大井篤の発言 (内閣委員会公聴会)

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○大井参考人 これは私の印象なのでありますが、昨年以来、国会や言論界で問題になっているところを見ますと、何かしら、国防会議の使命、性格といった根本的なことについて、人によって考えが違っているのではないかと感ぜられるのであります。そしてそれは、さらに世界情勢、現代における国防のあり方とかに関する考え方の相違によるもののように察せられるのであります。私の見解を述べる前に、私はアメリカの国家安全保障会議について、一つの例を述べてみたいと存じます。
 アメリカの国家安全保障会議が第一回の会合を開きましたのは、一九四七年九月二十六日のことでありますが、そのときの議事が、アメリカでは国家安全保障会議の議事の標本的なものであり、国家安全保障会議の使命とか性格とかを、ほとんど基礎づけてしまったものとして、識者の間に、今日いわれているのであります。
 では、この第一回の会合では何が議題になったかと申しますと、最初の会合のことでありますから、本議題に入る前に事務局長スーア海軍少将から会議の構成一般についての説明があり、次にトルーマン大統領から、ディス・イズ・マイ・カウンシル、この国家安全保障会議は、私の、つまり大統領のための会議なんだという念を押す意味の発言があり、それから、中央情報局長ヒレンケター海軍少将の世界情勢の説明があって、本議題に入ったのであります。
 その本議題は何であったかと申しますと、イタリアの共産党情勢に対するアメリカの対策の論議なのであります。当時イタリアの政府はデ・ガスペリを首班とする中道内閣でしたが、共産党勢力がずいぶん伸びてきていました。それを社会党首のネンニが利用しようとしてかかっている。ところが、逆に共産党に利用されるかもしれないというのがアメリカの心配であります。それにチトーは、当時はまだソ連側についていたのですが、このチトーが共産党を支援するおそれがあり、イタリアが赤化する危険が非常に強かったのであります。西欧にとって、イタリアの赤化は、地中海の海上交通線があそこで断たれることを意味し、トルコ、ギリシャ、エジプトなどという戦略要域がソ連の手に帰し、それからイラン、イラク、サウジアラビアの油田地帯もソ連にとられる、とにかくこれは西欧にとって一大事だったのであります。そういうことが第一回会合の本議題だったのであります。そこでわれわれは、現代における国防とは何を意味するのかということを考えさせられるのであります。申すまでもなく、国防とは国家の安全と存続を保持することであります。国家を作り、それによって国民の生活を維持するという制度が世界の現段階で採用されているからには、国家の安全と存続を保持すること、つまり国防ということは、国民によって期待されている国家至上の使命なのであります。ところがわれわれは、昔はそれでよかった国防形態をそのまま頭に持っていて、国防というものを武力とか戦争とかに百パーセント結びつけて考える傾向が残っております。むろん密接不可分な関係はありますが、元来、国防というものは、武力行使や戦争などよりはずっとずっと広いものでありまして、いわゆる冷戦も国防の重要問題なのであります。今日のような原水爆時代におきましては、どこの国だって、戦争をせずに、国家の安全と存続の保持、つまり国防を達成せねばならなくなったことは申すまでもありません。こういう世界情勢というか、人類史の段階というかにおきましては、冷戦状態を大きく頭に浮べて国防問題と取り組まねばなりません。国防は非常に複雑になっております。ことに日本は資源の少いところに非常な過剰人口を養わねばならず、反面、東洋における唯一の工業国として、世界戦略上の一つの天目山的地歩を占めているために、国防問題は一そう困難であることは申すまでもありません。それだけに、国防のためには絶え間なく、ずっと先を見通して、りっぱな手を順序よく打っていく努力と英知を必要とします。昨年以来、国防会議問題にからんで、防衛出動の可否を審議することがこの会議の最大使命であるかのような議論をされる方がありましたが、私は、それでは焦点がはずれていると思います。事態を防衛出動まで持っていかないように、いわゆる戦わずして勝つというようにせねばならぬのでありまして、防衛出動の可否を論ずるような事態にしては、国防の施策としては下の下策になります。やはり防衛庁設置法第四十二条にも第一に書いてありますように、国防の基本方針を議することが、何といっても国防会議の最も重要で、最も基本的な使命と存じます。その他の任務はむしろ次等的なものであって、従って民間人を入れる入れないを考えるにしましても、事務局をどうするかという問題にしましても、すべてこうした考え方を中心とすべきだと存じます。いわんや防衛出動などの必要が起りそうもないから国防会議の発足は急がないなどいう頭では、現代国防のほんとうの姿を忘れていると申したいくらいであります。
