小川文良の発言 (決算委員会)

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○参考人(小川文良君) ちょっと図面が小さいのですが、図面によって。この色を塗ってありますところが御坊市付近の農地の災害地であります。これが日高川、これが西川。日高川と西川との間に大体御坊市が囲まれております。これは海になっております。日高川の川口の右岸が当時の御坊町です。この色を塗ってありますのは、地区を七地区に分けまして、色によって分けてございます。当初二十五万八千立米の土を排土して、事業費一億五千八百万円でございます。この排土の計画は、これは先ほど御説明申し上げましたように、農地の復旧につきましては、各市町村においてやっていただく、そこでこの復旧の当初の計画は御坊町でやっていただいたのであります。当時この地区に、査定の結果、二十五万八千立米ですが、この土砂を排土する計画といたしまして、排土量を研究いたしたわけでございますが、農地復旧は、普通は原則といたしまして原形復旧、これが農地災害復旧の原則に相なっておるのであります。しかしこれは原則でございまして、その特別な地区の事情によって、これが変ってくるわけでございますが、そういうことで当時は先ほど御説明申し上げましたように、非常に日数がないのと手が不足で十分は検討はできなかったということと、いろいろな計画が、この復旧に関連した計画も何も手につかなかったという実情でございまして、町といたしましては、この町内に入りました膨大な土量でございますが、これを復旧する計画でさえも立てずに、当時は山積みしてあった、いつまでも山積みしてあったという状況で、農地の復旧の、土量をどう排除するかということは、もちろん計画が立たなかったわけでございます。そこで原形復旧でもありますし、相当の土が入りましたのでこれをまず排除するという計画を町じゃ立てまして、これから大体距離が千七百メーターでございますが、この地区から九万五千九十七立米の土は、この川岸に排土した。それからこの災害の、こっちが上流でございますが、この上流の災害のひどかったところから、御坊からここに集めまして一万六千二百二十五立米の土を排除する、この二カ所が排土の地点であったわけであります。これは合計いたしまして、約二十五万八千立米の排土計画に相なっております。以上であります。

発言情報

speech_id: 102214103X02319550630_014

発言者: 小川文良

speaker_id: 4304

日付: 1955-06-30

院: 参議院

会議名: 決算委員会