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海原治」の「国防」テーマに関する発言 129件

期間: 2015-01-01 以降 / 1ページ 20件 / 1 ページ目 / 全体 7ページ

1983-04-11 参議院

海原治

安全保障特別委員会

○参考人(海原治君) 総理大臣の発言についておまえどう思うかと言われると、これは非常に困るわけでございます。まことに無責任な、評論家としての感じを申しますと、中曽根さんは防衛庁長官として十三年前アメリカでレアード国防長官に同様のことを言っておられますね。これはいろんなところに出ていますけれども、日本海を日本湖にするとか、海峡のコントロールをやるとか、これは正式の訪米のとき言っておられるわけです。その後何もそれはできていません。で、同じこ

1983-04-11 参議院

海原治

安全保障特別委員会

○参考人(海原治君) きょうは最初から言葉の解釈ばかり問題にして申しわけないんですが、またしても、バランスが保たれるか破れるかというのは、私はバランスという言葉はわからないんです。本来、バランスという言葉は両方が同じ重さであることがバランスだと思うんです。たとえば、核の力につきましては、十年前においてはアメリカは圧倒的に強かった。アメリカを一〇〇としますと、ソ連は一〇か二〇ぐらいです。そのときのバランスというのは、これはどういうことにな

1983-04-11 参議院

海原治

安全保障特別委員会

○参考人(海原治君) これは、社会党の方も言っておられますが、いまの日本の防衛関係の体制はいわゆる文民統制、政治優位の原則の確保のための機構は整備されているわけです。問題は、その機構が動いていないということなんです。だれがこれを動かすか。それは、言うまでもなく内閣総理大臣であり、時の政府である、これしか考えられません。別にいまの国防会議の機構を変更する必要は私の体験から申しますと認めません。現にあるものを活用することについてもっと真剣に

1983-04-11 参議院

海原治

安全保障特別委員会

○参考人(海原治君) 私は、長く防衛庁の中と国防会議におりましたので、いま御質問のあったようなことは前からその都度国会でも問題になり、政府レベルでも問題になっているんです。国の防衛ということは、国が全部で取り組まねばならないということは、これは最も基本的な常識ですから。 そこで、政府が昭和三十六年七月十八日、第二次の防衛力整備計画を決定いたしましたが、このときの国防会議の了解事項としては、関係の各委員と申しますと大臣です、それは日本

1983-04-11 参議院

海原治

安全保障特別委員会

○参考人(海原治君) これには海上自衛隊の元の幹部の四人の言葉が出ていますが、一人の元海幕長をした人は、シーレーンとは船の数だけあると言っております。質問者が、船の数だけあるとおっしゃったのですか。はい、そうですと答えている。日本に対して物資を運んでいる船の数だけシーレーンは存在する、これが元幕僚長の言葉であります。あとの人々の言葉は、戦争の場合に戦争を続けるために必要な弾薬、食糧、これを守る、これを確実に日本に持ってくる、これがシーレ

1979-02-15 衆議院

海原治

予算委員会

○海原参考人 まず、もう一度お断り申しますが、十月九日の了解事項の文言、文章でございますが、これは草々の間に五、六人の人が集まってつくった文章でございます。したがいまして、その白紙という言葉の意味は何だと聞かれましても、これはわかりません。ただし、決まった文章を私が読み上げまして、国防会議の議員の方々の全員がそれに賛成されまして、どなたも異議を申されないということは、それなりに皆さん解釈をおとりになったと思います。それが第一でございます

1979-02-15 衆議院

海原治

予算委員会

○海原参考人 これは少し事務的な説明をさせていただきますと、先ほども申しましたけれども、国防会議で御決定いただく前には、各省の参事官会議がございます。その次には幹事会がございます。一応そこで全部問題点を整理いたしまして、その上で国防会議で御決定をいただく、これが従来からのしきたりでございます。したがって、もしそういう専門家会議の設置ということになりますと、先ほどもちょっと申しましたが、それはどこの機関になるのか、法律、政令に根拠のあるも

1979-02-15 衆議院

海原治

予算委員会

○海原参考人 二階堂官房長官、後藤田副長官はともにこの国防会議の懇談会の方で話をしておりますので、片すみに先ほど申しました五、六人の人が集まりまして、そこで合議しての上にできたのがあの文章でございます。二階堂官房長官も後藤田副長官も入っておりません。入る余裕はございません。

1979-02-15 衆議院

海原治

予算委員会

○海原参考人 メモは、要するに私の記憶では簡単に専門家会議の設置と書いてあった、これは何だということを聞いたときに、会議の方が始まります。そこで、約三十分の会議でございますので、私は議事の進行役をいたします。そして、いまの専門家会議の設置につきましては、一応の経過の報告の後で総理から御発言がありまして、議員の全員が賛成されました。 そこで、どういうことにするかということにつきましての文案を、大蔵、防衛、国防会議事務局、この関係の人々

