財政金融委員会
○参考人(櫻井眞君) 辞令自体、私は持っておりませんが、内閣府の方、内閣府としては辞令の記録が残っておるということを聞いております。当時の経済企画庁の経済研究所でございます。
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発言数 62件
初発言日: 1988-04-13 / 最新発言日: 2016-05-19 / 1 ページ目 / 全体 4ページ
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○参考人(櫻井眞君) 辞令自体、私は持っておりませんが、内閣府の方、内閣府としては辞令の記録が残っておるということを聞いております。当時の経済企画庁の経済研究所でございます。
○参考人(櫻井眞君) 御質問、もう一回お願いできますでしょうか。済みません。
○参考人(櫻井眞君) お答え申し上げます。 私の理解では、例えば古くはアービング・フィッシャーもやはりそういう論文を書いていたと思いますし、最近では例えばクルーグマンでありますとか、そういう方々も同じような内容のものを書いているというふうに理解しております。
○参考人(櫻井眞君) 冒頭、御挨拶いたします。 今回は、私の経歴の件でいろいろな表記の誤りがございまして、大変皆様に御迷惑をお掛けいたしました。大変深く反省しており、遺憾の意と存じております。今後、こういうことがないよう十分気を付けてまいりたいというふうに思っております。 ─────────────
○参考人(櫻井眞君) お答え申し上げます。 私は、米国から帰りまして二年後だと思いますが、記憶では、その頃から、当時の大蔵省の財政金融研究室だと思いますけれども、まだ当時は、そこにいろいろな研究会の参加をしたわけでございます。したがって、辞令は一切出ておりません。辞令をいただいたのは、平成たしか二年に財政金融研究所の方から辞令をいただいたというふうに記憶しておりますし、辞令も残っていると思います。 ということで、在籍はしておりま
○参考人(櫻井眞君) そちらの方はちゃんと辞令を、当時の橋本龍太郎大蔵大臣の名前でいただいておりますので、そこは出せます。
○参考人(櫻井眞君) はい、それはもちろん提出することはできますので、提出させていただきます。
○参考人(櫻井眞君) はい、兼務でございます。
○参考人(櫻井眞君) 委員にお答え申し上げます。 確かにその修士論文はここに提出いたしました五枚ということでございまして、委員御指摘のとおり、当時、東大紛争の直後ということで大変混乱しておりまして、制度的にもまだ固まっておらなかった時代でございます。 私の場合は、実はその修士の一年、二年の間は、もうお亡くなりになりましたけれども、宇沢先生の下で研究をしておりまして、指導を受けていたわけでございます。その指導を受けていたこと自体は
○参考人(櫻井眞君) 委員にお答え申し上げます。 私、まず大学院の博士課程のときに、為替制度の違いによって景気変動がどのように国際的に波及するかという研究を浜田宏一先生と共同研究をいたしました。その成果がシカゴ大学のジャーナル・オブ・ポリティカル・エコノミーという雑誌に一九七八年に掲載されました。これが私の研究活動の出発点ということでございます。 そして、日本輸出入銀行にその後入行いたしまして、そのときには主にアジア太平洋地域の
○参考人(櫻井眞君) 修了と書いたのは、日本銀行の方で書いたわけで……(発言する者あり)
○参考人(櫻井眞君) はい。単位取得修了というふうに書きました。 これは、単位は五十単位取れておりましたので、修士課程それからドクターコースということで合計で五十二単位取ったと思います。したがって、これは単位取得の退学ということでございますので、そういうふうに書きました。
○参考人(櫻井眞君) 成績を出せると思いますので、私的なあれでございますけれども、出せると思います。
○参考人(櫻井眞君) 今回、公的な職ということでございまして、私も何年かぶりかに経歴を書いたんですけれども、それに従いまして少し最近の事例というのを見たら、どうも最近の、我々の単位の取得の仕方というのは修了と書かないらしいということで、私の方は中退というふうに書いたわけでございます。 しかし、従来、これまで発表してきた当時のいろいろな執筆したものに関しましては、過去のことでございまして、その当時の慣例に従って博士課程修了という形で書
○参考人(櫻井眞君) 私もちょっと記憶はございません、その辺に関しましては。
○参考人(櫻井眞君) 期待を測る指標としては、例えば過去の物価データのウエートであるとか、あるいは将来のエクスペクテーションということでありますから、いろいろな計算方法がございますが、やはり一つ重要な点は、需給ギャップとそれから期待……(発言する者あり)期待を測る指標としては、例えばインデックスとかそういうようなことで測っていくということだろうというふうに思っております。
○参考人(櫻井眞君) 私の理解では、FAIRは、たしか当時の大蔵省の外郭団体のような形ではなかったかというふうに記憶しております。
○参考人(櫻井眞君) お答え申し上げます。 当時、研究情報基金はいろんな仕事をしておりましたが、一番中心になっておりましたのは環太平洋地域の研究のネットワークをつくるという仕事でございました。当時、日本の海外直接投資が非常にアジアに急速に伸びていった時期でございまして、当時のASEAN諸国だとかオーストラリアといったところも含めて、また、環太平洋ということで米国も含めていろいろな研究活動のネットワークをつくりたいということで、私はそ
○参考人(櫻井眞君) お答え申し上げます。 委員御指摘のとおり、理事長というポストに関しましては、歴代、当時の大蔵省のOBの方、例えば次官であるとかあるいは財務官経験といったような方々がポストに就いておられたと思います。 長富さんは、たしかそこの中の理事会のメンバーで、たしか運営委員会かな、そういうような名前のところの何かポスト、議長か何かのポストをされていたということで、事実上、長富さんがいろいろな研究ネットワークづくりを指導
○参考人(櫻井眞君) これは講演録ということで、少しいろいろな話をしたときに先方がこういう書き方をしたんですけれども、私は、正確には、多分秘書のような仕事をしていたということでございます。四六時中そこにいたわけではございませんで、先ほど申し上げたとおり、環太平洋の研究交流あるいは研究会といったところで事実上秘書的な仕事というものを一部担当していたということでございます。