古波藏契の発言 (沖縄及び北方問題に関する特別委員会)

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○古波藏参考人 東京科学大学の古波藏と申します。よろしくお願いいたします。
 僕は、専門が沖縄を対象とした歴史社会学になっていて、平たく言うと沖縄の戦後の歴史の研究をしています。それとは別に、沖縄以外の条件不利地域をフィールドとした地域コミュニティー、これを力づけたり、自分たちで事業をつくったりといったことにも取り組んでおります。
 今日の話は、自分がこれまで学術書、一般書で書いてきた話と、それから地域づくりに関わる中で見聞きしてきたことから三点だけお話をしたいと思っています。
 一点目が、まず、沖縄振興というのが、基本的に八十年間経済の成長だけを追求してきてしまっていたところがあるという話。
 それから二点目に、経済は成長しているんだけれども、では、それが社会的な豊かさにつながっているかというと、必ずしもイコールにはなっていないかもしれないなという話。八十年ずっとそれをやってきてそうなってしまっているのであれば、ここで少し目先を変えて、目標設定から考え直してみる必要もあるのではないかという話をしてみたいと思います。
 一点目の、八十年間経済成長をしゃにむに追求してきてしまったということですけれども、含意としては、ほかにいろいろな目標を掲げてきたんだけれども、それがお題目として棚上げになったまま、結果としては経済成長だけを達成してきてしまったということですね。
 これについては、少し歴史の話をしたいと思います。さっきから八十年、八十年と言っているのは、戦後八十年なので、当然前半は米軍統治期になります。一九七二年に沖縄は日本に復帰しますので、その前後で大きく経済の在り方は変わるんですけれども、例えば自立経済をつくりましょうみたいな目標でいうと、実は余り変わっていないんですね。米軍も言い方としては少し変えていて、健全で持続可能な経済を沖縄でつくりましょう、こういう言い方をしています。実際にそれをやろうとはしていたんですね、それは米軍の思惑としてやろうとしていた。
 ただ、結果からいうと、この自立という部分に関しては、棚上げにならざるを得ない部分がありました。例えばですけれども、一九五〇年代の半ばぐらいまでの沖縄経済というのは、基本的には、基地を造って、そこで働いている人たちのお金でもって内地から何かを輸入して経済を回すという買い食い型の経済、基地経済と言われますけれども、そういうもので回していた。
 五〇年代になってくるとそれも立ち行かなくなってくるので、今度は砂糖とかパインを作って、それを世界市場に輸出できればいいんですけれども、そんな競争力はないわけですから、日本政府が特恵措置という形で国内産品として買い上げてくれるという形で回すのが六〇年代の半ばぐらいまで。さらに、後半になってくると、今度はベトナム戦争が起きますから、その特需で経済を回す。
 それもだんだん立ち行かなくなってくるので、今度は日本政府からの直接的な援助というのがどんどん大きくなってくるという形で、つづめて言うと、その時々で使える一過性の要素を組み合わせる形で何とか経済を回す、それで大体日本本土と同じぐらいの成長率を維持するということを米軍はやってきているわけですね。
 これは何でそういうことをしているかというと、そもそも米軍からすれば、大事なのは住民ともめないこと、住民の不満がたまってアメリカ統治に、復帰運動という形ですけれども、反旗を翻さないようにすることというのが第一義で、経済成長の中身ということに関しては二次的な問題にとどまってしまっていたということですね。
 この経済の形というのは結構復帰の前後ぐらいからひどい言われ方をしてはいて、外からいろいろな要素を入れて経済を回すから、それを指して人工栄養の経済、これはエコノミストの大来佐武郎さんの言い方ですけれども、そういうふうに言われたり、割と消費は華やかなんだけれども何もまともな生産業が育っていないよねという意味で生け花経済とか言われたり。根っこがないという意味ですね。あるいは、外から入れたものが全然根づかない、先ほど本永さんの話にもありましたけれども、出ていっちゃうということでざる経済。いろいろな言われ方をしていて、当然それは、日本に復帰したタイミングで、その汚名を払拭するために沖縄振興開発をやりましょうということで、本土との格差是正と並んで、最初から沖縄の自立的な発展ということが沖縄振興開発の中には入っていた。
