小倉康弘 に関する国会発言
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○参考人(小倉康弘君) 知的所有権と思いますのは、要するに金型を注文して金型を作って出すことについては私は知的所有権ではないけれども、それの図面を出せということでございますので、これは知的所有権としてお認めいただけないかなというふうに思っております。
○参考人(小倉康弘君) 今、大企業の横暴という、私は横暴というのはちょっとあれで、大企業に恩恵は受けておりますけれども、やはり官尊民卑というようなものでございまして、やはり大企業の傘下にあります城下町、これは今の時代は全く城下町ではなくて、ほかの企業が入り込んで入札制を取っている。それから大企業が、下請さん十二社あるところで八社に絞りたいから見積りを出せというのも、これも横暴といえば横暴と。 それで、何しろ大企業が海外移転をしており
○参考人(小倉康弘君) 仲池上は準工地帯ということでございます。ちょっと私のレジュメの方に表を出しております。「経済社会の構造変化(GDPの産業別構成比)」というのがございます。昭和四十年を、一九六五年からちょっと、第一次産業、第二次産業、第三次産業とその推移をごらんいただきますと、四十年、オリンピックの後、三次産業が五〇%ですが、平成十二年には七〇%と、こういうふうになっている。 ですから、準工地帯で周りが、公害防止条例あるいは工
○参考人(小倉康弘君) 大変難しい問題でございまして、今、世界の産業の果たすですか、日本の産業の果たす、果たしていると。先ほど申し上げましたように、基盤技術のおきながおりますので、図面さえ与えれば何でもできるということ、簡単にお話ししますとそういうことでございます。 それで、やはり国民性の違いというのがございます。まず、非常に器用だという点では他国には勝っているんじゃないかなと思います。一例を挙げて、中国に、先ほど申し上げましたよう
○参考人(小倉康弘君) 非常に精密な関与をし、お話しいただきました。 今、大田区と大田工業連合会共同で新製品・新技術開発コンクールというようなこととかやっております。その中で、ナノの時代、ミリの時代、ミクロンの時代を超えまして、もうナノの時代。それが日本の技術又はきめ細かい日本人の神経というものが、やはり測定器は人間が作るものですから、やはり時々狂うこともございます。そういう時代に突入しまして、相当研究開発もしておりますし、また宇宙
○参考人(小倉康弘君) バブルを知らない方がかえってよろしいのでございまして、バブルの癖が取れないのが今のフリーターみたいなのが出てくる原因でございます。 景気というのは、そのときそのときでいろいろと周期、経済周期というのが、経済学者がおりますので余り私がしゃべることはないんです、してはまずいんですけれども、そのときそのときに耐える方法は何かという新しい発想の下に生きていかなきゃならぬというふうに思っております。 給与の高いとい
○参考人(小倉康弘君) 榛葉委員のお話ですが、バブルのときにお帰りになったということは大変幸せだと思うんです。
○参考人(小倉康弘君) 後継者でございますか。私は、今青年部を立ち上げて、後継者を作るということで、後継者、若手経営者がチームワークを作っております。 ただ、この経営者というのは、先ほどもちょっと触れましたけれども、団塊の世代、戦後生まれた人たちがやはり荒廃の中から自分の食いぶちだけを一生懸命稼いで子供の面倒を見なかった。かぎっ子という話もその時代はございました。過保護的に育てておりますし、また就職について私もちょっと十一年ばかり非
○参考人(小倉康弘君) 大変三分というのは厳しゅうございまして、ちょっと延びるかもしれません。 何を作るかということになりますと、工業人としましては、より精度の高い製品に転化していく以外にないというふうに思っております。 日本も戦後非常に物のないときから今は大変豊かな環境に置かれて、何でも手に届く、そしていいものが買える。ただ、個人消費が増えないのは、やはり満たされておりますので、やはり消費が減っているんではないかなというふうに
○参考人(小倉康弘君) お話の日本企業の今後の行き方といたしましては、我々としては、今までアメリカの、先進国の技術に追い付き追い越せということで追い付いてまいりまして、今度中国が、発展途上国といいますか、同じようなことでございますので、ある程度の産業の移転はやむを得ないと。しかし、追い付き追い越せとした日本の技術、技能、これは中国にはまねできないんではないかというふうに思っておりますので、物づくりには将来とも希望を持っております。
○参考人(小倉康弘君) 先ほど中島委員に言われました、業種転換しているか、そういうものがあるかというお話、ちょっと御説明しなかったんですが、業種転換ってなかなか、この金属機械加工においては、フライスからミーリングに変わるとか、プレスに、板金になるとかというのは、ちょっと業種を転換するというのは大変難しいことでございまして、機械金属加工から部品加工から製品組立てまでを一貫してやるというようなことはございます。そんなところで御了承いただきた
○参考人(小倉康弘君) 工場数の減っているというのは、一九八三年九千百九十から一九九〇年バブルまでというところは工場拡張と、それから三十九年公害防止条例あるいは四十二年の公害対策基本法、四十四年の東京都の公害防止条例等々によりまして工場移転というのが始まりました。 それは山形、秋田、福島というところが誘致しておりまして、そちらの方に行ったということと、それから少し埋立地を、昭和三十九年から海側に埋立地をやりまして、ここに、お手元にお
○参考人(小倉康弘君) 御紹介いただきました大田工業連合会の小倉でございます。お手元にレジュメをお配りしてございますので、その順序で説明さしていただきます。 まず、社団法人大田工業連合会、概要につきましては、お手元にお配りしているんで大体お分かりと思います、事業内容につきまして。また、大田工業連合会は十一団体ございます。各大田区の地区、昔の蒲田区あるいは大森区というところで、地域的には明治、大正から大企業が進出いたしましたんで、それ
○会長(勝木健司君) 国民生活・経済に関する調査を議題とし、「真に豊かな社会の構築」のうち、産業の空洞化問題及びグローバル化における企業の国際競争力の強化について参考人から意見を聴取いたします。 本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、専修大学経済学部教授鶴田俊正君及び社団法人大田工業連合会会長小倉康弘君に御出席いただき、御意見を承ることといたします。 この際、一言ごあいさつを申し上げたいと存じます。 参考人の皆様におかれ