永田清の発言 (予算委員会公聴会)
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○永田公述人 短時間でありますから、要點のみ申し上げます。今度の追加豫算をめぐつて、日本の財政がこの特殊事情の中で、いわばその豫定通りの進行を續けていくことがはなはだ明瞭だと思うのであります。初めに概括的なことを申し上げまして、個々の問題については、その必要度に應じて附け加え、なお御質問があれば所見を申述べたいと思います。
主論の趣旨が、まず國民全體から見て、またごく一般的に考えてみまして、現在の日本の財政が特殊の事情にあるということを了解しておく必要があると思います。そこでそういう特殊の事情の中で、さらに總括的に問題になりますことは、どこの國の財政も現在の段階においてそれぞれ重要な問題を含んでおると思いますが、そういう過程を通じて、財政問題の理解の仕方と申しますか、考え方にいろいろな展開が要求されておるように思われます。つまりいわば十九世紀の中葉以後に大體でき上りました財政に對する見方が、二十世紀にはいつてその後の經過を通じ、それぞれの國々の特殊の事情を通じて、いろいろな發展をみておるのでありますが、それも御承知のように、まだはつきり固まつた理論というのはでき上つていないと言つてよろしいのでありますが、さればと言つて從來のような考え方だけで、この二十世紀の難局が切り拔けられるというふうには考えられない。そういう意味でいろいろな新しい問題が課されておることを知るべきではなかろうか。そこでそういう問題の點は、どういうことかと申しますと、結局一國の財政は收支が均衝して、健全でなければならぬということは、これだけでも承知しておることで、それだけのことならば、何にも言わなかつたのと同じ結論になる。そこで實際にそういう健全財政という意味をどういうふうに解釋しなければならぬかということからが問題の出發點になるのであります。それでおよその結論は、こういうことであります。つまり今日の財政は國民經濟一般、國民生活、それとの連繋において考えられねばならない。つまりただ形式的に收支が均衝しておるという一種のカメラリズム的な、あるいはそれから發達した國庫收入式と言いますか、フイスカリズム的な見解からだけでは不十分である。つまり財政は廣く言えば資金循環でありますから、これが國民經濟總循環過程の中で、どんな影響をもち、またそこで現に生活しておる國民おのおのに、日々の生活の過程の中で、どういう作用を及ぼすか。こういつた結果を中心にして、もう一度問題を考え直してみる。こういうように進んでおるように考えられるのであります。そういう意味で、そうした總合的な前提がないと、ただ現在の健全財政は非常な欺瞞的なものであるとか、あるいはまた所詮これは正しい意味での健全財政は貫徹できないであろうといつたような觀點からだけでは、問題は一歩も前進しない。そこで私のむしろお聽きしたいことは、追加豫算を含めて、それがどういう影響を國民經濟的に、また國民の生活の中にもつか、こういう點の的確な判定を行つて、最も國民的なこういう豫算の事柄はそれだけの配慮をもつて遂行されねばならないだろうと思います。またかりに數字的に均衡のとれた豫算だと、こういう結果がありましても、それならばインフレーシヨンは進行しないのかと、從來の考え方からいけば、財政がアンバランスであるために、また現實日本でもそうでありますが、インフレーシヨンを進行させていく、こういう一點はむろん異論はありませんけれども、試みに收支がバランスしたらインフレーシヨンには影響がないのかというと、そうではない。かりに收支均衡があつても、その支出される經費の内容、つまり消費的な經費が多ければ、依然としてインフレーシヨンは進行するということになるのが、最近の新しい財政理論の一つの問題點であります。私も事實そう思います、ただ健全財政論だけで問題が同じところを旋囘しておるということではいけないので、試みに均衡がとれても、インフレーシヨンの問題は終らない。こういうふうに考えてくるときに、初めてこの豫算全體をめぐつて、いま一度もつと實證的にその影響を追究して、現在の事情のもとでどういう豫算が必要になるのかというふうな問題が檢討さるべきではなかろうか。