 けれども、それが十年ごとに何度ビジョンの刷新を重ねていても、結果的には自立という部分というのはふわっと浮いたまま、ひたすら経済の量的な拡大というのが追求されてきたというのがここの八十年起きてきたことかなと思っています。
 もちろんそれが全て無意味だったとは言いませんが、八十年それをやってきているので、先ほど言ったとおり、少し目先を変える必要もあるのではないかと思っています。特に、冒頭言ったとおり、では、経済が発展すれば、成長すれば、それで社会が豊かになってきたかというと、そうではなさそうだということがここ数年の沖縄では言われ始めているというのがあります。
 これが二点目の社会的な豊かさの創出という話になるんですけれども、話の性質上、結構ふわっと曖昧になってしまうところがあるので、少しだけエピソードを紹介したいと思います。
 これは一九七二年の復帰直後ぐらいの話なんですけれども、このときに、保守とか革新とか余りそういう立場関係なく、各界の名士と言われる人たちが集まって、沖縄の文化と自然を守る十人委員会というものをつくります。その名義で過度な経済開発をたしなめる提言を出して、割と話題を集めたことがあります。
 かいつまんで言うと、復帰前までは沖縄というのは地域共同体的な精神的連帯があったんだけれども、それが日本に復帰した途端に、コンクリートジャングルで埋め立てられてしまって、自然も文化も全部お金で勘定するようになってしまった。沖縄の方言でジンヌユと言うんですけれども、銭の世、ジンヌユになってしまったということで、これはまずいんじゃないかということが実は復帰直後から言われていたということですね。
 自然とか文化の破壊もさることながら、結構大事だなと思っているのは連帯性の破壊の部分で、これは要は自分一人だけうまくいけばいいんじゃないかというメンタリティー、社会科学では個人主義的上昇志向とかいう言い方をして、硬いので僕はマイホーム主義というふうに端的に言っているんですけれども、自分と自分の家族以外はまあいいやみたいなマインドセット、それが沖縄にも入ってきてしまったというのを警告しているわけです。
 これは予言のようなところがあって、割と最近の沖縄では、調査をすると、住民同士のつながりというのはあからさまに弱くなっていると言われています。沖縄県も三年から五年置きに一回県民向けの意識調査というのをやっていて、その中で、十年前と比べて住民同士のきずなは強くなったと思いますか、弱くなったと思いますかというのを聞いています。
 結果は、大体予想はつくんですけれども、常に、弱くなったが最大で、強くなったは最小なんですね。最新の二〇二四年の結果とかだと、弱くなったが四五%、強くなったが四・五%、大体十倍ぐらいの差になっている。当然、コロナがあるのでそれは差っ引かないといけないんですけれども、それでも長期的なトレンドとして、住民同士全然最近つながれていないよねというのが主観的にも言えているということですね。
 もう少し具体的な問題に引きつけて言うと、二〇一五年に、当時翁長県政、翁長雄志さんが知事をやっていたときに、県が独自で子供の貧困の状態を調査したことがあります。蓋を開けてみると、三人に一人の子供が貧困の状態になっているというのが明らかになって、割と大騒ぎになったことがあります。
 三人に一人なので、両隣の家のどっちかぐらいの割合ですよね。この比喩は正しくないんですけれども、多分住んでいるエリアが違うので。比喩的に言うとそれぐらいの割合の子供が貧困になっているということが分かってしまって、今はこれは重点的に取り組む、県政の一大課題ということで今最重要課題になって取り組まれているところです。問題は、両隣のどっちかぐらいの割合の貧困にそれまで気づかないぐらいに沖縄社会というのがばらけてしまっていて、しかもそれが気にならない。先ほどマイホーム主義と言いましたけれども、気にならないぐらいのところまで先ほど十人委員会が言っていたような連帯意識の衰退というのが進んでいたということがポイントかなと思っています。
