上川陽子の発言 (本会議)

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○上川陽子君 ただいま議長から御報告がありましたように、本院議員北村誠吾先生は、去る五月二十日、御逝去されました。
 前回令和三年の総選挙を死力を尽くして勝ち抜かれた後、先生は体調を崩され、入退院を繰り返されるようになりました。しかし、病魔と闘いながらも、最後まで回復への望みを諦めず、ふるさと長崎への思いをともし続け、次期総選挙への出馬を熱望された先生は、「魂の政治家。北村誠吾」であり続けたのであります。
 ふるさと長崎と日本の発展のために、より一層の御活躍が期待されていた中での急逝の報は、今もって信じ難く、ましてや、御遺族の御心痛はいかばかりか、お察しするに余りあり、お慰めの言葉もございません。
 先生は、亡くなられた後、長崎に戻られ、御家族そろって一夜を御自宅で過ごされたのですが、奥様から、結婚以来最初で最後のことでしたとお聞きし、人生の全てを政治にささげられた北村先生の生きざまに、改めて粛然たる思いがいたしました。
 北村先生が衆議院に初当選したのは平成十二年。当選同期であり、当時、無所属で当選した九人で会派21世紀クラブを結成した同志として、私は、ここに、在りし日の北村誠吾先生の面影をしのび、皆様の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べさせていただきます。
 北村誠吾先生は、昭和二十二年一月二十九日、長崎県北松浦郡小値賀町、豊かな自然景観を有する五島列島の北端に位置する小値賀島に、父又夫様、母道子様の御長男としてお生まれになりました。
 四方を美しく豊かな海に囲まれ、人々は自然と共存しながら、お互いを思いやって、つつましく暮らす、今も懐かしい日本の原風景を残すと言われる島であります。今でも佐世保から高速船で一時間半を要する離島で過ごされた先生の幼少期は、電気や水道等、生活インフラが不十分で、ランプでの生活だったそうです。
 そのような中、島に電気が二十四時間供給されて一日中明かりがともるようになり、また、それまでは船に乗るために小舟で沖まで出なければならなかったところに桟橋が整備されるなど、島の暮らしが大きく改善されていくさまを目の当たりにした北村先生は、個人の頑張りを超えて、政治が暮らしを豊かに変えることを身をもって実感し、既に中学校を卒業する頃には政治の道を志す決断をしていたとのことであります。高校生までの多感な時期を小値賀島で過ごしたその経験が、政治家北村誠吾の出発点となったのであります。
 五島列島で私が今も懐かしく記憶しているのは、二十年余り前、先生のお誘いで21世紀クラブの仲間たちと訪問したときのことです。
 21世紀クラブでは、当時、政治課題の中心であった平成の大合併をテーマに勉強会を重ね、お互いの選挙区を視察し、政策づくりに励んでいました。そんな折、マリンブルーに澄み渡る五島列島の海を船で回りながら、支援者の方々から絶大な期待と信頼を寄せられている先生の生き生きとした姿に触れ、地域に根差した政治を目指す先生のたくましい政治姿勢に強い共感を覚えました。
 さて、北村先生は、地元の高校を卒業後、かつて見た伝記映画で感銘を受けたという大隈重信公が創設された、早稲田大学政治経済学部経済学科に晴れて進学されました。
 そして、ふるさとの暮らしをよくしたいとの熱い志を抱かれた先生は、郷里五島列島出身の大先輩であり、大平内閣において郵政大臣を務められた故白浜仁吉先生の書生となり、卒業後、正式に秘書となられたのであります。
 白浜先生は、奥様と二人のお嬢様を長崎の原爆で失われるという壮絶な経験を乗り越え、今日の我が国の平和と繁栄に御尽力された偉大な政治家でした。北村先生は、温かく清廉なお人柄で知られた白浜先生から、政治家の常として、「地元のために働き、政治的成果を得ることは当然のことである。我が手柄のように吹聴したり、選挙運動に使うことは御法度である。」との教えを受けていたとのことです。
 白浜先生の薫陶を受けた北村先生の政治姿勢、常に謙虚で誠実なお人柄を思い起こすとき、この議場にいる誰もが得心することでしょう。
 白浜先生の下で研さんを積まれた北村先生は、昭和五十八年、佐世保市議会議員選挙に挑戦して見事トップ当選を果たされ、政治家としての第一歩を踏み出されました。続いて挑戦した第三十八回衆議院議員総選挙では惜しくも敗れたものの、その後、長崎県議会議員へと更なる歩みを進め、爾来連続して四期にわたって重責を担われ、この間、長崎雲仙・普賢岳の噴火災害からの復旧復興や地域の発展に全力を傾注されたのであります。
 かくして、平成十二年、現職議員との公認争いに敗れる中で、それでも離島や過疎地の声を国政に届けたいとの思いは断ち難く、長崎県議会議員の職を辞し、政治に身命を賭す覚悟で第四十二回衆議院議員総選挙に勇躍無所属で立候補されました。小値賀島の皆さんがこぞって漁船で佐世保まで応援に駆けつけるなど、大きな期待を一身に集め、徹底した草の根選挙を展開し、最愛の奥様シズノ様の内助の功もあり、接戦を制して、見事初当選を果たされたのであります。(拍手)
