「中曽根康弘」の過去の国会発言

発言数 23,924件

初発言日: 1947-07-11  /  最新発言日: 2004-11-11  /  1 ページ目 / 全体 1,197ページ

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2004-11-11 衆議院

憲法調査会公聴会

○中曽根公述人 昭和二十七年に日本が独立をしました前後から憲法改正や教育基本法の改正ということを私は言ってまいりましたが、それは、やはり日本が完全に、何と申しますか、国民が自分でつくった憲法を持たなければ、正常な国家とは言えない。デュベルジェの憲法制定権力という言葉がございましたけれども、日本国民は憲法制定権力を持っておるのであって、占領の異常事態のもとにつくられたものは、占領を離脱したら、やはり憲法制定権力によってつくるべきである。

2004-11-11 衆議院

憲法調査会公聴会

○中曽根公述人 これは人によって意見が違うのでございますが、民主主義国家の限界についてあなたのようなお考えもあるし、民主主義の国家の行動範囲内において我々のような解釈もまた成り立っておるし、むしろ、我々のような解釈が世界的にもっと普遍性を持った解釈になっておるのではないか。 日本の憲法九条というものを考えて、そしてその独特の解釈を皆さんしたがる向きもありますけれども、その独特の解釈にも合理性のある場合もありますが、しかし、日本が世界

2004-11-11 衆議院

憲法調査会公聴会

○中曽根公述人 まず、憲法調査会にお呼びをいただきまして、まことにありがとうございます。厚く御礼申し上げます。 私も、この調査会発足以来ずっと皆さんのお世話になって出勤させていただきましたが、最終的に発言しようと思っていましたが、その機会を得なくなりましたので、きょうは、そういう意味を込めて、総括的な考えを申し述べたいと思います。 私の考えは、やはり現憲法の全面的な点検と、そして必要な改革を行う、そういう趣旨であります。 時

2004-11-11 衆議院

憲法調査会公聴会

○中曽根公述人 これは前文のところで申し上げましたが、やはり、日本の長い歴史と文化と伝統、それを堅持し、かつ、その上に民主的な自由とかあるいは民主的な諸制度、人権、文化、そういうようなものを考え、そして、先ほど武村さんが申されました環境、自然との調和あるいは国際平和、そういうようなものを基本的に考えながら進めるということでありますけれども、一番基本的なものは、日本の国家や日本のあり方の基本線をまず確立する、国民的統一を図る。要するに、強

2004-11-11 衆議院

憲法調査会公聴会

○中曽根公述人 まず、集団的自衛権の問題ですが、私は、もう六、七年前から、現憲法においても集団的自衛権を行使できる、それは解釈の問題であるから、総理大臣が公式にそれを言明すれば、一時はいろいろ騒ぎもあるかもしれぬが、そのままそれは通用していくはずである、そういうことも言ってきたもので、集団的自衛権の行使は現憲法でもできると。 自衛権という概念の中に個別と集団とありますけれども、個別的自衛権が行使できて集団的自衛権が行使できないという

2004-11-11 衆議院

憲法調査会公聴会

○中曽根公述人 私は、マッカーサーの占領下におきまして、日本は永世中立をとるべきだし、その方が賢明だと。つまり、マッカーサーの占領下においてどう使われるかわからぬと。その当時はまだたしか警察予備隊がなかった時代だったと思いますけれども、そういう意味において、占領下における日本の不作為ということをたしか強調して中立的立場をとるということを言ったと思います。しかし、二十七年の独立回復後は、その態度を捨てて、今まで申し上げたようなことを言って

2004-11-11 衆議院

憲法調査会公聴会

○中曽根公述人 その重要な部分をお読みいただきましてまことにありがとうございます。私の考えは変わっておりません。やはり、アジアというものを重視し、国際関係を重要視しながら総理大臣の仕事というものは行われるべきである、そう思っております。

2004-11-11 衆議院

憲法調査会公聴会

○中曽根公述人 今の憲法制定されたのに強要があるかないかというところ、まず第一でありますが、やはり制定の経過、あのころのことも私、現に生きておって見ておったわけでありますが、日本側で自分でつくろうとして一生懸命努力しておりましたが、しかし、向こうでは極東委員会その他が出てくるという事情もあって、二十一年の二月十三日、外務大臣官邸に吉田さんやそのほかの人が呼ばれて、そして、アメリカの、あのときはケーディス以下出てきて、アメリカ文、アメリカ

2004-11-11 衆議院

憲法調査会公聴会

○中曽根公述人 野田さんがおっしゃるように、三分の二の獲得ということが最終的な最も大事な仕事であって、我々は、これからいろいろ政治過程を踏んでいく上についても、最終的には三分の二をどうしてとるかということを念頭に置きながら、内容も考え、手続も考え、時期も考えていかなきゃならぬ、そう実は考えておるわけでございます。 ある場合には、同じ党の中におっても、賛成、反対はみんな持っておるわけでありますから、おっしゃるように賛成グループが連合を

2001-12-06 衆議院

憲法調査会

○中曽根委員 私は、昭和二十二年の、新しい今の憲法が施行されました第一回国会からこの国会に出席させていただいております。言いかえれば、憲法と同じように歩んできて、憲法のもとに政治家として成長した者でありますが、今日の事態におきまして、政治と憲法というものがどういう関係にあり、どうすべきか、そういう観点から申し上げてみたいと思うのであります。 歴史の流れと申しますか政治の流れと申しますか、いずれも生命力があるものであり、おのおの光と影

2000-05-11 衆議院

憲法調査会

○中曽根委員 どうもありがとうございます。 私は、先般来憲法制定経過の検討が行われましたが、経験した一つの事実をここで申し上げてみたいと思うのです。 それは、昭和二十三年に、たしか片山内閣のころ、マッカーサー司令部から、憲法の見直しをしたらどうか、一年以内に検討せい、そういうような要請があって、当時鈴木法務総裁から、私は与党でありましたからその話を聞きましたが、当時の状況としては、この占領状態で自由がないところでまたやったってそ

2000-04-27 衆議院

憲法調査会

○中曽根委員 私は、前に憲法調査会に参加した者でございますが、今回また参加させていただきまして、御議論を拝聴して、非常に皆さんが御熱心におやりになっているのを見て、心から敬意を表する次第で、また、喜んでおる次第であります。 私の感じでは、これは全く私の個人の感じでございますが、前のときと今回とはかなり意味が違ってきているし、環境も違ってきていると思います。それで、これは私の個人の感覚と考え方でございますが、やはり、二十一世紀に入って

1997-02-13 衆議院

本会議

○中曽根康弘君 このたび、私が衆議院議員在職五十年に及びましたことに対し、本院から御懇篤なる特別表彰の御決議をいただきました。身に余る光栄であり、深く感謝の意を表するものであります。(拍手) この光栄は、ひとえに、私を育てていただきました群馬県民の皆様の御支援、政界の先輩や同僚の御指導、私の祖先及び父母並びに日本国の御高恩のしからしむるところでありまして、重ねて心から感謝申し上げる次第であります。(拍手) この五十年の歳月を想起

1989-05-25 衆議院

予算委員会

○中曽根証人 まずお尋ねの件でございますが、昭和六十二年のころは日米の経済摩擦が非常に激しくなりまして、アメリカ側から日本に対する市場開放、黒字減らしの要求が非常に熾烈になりました。特にそのころ、五月前後になりますというと、例えば半導体に対する、日本に対する制裁措置、これは一〇〇%の関税を電動工具その他にかけられるという措置があり、あるいは東芝のココム違反事件というものがありまして、アメリカでは大騒ぎになって対日不信が高まりました。

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