 もう一つ、もっと卑近な例になりますが、経済的に豊かになることが社会的に豊かになることではないということに関して言うと、例えば中南部に一極集中現象が進んでいますが、これなんかも言えるのかなと思っています。
 沖縄というのは割と特殊な地方で、どこの地方も県外への人口の流出というものに悩まされているんですけれども、沖縄は、出てはいくんですが、そこまで急激ではないというのがあって特殊なんですけれども、中を分け入ってみると、那覇がある中南部とそれ以外というのは全く様相が違っていて、中南部というのは、周辺部分から相当な人口を吸い上げて物すごく人口が密集していて、家を買うにも買えないぐらい値段も高くなっていて、おまけに、先ほどお話ありましたとおり、渋滞もひどくて、何をするでもない通勤時間に膨大な時間を費やしているということがあります。
 中山間とか離島より那覇の方が結構稼げる仕事というのは多いんでしょうということで人が出てくるわけですけれども、蓋を開けてみたときに、では、そこで暮らしてみていい生活が送れているかというと、多分全く別問題というのが誰の目にも明らかになっているということが言えると思います。
 三点目ですけれども、ゲームチェンジの話。さすがに、八十年これを続けてきて、ちょっと見直さないといけない、多分、目標自体を少し考え直した方がいいのかもしれないという話に入りたいと思います。
 先ほど、五十年前の各界名士たちがジンヌユになってしまうと嘆いたという話をしましたが、では、銭じゃなきゃ何なんだということになりそうなんですけれども、昨今、幸福度調査みたいなもので別の指標というのが言われるようになっている。その中で、幸福度に寄与する経済的な要素の割合というのはある程度までなんだ、ある程度のところまでは所得が上がると割とハッピーになるけれども、ある程度から止まっちゃうんだというようなことを間々言われていて、だんだんその警告に対して科学的な根拠というのが追いついてきているのかなと思っています。
 先ほど、沖縄の研究とは別に、地域コミュニティーをフィールドにしたいろいろな活動をしているというふうに申し上げましたが、その実践をやっている中でもすごく体感的に感じるのは、お金の価値自体が結構変わってきているんだろうなというのを感じます。変な言い方ですけれども、お金の価値というのは変わるんだなと思っています。
 僕が見聞きした範囲と言いましたが、全国的にも地方に移住する若者が割と注目を集めるようになっています。あるいは関係人口、今話題になっていますけれども、関係人口という形で地方に関わりたいという人たちも増えている。これもその兆しだと理解しています。
 こういう動きをする人たちに共通するのは、お金がもらえなくても、何ならちょっとかかったとしても、意味のある仕事をしたいというような思いが強いわけですよね。収入が減るのにわざわざ離島とかに移住するというのも同じことです。人間が経済的に合理的にしか判断しない、行動しないということであれば、外れ値になってしまうような人たちというのが全く無視できない規模で膨らんでいる、それがある種一つの業界まで形成してしまっているというのは注目すべきことだと思っています。
 よく考えれば、それはそうで、お金が価値を持つというのは、何かそれが価値のあるものと交換できるからこれはいいなと思うわけですけれども、稼いでも稼いでも、例えば那覇でそこそこ稼いでも家なんか買えなかったりするわけですよね。昔とそこが明らかに違うわけで、お金のレート、価値が変わってきているというのは重要なポイントだと思っています。
 もう一つだけ例を出して話を終わりたいと思いますけれども、労働者協同組合という言葉を御存じでしょうか。法人格なんですけれども、これが多分今後の、沖縄だけじゃないと思いますけれども、社会とか経済の在り方を考えるときに一つ新しい視点をつけ足すものになるのかなというふうに考えています。
 これは何かといえば、二〇二〇年に超党派の議員立法で法律ができて、正確にはその前からずっと活動自体はあったんですけれども、法律として法人格が認められたのが二〇二〇年にできています。
