「浜田幸晴」の過去の国会発言

発言数 24件

初発言日: 1964-02-19  /  最新発言日: 1974-04-11  /  1 ページ目 / 全体 2ページ

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1974-04-11 衆議院

交通安全対策特別委員会

○浜田説明員 四十八年の十月三十日新潟のNDBの上空付近で起こりましたこの異常接近につきましては、富山空港を離陸いたしまして新潟、大子を経由して東京に参ります全日空のYS11が、新潟の上空で右旋回中に、たまたま新潟を離陸してやはり同じく東京に向かいますところの東亜国内航空のボーイング727型機を近くに発見して、衝突の危険を感じて回避操作を行なったという件でございます。ただ、この件につきましては、調査の結果、東亜国内航空のボーイング727

1974-03-28 衆議院

交通安全対策特別委員会

○浜田説明員 御指摘の事件につきましては、たいへん問題が多うございまして、私どもも安全確保上大事な問題だと考えまして、同種事件の再発防止のためには事態を明確にする必要があるという点から、米側に対して調査要求をいたしたわけでございます。その調査結果が一応二十日の日に参ったのでございますが、私どもの手持ち資料等から考えます点と矛盾する点が多うございますので、結果的には再調査を依頼している段階でございます。ただ、いままでの調査でわかりました点

1974-03-28 衆議院

交通安全対策特別委員会

○浜田説明員 異常接近の報告という制度がございまして、異常接近したと思った機長は報告書を提出してまいるわけでございますが、この報告書の提出がございますと、私どものほうで相手方機長のほうからも報告書を出していただく。もしそれが管制を受けておった航空機であるならば、管制機関の担当管制官からの状況報告書も出してもらう、それと航空機にフライトレコーダーが積載してあります場合にはフライトレコーダーの記録、それと管制の交信記録、それらの資料を総合的

1974-02-27 衆議院

交通安全対策特別委員会

○浜田説明員 異常接近と申します場合には、航行中の航空機相互間の関係でございますが、この異常接近の報告は東亜国内航空機の機長から出ておりますわけですが、非常にスピードの早い航空機が空中に一瞬の間にすれ違ったときの状態でございますので、一方の申し立てだけで事実関係を確定するわけにはまいりませんので、これは毎度のことではございますが、相手機がわかる場合には必ず相手機をさがし出しましてその機長から報告を求めるへあるいはそれが管制のもとに飛行し

1974-02-27 衆議院

交通安全対策特別委員会

○浜田説明員 これと似たというとらえ方が正しいかどうかちょっと疑問の点もございますが、米軍機との関係という点で共通点があろうかと思いますが、昨年の十月下旬に沖繩で全日空の航空機と米軍のファントムとのニアミス報告がございました。これにつきましても、全日空の機長のほうから異常接近報告が出ましたので、今回と同じような経路を経まして米側に調査を要求いたしまして、相手方から具体的な回答を得ました。そういう前例に徴しましても、今回の場合もそれに準じ

1967-06-27 参議院

内閣委員会

○説明員(浜田幸晴君) お答えいたします。東京‐香港、香港までの区間につきましては、現在の施行規則の面及び日本航空の運航規程の面から救命いかだの搭載を要しない区間になっております。したがいまして、その以遠に飛行する航空機が香港まで就航している場合には、以遠のフライトに備えまして積んでおりますが、香港線用に使っております航空機の場合には、積まないものもあろうかと思われます。

1967-06-27 参議院

内閣委員会

○説明員(浜田幸晴君) これは正確な区間距離を記憶しておりませんので、いま即答いたしかねますので、後刻調べまして御返事いたしたいと思います。

1967-06-27 参議院

内閣委員会

○説明員(浜田幸晴君) 私おくれて参りまして、前半の話には誤解があるかもしれないのでございますが、ただいまお話しございました一九六五年十一月の会議というのは、第四回航空会議のことをおっしゃっておるのではないかと思われますが、もしそうだといたしますと、あの第四回航空会議におきまして附属書六の「救命胴衣の塔載に関する勧告」がなされたことは事実でございますが、これはあくまでその航空会議における勧告でございまして、それが国際民間航空条約の附属書

