「赤松良子」の過去の国会発言

発言数 1,164件

初発言日: 1973-04-12  /  最新発言日: 1994-06-22  /  1 ページ目 / 全体 59ページ

発言データをコピーしてAIに貼り付けると思想・価値観・主義主張などの分析ができます
※AIによる分析結果は必ずしも事実とは限りません。正確な判断はご自身でお決めください。

📊 統計データを集計中です。しばらくしてからページを再読み込みすると表示されます。
1994-06-22 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) ずっと御意見を伺っておりまして、本当に共感をいたした次第でございます。 教員でない技術職員等については、定員削減がオートマティカルにかかってくるという長い間の削減をもろに受けている。一方では必要な増員要求はできるわけでございますが、ここの部分はどうしてもしにくい場所だろうというふうに思います。先生が非常に具体的な御提案もしてくださって、定員でなくても予算措置でできる配置というものがあるのではないかと。それは

1994-06-22 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) おっしゃるように、知識ばかりがふえて、ゆとりだとか他人に対する思いやりとかのない人間を育てていったのでは日本の将来は暗たんたるものだと考えます。もっとバランスのとれたと、まさに先生のおっしゃいましたバランスのとれた、知識も必要でございますけれども、心の温かさとかそういうもののある人間、そして文化を味わうゆとりのある感性も備えた人間を育てたいというふうに念願いたしている次第でございます。

1994-06-22 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) 全くそのとおりだと思っております。 それで、私学助成について議員立法でちゃんとした法的な裏づけが与えられ、それに基づいて私学の助成がなされてきたという歴史を私どもはよく認識をいたしまして、私学に対する助成の重要さというものを予算にも反映させなければならないというふうに思っております。 先ほど私学部長が申しましたように、今年度の予算の二百十二億の削減というのは大変私どもつらい思いで眺めたわけでございまして

1994-06-22 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) 先生は、国際的に見て我が国の文化予算は少ないので恥ずかしいからあえておっしゃらないということでございましたが、私は少ないということをやっぱり認識することから始まるのではないかと思いまして、昨年発表いたしました文化を中心にしました文教白書の中では、いかに我が国が少ないかということをあえて公にして、皆様方にこういう少ないのでいいのかということを問いかけたというつもりでございました。 文部省の予算の中で、文部省の

1994-06-22 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) 私、実は国連全般あるいは国連の条約というものにつきましてはいろいろ関係がどちらかというと深い方でございます。子どもの権利条約につきましては直接これまでにかかわったことはございませんが、人権規約あるいは女子差別撤廃条約等につきましては、国連の政府代表部で働いておりましたとき、あるいはその後、女子差別撤廃条約の審査のための委員会のメンバーとしてずっと長くかかわっておりまして、国連条約というものがその加盟国、特に批准

1994-06-22 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) 確かに条約の精神をよりよく多くの人に知っていただくにはいろんな試みがあると思います。その一つとして一周年記念というのは考えとしてあると思いますので、どういうことをすればよろしいかということをよく考えさせていただきたいと思います。

1994-06-22 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) 教育が未来への先行投資だということは、非常に多くの方の共感を呼んでいるのではないかと思います。日本が今日のように優秀な人材を多く生み出したということが社会の基本にあるということはだれしも反対されない。それが明治以来非常に先人の御努力で、長い将来を見渡して教育が大事だということを考えて、あるいはもう明治より前からかもしれませんが、教育が大事だということでずっと努力を重ねてきた賜物であろうというふうに思います。

1994-06-22 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) 今、先生が御指摘になりました、大蔵大臣、自治大臣との協議の結果を私が申し述べた文書があるわけでございまして、その中で先生お読みになりましたのは第二の項目でございます。 第一の項目にございますのが、今回の減額措置は「私立高校等に対する都道府県の助成水準や現下の極めて厳しい財政事情等を勘案しつつ決定したものでありますが、これは同補助金の一般財源化、すなわち補助金の廃止を意味するものではございません」というふうに

1994-06-22 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) 先ほど申し上げましたのを今、先生がより具体的詳しくおっしゃったのだというふうに伺っておりました。

