「河野鎮雄」の過去の国会発言

発言数 88件

初発言日: 1957-03-01  /  最新発言日: 1966-05-10  /  1 ページ目 / 全体 5ページ

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1966-05-10 衆議院

決算委員会

○河野説明員 実は、きょうの委員会で医療金融公庫の決算がかかるということは、ゆうべ伺いまして、その前に出張いたしておりましたので、私かわりまして出席させていただいたわけでございます。

1966-05-10 衆議院

決算委員会

○河野説明員 医療金融公庫の昭和三十九年度の業務概況についてまず御説明申し上げます。 昭和三十九年度の貸し付け計画額は、当初貸し付け契約額を百四十五億、貸し付け資金交付額を百三十五億、この百三十五億のうちには、十億、前年度貸し付け契約をいたしまして、資金の交付が未済になっております分が含まれておりますが、百三十五億を予定いたしまして、その原資といたしましては、政府出資金二十九億円、資金運用部よりの借り入れ金八十五億円、及び貸し付け回

1961-03-28 参議院

社会労働委員会

○参考人(河野鎮雄君) 医療金融公庫の河野でございます。 医療金融公庫につきましては日ごろから並み並みならぬ御親誼をいただきまして全く感謝しておるところであります。この機会に厚く御礼を申し上げます。 ただいまの御質問でございますが、現在、職員——役員を含めまして三十名、役員が五名、職員が二十五名であります。職員は現在二部に分けております。総務部と業務部、この二部でございます。その下に総務部におきましては総務課と経理課の二課を持っ

1961-03-28 参議院

社会労働委員会

○参考人(河野鎮雄君) ただいま正確な数字を持ち合わしておりませんが、大体各公庫の基準にならないまして給与をきめておるわけであります。政府のレベルより若干上回わっておると思います。

1961-03-28 参議院

社会労働委員会

○参考人(河野鎮雄君) 本年度の申し込みのうちにも、相当基準に合わないで、お断わりしたものがございます。そういったものは、来年度また基準をどうするかということは、これから検討する問題でございますが、やはりなお基準に合わないというものも出てくるのじゃないかと思います。そういったものは年をこしましても、一応御遠慮願わなければならぬというふうなことになるのじゃないかとも思います。お手元に、この前差し出し申し上げたかと思うのでありますが、二月十

1961-03-28 参議院

社会労働委員会

○参考人(河野鎮雄君) ただいまの御質問でございます。まず第一点の金融機関の窓口における取扱いの問題でございますが、全般的に申しまして、先ほども申し上げましたように、業務開始を非常に急ぎましたので、十分窓口事務につきまして指導するゆとりがないままに業務開始というふうになってしまったわけでございます。従いまして、窓口でも十分取扱要領を飲み込んでいない向きがあろうかと私どもも考えておるわけであります。三十五年度はやむを得なかった事情があるか

1960-05-09 参議院

社会労働委員会

○政府委員(河野鎮雄君) 先般の本委員会において御質疑がございました際にお答えをいたしましたが、そのときお答えいたしましたのは、昨年末の認定数が二百七十三万九千人というふうにお答えを申し上げたと思いますが、その後一月、二月、おのおの約二万ぐらいずつ認定が済んでおります。引き続き認定を急いでおる次第でございますが、今後どの程度出てくるかということにつきましては、まだ的確に把握しがたい実情にございます。昨年、遺族援護法がやはり時効到来を見た

1960-05-09 参議院

社会労働委員会

○政府委員(河野鎮雄君) ちょっと今計算いたしておりますのは一月末までの数字でございますが、四百億をちょっと上回ったところの認定が済んでおるわけであります。あとどの程度認定を要するだろうかという御質問だと思うのでございますが、先ほど申し上げましたような事情にございまして、まあ五百億という目標が一応法律ができましたときに考えられておったわけでありますが、まあそこまではちょっといかぬのではないかというふうに一応考えておりますが、それじゃどの