1966-11-18 参議院

運輸委員会

○説明員(浜田幸晴君) お答えいたします。松山空港の進入角指示灯、これは松山空港の滑走路の拡幅工事をやりましたために、、従前ございました位置を変動いたしました。変動して設置いたしましてそれの供用開始の最終的な飛行検査が終了いたしておりませんが、調整その他参考上利用することが便利でございますので、そのような旨をつけましたいわゆるNOTAMを出しておきましてNOTAMにも正式な飛行検査は十二月二日を予定しておると、したがって現在の使用はテス

1966-11-18 参議院

運輸委員会

○説明員(浜田幸晴君) 松山空港におきまする計器進入の方式は、利用いたしまする航空保安無線施設といたしましては無指向性無線標識施設でございます。したがいましてADFによる計器進入でございます。そのような保安施設を利用いたします関係上、先ほども御説明ございましたように、この飛行場の計器進入を行なう場合の最低気象条件は、夜間におきましては千フィートの二マイルでございます。そのような最低気象条件に見合うところの夜間施設といたしましては、灯火と

1966-11-18 参議院

運輸委員会

○説明員(浜田幸晴君) ただいまお話のございました離着陸回数の制限、それから三暦月についての飛行制限に関します会社側の申請は一月に提出されておりまして、三月と申しましたのは、これを当局におきまして認可したときでございます。

1966-11-17 衆議院

運輸委員会

○浜田説明員 全日空が六回という離着陸の制限を規定いたしましたのは、昨年、四十年三月十二日付の運航規程の認可でございます。従前の運航規程では全日空は離着陸の制限を規定いたしておりませんのを、その際初めて規定いたした次第でございます。

1966-11-17 衆議院

運輸委員会

○浜田説明員 その離着陸回数六回という規定をいたしました認可が、四十年三月十二日付の運航規程の変更認可でございます。

1966-11-17 衆議院

運輸委員会

○浜田説明員 日付ははっきり記憶いたしておりませんが、大体七月の下旬か八月の初旬ごろに、日航が運航規程の一部変更をいたしております。

1966-11-17 衆議院

運輸委員会

○浜田説明員 ただいまお話のございました高松空港の場合でございますと、温度が高い場合にはフレンドシップの場合でもYSの場合でも満席にできないことがございます。したがいまして、これは温度の度合いによりまして席数がたいへん変化いたしますので、会社は確実にしかも簡便にこれを処理し得るように、運航規程の添付資料といたしまして、温度、風、重量、この三つの関係が一目でわかるような別表をつくっておりまして、重量で押えておりますので、人間の数と載せる貨

1966-03-29 参議院

運輸委員会

○説明員(浜田幸晴君) ただいま局長から申しましたように、RVR二千四百を採用しておりますときに、透過率計によって二千四百フィートの視程があるような状態の場合には、原則として、この二千四百フィートというのは二分の一マイルに対応する数値でございますが、通常二分の一マイルの視程に対応する二百フィートのシーリング、これは二千四百フィートの透過率計によるダウントヒジレンジがある場合には当然あるのだという前提でこの制度がつくられておる、したがいま

1966-03-29 参議院

運輸委員会

○説明員(浜田幸晴君) この現在のRVRを使っておりますのは、東京国際空港の滑走路の三三側のみでございます。したがいまして、あの三千メートル以上ある滑走路が、滑走路の視程がすべての部分について同一だという前提ではございませんで、三三側だけについて申しておるのでございまして、したがいまして、透過率計もそれに見合うような位置に配置してあるので、三三側に関する限りほぼバイ、タイ同視程が保たれておるであろう、したがって、二千四百フィートの視程が

1966-03-29 参議院

運輸委員会

○説明員(浜田幸晴君) ただいまの御提案につきましては、このRVRを用いた場合のみならず、ADFアプローチの場合等におきましても、従来のシーリングにかわる概念といたしまして、デシジョンハイトという概念を持ってまいりまして、その際にはRVRの場合でも、先生御指摘のような場合でも、デシジョンハイトが導入されることによって、御要望に沿い得るのではなかろうかと考えております。

1964-03-17 参議院

運輸委員会

○説明員(浜田幸晴君) ただいままで私どものほうで調査いたしました結果、判明いたしました事故につきましては、ただいまお手元にお配りいたしました刷りもので大体の概要を尽くしてございますので、一応読ませていただきます。 富士航空株式会社所属ビーチクラ フト式CI−一八S型機の事故につ いて一 事故の概要 富士航空株式会社所属ビーチク ラフト式C−一八S型(陸上双 発・六旅客座席)JA五〇二八 は、昭和三十

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