「塩川優一」の過去の国会発言

発言数 213件

初発言日: 1988-12-06  /  最新発言日: 1996-07-23  /  1 ページ目 / 全体 11ページ

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1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 これは、病理の先生がこの記述を読まれてそういう意見を述べられたということでございまして、私は病理の知識がありませんので、これ以上のことは申し上げられません。

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 宣 誓 書 良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、 又、何事もつけ加えないことを誓います 平成八年七月二十三日 塩川優一

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 これは、私は、栗村教授に聞いていただかなければわかりませんし、調査検討委員会としてはそういう抗体の検査を依頼するというようなことはないと思うのでございます。

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 委員会ですか。(岩佐委員「はい」と呼ぶ)いや、調査検討委員会からはそういうことはなかったと思いますけれども。検査をしてくれと頼んだという覚えはございません。そういう機能はないわけでございます。

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 私も、これは記憶がなかったのですけれども、松本に聞きましたら、先生のお名前も関係しているからっけたということでございました。

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 私のところからはアメリカの各地に 留学生を出しておりましたけれども、UCLAではピアソン教授という非常にリューマチの有名な専門家がおりまして、そこを経てもう十人近くの人がUCLAに留学しております。

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 松本医師からはそういうふうに聞いております。また、そのことは厚生省に当時やはり資料として提出したというふうに聞いております。

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 実は、ここのところは私は記憶がございません。ただ、お渡ししたのは、帝京大学の病歴とそれからその病理解剖所見は確かにお渡しして、白井教授、見ておられます。 しかし、当然、病理学者に見てもらうわけですから標本を渡して見てもらうつもりだったのです けれども、それがどういうわけで渡っていないかということについては、私はもう全然記憶がございませんし、また、その委員会の後で、ぜひ病理標本を見てもらってもう一回報告しろというお話もな

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 生年月日は、大正七年六月二十七日。住所は、東京都文京区千石四丁目三十七番の十四です。

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 私は、昭和五十九年九月、エイズ調査検討委員会ができまして、それで委員長に任命されました。 御承知だと思いますけれども、エイズ調査検討委員会といいますのは、当時、エイズ対策を国で取り上げられまして、そして「AIDS調査実施要綱」というものをつくられました。そして、厚生省の保健医療局長が全国の都道府県知事に協力を求められてできたわけでございますが、その調査の中でそういう患者あるいは疑わしい患者が出た場合には各医療機関はこれを

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 そのスピラ判定につきましては、八月二十九日に行われたということでございますけれども、私はちょうどそのときに外国におりまして、この会には出席しておりませんでした。 次の第四回の班会議におきまして安部班長からこの結果について御報告があったということでございますけれども、私もこれについて非常に責任があるということで考えておりましたけれども、どうしてもこの班会議でこの御報告があったということの記憶がございません。 それからま

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 実は、このスピラ判定につきましては、ただいま大変有名になっておりますけれども、私は、このようなことがあったというのは、数年後に、どうも時間が、時日を断定はできませんけれども、数年後じゃなかったかと思います。どうもそれまでは、このお話は私自身聞いたことがございません。しかし、聞きまして、これはそういうことがあれば非常に大変なことだったと思って、そういういろいろ調べたりした次第でございます。

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 これはそういうことでなくて、私たちは真剣にこの帝京大学の症例を考えていたわけでございますけれども、当局にもこの点を御相談をしていたということでございます。それで、その時期につきましては、しかし、やはりこの発表、新聞に発表があった時点ということできようはお答えしておきます。

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 昭和五十九年の十一月二十二日ですか、この京都で行われました班会議におきまして、栗村教授、鳥取大学の栗村教授から、これは初めて血清の検査が開発された、そして、二十二例の血友病の患者さんを見たら四例陽性だったという御報告がありまして、これは私も次の二十九日の、その栗村先生の会議に私は欠席しておりましたけれども、二十九日のときに厚生省から聞きまして、これは大変なことだということを感じたわけでございます。 しかし、このギャロ博士

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 ただいまお話ししましたように、実は、との経緯については私は全くその記憶がありません。しかし、病理の先生に見てもらうのだから病理の標本を見てもらうつもりだったと思いますけれども、それがなぜ帝京大学から渡らなかったかということについては、私は特に調べておりませんし、事実だけを今申し上げておきます。

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 ただいま御指摘になりました十一月二十二日の京都における研究班の報告でございますけれども、これにつきましては、厚生省の当局が、もうこれは公開されておりますけれども、そのときの議事録を書いておりまして、これは私たちも見ております。しかし、これには、栗村教授は二十二例中四例の陽性ということを報告した、その後にいろいろ、これを公表するかどうかというようなことが書いてあります。 そういうことでございまして、私は、当時はそのことはよ

1996-07-23 衆議院

厚生委員会

○塩川証人 これは、私は、もう十二年前のことでございますから記憶はございません。このことについては記憶はなかった。もし、しかし、そういう何か証拠が出れば、もちろんこれで私はお認めします。記憶がないということだけお返事しておきます。

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