葛西嘉資の発言 (社会労働委員会)

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○参考人(葛西嘉資君) 過日書面をもっていただきました意見の聴取事項についてでございますが、実はあの未帰還者の実際の実情等につきましては、その数等については政府において詳しい資料がありまして、私どもも大体のところはそのことを基礎にいたしましてやっておりまするので、私からここで重ねて申し上げる必要はないかと思うのであります。ただ、私ども最近北鮮に行って参りましたので、北鮮におりまする未帰還者のことについてだけちょっと御参考に申し上げたいと思います。
 北鮮におる未帰還者の数はざっと大体二千くらいということになっているように承知いたしておるのでありますが、その中で特に六十八名ばかりのごく具体的な者につきまして、私ども日本赤十字社におきまして北鮮におると思われる日本人の名簿というものを作りまして、個人別にそれを書いて書面にいたしましたものがございます。この中には北鮮の官憲によって抑留されたというような技術者、それから当時受刑をしておった受刑者、それからそのほか先般の戦争のときに抑留された者というようなもの、それからそのほか終戦前からおった人で帰らない人という、はっきりわかっておる者六十八名についてちょっとこんなものを作りまして、これを二部ばかり私ども参りましてすぐ朝鮮赤十字の当局の方へ提出をいたしました。これは承知いたしましたというわけで、向うで調査を約束しまして受理いたしました。私どもが帰るまでの間に、全部はとてもわからぬが、若干の者については討議する用意がある。しかもある程度の者は書面にして渡せるだろうということを向うの責任者から聞いておったのでありますが、出発までの間もう十数回にわたって督促をしたのでありますが、結局はいただけませんでした。しかし今後書面によって通知をするということを聞いて参りました。
 そのほか私どもが特に御参考に申し上げておいたらと思いますことは、政府の委託によりまして、この未帰還者の中の特にとりわけ顕著な者だけを赤十字の関係でありますが、安否調査ということをやっておるのであります。これはソ連地区におる安否調査は詳しい者を入れると相当の数になるのでありますが、最近やりましたものは四百名ばかりの者について、個人別に名前を書いてソ連赤十字に出しておるのであります。この点はまだソ連の方から何らの返答を得ておりません。しかしながらそのほかに個々にやったものについては、ソ連赤十字の方から四十九名について安否の調査の返事が参っております。今後これは政府の方の資料をいただきまして、そうしてわれわれの方からまた安否調査の形式でやることにしております。先般日ソ交渉がありましたものですから、あの期間中は臨時にやめておったのでありますが、必要であるということでありますれば、さらに継続をしてやるつもりでおります。中共の地区につきましても、未帰還者中の特に顕著なものの安否がはっきりしないものについては、やはり安否調査ということをやるつもりで準備をいたしておりますが、現在まで中共の方に出しましたのはわずかに六十八通ばかりのものであります。中国紅十字会に出しましたものが六十八件でございます。回答はしかしなかなかはっきりいたしませんのでありますが、そのうち安否調査をやって帰国したものが六十八のうち約八件というようなことに相なっております。
 それから次にお尋ねがありました引き揚げ促進の交渉の経過及びその問題点という点でありますが、私ども今度参りましたのは、本年の一月に立ちまして北鮮に参りましたのは、北鮮におります日本人の帰国に関する打ち合せのために行ったのでありますが、このいきさつを申し上げますと、御承知のように、一昨年の一月から日本赤十字の方から北鮮の赤十字に対しまして、北鮮におる日本人で帰国を希望しておる者を返してもらいたいということを依頼しておったのでありますが、ちょうど昨年の五月ごろからそれが具体化して参りまして、昨年の八月ごろから平壌に希望者を集結させておったのであります。ちょうど私ども参りましたときには四十八名の人を平壌に集結しておりまして、この人の帰国の問題の打ち合せということが私どもの主たる目的であったのであります。そうしてことしの一月実は参ったのでありますが、行きましたところが、いろいろと日本の方から北鮮の方に呼びかけがあったり、あるいは北鮮の内部におけるいろいろな動きがあったりいたしまして、日本人だけの希望でありませんで、日本におる朝鮮人の北鮮への帰国、在日朝鮮人の帰国問題というものがちょうど出て参りまして、いわば先方はこれを交換条件ではないと申しておりましたのですが、事実上その問題からとまりまして交渉が実は長引いたわけでございます。