石毛直道 に関する国会発言
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○参考人(石毛直道君) 民族学者でこういったことを討議した人々も過去にも何人かおります。ただし、過去の民族学、あるいは今で言いますと古典的民族学とでも言ったらよろしいでしょうか、三十年ぐらい前までの主流ですと、民族学というのはむしろ国家なんか扱わずに、それほど大きい社会じゃなくて、いろんなアフリカだとかそういったところの小さい社会の研究、それは小さい社会であるがゆえに基本的な物事の構造がわかりやすいだろう、複雑な大きな社会は見えづらいと
○参考人(石毛直道君) 実は、先ほど申し上げました一神教の世界と大変違うことで、こういうことを我々は頭に置いております。つまり、一神教の世界だったら人間が神になることはあり得ません。人間はその神を祭る司祭にしかなれないわけです。そこのところでは予言者だとかそういったものはそれなりに評価されるけれども、それは決して神ではない。 ところが、神と言ったり仏と言ったりいろんな言い方がありますが、我々の世界では大体人は死んだら神か仏になってし
○参考人(石毛直道君) 成年式というのはこれ世界あちこちにありまして、子供から一人前の大人になるというときに、古い人格をなくして新しい大人としての人格を上げる。そのときはしばしば苦痛を伴う苦行みたいなのがあり、それからどこかへ隔離される、そういったことがあります。 大嘗祭というものが、天皇の即位式でございますが、それは成年式と同じような構造をとっていると解釈できる部分もありますが、もう一方、大嘗祭に大変強いのはこれは稲の収穫儀礼でご
○岩井國臣君 自由民主党の岩井國臣でございます。 石毛直道先生に御質問させていただきたいと思います。私の考えは省略いたしまして、質問のみ申し上げますので、ちょっと脈絡のない話になるかもわかりませんが、お許しいただきたいと思います。 大嘗祭についてでございますけれども、これはもう言うまでもなく我が国におけます天皇制の即位式だと思いますけれども、これは言うなれば死と再生をあらわす一種の通過儀礼だというふうに一般的に考えられておるかと
○参考人(石毛直道君) まず最初の東アジアの宗教についてでございますが、これは儒教、仏教、あるいは道教だとか、あるいは韓国の民族宗教、日本の神道、そういったのを全部論じますと大変時間がかかりますので、ちょっと一くくりにして申し上げます。 我々東アジア世界の宗教というものは西側の世界と大分違うものであります。つまり、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のようなのは一神教であります。東アジア世界にはそういった一神教はございませんでした。仏教
○参考人(石毛直道君) 外国人に国政の参政権を与えたときに、ではその人を支援する集団というのが一体どのぐらいあるかとなりますと、やはり現在では日本はもう日本人ばかりの国ですから、そうしますとその支持集団というのはおのずと限られている。そうすると、そういった外国人に参政権を与えたときに、国政に参加する代議士の先生方のそういった人々の数も将来にわたってもそんなに大きくなることはない。だから、国政全体に大きな影響を及ぼすというものとは違うので
○参考人(石毛直道君) これは国民と民族の問題でもございます。つまり民族というのはよその国へ移民しても、ある民族であるかもしれない。しかしながら、国民はその国籍を取らなくてはならないということがある。 日本の場合はそれが、国籍法ではもともとは親の方の血あるいは父親方の国籍を重視するようなたしか制度が、大分前に変わったと思いますけれども。それで、国籍の取りづらさというのは日本は大変取りづらい国だと思います。 それから、そこのところ
○参考人(石毛直道君) 異質なものを排除するという傾向が伝統的な日本文化に私はあったと思いますし、現在でもある程度認められると思います。 それは結局、我々が異質なものとつき合って、討論したり何かして、それで異質なものの存在価値を認めたり、お互いに討論し合うことがなかった。我々が今までやってきたことは、日本文化というフィルターを通して、そこを通った異質なものだけを入れて、それでそれを日本的に変化させるというプロセスであったのではないか
○参考人(石毛直道君) これは既に海外に居住している自国民に対して参政権を与えている国家もあります。それと大体一体的になることじゃないかと思います。ですから、日本の外国人について参政権を与えることと、それから海外居住の日本人に参政権を与える、これは何か物事の表と裏のような関係で考えなくてはならないだろうと。 それから、私の意見では、外国人の問題というのは、これはそれぞれの地方によって解決すべき問題でありまして、少なくとも地方政治では
○参考人(石毛直道君) 差別をなくすことは、結局、これはまず人々が情報を持つことである、それからそういった情報を人々に日常的にどんどん与えること、それの大変具体的なところは私は教育であろうと思います。 それで、先ほどもちょっと申し上げましたが、地理的な条件もあり、我々は歴史的に異民族と接して暮らすことがなかった。だから、体験がないから、我々がすることなすこと歴史的な蓄積を持たずに、それでいてこれから異文化と接することが多くなる。そう
○参考人(石毛直道君) これはちょっと証明するのは大変難しいことでございますのですが。 多民族国家では、例えばカナダとかオーストラリアのようなところ、そういったところでは多民族国家であることを前提としました多文化教育という面がなされています。また、これは生涯教育でもありまして、例えばその国に住んでいる複数の民族の言語での新聞を出したり、あるいは放送局をつくったり、あるいは図書館はそういったさまざまな言語でのものをそろえるという、一つ
○参考人(石毛直道君) 実は私、こういった機会がありましたので、久しぶりにけさ新幹線の中で憲法を読んできたわけでございますが、足らないということはどうも感じなかったんです。むしろこれは憲法の問題というよりも国家の政策の問題ではないかと思います。 例えば、国家の未来を考えたときに、我々はどういう目標を置くのか。現在の日本国は教育大国それから科学技術創造立国を目指すと言われていますが、例えば科学技術創造立国のようなことは、これは本当に国
○参考人(石毛直道君) まず、天皇を中心にして神の国だったというのは、もしそうだとしたら、私は二つ日本の歴史の中にあったと思います。これは奈良時代よりももっと前のことです。例えば卑弥呼に見られるように、政治とそれから宗教がかなり一体化していた、ですから政治事をまつりごとと呼びますね、そういった時代と、それからもう一つは私は明治時代になってからだろうと思います。 それで、例えば奈良時代になりますと、実は飛鳥時代からもう始まっているわけ
○参考人(石毛直道君) はい。 生産は必ずしも善ではないということになりました。 ちょっとはしょって申し上げますと、そういった経済の時代の次、将来来るのは一体何であろうか。 私は、物質的な豊かさを一応達成した先進諸国においては、これから要請されるのは心の豊かさであります。その心の豊かさをつくるのは文化でございます。 残念ながら、日本は第二次大戦の敗戦後、文化国家になると言いましたけれども、文化は常に弱者の立場であって、例
○参考人(石毛直道君) 私は、民族学をやっている人間でございますので、法律だとかあるいは政治とか国家ということを余り知らない方でございます。それで、皆さんの御要望にこたえられるかどうか甚だ不安ではございますが。 我々のやっている民族学というのは、一方では文化人類学とも言われます。そこで、文化それから民族ということをキーにして国家と民族の関係、あるいは民族というのはまた文化をともにしている人々のグループでありますので、文化と国家の関係
○会長(村上正邦君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。 日本国憲法に関する調査を議題といたします。 本日は、日本国憲法について、文明論・歴史論等も含めた広い観点から、参考人の御意見をお伺いした後、質疑を行います。 本日は、参考人として、石毛直道国立民族学博物館館長及び暉峻淑子埼玉大学名誉教授に御出席をいただきました。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席