「蜂須賀禮子」の過去の国会発言

発言数 6件

初発言日: 2011-12-08  /  最新発言日: 2013-04-08  /  1 ページ目 / 全体 1ページ

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2013-04-08 衆議院

原子力問題調査特別委員会

○蜂須賀参考人 元委員の蜂須賀です。 今避難している会津は、ことしは大雪の冬でした。毎日のように、どこかの仮設に救急車が来ます。狭い狭い、仮設住宅での生活です。 その会津にも桜が咲こうとしています。三回目の桜です。一回目は、涙で桜を見ることができませんでした。二回目は、薄い色の会津の桜を見ることができました。三回目は、私たちは自分のふるさとの桜を見ることができません。季節が変わるたびにふるさとを思い浮かべる毎日です。 昨年は

2013-04-08 衆議院

原子力問題調査特別委員会

○蜂須賀参考人 済みません、まとまらなかったら申しわけないんですけれども、私たち、今、二年たって、どうしようという気持ちが多くあるんですね。 そのどうしようは、一年目のどうしよう、方言でどうすっぺという言葉なんですけれども、避難してどうしよう、原子力発電所事故が起きてしまってどうしようというふうなどうしようが一年目でした。 今、二年たって、自分の将来、大熊町に帰れるのか、双葉に帰れるのか、それともまた会津にいなければならないのか

2013-04-08 衆議院

原子力問題調査特別委員会

○蜂須賀参考人 この報告書を、最初に申し上げましたとおり、人災という言葉でまとめさせていただきましたけれども、本当にそうだなというふうな意見が大半でした。 黒川委員長とこの報告書を、一軒一軒、十二市町村を回らせていただいたときにも、ありがとうという言葉もいただきました。被災者、そこの立地町である私たちが思っていたこと、思っていても口に出せなかったことが明確にこの報告書に記載されたことによって、私たちが声を上げることができたんですね。

2013-04-08 衆議院

原子力問題調査特別委員会

○蜂須賀参考人 私があのベラルーシを見させていただいて一番同じ思いだなと思ったのは、向こうは移住者という名前で呼ばれていますけれども、二十六年たっても帰りたい。一年、二年たった私たちが帰りたい思いは当たり前だなというふうに実感してきました。 それとあと、向こうは、子供に対しての放射能に関しての教育がかなりされております。まだまだ福島県の教育の中には、その放射線に対するいろいろな知識が少ないと思います。子供に教える先生方の知識も少ない

2013-04-08 衆議院

原子力問題調査特別委員会

○蜂須賀参考人 済みません、私の意見でよろしいでしょうか。(笠井委員「はい」と呼ぶ) 教育委員を仰せつかりましたけれども、私も十月に仰せつかったばかりで、ちょっと県の方の教育委員の中身がわからないというのが申しわけないんですけれども、自分で感じているのは、自分にも孫がおります。その孫が、今まで感じていなかった放射線に関してすごく敏感になっているんですね。これ食べていいの、これ飲んでいいの、だから、検査したから大丈夫だよと。一つ一つ検

2011-12-08 両院

東京電力福島原子力発電所事故に係る両議院の議院運営委員会の合同協議会

○蜂須賀禮子君 福島県大熊町は、原子力の一、二、三、四を持っております。私のうちは、原子力発電所から四・三キロ、五キロ圏内であります。 本日、こういうふうな重大な委員に任命されまして、本当に私でいいのかなと思いながらここに参りました。 しかしながら、今、私は会津若松の方に避難をし、そして仮設に住んでおります。この声を福島県の代表として、そして、大熊町はもちろん、日本のこういうふうに苦しんでいる人たちの声を先生方にお届けするのが私

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