって国を守っていくのか、効果的に守っていくのかという要因、二つ目の要因は、国内の支配的な社会的勢力とかイデオロギーとか諸制度から生まれる社会的価値観であります。
言い換えれば、一国の文民統制の在り方は、その国を取り巻く地政学的環境と同時に、国民の支配的な価値観によって形成されるということだと思います。これ自体、そんなに珍しいことを言っているとは思いませんが、問題は、社会的価値観を満足させる文民統制の在り方が必ずしも機能面で効率的、効果的であるとは限らない、他方で、機能にのみ特化した軍隊では国民から受け入れられないということです。したがって、文民統制を考える上で、この二つの要求をいかに満たしていくかということを検討することが重要だと思います。
ハンチントンの考えを我が国に当てはめると、自衛隊の機能をかなり制限しつつ、日本独自の、先ほど新藤委員がおっしゃった日本独自の平和主義の価値観を満足させてきたと言えます。しかし、逆に言えば、自衛隊の機能、権限を抑えることができたのは、一つには、冷戦の主戦場というものが欧州などにあり、ソ連からの直接の侵略の可能性は低かったこと、二つ目には、日米安保条約により米国の圧倒的な軍事力の庇護の下に入っていたことが大きいのではないかと思います。
こうした条件の下で、当初は自衛権すら否定していた憲法解釈は、冷戦を背景に必要最小限度という解釈に変更され、自衛隊が創設されました。米国の強力な抑止力がある中で、専守防衛で事なきを得たというふうに思います。
そして、冷戦崩壊直後にはいわゆる平和の配当の時代というものがうたわれて、これは覚えていらっしゃる方は少ないと思いますけれども、冷戦が崩壊して、もう戦争はない時代に入った、みんな国境を越えて、人種を超えて、みんなで手をつないで、裸でアコギをかき鳴らしながら歌を歌って、そういう牧歌的な甘美な夢が、ほんの一瞬見ることができましたが、これも九・一一を起因に、テロに対する闘いによって、無残にもこの夢は破られたわけでございます。
といっても、我が国に対する本格的な脅威はその時点ではまだ存在しなかったので、中東などへの海外派遣の方にみんな目を向けていたわけであります。そして、米国に過度に頼らないような自主防衛の努力をサボってきたということです。
しかし、十五年前ぐらいから、中国の軍事力、経済力が目覚ましく成長するとともに、彼らの戦略的思惑が必ずしも友好的でないということが判明してきました。尖閣諸島、東シナ海、南太平洋の海と空に向けて、彼らのお家芸でもある忍び足侵略主義が着々と進められてきました。
つまり、ハンチントンの言う地政学的環境というものが大きく関わってきているんです。テロとの闘いの時代、平和の配当の時代、いや、冷戦の時代にも増して、我が国が直接脅威にさらされています。また、頼みの綱にしてきた米国も、その国力が相対的に低下し、国論も二分化しています。
こうした中で、自衛隊の権限、機能がこれまでどおりでいいのか、少なくとも議論はしましょうというのは、そんなに非常識なことではないかというふうに思います。常識的かどうかというのは、ハンチントンの言う社会的価値観が今どう変化しているのかということによるのでしょうが、それを明らかにすることこそが、憲法改正の国民投票の役割の一つではないでしょうか。
一部で、中国問題は米中対立という文脈で語られます、日本が別に脅かされているわけではない、米中の対立に巻き込まれるべきではないと。
しかし、歴史的に見ますと、オバマ政権とトランプ政権の初期の頃までは事情は逆でした。米国の建国精神である孤立主義、そして、そのグロテスクな表れである米国第一主義は、中国脅威論に対してほとんど関心を示していませんでした。むしろ、日本の安倍政権が、一生懸命、クアッドを創設したり、集団的自衛権を一部認めたりして、米国に、何とかこっちの方を見てくれ、中国は怖いということを訴えることで必死でありました。
しかし、これも、二〇二〇年七月に中国が香港を弾圧した際、やっと米国や英国などが対中非難をし始めたら、我が国は急に一歩引き下がって、歩調を一にしませんでした。
当時のフィナンシャル・タイムズでは、日本は二十年かけて中国にもっと厳しく対応すべきだと世界に訴えてきた、しかし、香港に国家安全法が制定されたことに対し、米国やその同盟国がより中国に対して敵対的な反応を示すようになり、日本の訴えが通じたと思った途端、日本は後部座席に座ってしまったというふうに報道しています。
つまり、元々中国抑止論を唱えていたのは日本です。物理的にも、中国の拡張主義を恐れなければいけないのは、米国よりも我が国だと思います。こうした中で、自衛隊の権限が今までどおりでいいのかということを再検討することは、極めて自然なことだと私は思います。
もう独りぜりふは終わりますけれども、私の孤立した議論よりも、もっと共通の理解のある議員任期の延長とか、こういった具体案がございます。特に、参議院の緊急集会については、私はそう思いませんけれども、まだ詰めるべき論点があるそうなので、是非そういったところに審議を絞ることを求めて、私の御意見といたします。
ありがとうございました。