「市瀬朝一」の過去の国会発言

発言数 6件

初発言日: 1975-07-02  /  最新発言日: 1975-07-02  /  1 ページ目 / 全体 1ページ

発言データをコピーしてAIに貼り付けると思想・価値観・主義主張などの分析ができます
※AIによる分析結果は必ずしも事実とは限りません。正確な判断はご自身でお決めください。

📊 統計データを集計中です。しばらくしてからページを再読み込みすると表示されます。
1975-07-02 衆議院

法務委員会

○市瀬参考人 私は横浜在住の市瀬朝一と申します。 私がなぜこの運動を始めたかということについてちょっと申し上げたいと思いますが、私は、たった一人の二十六歳のせがれを、十九歳の、しかも少年院を出たり入ったりしておった人間に、うちのすぐそばの橋の上で刺し殺されたのでございます。そうして、そのときはまだ息があったのですが、病院へ収容されまして二十時間後に息を引き取りました。その息を引き取る寸前に、私の手をしっかり握りまして、「おやじ、くや

1975-07-02 衆議院

法務委員会

○市瀬参考人 老いぼれておりまして耳が遠くて、ちょっと先生のおっしゃることがはっきり聞き取れないのでございますが、私のところの犯人は、少年がゆえに七年から十年の不定期刑を言い渡されまして、近所の方のお話しによりますと、もう一昨年出てきているような話を聞いております。もういまでは憎いということはなくなってまいりましたが、せめてその人間が今後こうした過ちを起こさないように、正当な道を歩んでくれることを現在では願っておるような次第でございます

1975-07-02 衆議院

法務委員会

○市瀬参考人 私は、ああいう法廷ということは、今度のせがれの事件で初めて行ったのでございますが、余りにも被害者の立場を無視した法廷の雰囲気に、本当に情けなくなりました。取り調べ検事さんのところへ再々行きまして、公平な裁判長の前で被害者の親としての心情を、ぜひ証言台へ立たせていただきたいと二回三回参りまして、前後九回の公判でございますが、七回目に証人台に立たせていただいて、一人息子を無実で殺された親の気持ち、それをお聞き願ったような次第で

1975-07-02 衆議院

法務委員会

○市瀬参考人 夜九時半ごろうちに電話がかかりまして、おたくの息子さんを病院に収容しておるからすぐ来いと言われまして、私たち夫婦すぐ駆けつけたのでございますが、そのときにもすぐに面会は許していただけず、いま手術台にいるということで、その間、刑事さんに相当のことを言われました。「あなた方親御さんたちは、うちのせがれはまじめだとおっしゃっているだろうけれども、年がら年じゅう目が届いてはいないのだろう。」 そしてまた、「お父さんとしての仕事

1975-07-02 衆議院

法務委員会

○市瀬参考人 私はいま先生方のおっしゃることを聞いておりまして、むずかしいことは私の頭ではわかりませんが、いま先生の御質問のとおり、私はもう八年間この運動に生きがいを感じてやっておりますけれども、何と申しましても本当に悲惨な——たとえば、私が訪問したときに、若妻が、私が線香を上げてこちらへ下がると同時に、その白木の位牌を抱えて、「お父ちゃん、何で死んだんだ。三十歳の若さで何で死んだんだ。あなたが人に殺されたから一銭のお金ももらえないじゃ

← トップへ戻る