 これはどういうものかといえば、働く人が自分たちで出資もするし経営もするし、普通これは分かれているんですけれども、経営者がいて労働者がいてどこかに出資者がいてということではなく全部同じ人がやるというものですね。こういう仕組みになっているんですけれども、その仕組みを使って、地域に眠っている、隠れている、でも存在しているニーズを捉えて、それを事業にして仕事をつくっていく、そういうふうに活動される法人です。
 実は僕自身も、この法人格を使って那覇で書店を運営しています。栄町市場というところにある栄町共同書店というんですけれども、この話を少しだけ紹介しておきたいと思います。
 これは全国と全く同じなんですけれども、沖縄でも書店というのはすごく減っていて、もうもたないとなっているんですね。本を売って稼いだ金で家賃を払ったり人件費を払ったりというのがどんどんできなくなっていて、経済的にはだから淘汰されつつある。経済的にはもたないんだけれども、それは社会的には困るんだというのが問題になっているわけですよね。
 例えば、本屋というのは本を買うだけの場所ではなくて、そこに行けば、自分が求めていなかったんだけれども、何だこれというような新しい本に出会う、自分と違う見方、考え方をするやつがこんなにいるんだというような、違う考え方、社会の中にある別の考え方と出会う機能を持つという公共的な場所になっている。あるいは、そんなややこしいことを言わなくたって、ちょっと飲み会の待ち合わせの間とかに時間を潰すような、公園みたいな機能も果たしているということで、そういう場所というのはなくなっちゃったらまずいんじゃないのということは社会的には問題になるわけですよね。
 では、どう残していくのかということを考えたときに、残したい、そのために何か力を出したい、だけれども関わり方として分からないという人たちを仲間として集めて、労働者協同組合という形で書店を運営しています。それぞれメンバーはみんな本業があって、残った隙間時間をこの活動に費やしているんですけれども、でも、それで一つ社会の中に書店が残せるという実績があるわけですね。
 これは都市部の話なんですけれども、労働者協同組合というのは本来割と条件不利地域に向いている法人で、そこでもじわじわと広がっています。法律の中でも、根拠法の中でも持続可能で活力ある地域社会の実現に資するというふうに書いているわけで、地域で必要とされていることを事業にして、形にして、その中で自分の役割とか居場所を確保できるということに価値を見出す人たちというのが一定数いて、いるんですけれども、まだまだそれが現実の選択肢としてあるということが知られていないというのが課題になっているところかなと思っています。
 そろそろくくらないといけないんですけれども、要は、新しい、ゼロから何かをつくるということだけが多分振興の在り方ではないんだろうなと思っています。
 労協の例に重ねて言うと、どこかからすごいアイデアがあって、それでみんなが引っ張られていくというような仕組みではないんですね。みんな出資しているし、経営者として関わらないといけないので、強制的に議論の中で考えさせられる、当事者として考えさせられるので、それまで考えてこなかったようなことまで考えるようになる。でも、それは社会全体で見ると、人材リソースが豊かになっていくということなわけですよね。使われていない能力というのを使えるようにしていくというのも一つの考え方なのかなと思っています。
 大分ナイーブな話をしているというのは承知をしているんですけれども、地域が力をつけていくというのはそういう面もあるということだと思っているので、成長のための成長ではないビジョンというのにも可能性があるということをお話ししておきたかったというところでございます。
 少し時間を超過しましたが、お話はこれで終わりたいと思います。
 御清聴ありがとうございました。(拍手)

発言情報

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発言者: 古波藏契

speaker_id: 21426

日付: 2025-06-13

院: 衆議院

会議名: 沖縄及び北方問題に関する特別委員会