金城泰邦の発言 (予算委員会)

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○金城委員 御答弁ありがとうございました。被災地の方々の受入れをしっかりとスムーズに進めていければと思っております。よろしくお願いします。
 次に、岸田総理の施政方針演説にもありました基地負担軽減、普天間飛行場の一日も早い全面返還の取組についてお伺いいたします。
 二〇〇四年八月十三日、米軍普天間基地を飛び立った大型ヘリコプターが訓練中にコントロールを失い、沖縄国際大学一号館に接触し、大学の構内に墜落、炎上するという事故がありました。この沖縄国際大学は私の母校でもありまして、当時、白保台一衆議院議員の秘書をしていた私も、事故発生後すぐに白保議員とともに現場に駆けつけたのでありました。
 この事故により乗員三名が負傷し、幸いにも一号館内にいた大学職員二十数名やほかの民間人に負傷者は出なかったということでありますが、当時、墜落によって折れたヘリのプロペラが付近の住宅の壁を突き破り、道を渡って向かい側のアパートのガラスを割り、そして、そこにいた授乳をしていた母子、乳飲み子の世話をしていた母親の頭上数十センチ上をかすめ飛んで、そして隣の部屋の壁にまで突き刺さっていた、そういう現場を私も見せていただきました。
 そのときに、このようなことは二度と起こってはいけないということを強く感じまして、一日も早い普天間飛行場の移設を実現しなければいけないと決意したものでありました。
 現在、普天間飛行場の返還については、辺野古代替施設への移設が唯一の解決策とされておりますが、依然として沖縄県内ではこの点についての理解が十分に得られていない状況だと私は思っております。
 一九九五年に在沖米軍兵による少女暴行事件が発生し、当時、普天間基地の移設や米軍基地の整理縮小、また日米地位協定の改定など、要求が高まりました。そして、一九九七年、名護市辺野古に移設が固まった。そして、二〇〇四年に沖国大に米軍ヘリの墜落事故が起きました。この際に、二〇〇六年に、二〇一四年までには移転をするというロードマップも決定しております。
 しかしながら、その後、二〇〇九年、鳩山内閣が発足し、第四十五回の衆議院選で最低でも県外と訴えていた総理が誕生し、沖縄県民も多くの期待を持っておりました。しかしながら、その翌年、二〇一〇年、再度、その鳩山政権が発足した民主党の政権で、再び辺野古移設に帰結したという経緯であります。
 改めまして防衛大臣から、唯一の解決策という結論に至った経緯と理由、それぞれについて御答弁をいただきたいと思います。

発言情報

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発言者: 金城泰邦

speaker_id: 2803

日付: 2024-02-13

院: 衆議院

会議名: 予算委員会