文教科学委員会
○参考人(嶋貫和男君) 現在の年は六十七でございます。退職をした年は、その年に六十歳、定年を迎えるという、誕生日前でございましたので五十九歳でございました。
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発言数 71件
初発言日: 2017-02-07 / 最新発言日: 2017-04-11 / 1 ページ目 / 全体 4ページ
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○参考人(嶋貫和男君) 現在の年は六十七でございます。退職をした年は、その年に六十歳、定年を迎えるという、誕生日前でございましたので五十九歳でございました。
○参考人(嶋貫和男君) 全く承知してございません。
○参考人(嶋貫和男君) お尋ねの点については、私自身は承知してございません。
○参考人(嶋貫和男君) 初めに一言申し上げたいと思います。 この度の一連の問題が、監視委員会の方から、また文科省から、そして何よりも社会から厳しい御批判を招くに至りましたこと、関わった者の一人として、またかつて文科省に身を置いた者として、重く受け止め、おわびを申し上げたいと考えてございます。 ただいまお話しの点につきましてでございます。繰り返しになってしまいますけれども、私の思いとしては今先生の方からお話しいただいたようなことだ
○参考人(嶋貫和男君) はっきりした記憶がちょっと乏しいところもあるんでございますけれども、たしか、今名前が出てまいりましたけれども、その文科省の方が最初にお聞きして、その方から私はお聞きをしたような気もするんでございますけれども、結果的には、なかなかその適当な方がおられないということで、具体の御紹介には至らなかったということだったと記憶してございます。
○参考人(嶋貫和男君) ございません。
○参考人(嶋貫和男君) もう卒業していたと記憶しております。
○参考人(嶋貫和男君) その時々、その時点での私の気持ちとして申し上げれば、御本人にもそういう、今お話ございましたけれども、それぞれのその生活上の問題もあったかと思いますし、もう一つはやっぱり自分のそれまでの経験を生かして何か社会で貢献できれば、活躍できればというような思いもございましたでしょうから、そういう意味で、その一つ一つについては、私は、十分御本人にとって満足するものであったかどうかはともかくとして、そういう受け止め方をしていた
○参考人(嶋貫和男君) 私も何度かこの報告書読ませていただきました。この度、膨大な調査の中から、その現象面から導き出されてきた答えというか、今後の方向性として打ち出されたものについては、一つ一つ私も感ずるところがございます。 あえて今お話がございましたので申し上げさせていただきますと、私がずっと感じてきた、考えてきたことでもあるんでございますけれども、生活というところに着目してあえて申し上げればなんですが、公務員の定年が六十歳、私が
○参考人(嶋貫和男君) 私が公務員を退職した当時、これは平成二十一年でございましたけれども、私がこういう形で関わってきたそのときの思いの中の一つとしては、その当時、定年制度そのもの、六十歳という定年年齢についての議論があったと承知してございます。いろんな事情で今に至っていると理解をしてございますが、その部分が、その時点で申し上げれば、どのように進んでいくのかということは私の意識の中にも一つございました。 それから、もう一つ申し上げれ
○参考人(嶋貫和男君) 自らもOBとして関わってまいりました一連の問題が、このような形で監視委員会から、また文科省から、そして社会から何よりも厳しい御批判を受けるに至りましたこと、私自身かつて文科省に身を置いた者として極めて重く受け止めてございます。深く悔いているところでもあります。幾つかの安易な思い込みが遵法意識の欠如ということで御批判を招いたところでもございます。 また、現職とOBが互いに持つべき緊張感、その緩みのようなものが、
○嶋貫参考人 このたびの処分というのは、これは先ほどお話ございましたけれども、国家公務員としての行為が問われたものと理解はしているわけでありますけれども、しかし、一連の事案が組織的関与の中で行われてきたというぐあいに認定されました以上、そこにかかわった私の行為が、またこれは許されるものではございません。みずから厳しく戒めてございます。多くの方が処分を受けるに至りましたこと、まことに痛恨のきわみでございます。
○嶋貫参考人 私自身といたしましては、当時は、非常に先行きの見えない中で後輩が不安な思いをしていたということも間近に見ていたこともございまして、後輩のため、そういうお言葉を使わせていただきますと、純粋な思いで手助けをしてきたつもりでございます。
○嶋貫参考人 私の内面の思いというのは今申し上げたところでございますけれども、一方で、このたびの一連の問題で、文科省が、お話しのように、そのための環境を整備したのではないかという御指摘もいただいてございます。私としてはそのような認識は持っていなかったわけでありますけれども、このたびの最終まとめにおきましても、そのことに言及がございました。その点につきましては、非常に重たく受けとめなければいけないというぐあいにみずからに言い聞かせていると
○嶋貫参考人 大変恐縮なのでございますが、はっきりした記憶がなくて、正確なところを申し上げられないところなのでございますが、私が公務員を退職したのは平成二十一年の夏でございますが、そこから一年、二年先ぐらいのことだったのではなかろうかと思ってございます。当時は、私学等から私のところへお寄せいただくようなお話もほとんどございませんでしたし、また、退職者から相談を受けるといったようなことも余りございませんでした。
○嶋貫参考人 初めに、このたびの一連の問題、監視委員会から、また文科省から、そして何よりも社会から厳しい御批判を受けるに至りましたこと、かかわった者の一人として、また私自身がかつて文科省に身を置いた者として、大変重く受けとめてございます。おわびを申し上げたいと存じます。 私自身は、みずからのできる範囲のお手伝いという気持ちで、後輩を思ってかかわってまいったところでございますけれども、しかし、そのプロセスにおいて文科省の関与が指摘され
○嶋貫参考人 官民交流センターの役割が見直された時期といいますのは、私が公務員を退職した直後であった、そういうこともございまして、ただいまお話しの点につきましては、そうであったのかもしれないのでございますが、明確に私の気持ちの中で比較して意識することはできませんでした。 ただ、これはちょっとお話の異なることかもしれませんが、当時、省庁の関与を制限する、こういう新たな再就職規制というのは、結果として、一人一人の職員がみずからのスキルを
○嶋貫参考人 私自身は、現職の人事行政に長く携わったということもございまして、新たな規制については気にもかけておりましたし、理解もしていたつもりでございます。 ただ、今回の最終まとめでも当時の人事課の認識として触れられてございますけれども、今お話がございましたOBによる再就職のお世話につきましては、私自身も漠然と、許されるものというぐあいに考えていたことは事実でございます。 これは、当時、制度が運用されて日も浅かったということも
○嶋貫参考人 今申し上げたところでもございますけれども、踏みとどまるべき時期があっただろうし、踏みとどまるチャンスはあったんだろうと今振り返って思ってございます。それができなかったということにつきましては、言葉を失う思いでございます。
○嶋貫参考人 私が公務員を離れた時期というのは二十一年の夏でございましたが、そのころは、先ほどお話がございましたように、制度の見直しの直後ということもございました。 ただ、そういう状況ではあったのでございますけれども、その時点で申し上げれば、今振り返りますと、私学等からお話が来ることもその時点ではほとんどございませんでした。また、退職を控えた後輩から、そういう具体の御相談を受けることもほとんどございませんでした。 まあ、私自身が