1994-06-21 参議院

予算委員会

○国務大臣(赤松良子君) 実は、私も「当分の間」が四十年も続いているということを学びまして、大変情けないといいますか、「当分の間」というのはやっぱり四十年ではないのではないかと思います。そうして、責任は文部大臣かなというふうに思っております。

1994-06-21 参議院

予算委員会

○国務大臣(赤松良子君) 子供が小さいときから読書の習慣を身につけるということは大変将来にとってもいいことだというふうに思います。 その活動の中心になるのが図書館で、そして図書館へ行って本を読むときに具体的に指導してくれる人というのが必要だというふうに認識をしております。それが、先ほど先生がおっしゃったように、倉庫とおっしゃいましたか、何かそんなようになっているというようなことは本当に残念なことでございます。 そこで、御指摘ござ

1994-06-21 参議院

予算委員会

○国務大臣(赤松良子君) お答えいたします。 おっしゃるとおり、修学旅行の児童生徒等がここを訪れるということは十分察することができます。その場合に、正しい歴史理解を持つように学習に役立つような祈念館であってほしいと思います。

1994-06-20 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) 大変難しい課題でございまして、もちろん臨教審以来の課題だということでございますから当然のことながら考えてきているわけでございますが、やはり教育長任命承認制度というのは非常に地方教育行政の根幹をなす制度だというふうに理解をしているところでございます。

1994-06-20 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) 高いか安いかというのは、まさに観点の違いで高いとも言えますし安いとも言えると思います。 なぜ安いと言えるかといいますと、それは子供の教育というのは非常に大事だ、だからどんなに高くても高過ぎることはないという観点に立ては安いとも言える。しかし、それが親の負担になっているという面からいえば高いとも言えるわけであろうかと思います。

1994-06-20 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) 教育費の負担という点では、社会がどの程度負担し、親がどの程度負担すべきかというのはいろいろ議論もあろうかと思います。 確かに外国では、教育費を全部国が賄うといいますか、国が持つという国も決して少なくないということも承知いたしております。しかし日本は、義務教育はすべて親の負担にならないように教科書まで含めて国がということになっております。国といいますか、地方公共団体を含めて社会がとなっておりますが、だんだん上

1994-06-20 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) 子供を育てるのにお金がかかるから子供が産めないというのは、これは非常に困ることでございます。子供がただ多ければいいというものではもちろんないわけで、子供をそんなにたくさん産まない方がいいという時代もあったわけで、また途上国におきましては今は人口爆発というのが問題になっている国もたくさんあるわけで、日本が少子化、少子化と言って騒いでいるというのはそういう国から見ればあるいは奇異に映るのかもしれないというふうに思い

1994-06-20 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) 子供たちが、今、先生おっしゃいましたように、いろいろな体験を通じて、野外であるとか自然に触れるとか、そういう面で実態に触れるということは非常に望ましいことだというふうに存じております。 子供たちが、今まで往々にして言われておりましたように、知識を詰め込むということに余りに重点が置かれていた、それを見直す意味で調和のとれたもっと幅の広いといいますか、いろいろな人格の形成にあるいは人間の形成に有効な経験を身近に

1994-06-20 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) 新聞にたびたびいじめの問題が出ます。そして、それがひどい場合は子供の自殺につながる。これを見る日はもう本当につらい思いがいたします。 いじめというのは昔から、世の中といいますか、子供の世界には大なり小なりあった問題だと思いますけれども、最近は何だがそれが陰湿化といいますか、ばかに広がってしまって、そしてそのために子供が自殺をする、何か非常に心の痛む遺書なんかが残っているというのはとても悲しいことでございます

1994-06-20 参議院

文教委員会

○国務大臣(赤松良子君) サッカーにつきましては、私は実は余り早い時期からサッカーに関心があったわけではございませんでしたが、一九八六年にウルグアイへ赴任をいたしました。そのときはメキシコで世界大会がある年でございました。 ウルグアイという国は大変サッカーに熱心な国でございまして、着いた途端から何かすごい音楽で、ラジオをつけるとサッカーの世界大会の歌を流しているわけで、すごいんだなと思ったのがまずサッカーに対する関心の初めだったかも

← トップへ戻る