以上が大體の總括的な問題の提起であります。それで實際問題といたしまして、一番初めに述べましたように、こういう特殊な事情のもとで、普通の場合を想定したような財政論議が行われても、それは大して效果がないことだ。つまりなかなかむずかしい。この状態でどういうふうに問題を處理することが必要だろうか、こういうことになりますと、いわゆる健全財政論議に終始することが實は問題の出發以前であつて、むしろ目標としては、眞實な意味の――という事柄の意味は、先ほど述べましたように、國民の生活や經濟的の過程と關連せしめた意味の財政の維持を規定していく、そういう立場から實際財政が國の經濟を亂さぬように、國民の生活を困窮に陷れぬようにして處理されねばならぬわけでありますが、その場合にただ結果論だけが登場するということ、それから總括的な問題たけが論議されるということではなくて、その結果に至るプロセスがたいへん大事で、それが實際的な事柄ではなかろうか。つまり今の豫算の立て方、これが一體このままでよいのかということ、それから實際に現在の状態でアニユアルな財政收支ができないということが、考えてみて現實にはそうだということであるならば、そこで問題を空轉せしめても何にもならぬことでありますから、それならその再建の方向に一定のターンをおいて、たとえば四箇年なら四箇年、五箇年なら五箇年の計畫の中で、今の目標を達成するような具體的方法を年度的計畫の中に織りこんでいく、こういうふうな見透しがそのときの豫算と踵を接して登場すべきではなかろうか。これは御承知のように、普通の場合でも、從來十箇年なら十箇年間の財政豫想表をあげておつたのでありますが、こういう切實な過程の中でこそ、むしろ從來のあの方式がもつと具體的な資料を整えて登場すべきではなかろうか。そうして同じその考え方が、實際には今度は逆になりますけれども、同じ豫算の秩序、こういう考え方が、一方でそういう長期的計畫と同時に、またアニユアルな期間のうちに、これを盛りこむことは實情に合わない。だからむしろ年度的計畫をもう少し短縮して、ロング・ターンと同じ理論が、逆に現在の場合にはシヨート・ターンにおいて豫算理論として登場すべきではなかろうか。この問題は何も新しいことではなくして、あの恐慌の過程の中で、新しい豫算論として學界に登場し、また現に實踐に移した國もあります。もちろんこの場合には、經濟の波動を前提にいたしておりますから、從つて長期的な豫算編成論に終つておりますが、同じ理論が、日本の現状に即して言えば、むしろ短期的に、すなわちターンの一つの修正でありますから、短期的に問題にする。こういう立論が成立するし、それに應ずるいろいろな態勢が整えらるべきではなかろうか。
それから豫算項目の編成の仕方につきましても、最近なかなか議論が多くて、たとえばハーバート大學のプロフエツサー・ハンセンは、アメリカのようなああいう國でも、今や豫算制度についての根本的改革の機は熟している。こういうふうに、最近の書物に書き記しておりますが、日本の實情に即して申しますならば、私は從來の行政機構的な行き方と併行して、豫算を資本豫算的なものと、行政經費的な豫算と、さらに臨時的なもの、こういうふうに分けることが必要ではなかろうか、そういうわけ方の中に、おのずから今度は財政の新しい意味での計畫性が實は生れてくる、こういうふうに考えるのであります。
大體中心的なことはそういつた問題でありますが、これを實際問題にどういうふうに織りこんでいくのか。それはいろいろな附屬した議論を伴なつてできないとむずかしいかと思いますが、大體の問題の方向を、そういうふうに規定しておいて、そこから財政一般についてのいろいろな問題が處理される必要はなかろうかと、かように考えるのであります。
そこで各論的な問題にはいりますが、これはプリントにされて、私には試驗問題のように提出されておりますが、その全部についてお答えする時間もありませんので、二、三を拾い、結論だけ申し述べますと、たとえば經濟再建は財政支出によるか、金融上の措置によるかという問題でありますが、これは初め申しましたように、財政支出とか金融措置とかいう分け方が問題なのであつて、實は財政といつても、それは資金循環の過程の一環でありますから、こういう問題が、いずれかというふうに、つまりどちらかというふうに、二者選擇的な形で出るならば、それは財政支出的なものでやつた方が計畫性に合いやすいと、こう答える以外にないし、また問題の提出それ自體について、財政支出とか、金融上の措置というふうに言わずに、資金の全體の計畫、資金の總合的な一つの計畫性の中で、この問題にはいらねばならぬだろう。つまり財政問題は總合的な資金をどうするか、こういう政策と相まつて、その一つの位置を占めるというふうに考えられるであろう。
