西園勝秀の発言 (予算委員会第一分科会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○西園分科員 公明党の西園勝秀です。
私は、一九九五年に、国土交通省の前身である運輸省に入省しました。本日は、運輸省出身の大先輩であられます赤澤大臣に質問する機会を与えていただき、大変ありがとうございます。
まず初めに、防災庁が取り組むべき事前防災とはどのようなものかについて伺います。
私は、赤澤大臣がお書きになられた防災省創設に関する論文を拝読させていただき、大変感銘を受けました。この中で、赤澤大臣は、日本航空一二三便墜落事故、また阪神・淡路大震災で多くの貴い人命が失われた経験が原体験となり、あらゆる災いから一人でも多くの人命を救いたいという熱い思いが私の体の中で燃えていると表現されています。こうした思いを持つお方が防災庁の設置をリードしてくださることが大変心強く、赤澤大臣の防災立国にかける熱い思いに深く共感する一人として、本日は質問に立たせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
私は、復興庁に出向し、東日本大震災からの復興の教訓を取りまとめた復興政策十年間の振り返り、いわゆる復興政策十年史の編さんに携わってまいりました。被災地を回り、現地の皆様から様々な御意見を伺い、将来的に起こり得る南海トラフ地震などの大規模災害に備え、今、何をしなければならないのか、後世に何を伝えなければならないのか、本当に肌身で実感してまいりました。
東日本大震災の復興政策を振り返る中で、今でも深く教訓として心に残っていることがあります。それは、東日本大震災の津波で当時の町長と職員計二十八人が犠牲となった岩手県大槌町旧役場庁舎の解体をめぐる議論です。大勢の方が亡くなられた庁舎を見るのがつらいという方々と、震災の遺構として将来の教訓を残すために残すべきだと訴える方々との間で意見が分かれ、町を二分する大きな議論となりました。津波でこれ以上ない辛酸をなめた被災者である現地の皆様が、更に一重、つらい選択を迫られる事態に追い込まれました。
私は、語り部の方から多くのお話を伺いましたが、そのうちの数名の方がおっしゃっていたことが胸に刺さり、これまでずっと忘れられません。それは、本来であれば被災した皆が心を一つにして復興への歩みを進めていかなければならない、つらい思いを共有できる被災者同士だからこそ一緒に町づくりをしていきたい、それなのに、町長を始めとする役場の幹部が皆亡くなり、意思決定をする人がいなくなったために、被災者同士が語気を強めて言い争うような事態に発展してしまった、もし事前にルールがあればこのようなことにならなかったのではないかと思うとそれが本当につらいんですと肩を落としておっしゃっておられた姿でした。
大槌町旧役場庁舎が解体されたのは、二〇一九年三月、東日本大震災から八年後です。被災後の復興の在り方を事前に決めていたとしたら、八年もの時間を費やす必要はなかったのかもしれません。この教訓を生かし、災害後の混乱を最小限に抑え、迅速で持続可能な復興を可能にする仕組みを構築するべきです。
政府は、防災業務の企画立案機能を飛躍的に高め、平時から不断に万全の備えを行う、本気の事前防災に徹底的に取り組むとともに、災害発生時の司令塔機能を抜本的に強化するために、令和八年度中に防災庁設置に向けた検討を行うとしております。そのためには、現在、各省庁が担う防災業務を俯瞰的に捉え、国や自治体等が作成する各種計画が整合的に適切に実施されなければなりません。何が必要で、今、何が足りないのかを、防災庁は正確に把握する必要がございます。そして、司令塔として、政府の災害対応をリードしていかなければなりません。
防災庁が取り組むべき事前防災とはどのようなものを考えているのか、御答弁をお願いいたします。