高良鉄美の発言 (外交防衛委員会)
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○高良鉄美君 資料の二の二の方ですね、最後の二つですけれども。沖縄は、一八七二年、これ廃藩置県の翌年です、もう藩はありません、しかし七二年から琉球藩ができるんです。明治五年のことです、これが、琉球藩がですね。江戸時代ではもちろんないわけなので、琉球藩の場合には、琉球国王に対して、詔勅によって、藩主ではなくて藩王と、藩王に封ずるとなされたわけです。ついでにと言ったら変ですけれども、華族である侯爵ですね、侯爵に列するということも付いておりました。そして、一八七九年、この琉球藩がいわゆる琉球処分によって沖縄県ということになるわけですけれども、これ廃藩置県の置県とはちょっと違っていまして、処分という形で琉球を、琉球藩を沖縄県とするという、処分官が行ってそれを通告したわけです。
そうすると、藩王はどうなったのかといいますと、藩王になった後は、首里城を追われて、結局東京で侯爵として住むということを強制されたわけですけれども、やっぱりこれ、一八七二年から七九年の間に、やっぱり琉球国は、琉球藩、沖縄県と、もう僅か七年の間に非常に大きな変化を、いわゆる力による体制変更というのがあったわけです。東京に強制されましたけれども、移住をですね、逆に来たのが沖縄県知事という形で東京から沖縄に派遣されるということになります、別の方がですね。
先ほども岩屋大臣の方からも説明がありましたけれども、そこの時期がちょうど、修好条約、締結ではなくて、その後の改定の問題が出まして、最恵国待遇をすると、その代わりにということで、宮古、石垣を沖縄から分離して清国に譲渡をするという、こういう二つですね、条件を、入れ替わった条件といいますかね、そういうのを付けて交渉したということですけれども、その交渉の経緯、そしてその結果というのをお聞かせ願いたいと思います。