詳しく申し上げますと、実は昨年の十二月三十一日に北鮮の赤十字の方から日本の方に、日本におる朝鮮人の生活の問題、あるいは教育の問題、あるいは帰国希望者の帰国の問題という非常に広範な問題について討議をしたいから、北鮮の赤十字の代表を日本によこしたいという電報が参りました。受けたのは本年の一月元日であります。そういうものが来ておったのでありますけれども、これらの問題は御承知のように、非常に複雑なむずかしい問題でありまするし、かりに帰国問題だけを取り上げてみたにいたしましても、御承知のように、現在南北両朝鮮に分れておる実情等から、簡単に解決ができません。私ども出発までにこれらの具体的な国の方針というものがまだ確定する段階に至らなかったのであります。従って私ども行きましたときには、その問題はまだ結論に到達しておらないから、今度行く赤十字の代表団は、これらの問題を討議する権限がないのだということを北鮮の赤十字の方へ明瞭に意思表示をしておいたのであります。ところがその意思表示にかかわらず、実際問題になりますると、大村収容所の問題、大村収容所において、向うの言うところによりますると、何とかいう一名の人が李承晩のテロによって殺された、他の北鮮系のこれらの人々はまた自分の生命の危険すらも感じて非常に明日の命もわからないというようなことで非常に心配をしておる、緊急なこれらの問題をぜひ一つ公式に討議をしてもらいたいというようなことでありました。具体的にはどういうことで手間取ったかと申しますと、今度の日本赤十字と北鮮赤十字との間でいかなることを議するかという議題の問題で問題になっておったのであります。北鮮赤十字が提案いたしました議題というものは実は三つの問題があります。一つは今の平壌に集結している日本人の帰国の問題、これは日本赤十字としても異議はないのであります。それをやる。それから第二は、両国居留民の問題というわけで、北鮮におる日本人の安否調査の問題もそれに含めまして、日本におる朝鮮人の問題、非常に大きな問題をひっからめて第二の公式の議題にしたい。それから第三は、両赤十字間の提携を緊密化する問題ということであります。この問題もまた非常にちょっと聞くといいんでありますけれども、実際問題になりますると、北鮮の赤十字の代表を日本によこして、そうして日本におる朝鮮人の実際の実情を見たり、あるいは大村収容所等の視察もしたいというようなことがその内容になっておったのであります。私どもはこれらのことを討議する権限もありませんし、それから今私どもが用意なくして北鮮に行っておって、北鮮と日本赤十字の間だけでこれらの問題を議するということになりまするというと、これは大事な在日朝鮮人の問題というものがほとんど解決ができなくなる、非常にむずかしくなる、あるいはまたできなくなるおそれもある、こういうふうに考えられたのでございます。と申しますのは、御承知のように、南北両朝鮮というような非常にデリケートな関係にもありまするし、また、日韓の非常なむずかしい関係もありまして、どうしてもこのわれわれが北鮮でこれらの問題を公けに議するというわけにはいかないというふうに考えたのであります。従って、形式的にはこれらの三つの議題の問題の中に、われわれは第一の問題だけはこれは即座に賛成をしたのでありますが、二、三の問題については討議をする権限もないし、用意もないし、また両赤十字の間のこの会議に対する約束が違うではないかというようなことを一カ月間毎日毎日やり合っておったのであります。先方はそういうことは言ったにしたところで、非常に緊急な問題なんだから、日本人のことを日本人が心配しておるのと同様に、われわれは日本におる朝鮮人のことを心配しておるのだというような人情論と申しますか、人道上の問題と申しましょうか、そういうことでぜひ議題で討議をしたいということを申したのでございます。日本の方からもいろいろな団体、あるいは在日朝鮮人から北鮮の赤十字、あるいはわれわれ代表団に電報をよこしたりなどいたしまするし、また北鮮なんかにおっては、そういうふうないろいろの動きがあって、毎日新聞にそれらのことが載る。あるいはまた、平壌に滞在しているわれわれ代表団にも、向うにいる朝鮮人から、日本赤十字は何たる涙のないようなことを言っているではないかというような手紙が舞い込んできたりなどいたしまして、一カ月間ずいぶん苦心というか、いやな思いをさせられたようなわけであります。しかしながらこれはどうしてもわれわれがもし北鮮でそういうふうなことを述べたり、議論をしたりすることになりますれば、結局問題はぶちこわしになるということを心配して、最後までこの問題は拒否し続けてきたのであります。と申しますのは、さっき申し上げましたこの在日朝鮮人の問題、教育の問題でありますとか、あるいは生活の問題でありますとかいうようなことになりますと、これは赤十字として関係するということもどうかと思う。多分に政治上の問題であり、国と国との問題であるように私どもには思えるのでありますけれども、かりに引き揚げの問題にいたしましてもそう簡単にはいかないわけであります。