谷川とむの発言 (東日本大震災復興特別委員会)

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○谷川(と)委員 おはようございます。自由民主党の谷川とむです。
 本日は、質問の機会をいただきまして、ありがとうございます。東日本大震災復興特別委員会で初めて質問に立たせていただきます。よろしくお願いいたします。
 東日本大震災から今年で十二年が経過をいたしました。阪神・淡路大震災からは二十八年が経過をいたしました。
 私は、阪神・淡路大震災で被災した一人であります。当時、私は高校三年生で、兵庫県の実家に住んでいました。実家は半壊、家を建て直すのに約二年を要しました。また、西宮に住んでいた親戚は、三名が貴い命を失いました。屋根が崩れ、その下敷きになって即死だったと思われます。二十八年が経過してもやはり忘れることはありません。同居していた家族は幸いにも無事でした。
 先ほども申しましたけれども、家が半壊でしたので不自由がありましたけれども、神戸に比べればまだ被害はましだったので、発災直後、私もボランティアに参加して神戸に行って一軒一軒歩かせていただきまして、何か困っていることがないかというふうにお伺いをさせていただきました。私が回っていたおうちは、まず水と食料が欲しいと。そして、お子さんがいらっしゃる御家庭は子供の食事とかおむつ等が欲しい、女性の方が住んでいるところは生理用品が欲しいといったことを聞かせていただきまして、発災直後でしたので救援物資がなかなかまだ届いていない状況で、本部に向かってこういう意見がありましたと、だからこういうところにはこういうものをできるだけ早く持っていけるようにしてほしいということも言わせていただいておりました。
 東日本大震災と阪神・淡路大震災の被害の違いというか、質が違う、ちょっと表現が難しいんですけれども。阪神・淡路大震災は縦と火の被害が多かったと思います。東日本大震災は平面、横と原子力災害。
 どんという地震で一気に家屋が崩れてしまって、そこに人が埋まっているというのは分かっているんですけれども、なかなか救助ができない、長田区においては大火災がありますから全然手出しができないという状況があったというふうに思います。東日本大震災はそれに比べて、平面、横というか、津波でどんどんどんどん全部流されていくわけですから、なかなか救助もしんどいですし、津波が収まらないと何もできない、それにプラス原子力災害というものがあったというふうに思います。
 いずれにせよ、大規模な地震や自然災害が起こればやはり我々人間の力は無力だなというふうに感じることもあるんですけれども、私であれば、親戚も亡くなっていますから、つらい思い出はありますけれども、それをしっかりと受け止めて我々生き残った者が何をすべきかということを考えたときに、何か起きたときに震災復興の教訓を生かしてやっていかないといけない、また、できるだけそういう災害に備えるような取組、防災・減災対策をしっかりと進めていかないといけないなというふうに感じております。
 そこで、まず、阪神・淡路大震災また東日本大震災はインフラの整備はおおむね終わったと聞いております。ただ、心のケアというものがなかなか終わりがない。私も、二十八年たっていますけれどもやはり思い出します。地震や災害が今自分が住んでいるところで起こらなかったとしても、その光景や情報を見聞きするだけで、フラッシュバックしてしまったりとか不安になってしまうことというのは多々あると思うんです。心のケアの支援の現状について渡辺大臣から御答弁いただきたいと思います。

発言情報

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発言者: 谷川とむ

speaker_id: 16696

日付: 2023-04-27

院: 衆議院

会議名: 東日本大震災復興特別委員会