青木一男の発言 (本会議)

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○青木一男君 ただいま憲法調査会法案の提案理由を伺ったのでありますが、その説明がいささか簡単であったので、私は提案者に対し若干の質疑をいたします。
 第一は、現行憲法制定の沿革とその性格についてである。旧自由党の憲法調査会で松本烝治博士の講演を聴取したが、それによると、幣原内閣成立直後、マッカーサーから憲法改正案の提出を命ぜられた。内閣は、松本博士を担当国務大臣として原案を作成し、司令部に提出したところ、マッカーサーは、一顧の価値なしとしてこれを却下し、あらためて自分の手で作成した日本憲法改正要綱を交付し、約十日の猶予期間内に政府の賛否の回答を求めたのである。これを受け取った内閣諸公は、内容の峻厳なるに色を失ったということであります。松本国務大臣の手で急遽修正案を作り提出したところ、わずかに国会の一院制を二院制に改めること、土地の国有を取りやめることの二点の修正が認められただけで、その他の修正は全部一蹴され、マッカーサーの原案をそのまま法文化することを命ぜられたのである。要するに、降伏文書において、日本の国権の発動はすべて占領軍司令官の命令下に置かれることを約束した結果、右の命令にも服せざるを得なかったものであります。従って憲法改正案は、政府の案として発表されたけれども、内容において、マッカーサーの原案そのままであります。
 社会党の諸君は、国会が何か月もかけて審議し、可決したものであるから、押しつけられた憲法ではないと主張しているようであります。しかし国会の審議には大きな制約があって、修正案の提出にはすべて司令部の同意が必要とされ、またマッカーサーの原案の骨子には、一指を染めることも許されなかったのであります。従って国会は、問題の核心に触れない枝葉末節の点や用語の詮議に日数をかけたわけでありまして、私はこれをもって、議員が自由意思によって審議決定したものとは解し得ないのであります。(拍手)
 また社会党の諸君は、原案の賛否までも命令を受けたものではないから、当時の賛成議員に政治的責任があると主張されているようであります。しかし、当時もし国会が憲法改正案を否決したならば、占領軍はあるいは日本の直接統治を企図したかもしれませんし、また当時の議員諸君は、憲法の改正によって、ポツダム宣言で要求された民主化の形を整え、一日も早く占領を脱却したいという念願から、心ならずも賛成した人が少くなかったと思われるのであります。その意味で彼らは責任を果しており、今日ではわれわれに責任が引き継がれているのであります。自分の意に満たない案に賛成するということは不思議に思われますけれども、当時は、一国の総理大臣が司令部に伺候して、一大佐の指示を受けて国政を処理するというような異例の時代であったことを忘れてはならないのであります。
 西ドイツにおいても、わが国と同じ憲法改正問題が起ったのであるが、政治家も学者も一致して、国家の独立もなく、国民の自由意思もなき占領下において、永久憲法を制定するがごときことは思いもよらないと言って反対した。そこで憲法にかえて、占領期間だけ効力のある基本法を制定したのであるが、この基本法の中には、本法は西ドイツが独立を回復し、みずからの手で憲法を制定したときに、その効力を失うと規定しているのであります。これが憲法の正しき姿を示したものであります。しかるにわが国では、占領下に永久憲法が制定され、かつ改正手続をきわめて困難にしているのは、不幸であったと申さねばなりません。しかしわれわれは、この困難に屈してはならない。憲法は、国家統治の基本であるから、独立を回復した今日、これに全面的な再検討を加え、国民の自由な意思に基いて改むべきは改めるのが憲法の本質上、はたまた国民の感情からも当然の措置であり、また子孫に対するわれわれの責務であると思うが、提案者の御所見を伺いたいのであります。
 第二は、憲法の内容についてであります。擁護論者は、占領憲法であっても、内容がよいから改正に反対だと言う。われわれも現行憲法に長所の存することを認めるにやぶさかではありません。しかし日本の国情に通じない外国の軍人が短期間に立案したものが、完全無欠であったならば、それこそ一大奇跡であります。新憲法実施十年の経験に徴し、わが国情に適しない点があることは、良識ある国民のひとしく認めておるところであります。
