海江田万里の発言 (本会議)
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○海江田万里君 この度、院議をもって永年在職議員の表彰を受けましたことは、誠に光栄の至りであり、額賀議長を始め、御在席の各位に深甚なる謝意を申し上げます。(拍手)
私が衆議院に初めて議席を得ましたのは、一九九三年七月の第四十回選挙においてであります。爾来、衆議院議員選挙に当選すること九回、議員として在籍すること二十五年。この間、浅学庸才の私を長年にわたり御支援いただいた選挙区の有権者の皆様、多くの労苦を共にした事務所の諸生、そして家族に、心から感謝の意を表します。(拍手)
初当選した第四十回選挙では、細川政権の誕生により、いわゆる五五年体制が崩壊し、政治改革が叫ばれ、政治と金の問題を解決するため、小選挙区比例代表並立制の選挙制度が導入されました。しかし、それから三十一年が経過して、再び国会で政治と金の問題が取り上げられ、政治改革が大きなテーマとなっていることに対し、この間、政治は何をしていたのか、私自身、内心じくじたる思いがいたします。
二十五年の議員在職中、私は、主に財務金融委員会、決算行政監視委員会で委員を務め、それぞれ委員長も経験させていただきました。国民に負担を強いる租税の内容を定め、その使い道を監督することは、議会の最重要の役割です。長年にわたりその重責の一翼を担えたことは、私の最も喜びとするところであります。(拍手)
初当選からの三十年余りの政治人生を振り返り、脳裏に浮かぶ事跡の一つは、二〇一一年三月、福島の原子力発電所事故に際して、経済産業大臣として対応に当たったことです。事故の収束に向け心血を注ぎましたが、その評価は後世の歴史家に委ねたいと思います。
更に忘れられないことは、二〇一四年十二月の選挙で、民主党代表を務めていた私が、自身の議席を失ったことであります。恥ずかしさに消え入りたい思いの私に対し、世の中には勝利より誇るに足る敗北があると励ましてくれた支持者に支えられ、二年十か月にわたる浪人生活を耐え忍び、復活を果たすことができました。(拍手)
その後、二〇二一年十一月の特別国会で第六十八代衆議院副議長に選ばれました。身に余る栄誉です。功遂げ身退くは天の道なりとの老子の言葉に従い、田園に帰ることも考えましたが、現在の混迷する世界情勢、日本が置かれた厳しい環境の中で、人々の豊かで安心できる暮らしを実現するため、そして、非戦、平和の日本を守るため、いましばらくは力を尽くそうと決意し、今日に至っています。(拍手)
結びに、今は亡き父母に感謝の念を伝えることをお許しいただきたいと思います。特に、代議士になる夢を諦め、一政治記者として一生を終えた父親が、この議場のどこかから、万里おめでとうと声をかけていてくれる気がいたします。
本日は、永年在職議員表彰、誠にありがとうございました。(拍手)
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国務大臣の演説に対する質疑