宮崎孝人 に関する国会発言
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○参考人(宮崎孝人君) やっております。
○参考人(宮崎孝人君) よろしゅうございます。
○参考人(宮崎孝人君) ちょっと御質問の趣旨がわかりませんが、前の資料でございます。その資料を、会社がいわゆる役所の検査と同じように水を注入した形で分析したものと、その前後に全部そういう資料がありますので、比較をしなければなりませんので、そういう資料もまとめてあるということでございます。
○参考人(宮崎孝人君) お答えいたします。 やっております。
○参考人(宮崎孝人君) お答えいたします。 もちろん提出すべきものは全部提出いたします。
○参考人(宮崎孝人君) お答えいたします。 その資料は、私のほうで採取しましたものを、役所でおやりになったと同じ方法で注水したものの分析表でございます。その前後の資料はございます。電話の報告では、前後の資料があると言っております。それはあたりまえの事実の資料でございます。
○参考人(宮崎孝人君) 対州鉱業所の、閉山いたしましたので管理事務所になっておりますが、そこの現在は環境管理室と申しまして、公害関係を扱っておりますけれども、そこの室長をやっております。
○参考人(宮崎孝人君) お答えいたします。 会社の方針ではなかったと思います。それから私は直接神出元所長にただしましたけれども、社長の命令でなく、自分で独断でやったと、こういうふうに言っております。
○参考人(宮崎孝人君) 何かそういうような話でございます。大学生だということでございました。その理由とか、そういうことは全然わかりませんでございます。
○参考人(宮崎孝人君) お答えいたします。 先ほど申しましたのは、私が現地でそれぞれ調べた結果、推定でございます。なぜならば、新聞に出ておりますところのいろんな記事がきわめて正確であるところから、当時これに従事する者以外はわからないわけでございまして、しかも当時、神出所長から指示を受けた者は二人しかおらない。そうなりますと、そうではなかろうかという推定でございます。また、御承知のように昨年九月に閉山いたしましたので、大半の人間が退職
○参考人(宮崎孝人君) お答えいたします。 やめた時期は四十七年の、たしか二月ごろだったと思います。 このことは、私のほうの会社が安中公害をきっかけといたしまして経営状態がきわめて悪化いたしまして、いろいろ人員過剰その他、きわめてピンチに追い込まれましたので、そのときに何人かの人間を異動させたり、あるいは他社に出向させる形で人事を行なったのでございますけれども、そのやめた人はそのとき、ちょっと会社の名前は忘れましたが千葉県の会社
○参考人(宮崎孝人君) 現在の調査では、やめさせたのではなくて、やめたということでございます。
○参考人(宮崎孝人君) わかっております。
○参考人(宮崎孝人君) その人の名前でございましょうか。
○参考人(宮崎孝人君) お答えいたします。 資料が出てくればもちろん全部お出しするつもりでおりますが、ちょっと経緯を申さないとおわかりにならないと思いますけれども、神出元所長のやり方と申しますか、個々人に指示を与えておるというやり方をやっておるわけでございます、調査の結果。したがいまして、当時これらのいわゆる工作に従事させたと思われる者は、当時の保安企画室長とその下におります技師、この二人であったというふうに、現在残っております技師
○参考人(宮崎孝人君) お答えいたします。 御質問の告発された内容は、残念ながら入手ができませんので、しておりません。したがいまして、その内容は全然わかりません。 私の調査いたしましたのは、当時保安企画室と申しまして、現在環境管理室に名前を変えておりますが、そこの技師をしておりました者にただした結果が、これだけの資料が現在ある、ほかはない、こういうふうに言っておったわけでございます。したがいまして、告発された内容とどういうふうに
○参考人(宮崎孝人君) お答えいたします。 ただいまの御質問で、どういう調査結果が出たかについて申し上げます。 私が現地に参りまして、神出元所長の供述しました裏づけをするために参りましたが、国会に呼ばれておりますので日数が非常に短うございます。九日に行って、十日にトンボ返ったので、その時点では非常にあやふやでございまして、私が調べた当人も、四回ないし五回やったという記憶だと言っておりましたが、その後、昨日夕方電話をいたしまして調
○参考人(宮崎孝人君) 日見坑は認めます。 〔委員長退席、理事原文兵衛君着席〕
○参考人(宮崎孝人君) お答えいたします。 それぞれ坑口がございますが、日見坑ではそういう事実がありました。ほかではございません。
○参考人(宮崎孝人君) お答えいたします。 おおむね、調査したところでは四十三年の八月以降から四十五年の末か四十六年の初めというふうになっております。