玉木雄一郎の発言 (憲法審査会)
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○玉木委員 国民民主党の玉木雄一郎です。
緊急集会と、若干、憲法九条についても述べたいと思います。
まず、緊急集会について、少し大きな枠組みの話をさせていただきたいんですが、私は、憲法の統治機構に関わる条文は厳格に解釈すべきであって、無理な解釈は避けるべきだというのが基本的な考えだと思います。
皆さんも覚えていらっしゃると思います。昨年二月に本審査会に参考人としてお越しをいただいた高橋和之先生、東大名誉教授も、憲法の条文で人権に関する規定は原理の性格を持つのが常識であり、統治機構の規定はルールの性格を持つのが通常であると解されますと述べておられます。そして、原理は、ルールのような明確な要件を定めたものではなく、他の原理との調整を前提とした規定であるが、一方、ルールは、他の原理との調整を予定していない明確な準則であって、厳格に解釈すべきと述べておられます。
であれば、まさに統治機構の規定の一つである緊急集会を定めた憲法五十四条も、ルールとして厳格に解釈、適用すべき条文の一つであると思います。緊急集会は、原則、条文上、解散時のみに適用と書いている以上、解散時のみに厳格適用すべきと考えるのが適切だと思います。
また、解散から四十日以内に総選挙、そして選挙から三十日以内に特別会の開会が憲法に規定されている以上、緊急集会は七十日を超えて国の重要事項を決定することはできないと解すべきだし、さらに、事後的に衆議院の同意が得られなければ措置の効力が失われる暫定性も憲法上明記されている以上、緊急集会はあくまで一時的、暫定的な仕組みであると厳格に解釈すべきだと考えます。
そもそも、緊急集会の権能を解釈で無制限に広げることは、二院制を原則とする憲法の規定に違反すると考えます。ここでの本質的な議論は、行政対国会ではなくて、国会の中における一院制か二院制の是非だというふうに思います。
つまり、立法や解釈で、あくまで一時的、暫定的、限定的と現行憲法上規定されている緊急集会の射程を延ばしたり拡大することは立憲主義に反することになり、よって、憲法に明記されている議員任期を延長するには、やはり憲法改正が必要だと考えます。
そこで、先ほどからありましたけれども、来週は四つの論点について参考人に確認したいと思います。
まず、緊急集会について対応できる場合、これは解散時のみならず任期満了時も含むのか。我々は、原則、厳格に解釈すべきなので、もしそうであれば、それは憲法に明記すべきだと思いますので、先ほど、我々、維新の皆さんとそして有志の皆さんと一緒に出した共通条文の中には新たな規定を設けております。二つ目に、七十日を超えて可能かどうかということですが、可能ではないと我々は考えるので、この点も確認したいと思います。権限について、本予算の議決や条約の承認等も可能かということ。そして案件、これは先ほどから出ていますが、内閣が示した案件以外も独自に審議可能かどうか。こういった点について明確にしていきたいと思います。
そして、やはり立法や解釈で対応困難となれば、そのときは、先ほど奥野さんも言っておられましたが、野党第一党である立憲民主党さんにも是非、憲法改正の具体的な議論に入っていただきたいと思います。もし立法でできるということであれば、篠原先生に何度も聞いていますけれども、具体的な特別立法の内容をお示しいただきたいと思います。
次に、憲法九条についても述べたいと思います。
九条こそ、軍事的公権力の行使という最大の権力行使に係る規定だと思いますので、ここも厳格に解釈すべき条文の一つだと思います。
前回、私は、自民党の九条改正案の問題は、自民党の、組織としての違憲論は解消されても、自衛隊の行使する自衛権、つまり行為としての違憲論が解消されないという問題を指摘いたしました。つまり、自衛隊が九条二項で禁止されている戦力なのかどうかということを曖昧にし続けるがゆえに、自民党案の国防規定では違憲論が解消できません。やはり、九条改正を検討するのであれば、自衛隊を戦力として位置づける本質的な議論をすべきであって、戦力不保持を定めた九条二項の範囲の中で、しかも解釈によって自衛隊を戦力もどきと位置づけるやり方そのものを改めるべきだと考えます。
この点に関して、一九五二年四月一日のジュリストの対談記事がとても興味深いので紹介したいと思います。
我妻栄先生、宮沢俊義先生、田中二郎先生、兼子一先生、石井照久先生、団藤重光先生という法学界のスーパースターが勢ぞろいして、憲法改正と再軍備について誌上対談を行っています。これは是非皆さんも御覧いただきたいと思います。
時は一九五二年、まさに警察予備隊が保安隊に改編される前夜での議論です。そこで我妻栄先生は次のように述べています。再軍備のような憲法制定当時には恐らく考えられなかった問題でも、憲法をいじくらないでそのままやっていこう、又はやっていけるという態度を取ることは私は賛成できないのです、それで、やはり重要な問題について、憲法の無理な解釈をしないで、それを堂々と取り上げて、国民全体の世論を聞いて十分論議を尽くした上で改正するかしないかを決めるという公明な態度を取ることが必要であると。これに対して田中二郎先生も、根本の考えにおいて、私は、今、我妻先生のおっしゃったところに全く賛成です、憲法をルーズに解釈して、ずるずるに、あたかもそれを改正したのと同じような実質的内容を与えていこうということは考え物ですと述べています。
また、我妻先生はこうも述べています。この憲法の下にこれ以上のことをやるのは何といってもこじつけだ、そこで事情をはっきり示して、国会でも十分討論して、最後には国会の意見を聞いて、こうした事情、ああした事情でできた憲法が、こうした国際事情になったときに我らは何をなすべきかということをはっきり決定すべきではないか、つまり、抜き足差し足では困る、ここでちゃんと歩き直さなくちゃならぬのじゃないか。これに対して宮沢俊義先生も、私もその意見に賛成です、こういう難しい問題については、やはり国民全体が十分討議して、決定するチャンスを与えることは非常に望ましいと述べて、田中二郎先生も、これに対して、私も全く同感ですと述べています。
また、団藤重光先生は、国内の秩序維持のために客観的に必要な限度ということが警察力の本質なので、それを超えると戦力となる、国内秩序の維持のために使うのだから警察力だ、戦力じゃないというのは非常に乱暴な議論だと思うと述べ、石井照久先生も、それは全くそう思いますと賛同の意を示しています。
このように、警察予備隊から保安隊への改編時の一九五二年当時から、戦力に相当する実力組織を無理な解釈で戦力ではないとすることは非常に乱暴な議論とされていたわけであります。
あれから七十年以上の月日が流れ、今、憲法九条改正の議論をしているときに、依然として自衛隊は戦力ではないとする解釈を前提に進めることは、積年の宿題に答えを出すものどころか、むしろ、長年引きずってきたこじつけを固定化させることにもつながるのではないか、そう懸念します。今こそ、これ以上の抜き足差し足忍び足ではなく、ちゃんと歩き直す必要性があると思いますし、そういった議論を行うべきです。
憲法九条こそ、軍事的公権力の行使という最大の統治行為に関する規定です。まさに厳格に解釈すべきルール、準則であります。だからこそ、無理な解釈から卒業し、自衛隊を明確に戦力と位置づけることが憲法の規範性を回復する上でも必要であることを指摘しておきたいと思います。
以上です。