1979-02-15 衆議院

海原治

予算委員会

○海原参考人 いま先生がおっしゃいました、予想をしなかったということは、何を予想しなかったか、実は問題でございます。と申しますのは、少し具体的に御説明しますと、十月の九日の国防会議の議員懇談会で専門家会議の設置ということが決まります。そこで先ほどもちょっと申しましたが、従来大蔵、防衛の間で問題であったAEWとPXLは、この国産化問題は白紙とし、ということになったわけです。 その専門家会議の設置でございますが、そのときまでに懸案であり

1979-02-15 衆議院

海原治

予算委員会

○海原参考人 私が考えましたことは、専門家会議というのを突然発案されましても、その会議は国防会議のどういう機関かもわかりませんし、それからおっしゃっている趣旨がいわゆる第三者機関だと思います。第三者機関となりますと、そういう早期警戒機、対潜哨戒機についての専門家は、私はまずいないだろうと判断したわけであります。防衛庁かあるいは関係の会社以外には、そういう技術関係に詳しい人はおらないというのが私の判断でございますので、その当時専門家会議の

1979-02-15 衆議院

海原治

予算委員会

○海原参考人 いまの御質問の点には一般的な報道の誤解がございます。と申しますことは、国産が決まっておったのがひっくり返ったという意味の御質問でございましたが、そういう事実はございません。これは対潜哨戒機、PXLのときにも私、証言いたしましたが、防衛庁の中でそういう対潜哨戒機とかレーダー搭載警戒機、これをどうするかというときに、必ずまず、いわゆる純粋の国産ということが希望されるわけでございます。しばらくやっておりまして、なかなかむずかしい

1979-02-15 衆議院

海原治

予算委員会

○海原参考人 まずお断りいたしますが、私は飛行機の操縦の経験がございません。したがいまして、私個人の判断ということはございませんので、私がF5系統の飛行機がいいと思いましたのは、アメリカの空軍省の意見をそのまま代弁したわけでございます。私は、昭和三十二年の十一月の末にアメリカの日本大使館に参事官として参りました。翌年の一月に防衛庁から永盛調査団というのが参ります。このときに私は同席いたしまして、これはいわゆる第一次FXのときでございます

1979-02-15 衆議院

海原治

予算委員会

○海原参考人 この点につきましては、多少皆さん方に誤解があるのではないかと思いますのは、私が防衛庁の官房長から国防会議の事務局長に移りましたことを、左遷をされたとか、あるいは追放されたとか、ないしは追い落とされた、こういう表現で皆様方は受け取っておられますが、国防会議事務局長は決してそういう変なポストでございません。現に私の後で、事務次官を務めた方が二人も事務局長になっておられるわけですから。したがって、私が国防会議の事務局長になりまし

1979-02-15 衆議院

海原治

予算委員会

○海原参考人 第二次FXという言葉で一般に言われております戦闘機の選定に当たりましては、私、防衛局長の後半にちょっと関係いたしました。あとは官房長時代、それから具体的には国防会議の事務局長と、こうなりますが、防衛庁の中でこの問題を検討しておりますときには、私は、アメリカのノースロップという会社のつくりましたF5と言っておりますが、もとの飛行機はN156でございます。このF5というタイプの飛行機も日本の防空戦闘のためにはそれなりの特色があ

1979-02-15 衆議院

海原治

予算委員会

○海原参考人 ただいま、私に対して専門家というお言葉がございましたが、私、特にその方面についての専門家ではございません。現在、軍事関係を主とした評論家をいたしております。 ただ、防衛庁に長くおりましたので、その私の体験での私の意見を申し上げますと、このレーダーを搭載いたしましたレーダー搭載警戒機、あるいは早期警戒機、いろいろ言われておりますが、これにつきましては、昭和四十一年の防衛力整備計画のときに、この研究開発ということが決定され

1979-02-15 衆議院

海原治

予算委員会

○海原参考人 私が防衛庁の官房長になりましたのは、昭和四十年の六月でございます。それから二年間官房長を勤めまして、四十二年の七月に国防会議の事務局長になりました。そして、国防会議の事務局長を退官いたしましたのが、昭和四十七年十二月でございます。

1976-06-24 参議院

海原治

ロッキード問題に関する調査特別委員会

○証人(海原治君) そういうことではございませんで、この懇談会の席上で総理からそういう新しいお考えが出され、賛成され、それではいまのこの申し合わせのことを文書にしようということで事務方が相談してつくったものでございますから、前から用意されたものではなく、そこでつくられたものでございます。国防会議議員懇談会が進行中に、部屋の片すみで、いま申しました大蔵省、防衛庁、国防会議事務局の事務方が、いままとまりました懇談会での話し合い、それを文書に

1976-06-24 参議院

海原治

ロッキード問題に関する調査特別委員会

○証人(海原治君) 先ほども御説明いたしましたが、その案文それ自体は、大蔵省、防衛庁、国防会議事務局の三者の事務方が集まって相談した結果用意したものでございます。その用意された案文を私が読み上げまして、全員が了承されました。したがいまして、いま言われましたように、総理の発案ではございません。

1976-06-24 参議院

海原治

ロッキード問題に関する調査特別委員会

○証人(海原治君) これは見解の相違でございますが、私の過去におきます防衛庁国防会議事務局を通じての体験から申しますというと、絶対に決まっておりません。