憲法調査会
○参考人(長谷川三千子君) 本日は、お招きいただきまして大変ありがとうございます。 本日の会議に先立ちまして、調査会の事務局からはいろいろな資料をちょうだいいたしました。そこには、一年余りにわたるこの会議の会議録もございました。その中に、私が特に感銘を受けた御発言がございました。これは大学生の方の御発言なんですが、こんなふうにおっしゃっていらっしゃるんです。「今日求められる憲法論議とは」「憲法が実現しようとしている正義や理想それ自体
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発言数 43件
初発言日: 1997-06-13 / 最新発言日: 2001-04-18 / 1 ページ目 / 全体 3ページ
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○参考人(長谷川三千子君) 本日は、お招きいただきまして大変ありがとうございます。 本日の会議に先立ちまして、調査会の事務局からはいろいろな資料をちょうだいいたしました。そこには、一年余りにわたるこの会議の会議録もございました。その中に、私が特に感銘を受けた御発言がございました。これは大学生の方の御発言なんですが、こんなふうにおっしゃっていらっしゃるんです。「今日求められる憲法論議とは」「憲法が実現しようとしている正義や理想それ自体
○参考人(長谷川三千子君) 非常にたくさんの内容の盛り込まれた御質問なんですが、一どきにお答えいたしたいと思います。 私が申し上げました憲法にとって破壊的であるというのは、これはあくまでも先ほど申し上げました主権というそういう理論に基づいて考えたときのいわば論理的、形式的な形として非常にまずいということであって、その内容がどうであるかということとは実は直接にかかわりがないんです。 つまり、確かによく言われておりますように、GHQ
○参考人(長谷川三千子君) 今の御質問には、二つの御質問が含まれている形になっていると存じます。一つは、日本国憲法というものがGHQの草案に基づいているとはいっても、これは国会の審議の過程で随分日本化の努力がなされているではないか、それをひとつ評価すべきではないかと。それから今度は、日本国憲法というものをいただきながらの戦後の五十年というものをどう評価するのか、これを端的に失われた五十年だとばっさり切り捨ててよいものなのかどうかという、
○参考人(長谷川三千子君) お答えいたします。 今ちょっと問題から外れて申しわけないと脇先生がおっしゃったんですが、実はもう根本的なところで国民主権の問題それ自体と制定過程ということは深くかかわっております。 今申し上げましたように、主権という言葉は最高の力という意味なんです。この主権というものが一番典型的に発揮されるのが憲法を制定する力としてなんですね。今御紹介いたしましたシェイエスの言葉も、これもまさに憲法を制定する力として
○参考人(長谷川三千子君) お答えいたします。 第九条一項は全く問題のない条文なんです。これは不戦条約にもありましたとおりの国際的な平和希求の文言をそのまま踏襲しております。ただ、第二項の陸海空軍の戦力を持たない、保持しないということは、これは国家としての力を持たないという宣言なんですね。 私たち、主権と力という概念は全く別の言葉のように考えているんですけれども、今申し上げましたとおり主権というのは本来、力という言葉なんですね。
○参考人(長谷川三千子君) これは大変難しい問題で、国民主権という言葉を言った途端に、私がきょうここで申し上げたような歴史的性格というものがもういや応なしにつきまとってしまうわけです。 我々の、これから前向きに、では国民主権という言葉がそういう厄介な言葉だったらどういう言葉を用いたらいいんだろうと、それは別なところでも問いかけられたことがあって答えに窮したんですが、ちょうど先ほどの小澤先生のお話にも、公共の利益ということが究極の目標
○参考人(長谷川三千子君) 私は、今申し上げたような国民のための政治ということを第一に考えて、そして政府と国民は常に対立するものであるというイデオロギーを払拭することができれば、現在の日本国憲法というものは、先ほど申し上げました九条二項を除いてはおおむね正しく運用することができる条文ではないかというふうに考えております。 ただ、これ以外にも、ここでは話題に上りませんでしたが、基本的人権という言葉も、これも実は国民主権と同じように非常
○参考人(長谷川三千子君) 先ほどの私の話は大分レトリックがございまして、もし素朴に中学生がそのままこれを今の時点で読んだらばこんなふうに思うかもしれない、でもそうじゃないよと大学の先生は次の二の方でこんなふうに教えてくださるという、いわばまくらのような形で申し上げたわけなんです。 今御質問がありましたように、例えば大日本帝国憲法の場合に、この国民主権の原理というものはどういうふうに採用されていたのか、されていなかったのかという、そ