どうしてもこの日本におる朝鮮人の問題というものは、当国会等でも非常に御研究をいただいて私は解決していただかなきゃならぬ大事な問題であるように思うのであります。この問題を解決せねばならぬからこそ、軽々にわれわれが出先で不用意に発言をしてはならぬというのが、われわれがんばった理由であったのであります。しかしながら、どうしてもそれをやってくれと言って向うは譲りません。そこでちょうど二月二十四日の日であると思いますが、新聞にも出ておったのでありますが、二十三日の日にとうとう先方は公式の会談においてわれわれが、われわれというのは、北鮮側が共同コミュニケの中に盛り込みたいと思っている第二、第三の問題は次のようなことなんだということを、われわれが発言をやめてくれと強く要請したにもかかわらず、これは三時間も休憩をしてもんだのでありますが、もんだ末にとうとう向うの首席代表から発言をしてしまったのであります。そうなりますと、もうわれわれはそれを拒否するには、拒否する理由を述べなければならない。事実上在日朝鮮人の問題を公式に議さなければならぬ。公式に議するということはどういうことかと申しますと、ちょうどこの会談が何も秘密の会議でも何でもないというようなことで、新聞記者等をその会議に入れて、新聞記者等の傍聴の上でやっておったのであります。朝鮮人の新聞記者は申すまでもなく、プラウダであるとか、あるいはチェコの記者であるとかいうような、主としてヨーロッパの共産系の国の新聞記者も列席しておるのであります。あるいはロイターというようなものもありまするし、あるいは新華社等もあるのでありますが、こういうふうなものの列席している会合でそういうことをやることは、われわれとしてはできないというわけで、とうとうこの会談はもうだめだというようなことで、私どもといたしましては、もう最後だというふうに考えたのであります。
 その前に、約一月間近くの間に、われわれの方としましては平壌におります日本人の帰国の具体的な問題については、ここにおります井上部長の方から九カ条の具体的な当方としての要求、日本の赤十字側としての要求はすでに先方に出ております。
 それから、日本人の安否調査の問題も、先ほどお目にかけましたような、ふうなもので、向うが調査を約束して受理をいたしております。従ってかりにこの会談がだめになったといたしましても、今後日本赤十字と北鮮赤十字の間で電報で往復することによってほぼその目的は達せられるというふうに思われましたので、確信ができましたので、とうとう一つ会談をこの際やめにしようじゃないかというふうに決意をいたしまして、二十四日の日の午前、私団長として単独でありますが、一人で向うの首席代表をたずねまして別れのあいさつを述べたのであります。どうしてもあなた方の方が公式な会談でこれをやらなきゃならぬということを述べられ、昨日ああいうふうなことであった以上は、もう会談を続行することはできないと思うというようなことで、まあ赤十字のことでありますから、会談を決裂するというような激しい方法でなしに、握手をして別れ、会談を終結させようという別個の形式で別れのあいさつを述べて、今後一つ日本人の帰国問題は帰ってから電報でやるからよろしく頼みたいというようなことであいさつをいたしました。そういたしましたら、第二、第三の問題はそれではやめるけれども、日本人の問題だけは一つわれわれの方も準備ができておるから、早急にまとめて帰ってくれというようなお話でありましたので、それは願ってもないことなんで、それでは一つそういうことにしましょうということで、あとわずか数日の間に平壌に集結しておる日本人だけの帰国の問題、具体的に申しますれば、第一議題の点だけは話をつけまして、そしてあとの問題は将来に残して、会談を終った、こういうことでございます。
 こういうふうなことになりましたのは、どういうことかと申しますと、私どもどうしても日本におって現在朝鮮人で生活に困っておる者が十万余りもおって、そうして生活保護法の金も二十数億というようなものを一年に使っておるというようなことであり、そのうちに帰りたいというものがあればこれは帰すのが当然である。どうしても帰りたいのは帰してあげなければならぬ、そのためにはやはりここで議せずに、早くしっかりした日本におる朝鮮人の帰国の問題なら帰国の問題について、日本としての政策を確立していただいて、そうしてその線に沿うて、あるいは政府みずからやるなり、あるいはそれが工合が悪ければ赤十字がやるなり、あるいは何なりして、これはどうしても解決をせなければならぬ。いいかげんにその場限りのことを言って帰ってはならぬ、こう考えたからなのでございます。私どもも十分熱意もあるし、日本の政府御当局、あるいは国会等においてもそれぞれ熱意のあることは十分北鮮側もわかっておるだろうから、これは将来の問題として帰りたいということで、これは繰り返し、繰り返し申したわけでございます。希望を申し上げますれば、すみやかに国会においては、これらの問題について政府御当局を鞭撻されるなりいたしまして、なさっていただくことを私どもは希望をいたします。その場合に、赤十字はどの部分を受け持ってやれというようなことであれば、これはいかなる努力でもせねばならぬ、かように考える次第でございます。従って、大きな問題が将来に残ったということになるわけでございます。