 社会党左派が、昨年五月公表した綱領の二十六ページには、中央議会では安定した絶対多数の上に立って、社会主義の原則に従って、憲法を改正し、基本的な産業の国有化または公有化を確立し、行政、司法の諸機関や、教育、新聞、出版、放送などの諸機構を社会主義の方向に適応させる、と述べている。これは社会党の諸君も、現行憲法を完全なものと思っていない証拠である。(拍手)ただ、自分たちが天下を取ったならば思い切って改正する、それまでは反対だということは、まことに得手勝手の主張であり、社会党の改正反対は、要するに党利党略の便宜論であることを自白しているものである。(拍手)われわれは真に国家民族百年の計のために、憲法の再検討をしようとしているのであります。
 この見地に立って、まず考うべきは、憲法制定当時の占領軍の対日政策の方向である。マッカーサーが本国政府から受けた最初の訓令には、司令官の任務は、戦勝国の利益をはかるにあって、日本の利益をはかることではない、という趣旨が明らかにされております。日本に対する憎悪、懲罰、警戒の気持の強かった占領初期の政策の基調が、日本の弱体化にあったことは、今日では公知の事実であります。この弱体化政策は、国家権力の分散弱化、教育における国家観念と愛国心の希薄化、機械の封印による日本工業の抑圧等、いろいろの方面に具体化されたけれども、その根本は、憲法の改正にあったのであります。日本の弱体化を指導理念とした憲法が、そのままで、日本国家の興隆繁栄と国民の福祉の目的に完全に合致することは、本来期待しがたいところであります。われわれはこの弱体化政策の旧套を脱ぎ捨て、真に国利民福に合致するように憲法を再検討すべきであると思うが、提案者のこの点の認識を伺いたいのであります。(拍手)
 第三は、調査及び改正の方向についてである。近来学界や政界で盛んに憲法の研究が行われ、改正私案が続々発表されている。しかし政党の党議として定めたようなものは一つもありません。旧自由党でも憲法調査会を作ったが、その調査の主力は、問題点の所在を明らかにすることに注がれたのであります。委員の意見交換は活発に行われたけれども、具体案を調査会の総会に付議したものではない。いわんや、党議決定などあるはずはない。旧民主党でも同様であったと思います。従って、党員個人の意見はあっても、党としては白紙である。しかるがゆえに、本調査会設置の意義が存するのであります。しかるに憲法擁護論者は、すでに結論が出ているものと勝手に予断し、これを根拠として反対論を展開している。中には、われわれの党内で何人も考えたことのないような改正方向をすらでっち上げて、反対の口実にしているのは、迷惑しごくであります。
 一例を天皇の地位にとると、第一条は、天皇は日本国の象徴であると規定している。ところが、「象徴」という翻訳語の意味が、今もってはっきりいたしておりません。先日も数人の専門学者の見解を徴したところ、外国には物について国の象徴という観念はあるが、人についての用例は存しないとのことで、依然要領を得なかったのであります。そこでわれわれの間では、そんなあいまいな象徴よりも、元首の方がはっきりしてよいではないかという問題がはっきりいたしております。元首は対外的に国を代表するものをさし、各国共通の用語であるからであります。もちろんわが党内にも象徴のままでよいという論者もございます。ただ、ここではっきり申し上げておきたいのは、わが党内には、憲法前文中の「主権が国民に存することを宣言し、」とある民主国家の基本について、疑義や反対を抱く論者は一人も存しないという一事であります。また天皇に、政治上の実権を与えるような改正を考えている者もございません。しかるに擁護論者が、元首説は天皇主権につながるとして反対しているのは、不可解であります。これらの論者は、民主国にも元首があり、元首と主権の所在とは無関係の観念であることを知らないのか、さもなければ、故意に改正論を傷つけるための悪意の宣伝であると断ぜざるを得ないのであります。
