文教委員会
○蒲生政府委員 私は、建築も美術の部門に入るものと考えております。
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発言数 243件
初発言日: 1955-06-15 / 最新発言日: 1967-06-02 / 1 ページ目 / 全体 13ページ
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○蒲生政府委員 私は、建築も美術の部門に入るものと考えております。
○蒲生政府委員 先ほどから申し上げますように、非常に長い伝統、歴史を持っている芸術院でございます。しかし、いま仰せのように、時代の推移とともに時代に即応したような体制がとられなければならないということも十分わかります。しかしながら、その歴史的な立場、それから新しい時代に即応する立場というものを、両方考え合わせまして今後もさらに十分検討を続けていきたい、かように考えております。
○蒲生政府委員 これまで国会あるいはその他関係方面で現行の芸術院制度についていろいろ言われておりまするその一つといたしましては、現在芸術院会員は会員が選ぶというたてまえになっております。その点……。
○蒲生政府委員 今国会においてはまだございませんけれども、昭和三十八年に衆議院の予算委員会におきまして、これは二月の四日でございますが、加藤清二代議士から日本芸術院会員の選挙方法並びに待遇、それから選挙運動のことに対しまして質問がございました。さらに、昭和三十八年の二月二十日に、同じく加藤代議士から重ねて同じようなことについて質問がございました。
○蒲生政府委員 デザインにつきましては、洋画部門と考える向きもございますし、また、商業美術という考え方をされる向きもございますが、いずれにいたしましても、最近このデザインの進歩に伴いましてやはり美術の中に入るもの、こういうように考えます。
○蒲生政府委員 昭和十六年に川端龍子先生、それから二十一年に徳富蘇峰先生同じく二十一年に富本憲吉先生、二十二年に菊池寛先生、二十五年に横山大観先生、三十年に藤田嗣司先生、三十二年に梅原龍三郎先生、三十三年に小杉放庵先生、こうなっております。
○蒲生政府委員 大臣に御質問でございますが、経緯について私からお答えいたしたいと思います。 日本芸術院の沿革については、先生すでに御承知と思いますけれども、これは当初は明治四十年に美術審査委員会官制というものができまして、この美術審査委員会は、文部省美術展覧会、いわゆる文展の開設に伴いまして、その出品作品を審査するというものであったわけでありますが、大正八年に至りましてこれが廃止になりまして、新たに帝国美術院が置かれたわけであります
○蒲生政府委員 問題になった点もいろいろございますが、先ほど申しました会員を会員自体が選ぶというのは客観性を欠くのじゃないか、であるから別に選考委員を設けて会員を選んだらどうか、こういう点が一点でございます。それから、現行制度では院長は必ずしも会員から選ばなくてもいいということになっているが、そういう点はどうか、なぜそういうことになっておるのかということ。さらに、現在、芸術院は政令によりまして三部から成っております。一部が美術関係、二部
○蒲生政府委員 選挙をめぐりまして疑惑が持たれておるというような質問も国会でありまして、当時の芸術院院長に並びに芸術院の会員の方々に、国会でございました質問あるいはその他につきまして十分お伝えいたしまして、芸術の最高機関であります芸術院として恥ずかしくないように、良識に基づいて公正妥当な選挙その他の運営をされたいということを申し伝えまして、そして自粛を喚起し、芸術院自体におきましても、公正に運営が行なわれるように決議をされておるというふ
○蒲生政府委員 昨年文化局ができましてから、芸術院のあり方、運営のしかた等につきましては、内部におきまして、いままでいろいろ指摘されました点について研究はいたしております。
○蒲生政府委員 すでに御承知のように、芸術院会員の選挙方法につきましては、古く芸術院官制の時代から、会員の自主性を尊重いたしまして、会員が会員候補者をみずから推薦して、そして投票によって選挙するという方法がとられて今日まで至っているわけでございます。したがって、別な機関を設けたらどうかという御意見に対しましても、そういう考え方もあるいは一方で成り立つかとも思いますけれども、しかしながら、いま申しましたように古くから現在の方式をとって今日
○蒲生政府委員 それは国家が認めるというふうに考えております。
○蒲生政府委員 それは、私、国家ということばを用いましたけれども、用いましたことは、会員を任命しますとか、あるいは年金を支給しますとかいうのは国家でございますので、そういう意味で国家ということばを使ったのでございますけれども、いま御質問のような趣旨からいえば、それはみずからが認めるのではなくて、第三者が認めるということだろうと思います。
○蒲生政府委員 定員百二十名に対しまして現在欠員が十二名でございまして、その内訳は、第一部、美術部門が二名、第二部、文学部門で三名、第三部の音楽、演劇、舞踊部門で七名、計十二名になっております。
○蒲生政府委員 これは実は歴史的に見まして御説明申し上げますと、大正八年に、先ほど申し上げましたように帝国美術院ができまして、当時は定数五十人以内でございましたが、これは美術部門だけでございます。さらに、昭和十二年に文学部門、音楽部門が新たにできまして、帝国芸術院ができたわけでありますが、その際は、定数が、美術は五十人以内、変わりません、それから文学が二十人、音楽が十人ということで八十人になったわけであります。それから昭和二十二年にまた
○蒲生政府委員 先ほどもちょっと申し上げましたように、最近は、たとえば写真でございますとか、あるいは華道でございますとか、あるいは茶道でございますとか、こういうやはり芸術の分野に属する部門が非常に盛んになってきておりまして、そうしてりっぱな芸術家も続々と出てきておるような状況でございます。したがいまして、こうした新しい分野をこの芸術院の中に取り入れていくことは、やはり時代の要請に即応するものではないか、私かように脅えております。したがい
○蒲生政府委員 これは、当時政令がつくられましたときに、この芸術院の部門に入っていないです。どう考えておったかは別といたしまして、先ほどから申しますように、新しいそうした分野がどんどん進歩してまいります現状におきましては、やはり考えなければならない問題だろう、かように考えております。
○蒲生政府委員 先ほど来申し上げますように、芸術院の中に美術部門、文芸部門あるいは音楽・舞踊部門、こういうふうに現在でもきわめて分野が広範であります上に、同じ芸術と申しましても、それぞれまた異質な芸術の分野が集まっておるわけでございます。そこで、常識的に考えました場合に、特定の分野から院長を選出して、そしていま申しましたように一部、二部、三部を通じてその院を統轄し、円満な運営を期するということが困難な場合が考えられる。したがって、そうし
○蒲生政府委員 本年度から十万円増額いたしまして、一般会員が六十万、部長が七十万というようなことになっております。
○蒲生政府委員 いまお説のように、日展系が非常に会員には多いということは事実でございます。しかし、日展とそれから会員との関係につきましては、やはり日展系の人に従来はすぐれていた方が多かったということを証明するものであろう、かように私は考えております。