 ところが、戦争せずに国防を全うするための重要方策が問題になるのでありますが、現代の国防は、実際問題として一国単位では考えられなくなってきたという事実、つまり集団安全保障体制ということが国防を考える上に常に忘れてならないことであります。たとえば現にとられている日米安全保障体制の問題は、わが国だけの防衛計画とか、自衛力とかの問題よりも、実際的にはもっともっと国防会議の議題としてふさわしい問題と思うのであります。日米安保条約締結当時は、国防会議はありませんのでいたし方はなかったのでありますが、今度国防会議が発足したら、その改訂問題などがここで真剣に取り上げられるに違いないと存ずるのであります。こう申しますと、こんな問題は閣議で取り上げてもいいじゃないかという議論が出てくるかもしれません。しかし、こうした集団安全保障の問題は、普通の条約と違って、関係国全部の国防計画、防衛計画に関連する問題でありますから、国防の要請に応ずる程度に突っ込んだ話し合いをするためには、機密保持も大いに必要でありますし、事務の取扱いも相手国に負けないように能率的に運ばねばなりません。それは初めから閣議などというところでじゃらじゃらもんで処理するには不適当なものであることは、説明を要しないところだと私は存ずるのであります。国防会議というものは内閣の一員たる総理大臣の諮問機関であります。イギリス内閣の国防会議発達の歴史を見ましても私は感ずるのでありますが、国防ということの重要性にかんがみて、その担当を総理大臣みずからやっている。これが一つ。ところが総理大臣は大へん忙しい、しかも国防のことは大へん重要でもあり、また幾多の分野の国務の総合でもあるというので、関係大臣に補体をさせて、そこで総合して慎重審議するという構想で発達したもののように思われるのであります。この構想は英連邦諸国やアメリカ等、民主主義を大切にしている国々で採用せられております。また日本の国防会議もこの構想からなっているように思われ、民主主義体制の育成のためにまことにけっこうなことだと存ずるのであります。従ってこれはインナー・キャビネットとも違うし、経済閣僚懇談会というふうなものとも違う。ましてや昔の枢密院とか元老会議、重臣会議というようなものともまるで違った性格のものでなければならないのであります。国防会議は総理みずからのための会議であり、
    〔委員長退席、床次委員長代理着席〕
理が全責任を持って自分の腹をきめて、それから閣議に臨んで、閣議の一員として閣議にかけて、連帯の決議に持っていく。こういう順序になるわけであることは申すまでもありません。それでありますから、責任はきわめてはっきりして参ります。国防の重要性にかんがみ、国防会議の困難性にかんがみて特にこういう制度をとったんだ、私はそういうふうに考えておるのであります。こういうようなイギリスの構想を見ますと、責任はきわめてはっきりしている。閣議が国会と国民とに対して責任をはっきりさせている。閣議の中での責任者はだれかというと、おれだと総理が明々白々、隠れのないことにしております。太平洋戦争の開戦や終戦に関する外国人の批評などを見ますと、痛烈なことを言っている。日本という国の政治はへんてこにできている。だれがほんとうの責任者かわからない。宮中、内閣、軍部、重臣、枢密院、青年将校、それらがおのおの実権を持っていて、牽制し合ったり、責任をなすりつけ合ったりしている。それだからずるりずるりと開戦に引きずり込まれたし、終戦もなかなかできなかったという批評なのであります。当らずといえども遠からず、痛い感じがいたすのであります。このことから考えましても、民間人を入れて政府の権限をチェックしようなどということは、再びこの過失を侵すことになりかねないように私は考えるのであります。総理の専制横暴を抑制しようという役目を国防会議にやらせるというのは、百害あって一利なしと私は思うのであります。だから専制的な総理を選んでおいても国防会議で抑制してくれるから安心だなどという油断心を、だれかが起したならば、この方の心配がかえって大きいのじゃないか。そんな専制的な総理を選んだときはもうおそいと思うのです。ヒットラーが出たからナチができたのでなくて、ナチの勢いが大きくなったからヒットラーが出たんだ。