小川文良の発言 (決算委員会)
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○参考人(小川文良君) 去る二十八年の七月十八日突如和歌山県に襲来いたしましたあの未曽有の大災害につきましては、その直後全国の皆様方、なお、海外の多数の方々から手厚い救助の手を差し伸べていただきました。ただいま御坊市長からお話のありましたように、あの混乱状態をよく切り抜けまして、人心の安定をはかることができましたことを厚くお礼を申し上げる次第でございます。
その後御坊町の農地復旧につきましての当面の責任者でございます不肖私がその指導監督が不十分なために、国事に非常にお忙しい皆様方のお手をわずらわしましたことを、私心からお詫びを申し上げる次第でございます。
なお、本日は国会議事堂におきまして、九千万国民の名におきまして、皆様方から和歌山県の将来の災害復旧につきましていろいろ御指導をいただき、今日これから皆様方から数々の災害についての将来のあり方についてお教えいただきます事柄は私の肝に深く銘じまして、これから県庁の関係職員はもちろんのこと、直接の災害復旧の責任者でございますところの市町村長の頭に徹底的にこれをたたき込みまして、将来立派な農地の復旧をいたしまして、私どもの技術的な良心に訴えまして、将来立派な災害復旧をいたすことによりまして、国民に対する無言の言葉といたしたい所存でございますので、その点何とぞよろしく御了承をお願いいたしたいと思います。
災害の状況につきましては、ただいま市長からこまごまと御説明があったのでありますが、私も県の立場におきまして補足的に一言申し述べさしていただきたいと思います。
当時の災害は、和歌山県でも体験したことのない未曽有の大災害でございまして、御坊町といたしましては、死者、行方不明合計いたしまして二十六名でございます。負傷者が九百九十一名、なお、日高川筋におきましては死者、行方不明合計二百三十三名、負傷者が一千八百七十五名と相なっております。罹災戸数はただいまのお話しの約四千戸でございまして、これは御坊町のほとんど全戸数でございます。罹災者が一万六千四百二十四名という県の調べに相なっております。こういう大災害でございましたので、もちろん交通は杜絶いたしますし、通信は杜絶いたしまして、県との連絡もほとんどつかなかったというほどでございまして、辛うじて海に面しておる和歌山県といたしましては、機帆船によりまして県との連絡を辛うじて保ったという状況であったわけでございます。このように多数の死亡者を出し、また罹災者を出しました関係で、衣類と食糧は不足を来たし、また悪疫が流行いたしまして、薬品も欠乏いたしたのでございまして、その間町の中全部に土砂が流入いたしまして、民心の安定ということにつきましては、町はもちろんのこと、県といたしましても非常にこの問題について腐心をいたしたわけでございます。そこで県の職員は、まず地方事務所の職員が、技術者も事務員も全員をあげて、御坊町のこの食糧とか衣類の配給、並びに薬品の配給、町の方々の面倒をみてあげました関係上、この復旧工事にはほとんど手が伸びなかったという状況でございまして、私も災害直後現地に参ったのでありますが、県の出先きの職員もほとんど災害を受けて、住むに家もないという状態であったのでございますが、私は当時職員を叱咤激励いたしまして、県の公僕として県民に尽すのはこの際であるということで、自分の家は犠牲にして、ほとんど全部地方事務所に立てこもって救済事業に当るということで、その方面の救済事業、被害の調査に当ったわけでございます。
その後、県の技術者だけはすぐこれが復旧計画を立てなければなりませんので、やっと一週間後の七月二十三日から災害の調査にかかったのでございます。国に対しましては八月の十日に県下の復旧計画書をまとめまして提出いたしました。農林省と大蔵省から係官が八月十一日、約一カ月目に査定に参りまして、県下の査定に着手したわけでございます。こういった状況で、異状な災害でございましたので、災害直後この復旧の計画に携わることができなかったという関係で、国に災害復旧の計画書を提出するまでには約十八日間しかなかった。その間にこの膨大な調査をし設計をしてまとめました関係もございまして、十分にこれの設計ができなかったということはまことに遺憾に存じておる次第でございます。御坊市の災害の復旧につきましては、県といたしましては、そういった状況で手が足りませんでしたので、農林省のごあっせんによりまして、七月二十六日から八月十五日まで近畿各府県から技術者の応援を求めまして、三十四名きていただきまして、その技術者の応援を得まして、さしあたりの災害復旧の計画をとりまとめたのでございます。農地の復旧につきましては、県から被害の状況を視察いたしまして、市の、当時の町に復旧の計画をしていただいた。それを県においてとりまとめて、国に提出したということに相なっておるわけでございます。
簡単に補足的に一応御説明を終らしていただきます。