○参考人(長谷川三千子君) これは、大変実は大日本帝国憲法を起草する際に問題になった当の問題でございます。 実は、ごく素朴にリンカーンの言葉によって、国民の国民による国民のための政治という意味合いでしたらば、実は明治の人たちのいわばコンセンサスと言ってもいいものでありまして、以前ここで参考人として意見を申し上げたときに、五カ条の御誓文というのを参考文献に挙げましたらば、どなたかに大変しかられました。自分はこういうものは暗記したけれど
○参考人(長谷川三千子君) 少なくとも宮澤先生は今おっしゃったとおりの考え方でお考えになっていたと思います。 私は、そのとらえ方というのは多分その当時の主流の考え方だったと思うんですけれども、私個人としては、そういう考え方はむしろ余りにも西洋、近代の憲法学に引きずられているんではないかというふうに考えるわけです。ただし、恐らく私のような考え方を当時の法学会で発表いたしましたら、多分異端的な説であるというふうに言われただろうというふう
○参考人(長谷川三千子君) 私はそういうものではないだろうと思います。 普通、伝統というふうな言葉で呼ばれるときにイメージされるのが、今おっしゃったとおり何か得体が知れないけれども大昔から何かみんながやってきたことらしい、それをそのまま引き継いでいくことが伝統であるという、そういう理解が一般的なんですけれども、私は特にこういう憲法起草というようなときに当たっては、むしろ未来を見据えて、では自分たち日本人はこれからどういう政治のあり方
○参考人(長谷川三千子君) これは大変禅問答のような御質問でして、日本国憲法は国民主権であると言った途端に、では日本国憲法はだめじゃないかということになってしまうんですね。 先ほど申し上げましたように、日本国憲法の制定過程というものは近代成文憲法というものの原理に照らして非常に困った制定過程なんです。余り困った制定過程なものですから、結局みんな見ないことにしてやってきたという、それが私は現実ではないかと思いまして、では今それを直視し
○参考人(長谷川三千子君) 本当に限られた時間なものですから舌足らずの説明になってしまって、今大変いい御質問をいただいたと思います。 そもそも、どうして主権概念というものが我々に感覚的になじまないのか、今の話をずっとお聞きになって、多分皆さん感覚的になじまないという感じをお持ちだと思うんですけれども、これはもう単にフランス革命のことだけではなくて、先ほど十三世紀のフランスからずっと実は使われていた言葉なんだと申し上げたんですが、そも
○参考人(長谷川三千子君) ごめんなさい。これで終わりです。大変大きい御質問だったものですから。失礼いたしました。
○参考人(長谷川三千子君) 一言でお答えいたします。 私もそう考えられたらどんなにいいだろうと思っております。ところが、現在の国際社会というのはそういう考え方で動いていないというこれが現実で、そこが大変残念なところでございます。
○参考人(長谷川三千子君) これは、ただいまお話しいたしました君主主権の場合には非常にはっきりしておりまして、神から正しい統治をすべきであるという義務を主権者は負わされているという、そういう形でもう非常に厳しい義務規定がございます。 それから、国民主権の場合にも、私がちらっと申し上げましたルソーの場合には、主権者各人が自分の理性を最大限に使うことという、そういう非常にある意味で義務と言っていいものが思想それ自体の中に込められておりま
○参考人(長谷川三千子君) 首相公選制そのものについてですか。
○参考人(長谷川三千子君) これはもう少し広い問題として、先ほど小澤先生が非常に問題にしていらした全国民の主権というそういう立場から考えると、いつでも地方の政治の問題と中央の政治の問題というのは絶えず緊張と矛盾をはらんだものだと思うんですね。これは実はフランス革命のそのときにも非常に問題になっていた問題でして、これは私自身としては、これは勉強が足りないせいかもしれませんけれども、こうすれば全部解決できるんだというような、そういうオールマ
○参考人(長谷川三千子君) 私は、ただ反省しております。 つまり、若い人たちに、憲法の問題ってこんなにおもしろいんだよ、こんなに自分でどんどん考えていけるんだよということを魅力的な形でアピールできないでいる我々言論人、学者にその責任の一端があるというふうに私は考えて本当に自己反省しております。
○参考人(長谷川三千子君) 大変立派な演説をちょうだいいたしまして、私はささやかな形でしか御質問に対してお返しができませんが、簡単に私なりにまとめますと、このいわゆるグローバリゼーション化と言われるその世界の中で、日本国憲法というものに一体何ができるだろうかという問いかけをしてくだすったととらえてもよろしいかと存じます。 私は、一つここで我々が忘れてならないのは、今もう国家というものは時代おくれだというふうな風潮が出ておりますけれど