阿左美廣治の発言 (本会議)
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○阿左美廣治君 ただいま議長より御報告のありました通り、衆議院議員杉村沖治郎君は、去る十月十七日病のため逝去いたされました。まことに哀悼の情にたえません。私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の辞を述べたいと存じます。(拍手)
杉村君は、明治二十三年埼玉県児玉郡神川村に生まれ、現役に徴集されてより引き続き久しく軍務に服しておられたのでありますが、晩学をもって法律を学び、大正十一年日本大学校科を卒業、同十五年に弁護士試験に合格され、直ちに東京において弁護士を開業いたされました。
自来在野法曹界に御活躍になり、昭和二年に日本農民組合が結成されるやその中央委員に選ばれ、多年にわたり農民運動に偉大なる足跡を残されたのであります。君は、また、労働問題、借地借家問題等に精通し、幾多の事件の解決に当られましたが、常に無産階級の側に立ってその利益を擁護することに尽力いたされました。
この間、四谷区会議員に選ばれ、また裁判所法施行準備委員会委員、司法行政中央監察委員会委員、労働者災害補償審査委員会委員、労働者災害保険審査委員会委員、東京地方裁判所調停委員等の要職につかれるなど、大いに人権の擁護と社会福祉の増進とに尽されたのであります。
昭和二十八年の第二十六回総選挙には、御郷里の埼玉県第三区より御出馬になり、みごと当選の栄を得られました。本院議員となられまするや、たちまちその頭角を現わし、多年の経験に基く豊富なる知識を駆使し、決算委員として目ざましい御活躍を示され、よく国政審議の重責を果されたのであります。本年二月の総選挙にも引き続き御当選になり、特別国会においては予算委員として御奮闘になっておられました。
しかるに、不幸病に犯され、ついに御本復を見るに至らなかったことは、まことに痛恨の至りであります。
君は、資性豪放らいらく、熱情家であり、努力家でありました。名利を求めず、清貧に甘んじ、しかも、事に臨むや粉骨砕身、社会大衆のためにはいかなる労苦をもいとわなかったのであります。君のはえある本院議員御当選も、長年にわたる血のにじむような苦心の末獲得せられたものでありましたが、その長い精進努力は議政壇上に常に特異な光彩を放ったのであります。君がその才幹を縦横に発揮し、政治家として大成される日を期待されたのでありますが、道半ばにして病魔に倒れられましたことは、まことに哀惜の至りにたえないところであります。
ここに、杉村君の長逝に対し、つつしんで敬弔の誠をいたし、君の御冥福を心からお祈りして、もって追悼の言葉とする次第であります。(拍手)