「高谷高一」の過去の国会発言

発言数 8件

初発言日: 1955-10-12  /  最新発言日: 1959-12-08  /  1 ページ目 / 全体 1ページ

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1959-12-08 衆議院

災害地対策特別委員会

○高谷参考人 知事が参りまして、皆様方にお願いやらお礼を申し上げるはずでありましたが、よんどころない用事がありまして、私かわりまして、参考人として陳述さしていただきたいと存じます。まず最初に、災害発生以来七十数日間にわたりまして、われわれといたしましても、この応急復旧につきましていろいろと配慮、努力を尽くして参ったのでございますが、その間国の補助なり、あるいは国の特別立法がどういうふうに措置されるかという点を、罹災民とともに非常に心配し

1956-04-12 参議院

建設委員会

○説明員(高谷高一君) 前回の昭和二十円年の大火のときに、一応全市にわたる都市計画の街路計画を決定いたしまして、そうして前回のときには二十一万坪の土地区画整理を実施いたしました。今度の大火の所はちょうど焼け残りの地区でございまして、前回の約半分の地区の十二万一千坪にわたって実施いたす予定にしております。それで前の計画にあわせまして、防火帯その他の幹線街路も前回の大火のときにきめましたその計画に基いて、今度実施いたす予定にしております。

1956-04-12 参議院

建設委員会

○説明員(高谷高一君) 区画整理の今度新法によりまして、綿密に権利者の調査を実施しておりますから、先生の今御心配のようなことがないようにやっていきたい、指導もそういうふうにしたいと思っております。

1956-04-12 参議院

建設委員会

○説明員(高谷高一君) 今度の焼失した区域が九万五千坪でありまして、区画整理を施行する予定の面積が十二万一千坪でございます。でありますから、約三万坪ばかりが焼け残りの地区を入れるわけでございます。その焼け残りの地区と申しますのは、この前の大火のときに防火帯といたしまして、能代橋の方から駅前に来る幹線街路を三十メーターにきめてありまして、今度の焼けた区域とこの前の火災復興の区域の間に、約百メーターばかりの区間焼け残りの民家が残っていますの

1956-04-03 衆議院

地方行政委員会

○高谷説明員 能代の大火につきまして、私大火の翌日参りまして、現地の復興計画を立ててきたのでありますが、能代市は、今御指摘のように水道施設がありません。前の大火のときもやはり水道施設がなくて、市は前の二十四年の大火の際に、至急水道施設を設備したいということで準備を進めておって、水道の設計認可は三年ほど前に、昭和二十八年か九年でございますか、認可をとって建設の準備をしておったのでございますが、何分にも市の財政もよくありませんし、それから新

1955-10-12 参議院

地方行政委員会

○説明員(高谷高一君) 私の方の計画局関係の所管といたしまして、新潟市の火災復興計画でありますが、焼けると同時に、私の方から係官が出張いたしまして復興計画の指導に当りました。焼失面積は約十一万坪でありまして、それは礎小学校の方の飛び火地を含めてでありますが、今度の復興計画にはその飛び火地の方は除外いたしまして、あすこの大通りのところの区域約一万八千坪にわたりまして土地区画整理を実施いたしまして、そうしてこの細い道路などがないように、大体

1955-10-12 参議院

地方行政委員会

○説明員(高谷高一君) お答えいたします。今一応現地へ行って指導してきた者が持って参った事業費が、まあ仰せのように、約一億二千万円ばかりになりますが、これを一応二カ年で完成したいというふうに考えております。ところが、昨日現地で実地測量の、大体の面積だとか、あるいは街路を新しく建設する図面がだいぶ完成して参ったので、正確なところによりますと、約一億一千万円程度の事業費になります。これで今大蔵省の査定を受けておりますが、多少それからまあ減額

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