 そのほか、朝鮮に一体どのくらいの希望者がおるのかというようなことは、一切そんないきさつではっきりわかりませんでした。御承知のように、受刑者とか、あるいは技術者等の人たちが待ちわびる心の会というような会を作りまして、そして十年余りも安否を気づかっておる人たちがございまして、この人たちのことを思いますと、何とも申し上げる言葉もないのでありますが、先方はとにかく用意もあると言いましたし、資料もあるからこれを出すと言っておりました。今度船が北鮮の遮湖の港に参りますのが、来月の十七日から二十二日までの間に船を出せることになりました。そして井上外事部長がその船に乗る予定になっておりますから、行きましたらさらに書面にして渡し、それの督促をしてもらいます。これは電報で照会して、なお現地で照会するつもりであります。できるだけのことを聞いて参りたい、こう思っておるわけでございます。
 それからもう一つ、帰りに中共の中国紅十字会に寄りましていろいろ打ち合せをいたしたのであります。ちょっと御報告申し上げたらと思うことがありますので申し上げますが、それは千名余りの戦犯の帰国の問題でございます。この点については先般、片山哲氏が向うに行かれましたときに周恩来に会って、そして六百名ないし七百名の戦犯の釈放が近くあるだろう、それは病人であるとか、あるいは年をとっておる人というようなものが選ばれるであろう、そしてそれを帰すであろうというような話があったということでありましたので、具体的にもう少し突っ込んだ情報をぜひ聞きたい、戦犯の釈放をぜひしてもらいたいというようなことを向うの会長の李徳全などに会いまして頼んだのでありますが、これは行きにも、帰りにも頼んでみたのでありますが、戦犯釈放の問題は、私どもの印象でありますが、なかなかそう簡単にはいかない段階になっておるような印象を受けました。片山さんが得られた情報以外には、何ら新しい情報を得ることができなかったわけでございます。先方に私どもは、戦犯の釈放というような人道上の問題は、一つ政治的取引の具にしてもらっては非常に困るというようなことも述べたのでありますが、その際には、明らかに今度の戦犯釈放の問題は政治的には考えない、政治的取引の具にしないということを紅十字当局責任者ははっきりと申したのであります。私どもはそれを信ずるよりほかないわけであります。そんなような段階でなかなか困難な段階にあったような印象を率直に受けて帰りました。戦犯の釈放につきましては、御承知のように、日本赤十字といたしましては、役員会がありましたり、あるいは先方の当局者に会ったとき等には、常に赤十字の立場からぜひ早期に一つ帰すことをお願いするということは、これはもう機会あるごとに申しておるのでありまするが、私どもの率直な感じをもって言うことをお許し願いますならば、何かもうそういう段階は通り越したような私は感じを、ことに中共で話を聞いて以来持っております。何とか、国会なりあるいは政府等でこの交渉をして人道上の立場から一日も早く帰ることを希望いたしたい、かように考えております。
 なお、時間がありませんので簡単に申し上げますが、未帰還者への通信及び慰問品等の現状についてでありまするが、これは御承知のように、通信の方は、ソ連の場合には、俘虜通信でできることになっておりまするし、中国の場合には、中国紅十字会に私どもがあっせんをいたしまして、手紙を家族等から取り次いでおります。私どもが今度ちょうど初めて太原の戦犯管理所に訪問いたしまして、太原の戦犯者の代表者から聞いたのでありまするが、留守家族からの通信は年に二回、三回くらい必ず着いておるということとをはっきり申しておりました。出したものは着いているような模様であります。これは太原でございます。ソ連等の場合は、まだはっきりわかりません。