 本院に議席を得られてからは、有権者の固い支持を得て、連続して当選すること八回。農林水産委員会、国土交通委員会、安全保障委員会、沖縄及び北方問題に関する特別委員会、北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会を中心に、多くの委員会で理事、委員を歴任され、卓越した識見と行動力を発揮されました。
 さらに、平成二十二年十月には沖縄及び北方問題に関する特別委員長、平成二十六年九月には安全保障委員長に御就任され、温厚篤実なお人柄と、常に公正公平な立場を堅持し、円滑、円満な委員会運営に当たられるお姿に、与野党の別なく、絶大な信頼が寄せられておりましたことは言うまでもありません。
 北村先生は、離島振興や農林水産政策をライフワークとしつつ、特に安全保障問題に熱心に取り組まれておりました。それは、幼い頃から戦争の悲惨さ、平和の尊さを肌身に感じてきた被爆地長崎出身議員として、その一方で、祖国の平和、独立を維持し、国民の生命財産を守り抜くことは国家の責務であり、現在も米軍、自衛隊基地を抱える佐世保、県北の代表として、この問題に真摯に取り組むことが自らの崇高な使命であると思い定めていたからであります。
 この間、党におきましては、水産部会長、国土交通部会長、安全保障調査会副会長、政務調査会副会長等の要職を歴任されました。当選回数を重ねられてからも、党本部で開かれる会合のほとんど全てに出席され、資料を大量に抱えて国会内を歩かれている御様子は、誰しも一度はお見かけになったことがあるのではないでしょうか。(拍手)
 また、内閣におきましては、安全保障政策に対する深い造詣と、これまでの活動実績が高く評価され、平成十六年九月、第二次小泉改造内閣において防衛庁長官政務官、平成二十年八月、福田改造内閣、続く同年九月の麻生内閣において防衛副大臣に御就任になられました。在任中、先生の信条である「現場主義、汗かき主義」そのままに、自衛隊各駐屯地や基地を積極的に視察され、隊員を督励して回られたとのことです。
 そして、令和元年九月、第四次安倍第二次改造内閣において、地方創生、規制改革担当の内閣府特命担当大臣、まち・ひと・しごと創生担当大臣として初入閣を果たされたのであります。(拍手)
 地方、特に離島や過疎地域が抱える高齢化、産業の衰退等の諸課題を熟知している北村先生にまさに適任の役職であり、小値賀町初の大臣の就任に、島内が喜びの声で沸き返ったそうです。
 大臣就任後は、地方創生の推進には各地域の現場の生の声に耳を傾ける必要があると、早速、現場主義の真骨頂を発揮され、僅か一年余りの間に、地方創生担当大臣として、全四十七都道府県、計二百か所を訪問し、現場の最前線で奮闘されている多くの方々から地域の実情や課題を聞いて回られ、訪れた地域の魅力を自らPRされるなど、率先垂範して地方創生の推進に取り組まれたのであります。(拍手)
 折しも、大臣在任中、新型コロナウイルス感染症の蔓延により、社会的、経済的影響が広がり、誰もが不安にさいなまれる中、いち早く総額三兆円にも上る地方創生臨時交付金を創設し、地域における様々な取組を支援することができたのは、北村先生の指導力のたまものでありました。
 北村先生は、弱者に対する慈愛に満ちたまなざしと行動力を併せ持つ、希有な政治家であられました。北村先生は、自身のことを多く語ることはありませんでしたが、自分にも他人にも誠実に生きることを生涯貫かれた方でした。このことは、恐らく、先生が敬けんなカトリック教徒であったこととも無縁ではなかったでしょう。
 近年は、体調が優れない中においても、超党派の空襲被害者等の補償問題について立法措置による解決を考える議員連盟の会長を務められ、第二次世界大戦末期の空襲による民間被害者への補償の実現に奔走しておられました。
 北村先生は、地元の成人式には毎年必ず出席し、「自分で考え努力すれば何でもできる、夢を持て」と若者たちに語りかけておられたそうです。青雲の志を持って希望に燃えていた御自身の姿を現代の若者に重ねて見ていたに相違なく、その中から先生の遺志を継ぐ者が必ずや現れることを期待してやみません。
 白浜先生の書生、秘書から、市議会議員、県議会議員、国会議員と、まさに先生が好きだった「地道に一歩ずつ」の言葉どおり、約半世紀にわたって、故郷である小値賀町、長崎県、国家国民のために、うそ偽りなく、私心を捨てて、真摯に尽くされた政治家人生でありました。(拍手)
 今、世界は、武力による現状変更の試みや核兵器による威嚇など、戦後かつてないほどの危機的な状況にあります。戦争の悲惨さ、被爆の実相を知る北村先生のお力がまだまだ必要でありました。
 「好きな仕事をさせてもらっているのに休んでなんかいられない」とおっしゃっていた先生の志は、残された我々がしっかりと受け止め、前に進んでいかなければなりません。
 ここに、北村誠吾先生の御功績をたたえ、御人徳をしのぶとともに、トレードマークであった将棋の歩のループタイを締めて優しくほほ笑む先生のお姿を皆様とともにいま一度思い浮かべ、この議場からお送りしたいと思います。
 北村誠吾先生、どうぞ安らかにお眠りください。(拍手)
     ――――◇―――――
 情報監視審査会会長の情報監視審査会令和四年年次報告書についての発言

発言情報

speech_id: 121105254X03320230613_004

発言者: 上川陽子

speaker_id: 1920

日付: 2023-06-13

院: 衆議院

会議名: 本会議