「田淵義久」の過去の国会発言

発言数 73件

初発言日: 1997-06-05  /  最新発言日: 1997-06-05  /  1 ページ目 / 全体 4ページ

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1997-06-05 衆議院

予算委員会

○田淵参考人 当時の広報並びに秘書室担当役員の、先ほど名前の出ました徳本が、出版社の社長と言ったか社主と言ったか覚えていないのですが、そういうふうな存在の方で、政財界に非常に幅広い人脈をお持ちの方、それから瀬川さんとの交流、あるいはほかの先輩の名も言ったかもわかりませんが、交流がある、そういう方が今度の社長と一度面談したい、お話を伺いたいと、この方は大変立派な方であるから、社長、時間をとらしてもらいます、こういう話でお目にかかったと記憶

1997-06-05 衆議院

予算委員会

○田淵参考人 私は、お目にかかってからも総会屋という認識は持っておりませんでした。昨今の報道で勉強したことはたくさんございます。

1997-06-05 衆議院

予算委員会

○田淵参考人 私は、責任を負う者のみがジャッジするべきであると。相談役というのは責任を負う立場にございませんから、基本的に、相談に、めったにございませんが乗った場合も、どなた様にも、何も社長だけではない、どなた様にも、あえて意見を聞かれれば私の意見はこうだ、しかし決めるのは君たち執行部だと、この言葉を必ずつけ加えることにいたしておりました。

1997-06-05 衆議院

予算委員会

○田淵参考人 そのようなことは記憶にありません。 私は、官僚を御紹介いただくなら、直接その周辺の方にお頼みできる立場にありますから、中小企業の社長さんのお力をおかりしなければならぬことはないというふうに理解しております。

1997-06-05 衆議院

予算委員会

○田淵参考人 先ほど申し上げたような性格でございますので、いろいろな属性の記入ということがデータベースに行われたのは、相当の時間をかけていたと思います。オンラインというのにインプットしたのが五十八年と聞いております。

1997-06-05 衆議院

予算委員会

○田淵参考人 九三年でございますね。(北側委員「九二年です」と呼ぶ)九二年でございますね。 一切承知いたしておりません。

1997-06-05 衆議院

予算委員会

○田淵参考人 ただいまの、新宿ビルの方で酒巻元社長が小池なる方と面談したということは、先般の参議院でのお話で私自身も初めて知りました。

1997-06-05 衆議院

予算委員会

○田淵参考人 ありていに申し上げて、株主総会、白紙委任状を含めますと多数を持っていることは社長のときから経験で知っておりますから、それほど意識をしていなかったというのが真実でございます。

1997-06-05 衆議院

予算委員会

○田淵参考人 いつということでございますが、相当前のことでございますので日時は特定できませんが、今から最低十年以上前に初めてお目にかかったと思います。その後、お招きの席で同席したというのも含めて二回じゃないかと思っています。

1997-06-05 衆議院

予算委員会

○田淵参考人 報告を受けない限り知りようがないわけですが、新聞報道等によりますと、たくさんの名義にお分けになっていたというふうに新聞報道では理解しておりますので、三十万株の大株主という意識は株主事務を扱っている衝の者にもなかったのじゃないかと推定いたします。

1997-06-05 衆議院

予算委員会

○田淵参考人 その年の四月の後半のような気がいたします。その理由は、決算役員会が毎年四月二十四、五日ごろを中心に行われておりましたので、そこで人事案件がのりますので、その直前であったと記憶しております。 要請があったのは酒巻社長からであります。

1997-06-05 衆議院

予算委員会

○田淵参考人 翻って当時のことを考えてみますと、私自身は極めて自然体で、株主総会というものを余り意識していた覚えがございません。

1997-06-05 衆議院

予算委員会

○田淵参考人 一般的な交友関係ということでいえば、交友関係の意味にもよりますけれども、個人的におつき合いするというふうな交友関係のある方は、まずいらっしゃらないと思います。

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