 それから慰問品の点でございますが、中共の戦犯につきましては、非常に心配をしておったのでありまするが、先般赤十字の代表が撫順の戦犯管理所にたずね、今度私どもが太原の管理所をたずねたところによりますると、衣食――住もそうですが、については私は率直に言えば心配の要らない状態だ、こういう印象を持って参りました。食べ物等は十分ある。それで、ことに戦犯者の口から聞いたのでありまするが、いろいろな食べ物等を送るけれども、それは必要がないのだ、自分らは十分あるということであります。これは戦犯の顔色を見たり、あるいは病人の数等を実際太原等で見たりなんかいたしますというと、中共関係においてはそういうまあ心配はないのじゃないだろうか、こういう印象を受けて参りました。もちろん、留守家族の方から心のこもった贈りものというふうなものを届けることについては、これはちっとも差しつかえないことでありますが、特に食糧の補給というようなことについては必要がないのじゃなかろうか、こういうふうな印象を受けて参りました。ただソ連の場合につきましては、先般第五次の帰還者並びに第六次の帰還者等から聞くところによりますると、これは心配せねばならぬ状態だというようなことであります。非常に心配をいたしまして、特に第五次の場合にはビタミン等が非常に不足しておるというような話でありましたので、ビタミンを送りたいというようなことで、御承知のように、ソ連赤十字にビタミンを送るが、受け取ってくれるかというようなことを聞いてやったのでありますが、これは返事が来まして、抑留者については十分それらの点も心配をしておるから、特に送ってもらう必要がないというわけで断わられております。従って、これはビタミン等の入った菓子を送ることによって、ビタミンの補給をしようというようなことになっております。このソ連の場合には、そういうふうに非常に心配すべき事情ではないかというようなことで、第一次の場合は別でありまするが、昭和二十九年の二月以来、第二次から第六次までの間には、これは全部留守家族の人たちにもお話をいたしまして、留守家族の方から慰問品を出してもらって、迎えにいく船で、ナホトカでそれをソ連の赤十字に渡すという方法をとっております。で、なお留守家族がそういうものを出せないとかあるいは十分でないような場合は、日本赤十字の方で慰問袋を作りまして、そうして送っております。現在まで送りました慰問袋の数を御参考に申し上げますと、日赤の分といたしましては、第六次までに約三千十五個、全部の数が一万三千五百八個行っております。特にこれは、今月にナホトカへ参りました第六次の帰還船では非常に多く、六千二百六十九個というような数を送っております。これは家族はもちろんのこと、厚生省あるいは日赤、それから国会の方からもお送りいただいております。そのほかいろんな方面から送っていただきまして、この第六次には、六千二百六十九個というような慰問品を送っております。
 なお、慰問品がほんとうに戦犯に着いたかどうかというような点が心配になるという家族の御意見もありまするし、ちょうど昨日でありまするが、ソ連赤十字に実は手紙でそれらの点を確かめることにいたしました。ソ連の赤十字の方では、日本の、第五次ですか、六次ですか、はっきりわかりませんが、の慰問品の中には、名宛人のない慰問品があった、これはそのほかの戦犯者に便宜分けてやっておる、それはそれでいいのか、あるいは別に何とかしてもらわなければならぬのか、返事をよこしてくれというような手紙がソ連から参りましたので、それはそれでよろしい、名宛人のないのはほかの人に分けてもらってけっこうだという返事を出すと同時に、一つ今度は着いたならば着いたということを、個人なら個人でもいいし、あるいはその収容所なら収容所の代表者に、何個着いたというようなことで一つ受け取ったということをはっきりさしてもらいたいというようなことを申して、向うの同意を得たいということを申し込みました。それからなお、今後ソ連からの帰還者があった場合には、私どもとしては慰問品を送ります場合に、これは厚生省の御協力を得てやらなければならぬと思いますが、留守家族等も慰問品の中へ俘虜郵便の形式で小包を受け取ったというしるしのある手紙をちょっと入れまして、そうして送ってやる。そうすれば、何のだれがしが受け取っても、ぽいとほうり込んでおけば全部着いたということもはっきりしますから、そういうふうに今後はしたいと思う、それについて意見をお知らせ願いたい、こういうふうにいたしております。
 私どもは何にしましても、ソ連の抑留者の方々については、ただいまのところでは、慰問品を、もっと送ってあげなければならぬのじゃないかというようなわけで、機会がありましたらばさらにやりたい。政府でも御尽力いただいておるようでありますし、やりたいと思っております。また、緊急を要するような場合には、ジュネーヴの方へお願いをいたしまして、金を送りまして、ジュネーヴから急送するというふうなことも考えなければならぬのじゃないかというふうにも考えております。従来はこれはスイスの方でやっていただいた例もありまするから、緊急であればそういうこともしたいと思っております。他は御質問によってお答えすることにいたします。

発言情報

speech_id: 102414410X01919560329_003

発言者: 葛西嘉資

speaker_id: 25628

日付: 1956-03-29

院: 参議院

会議名: 社会労働委員会