法務委員会
○太田参考人 ちょっと質問の要点がはっきりわかりませんでしたが……。
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発言数 18件
初発言日: 1979-03-14 / 最新発言日: 1979-03-14 / 1 ページ目 / 全体 1ページ
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○太田参考人 ちょっと質問の要点がはっきりわかりませんでしたが……。
○太田参考人 意思の決定は前もって精神の健全なときに書いておくということを規定しております。ですから、ぼやけてしまってから変更されては困るという意味でございます。 さらにもう一つ、何でしたか……(飯田委員「結構です」と呼ぶ)
○太田参考人 容易にしてはいけないというのは、意思がぼやけてしまっているときに、もうそれを簡単に認めるというような規定では、非常に危険があるという意味でございます。 それから、過剰な治療の場合にも、意思ははっきりしているけれども署名する能力のない場合の代行、代書ですね。ですから、意思の代行とは違いますので、決してそれとは矛盾していないというふうに思います。
○太田参考人 本人が署名しなければ認めないというのは事実です。
○太田参考人 今日は、法務委員会に参考人として出席を求められまして、自分並びにわが協会の意見を発表する機会を与えられまして、ありがとうございます。早速陳述に移ります。 人間は、だれしも一日でも長生きしたいと望んでいますが、死は必ず訪れてまいります。したがって、すべての人は苦しまずに安らかな死を迎えたいのであります。ポックリ寺参りが盛んになっているのも、そのあらわれでしょう。でも、大抵の人は神仏に頼れば必ず安らかに死ねるとは思っていな
○太田参考人 いま御質問がございましたが、不作為の行為というのはやらないということなんでございますから、苦痛がある場合にもやらないのかと聞かれますが、この法案では、苦痛軽減はこの中に入っていないのでありまして、苦痛の軽減は医療行為として当然やるべきである。ただ問題は、そのために命が短くなるようなことがあると、これは積極的安楽死の中に入るわけでございます。 不作為の行為というのは、苦痛とかそうでなしに、もう助からないというのに——それ
○太田参考人 そういう例はもう余り行われないのですよ、現在は。もういよいよだめだと——私の友達もこの間死にましたが、死んでしまってからでなければ点滴は外さないですよ。だから、幾ら頼んだって医者はやらないのです。ほとんどの病院がやらないのです。これは国立の病院でのできごとでした。 ですから、一般にはやらないですよ。一般に安楽死がやられておるというふうに言われておりますが、それは、苦痛で困る、もう生きる見込みがないのだから早く死なせてく
○太田参考人 名古屋高裁の、医師の手によるべきだというのは、これはもちろん積極的安楽死でございまして、私たちがいまつくりました消極的安楽死は医師の行為を中止するというのでございまして、ちょっとニュアンスが違うのでございます。 その場合に、医師が治療を中止するわけですね。そういうのももちろん責任がかかります。だから、それにはやはり本人の意思に従ってということがあります。本人の意思です。ですから、医者が勝手にやるというものではございませ
○太田参考人 民法の遺産相続人は十五歳の規定がございますので、法律的には十五歳も認められるというふうに解釈いたしまして、一応そこに線を引いたのでございますが、最前申しましたように、それでは無理だという意見もありますので、これは必ずしもこだわってはおりません。
○太田参考人 東洋医学がすぐれている点もございますが、西洋医学の方がはるかにすぐれているので、明治から西洋医学に切りかえられたのです。それも、十分に治った例もあるという程度でございますが。西洋医学にいたしましても——科学というものの基礎に立ってわれわれは生活しているのです、電気でも何でも全部が。しかし、これは絶対ではございません。飛行機だって落ちるのです。科学は蓋然性に基づいて成り立っているのでございますから、医学の不治とかそういう判断
○太田参考人 御質問、ごもっともでございます。しかし、基本的には個人の意思というものに従ってやるのだが、その具体的な判断、不治、末期というものは一体だれがやるかということになると、これは家族が決めることもできません。やはり現在のサイエンスの医学によってこれを決定する以外にないのでございますので、そういう形になっておるのでございますが、これは決して医者の免罪符になるようなつもりでつくっておるのではございません。その点をひとつ、非常に不十分
○太田参考人 大変むずかしい問題でございまして、なかなかうまく答えられないと思いますが、本人の意思表示というのは、署名人も必要だ、いろいろと必要なことは明らかでございます。だから問題は、意思表示をすることはそうむずかしいことではないのです、能力がある場合は。必ずしも署名人が要るというわけではないと私は思いますが、ただ、それが末期になって、いよいよになって意思が変わるじゃないかという意見がございましたが、その場合は、前もって意思表示の撤回
○太田参考人 積極的安楽死と消極的安楽死と境界はきわめてあいまいでございます。だが、それをある程度まとめて、われわれは法律化しておるのでありまして、苦痛の排除ということは積極的に入りますけれども、末期の場合に、もう助からない者でも苦痛を訴えます。苦痛というのは痛みだけではありません。非常に寝苦しいとかいろいろな問題がございますので、そういう意味では消極的な安楽死でそれを片づけるというふうに——肉体的苦痛の排除につきましては治療行為として
○太田参考人 ちょっと私、いま申し落としました。 もう一つ、末期において精神的安定が必要だということをおっしゃいました。われわれは医師としても、単に注射をするだけではなしに、精神的な慰安が必要だということは百も承知しております。ただ宗教的な問題が出てきますので、これはイギリスのホスピスがカトリックを中心としたモデルのようになっておりますが、法律に宗教的な問題を盛ることは無理ではないかと考えております。
○太田参考人 大前提というのは飛躍があるように解釈される危険は十分あるということは承知いたしております。 しかし、人工透析を受けるか受けないかということは、本人の意思がまず優先しなければならぬのでございまして、それがいま人工透析が必要であるかないかという医者の判断がずいぶんあいまいになってきた。必要でないものをやるから、途中で変になって、やらなくてもいいものにまでも適用するような危険がいま出てきているわけです。だから、人工透析の問題
○太田参考人 意思の撤回を安易にしてはいけないという考えはあります。しかし、そこで規定していますのは、意識がない人のことを言っているのではないのです。意思のない人の代行を言っているのではないのです。自書する能力がない場合の署名をだれかに頼む、意思ははっきりしているという場合ですから、それは誤解のないようにお願いいたします。決して矛盾はしていないと私は思うのです。
○太田参考人 危険であるというのは、本人の意思表示があいまいにされる危険がある、そういう意味でございます。健全なる精神のあるときに意思表示をせいということが危険にさらされる危険だ、そういう意味でございます。
○太田参考人 そうです。