玉木雄一郎の発言 (憲法審査会)

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○玉木委員 国民民主党の玉木雄一郎です。
 緊急集会の期間については、私も最大七十日とすべきだと考えます。大石先生が主張されたように、七十日という数字が書いてあることの意味というのはやはり捨て難く、それを突破されたら、どこまでが限界か分からなくなるからであります。
 一方、長谷部先生は、四十日や三十日といった具体的数字の入った準則規定は、平時には一〇〇%守らなければならないが、緊急時においては、まず生き延びることが大事だから、必ずしも一〇〇%従わなくてもいい旨述べられました。しかし、これは、緊急事態を理由に行政の解釈で憲法に書いてあるルールを恣意的に拡大することに道を開くものであり、むしろ権力の濫用につながる危険性をはらんだ解釈だと考えます。
 より具体的に言うと、仮に七十日を超えて緊急集会を適用できるとして、では、いつまで可能なのか、そしてその期間を決めるのは一体誰なのか、憲法に規定がない以上、結局、その決定は実質的に時の内閣が行うことになり、権力の濫用につながるおそれを払拭できません。
 また、長谷部先生は、七十日は、ある政治勢力が権力の座に居座り続けることを防止する規定だとおっしゃられましたが、参議院が現在のように衆議院の多数派と同じ政党が多数を占めている場合には、結局、同じ政治勢力が権力に居座り続けることになります。しかも、両院同時活動の原則が崩れた形で居座ることになります。
 そして、こうした、先生もおっしゃったモーリス・オーリウ流の緊急事態の法理を認めるのであれば、憲法九条の規定や解釈は全く意味がなくなってしまいます。国家の存亡を懸けた究極の緊急事態が戦争であり、そのときに、国家の生き残りのためであれば、敵基地攻撃どころか、フルスペックの集団的自衛権の行使さえ可能となります。条文解釈から導かれる専守防衛や必要最小限の制限も消えうせてしまうでしょう。
 ふだん、憲法の条文を守れと主張する方々は、このようなモーリス・オーリウ流の緊急事態の法理を許すのでしょうか。五十四条二項については緊急事態の法理が当てはまるが、九条には当てはまらないとするのは余りにも御都合主義であり、論理的整合性を欠いていると思います。この点に関しては、もしよければ、共産党や立憲民主党のお考えを伺いたいと思います。
 ちなみに、モーリス・オーリウは、緊急事態の法理の根拠として、その権力の根源は神にあると述べています。権力の起源が神にあるとする神学理論が正しいと考えている人がここにいるとは思えません。
 もう一つ、長谷部先生が紹介されたイギリスのバッコーク判決についてですが、私も、緊急時には赤信号を無視していいと思います。だからこそ、その例外を事前に憲法や法律に書くことを提案しています。
 実は、この判決の最後の部分で、裁判官が今私が申し上げたことと同じ趣旨のことを述べています。こうです。私は法律を改正すべきだと思います、全く例外なく違反とする法律を放置したことで、議会は消防署における終わりない議論に道を開いてしまったのだから、それを終わらせるべきだ、本日の判決がそうした議論に終止符を打つことができればと思うが、議会はもっとよい対応ができるはずだと。つまり、緊急時には赤信号を無視できる命令は仕方がないと判示しつつも、そうした例外を法定することを議会に求めています。
 立憲主義の基本は、まず、憲法に書いてあることを書いてあるとおり尊重することが原則ではないでしょうか。立憲主義を徹底するためには、事前に緊急事態における例外的対応を憲法に明定しておくべきです。
 これに関して思い出すのが、日本国憲法制定当時、いざとなったら内閣のエマージェンシーパワーで処置すればいいと言ったGHQに対し、日本側から、憲法をこれから作ろうという際に、超憲法的な運用を予想するようでは、明治憲法以上の弊害の原因となる、全てが憲法の正条によって処置されるようにすることがむしろ正道ではないかと反論した事実です。
 私たちも、今、超法規的、超憲法的な運用に頼るのではなく、憲法の規範性を重視しようとした当時の日本側起草者と同じ思いを共有すべきではないでしょうか。
 そして、長谷部先生のような研究者と私たち国会議員との間には根本的な認識の差があると思います。学者は既存の条文の解釈を出発点にして体系的に学説を組み立てていくのに対して、私たち国会議員は立法者であって、それゆえ、たとえ蓋然性が低くても、可能性がある限り、国民の生命や権利を守るために、あるべき法制度を構築する責任を負っているはずです。危機に備えるかどうかを決めるのは学者ではありません。それは、国民の生命や権利を守る責任を負った私たち国会議員にほかなりません。私たちが決めない限り、答えは出ないのです。
 そして、こうした認識の差は、選挙に係る認識においてより顕著だと思います。特に、選挙が可能となった地域から順次繰延べ投票を行って当選者を決めていけばいいという考えは、到底取り得ないと思います。投票期間が大幅にずれて行われる選挙は、国民意思の表明に時間的な差を生じ、選挙の一体性が担保されないからです。全国一斉に行われる国政選挙の正統性に対する考え方が、学者の先生方と根本的に異なっていると言わざるを得ません。
 また、三分の一以上の議員が選出されたから定足数を満たし、そして国会議員は全国民の代表だからよしとする考えも、余りにも形式的に過ぎると思います。例えば、先ほど岩谷委員が述べたように、近畿地方で大災害が発生して選挙ができないときには、維新の会の議員の当選者が大幅に減るでしょう。そんな中で開催される国会が全国民を代表した選挙と言えるかどうか、これは疑問です。
 最後に一言申し上げます。
 戦後、私たちが目撃してきたのは憲法の死文化です。本来なら憲法を改正して対応すべきところを解釈を駆使して対応してきた結果、憲法に書いてあることと現実との乖離が放置され、憲法の死文化が進行してきたのです。更なる憲法の死文化を止めて、憲法の規範性を回復することこそが、この憲法審査会の責務ではないでしょうか。
 よって、緊急事態における対応についても、権力の濫用につながりやすい緊急事態の法理に安易に委ねるのではなくて、憲法を改正し、憲法の死文化を防ぎ、立憲主義を守り抜くべきであることを主張して、発言を終わります。

発言情報

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発言者: 玉木雄一郎

speaker_id: 29596

日付: 2023-06-01

院: 衆議院

会議名: 憲法審査会