それから追加豫算は健全財政を維持し得るか、こういう問題。これは先ほども述べましたように、實は普通に言われておる健全財政そのものに私は一つの解釋をもつておりますから、この健全財政というのがどういう意味なのか、その檢討を要するわけでありますが、要するに收支均衡ということであり、形式上のそういう問題にすぎないということであるとすると、これは一應健全財政の形をとつておりますが、今後についても、この豫算の實行その他というところから新らしい問題が附加されることを豫期しなければならない。そういう問題を根本的に處理するためには、實は貨幣價値の激しい變動そのものが、こういう結果を生むのでありますから、結果だけを縛ろうとしても、それはできないので、結局その基礎に對して檢討を加えることが必要ではなかろうか。これもいろいろな事情と合わせて、最後の結論を下すべきでありましようが、實際は私は日本の現在の段階では、安定通貨と申しますか、安定貨幣の問題が根本的に討議されてくるようにならないと、いつまでもおつかけつこになるという實情だという判斷に止めたいと思います。
それから歳入面の問題であります。たとえば大衆課税の可否というふうな問題がありますが、これもただその言葉通りに大衆課税と言つただけでは、實は抽象的論義に終つて、實際今のように所得階層が激しい變動をしておりますときには、何が大衆課税になるかということは、十分の檢討を要する。ただ一概に一段論法で大衆課税、こういう論議を公式論的に繰返しても、大した效果はないので、所得階層の變動の多いときには、その變動と竝行して、こういう問題も新しい討議が必要ではなかろうかと思います。
それから收入面で、租税は御承知のように生産の過程、所得の形成される過税、消費過程、こういういくつかの關門を通じて徴收されていくのであります。そういう關門を通り拔けてしまつた租税というものは、これはもう理窟はどうあろうと、實際には捕捉はできなくなつてしまいます。そこでできるだけこういうインフレーシヨンの進行過程では、タイム・エレメントが大事でありますから、早く購賣力になるようなものを課税として捕捉することが大切であることは、論議の餘地はありません。そこでできるだけ所得課税の形でこれを捕捉する。こういうことになりますと、その所得の課税が、また現在複雜な事情にありまして、所得があつても俗に言う新圓所得階級というのは、所得の捕捉が非常に困難だむしろ逆に申しますと、現在の税率をもつてしますならば、その現在の税率で課税されるものは、新圓所得ができるはずがないというほど高率になつておりますから、逆に課税を逃れる者が新圓所得階級だ。こういうことになつてしまつておると思います。そこで普通の解釋とは逆だと思います。そこでもう一度そういうものを捕捉しようという場合には、普通の方法ではむずかしいので、結局賦課課税的な方法で、推算によつて相當大膽に課税してかかる。そういう方法をとることが、今度は非常に大切なことであります。また政策としては非常に弱いのでありますが、結局納税思想の普及といつたようなことから、國民をあげてこの財政危機を切り拔けるという運動の過程の中で捕捉するか。その二つしか途はない。ですから、實際の政策としては、この過程に一番大切な納税思想の普及や、あるいは税務官吏の養成といつたような、いくつもあげられる普通の項目と同時に、現在では相當附加課税的な方法をとらざるを得ないだろう。こういう結果になると思います。ただこの問題の最も中心的な事柄は、今の方法の課税の關門から脱落したものが、新圓所得階級という形になつておりますから、實際にこれを普通の形で捕捉しようとしてもむづかしい。こういうことがまず原則的な結論なのであります。
まだいくつか項目が竝べられておりますが、專門家の方がまた御討議のことでありましようから、私はいろいろ具體的政策について申し述べる必要もなかろうかと思いますし、時間もまいりましたから、大體以上で責任を果したいと思います。