 次に、第九条の戦争放棄の条文についてである。この条文の解釈については、世上いろいろの説があり、わが党内でも見解が必ずしも一致していないことは事実であります。私は、本条文は自衛のための戦力の保持を禁じたものでないと解している。しかしマッカーサーが本条を考案したのは、世界の平和を乱した日本に対する懲罰として、また同じことを繰り返すことのない保障として、換言すれば、日本の弱体化のために戦力の保持を禁じたものと考えるほかはありません。あるいは世界の平和擾乱者は日本とドイツであるから、この両者を再起できないようにしておけば、世界の平和が維持されると考えたのかもしれません。しかりとすれば、それはあまりにも甘い考え方であります。わが憲法の前文に、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と述べているけれども、世界の現状を直視するとき、このわが国民の大悲願の達成がいかに至難であるかを思わざるを得ないのであります。今や国際共産主義の世界制覇の脅威は、ひしひしとわれわれの近くに迫りつつあります。世界の強国は、国力を傾けて軍備の増強に狂奔している。かかる現実に直面して、日本だけがまる裸でいて、どうしてその安全を保ち得るでありましょうか。憲法の条文だけで平和を守ることは困難であります。
 そもそも国家の自衛は、動物の自衛と同じく、国家の本能であって、憲法以前の存在である。いやしくも国家という以上、自衛機構を備えることは必然の要求であり、現代国家にして軍隊を持たない国は一つもなく、また古来そんな国は一つもなかった。しかるに日本だけ、どうして唯一の例外となり得るか、私はその理由を発見することはできません。
 この点について憲法擁護論者は、いろいろの説明をしております。まず、日本には暴動、内乱や外敵のおそれがないから、防衛力を持つ必要がないと説く者があるけれども、私はその論者の保証に信頼し、安心することはできない。むしろ、この点を力説されればされるほど、ある意味の薄気味悪さを感ずるものであります。また、わが国が軍隊を持てば、かえって外敵の侵入を誘発すると説く人があるが、これは戸締りをすると、かえってどろぼうにねらわれるという論と同じで、常識では理解できません。次に、現代の防衛は、共同防衛体制下に行われるものであるから、みずから軍隊を持たなくともよいと説く者がある。しかし共同防衛といっても、ある期間は自力でささえることを前提とするものであり、論者の説は、会費を出さずにごちそうだけを食べようとする虫のよい案であります。
 次に、原子兵器の現代において、わずかばかりの軍隊を持っても意味がないと説く者がある。これは一応考えさせるものを含んでいる。われわれも国力に応じて防衛力をきめるべきであると考えるし、わが国力はきわめて貧弱なことも認めざるを得ません。従って、わが国の防衛力が微力なものであることは当然であるけれども、しかるがゆえに、防衛力が無用なりとの結論を生むものではありません。わが国の防衛力につき、ある外国の評論家は、日本の防衛力は、ショー・ウインドーのガラスのようなものだ、暴力に対し安全とはいえないが、それなりに役目を果していると批評した。まことにうがち得て妙なりと思います。微力な防衛力は無用だという論は、ショー・ウインドーのガラスをすべて取り払えと主張するにひとしいのであります。
 最後に、われわれがどうしても承服し得ないのは、日本が軍備を持てば再び侵略戦争を始めるかもしれないという宣伝であります。われわれは憲法前文に掲げた恒久の平和を念願するという平和主義、第九条の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」という平和主義の理念に対しては、党をあげて絶対の支持を表明するものであります。わが党内に限らず、侵略戦争などということを考えている国民は今日一人もないことを確信します。客観的に見ても、国防資源の極度に貧弱なわが国力で、かようなことのあり得ないことは自明のことであります。しかるに、憲法の改正は、戦争に直結するごとく説いて、戦争の恐怖感からまだ脱していない国民の感情に訴えているのは、改正論者の真意を曲げた悪意の宣伝であります。