そういうときには、総理は国防会議など敬遠して、勝手な抜け道を作ることなど簡単にできることなんです。演習の名のもとに防衛出動をやらかすことがないとだれが保証できますか。専制横暴を防ぐのは、そんなむりにとってつけたような制度を作り上げるよりは、国会従って国民に対する任責が明らかになるようにしておく方が、幾らいいかわからぬと思うのであります。実際問題としても、友邦と手を組む集団安全保障でなければ国家の安全を守れなくなったこの世の中に、日本の総理が勝手に防衛出動などできるものではないと思うのであります。集団安全保障を結んでいる諸国政府と了解をつけた上でなければ、幾ら独裁者でもできない相談であることは、名前ははばかりますけれども、現にこの極東地域においていい例があるということは、皆さん御承知の通りでございます。ある一部には日本は民主主義が未熟だからとかいう理由で、総理のチェックを考える向きもあるのでありますが、これも私は正反対に考えております。イギリスのような国でさえ、その国防会議を作るときには、内閣や大臣の責任をあいまいにさせないように特に注意したということを白書に強調しております。それでこそ民主主義が守られていくのであると思うのであります。民主主義制度を維持し育成するということは、なまやさしいことではありません。生命をかけて守る積極的な努力と勇気が必要なのであります。初めから日本は民主主義が未熟だからとあきらめて、民主主義に反するような制度を作るという考えでは、何を守らんがために国防をするのかという意見が、一方から出てくるのもいたし方ないと思うのであります。ほんとうに総理を助けるために民間人を入れるという考えもあるようでありますが、これは一つの理屈はあると思う。しかしながら、それならば民間人としてでなくして、国務大臣として内閣と一蓮托生の気持で入れるべきであると思うのであります。これは責任内閣堅持の必要からであります。現在の法律案のように、内閣の運命と関係のない、しかも国会閉会中でも事後承認を当て込んで任命できるような定め方は、賛成しかねるのであります。意地悪く考えますと、内閣の引け際に何か有力団体の代表者を送り込むという心配もないではないと思います。そういうことになってから、次の国会で取り消させることは、そう簡単にできるものはないと私は思うのであります。そしてその次の内閣の国防会議は、こういうような水の中の油のような人が出たら——見方によってはいいかもしれませんが、先ほど私が申し上げましたチェックという問題が出て参りまして、もてあますようなものになりはしないかという考えを持っております。そんなことをするよりも、事務局とか下部機構とかいうものを、現代国防の要請に応ずるようにちゃんとしたものにすることが必要であり、賢明な方法であると思うのであります。特にここにりっぱな諜報機関を設けて、国防上の観点から情報を収集、整理、分析、評価する。これは防衛庁とか外務省だけにたよらないで、ちゃんと別にここに設けて、国防会議を有名無実ならしめないようにすることが要点だと思うのであります。それから事務局も、少数でもいいかもしれませんが、精鋭有能の士を集めてやるということが必要であると思います。もちろんいわゆるワーキング・グループと外国でいっている各省からの派遣員がこれに加わるべきだと思います。世間には国防会議は軍事に対する政治の優越を確保するために必要だ、この面を特に強調される向きもあるようでありますが、それはもっともなことであります。しかしそれはもともと軍事は政治の一部にすぎないものでありますから、当然のことであります。またそこに大いに期待をかけるということも当然なことであります。しかし実質的にどうして優越させるかということが問題になるのであります。結局防衛庁や統合幕僚会議などに負けない有力な諜報組織を国防会議みずから持つということが一つの点。それから先ほどのように、有能の士を入れるということが一つの点。上の大臣級は忙しいのでありますから、大臣の単なる会議のほかに、こういう下部機構にちゃんと筋金の通った者を入れておくということが必要だと思うのであります。しかし根本問題からいえば、政治の軍事に対する優越を保つには、それよりも政治家とか言論人などというものが、もっともっと国防とか軍事とかに同情、理解、判断力を持つことが必要だということは申すまでもないことであります。
 これで私の陳述を終ります。(拍手)

発言情報

speech_id: 102204914X00119550725_004

発言者: 大井篤

speaker_id: 47

日付: 1955-07-25

院: 衆議院

会議名: 内閣委員会公聴会