1960-05-09 参議院

社会労働委員会

○政府委員(河野鎮雄君) 従来いわれておりますのは、御承知のように法律で定められております要件に、外地で生活の本拠を持つその期間が六カ月以上でなければならない、こういうふうな規定がございます。その外地におったということはわかっておっても、六カ月以上という証明が非常につきにくいのではないかというようなことがしばしばいわれた。特に法律の施行に入りました当時は、私どもも事務処理につきまして非常に慎重な態度をとっておりましたので、相当はっきりし

1960-05-09 参議院

社会労働委員会

○政府委員(河野鎮雄君) 御趣旨ごもっともと存じます。ただ私ども、資料の整備について熱意がないというふうに言われますと、はなはだ恐縮をいたす次第でございまして、毛頭そういうつもりはございません。ただ、終戦前後に相当消失したものもございますので、なかなか立証が困難なケースが出てくるわけです。まあ、こういった立証の問題は、法律の建前からすれば本人が立証するというふうな建前でございまするけれども、実際のやり方といたしましては、そういうふうな気

1960-05-03 衆議院

日米安全保障条約等特別委員会

○河野政府委員 今回作成いたしました名簿は第一次名簿でございまして、ただいま引き続き整理中でございますので、整理がっき次第できるだけ早く次々に出したい、かように思っておる次第でございます。それから、名簿の内容の問題でございますが、この問題の起こりは、そもそも遺骨を収集してお送りするというふうなところから起こって参った事柄でございまして、その前提として死亡者の名簿を調製するというふうな心組みで、仕事に取りかかった次第でございます。従いまし

1959-08-10 参議院

社会労働委員会

○説明員(河野鎮雄君) ただいま葛西さんからお話がございました通りでございまして、私どもといたしましてはできるだけ早く準備をやって、一日も早くお帰り願えるような状態を作らなければならぬと思っております。非常に大事な準備がございますので、ただいま関係の方といろいろ御相談をいたしておりまする結果から予測いたしまして、どうしても十一月の十日ごろにならなければ第一船が帰られないというふうな状況になっております。

1959-08-10 参議院

社会労働委員会

○説明員(河野鎮雄君) ただいまお話のありましたように、大体一回千人ということでスタートをする準備を進めております。大体二月は必要であろうというふうに見込んでおります。今月の下旬ころ着工すれば十分間に合うということで、関係のものと相談して十分遺憾のないようにいたしたいと思います。

1959-08-10 参議院

社会労働委員会

○説明員(河野鎮雄君) ただいま葛西さんからお話のございました点以上のことは考えておらない。先ほどもお話しございましたように、終戦直後、国といたしましても帰りたいものと、それから残りたいものというのをはっきりとりまして、その当時もう残ることをきめた人は将来援護はできないというふうなことも決定しまして、その当時決をとったわけです。今度は事実上帰れないというふうな障害がございますので、人道的の立場からその障害を除去する意味で、国なり日赤が便

1959-08-10 参議院

社会労働委員会

○説明員(河野鎮雄君) ジュネーブの会談のお話も伺っておりますが、北鮮側も帰ってくれば、全然心配のないようにすべての世話をするというふうなお話に伺っておるわけです。私どもといたしましては、乗船地までお届けする、そうして北鮮側に引き継ぐ、それまでのお世話をするという考え方をしておるわけであります。それ以上のことは考えておらないわけであります。

1958-09-18 参議院

社会労働委員会

○説明員(河野鎮雄君) 援護局関係の予算でございますが、先ほど来問題になっておりました特別措置の問題、これは新規の予算でありますが、その他の予算につきましては、当初予算の異動によりまして若干の動きがございますが、大体従来の線に沿って要求をいたすようにいたしておるわけでございます。 定員の問題につきましても、現行法によりますと、百五十人整理することになっております。数年前に厚生省で作られました定員関係の法律によりまして、年々整理される

1958-08-11 衆議院

海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会

○河野説明員 今までの経緯につきまして、簡単に御報告を申し上げたいと思います。 未帰還者の問題につきましては、かねてから先生方の御協力を得まして、厚生省としても努力して参ったところでございます。終戦当時海外におりました未帰還者は約六百六十万というふうに推定をされておるわけでございます。当初、引き揚げが順調に進みまして、大体一段落を得ましたのが二十四年度であったかと思うのです。当時の事情を調べてみますと、その当時、未帰還者として残って

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