 要するに国家存立の基本につき憲法上の疑義を残しておくのはよろしくない。憲法改正案の審議に当り、野坂参三君は、防衛力なき国家はあり得ないとして反対した。ソ連の全権は、サンフランシスコの講和会議で、日本がある程度の軍隊を持つべきことを主張した。中共の周恩来首相は、社会党を含むわが国の議員団に対し、日本も独立を回復した以上、軍隊を持つのは当然であると演説した。私は社会党や共産党の諸君が、進んで憲法第九条の再検討に参加されんことを希望するものであります。(「それは無理だ」と呼ぶ者あり)
 次に、第三章の国民の権利義務については、わが国の憲法のように国民の権利のみを盛りだくさんに並べ、義務については、納税の義務等をわずかに規定しているのは、世界に例がありません。これは国家軽視の占領政策に基一因するのであるが、しかし憲法中に、文化国家、福祉国家の理想をにぎやかに担げても、国家の安全と国力の増進なくしては、何一つ達成しがたいことも明白であります。この見地に立って、国民の権利義務につき再検討を加えるのは当然である。反対論者が第三章の改正によって、国民の人権や自由に対し、不当な制限を企図しているごとく説いているのは、これまた根拠なき宣伝であります。共産主義国と異なり、われわれはあくまでも国民の人権と自由を尊重すべきものと考えている。前述のごとく社会党の綱領によると、社会党は、憲法を改正して新聞、出版、放送などの言論までも統制する意図を示しているのであるが、私どもはさようなことは毛頭考えていないのであります。
 国土の防衛は、憲法以前から存する国民の当然の義務であって、世界の憲法で、これを規定していないのは、わが国の憲法だけである。従ってこの点の再検討を要するけれども、私は徴兵の制度はとるべきでないと考えている。旧自由党の調査会でも、この説が圧倒的でありました。しかるに反対論者が、憲法を改正すれば、すぐ徴兵制度に戻るごとく宣伝し、民心にこびようとしているのは、われわれをしいるのはなはだしいものであります。
 家族制度についても、現行憲法が家の観念を否認し、親子の関係を軽視している点で再検討を要すると考えるけれども、しかしわが党においても、男女同権の理念に反対したり、戸主権の復活を夢みているような者は一人もありません。反対論者が、憲法を改正すれば、従来の家族制度そのものが復活するごとく説くのも、これまた事実を曲げた独断であります。そこで私は、憲法を全面的に再検討するとはいっても、現行憲法のすぐれた点はもちろん残すべきであり、ことに主権在民、民主主義、平和主義、人権尊重主義のごとき長所は、あくまで維持尊重する建前で進むべきものと考えるが、この点、提案者の信念をお伺いします。
 第四に、調査会においては今申し上げた根本方針のもとに、国家の興隆と国民の福祉を永久に増進するという見地から、白紙の立場で憲法を再検討すべきであると思う。その場合、従来各方面で研究された私案も参考資料としては大いに利用すべきであるが、しかし予断や先入観をもって臨んではならない。改正反対論者の意見も十分反映させて、公正妥当な結論を生むことを念願とすべきである。従って委員の中には、社会党の諸君を初め改正反対論者も加えて、国家の将来のため率直活発な論議を戦わすべきであると考えるが、この点についての提案者の腹案を伺いたい。
 昨日社会党の鈴木委員長は、憲法擁護運動を憲法改悪反対運動に切りかえると言明した。社会党が天下を取ったときは、憲法の大改正を行うと声明した以上、従来のように憲法改正反対というのでは、筋の通らないことをお認めになったのでありましょう。改悪反対ということなら、私どもも同感であります。しかし、何が改悪か、何が改善かということで、依然意見は分れるでありましょう。しかし一致するものもありましょう。その点をじっくり話し合うために、調査会はまことによき機会であります。社会党の諸君も、本調査会法案に賛成するとともに、進んで本調査会に参加されんことを希望して、私の質問を終ります。(拍手)
  〔衆議院議員山崎巖君登壇、拍手〕

発言情報

speech_id: 102415254X01219560220_005

発言者: 青木一男

speaker_id: 9880

日付: 1956-02-20

院: 参議院

会議名: 本会議