林坦の発言 (運輸委員会)
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○林説明員 御指名によりまして、ただいままでに判明いたしております事故発生の経緯を御説明申し上げます。
全日本空輸所属の第三十五便JA五〇四五、型はダグラスDC3型でありますが、その航空機は、機長舟木和徳、副操縦士村尾新の操縦によりまして、スチュワーデス南部芙美、及び旅客三十名を搭載いたしまして、離陸重量は二万五千八百ポンドの状態で所定の飛行前の点検を実施した後、昭和三十三年八月十二日十九時五十三分東京国際空港を出発し、小牧の飛行場へ向つて飛行を行なつたのであります。
同機は、高度六千フィートで館山のホーマー・ビーコンの上を二十時九分に通過し、続いて大島のレンジ・ビーコンの上を二十時二十四分に通過し、当時対地速度は百三十八マイルと大体推定されますが、その際東京航空交通管制局に——これをわれわれはセンターと呼んでおりますが、そこにただいま申し上げましたことと、それから浜松ホーマー・ビーコンの通過予定を大体二十一時一分と報告いたしまして、センターはこれを確認いたしております。
大島レンジ・ビーコンを通過いたしましてから、同機は第一発動機——これは左の発動機でありますが、第一発動機が不調を来たしましたので、東京国際空港に引き返すべく、二十時三十六分その付近を五千フィートの高度で小牧から東京国際空港に向けて飛行中の全日空所属のJA五〇三九号機、その機長園山鋭一を中継して東京センターに報告し、管制指示を要求いたしております。センターは直ちに同機に対して、木更津のホーマー・ビーコンまで許可する、大島まで直航、六千フィートを維持せよという管制指示を与えております。次いで同機はセンターに対して、木更津まで直航したいと管制指示を要求したのであります。直ちにセンターは、木更津まで直航、高度は六千フィートを維持という許可を与えております。しかし同機は高度が五百フィート低下しておるので、五千五百フィートの高度の維持を要求し、そしてその許可を得ております。次いで同機は、東京国際空港までの直航を要求いたしておりまして、そこで直ちに許可を受けております。同機は東京国際空港の管制搭と連絡を保持するために、管制搭の周波数に切りかえて連絡を試みたのでありますが、どうも連絡ができなかったらしく、再び東京センターの周波数に切りかえております。
二十時四十三分、同機はセンターに緊急事態——これは私どもエマージェンシーと申しておりますが、その状態を通報いたしますとともに、引き続いて二十時四十四分、JA五〇三九の僚機に対しまして、第一発動機は停止した、ジャイロ・アウトである、旅客は満載である、今から東京国際空港に引き返す、もし帰れなければ木更津へ着陸する、高度は四千フィートだ、センターに方位を要求したが応答がないということを日本語で通報いたしまして、以後JA五〇三九との通信はそこでとだえております。
センターは緊急事態の通報を受けた後、さらに交信を試みたのでありますが、五〇四五の通信はとぎれとぎれでございました。それがちようど二十時四十八分ごろでありました。通信状態は非常に悪かったということでございます。
その後センターは厚木、東京、横田のレーダー、及び防空レーダーに捜索を依頼いたしましたが、五〇四五と認められる機影は発見できなかったのであります。
現在までのところ、その後同機は失速して墜落したものであるか、また降下を続けて不時着水したものであるかということは、まだ不明でございます。
十三日の十一時五十五分、海上自衛隊の警備艦によりまして、利島の三百二十七度、北々西でございますが、九・ニマイルの海上で、座席と機体の破片多数が発見されました。それ以後遺体十五が巡視船に収容されておるのであります。これが大体最初からの経緯でございます。
それに今申し上げました状態を捜索救難の関係から申し上げますと、八月十二日の二十時四十七分、東京コントロール・センターから、JA五〇四五機と無線連絡がとれなくなつたが、あなたの方の航務課には何か情報がないかという問い合せがあったのであります。それから二十時四十八分には、名古屋航務課へ、テレタイプにより、JA五〇四五機についての情報の有無をさつそく照会いたしております。そうして東京航空気象台へ、東京—小牧間の気象もチェックいたしております。ただいま申し上げておりますのは、少し前後いたしましたが、東京の羽田の航空保安事務所がこの当時とつておつた処置でございます。二十時五十分になりまして、全日空十六便、JA五〇三九機の機長園山氏から、会社専用の周波数によって、JA五〇四五機が左側エンジンが故障のため東京に引き返すとの連絡があったという通報がございましたので、東京のセンターに、東京管制塔にその情報を通報し、今後の情報の入手があり次第、羽田の航務課に通報するように要請をしたのであります。九時五分、東京センターすなわち入間川のセンターから、JA五〇四五機との交信が不能となつた、なお、この飛行機は左側エンジンが不調であるという連絡があった、そういう連絡がございましたので、その前の情報と考え合せまして、気象状況から判断して、大体九時三十五分ごろ東京に着陸するものとこちらは推定を加えたのでございます。そうして東京管制塔にその後の状況を尋ねたのでありますが、まだ何も通信がないということでございました。それが二十一時十分であります。二十一時二十分には、もよりの飛行場に不時着することも考えられましたので、東京管制塔を通じまして木更津管制塔に問い合せるように指示いたしましたが、木更津管制塔は十八時までが運用時間なので連絡が不能であるという回答がありました。木更津はその当時連絡が不能でございました。一般電話により、木更津航空標識所に不時着の有無の調査を指示いたしました。また海上保安庁救難課に、館山飛行場に不時着の有無を問い合せました。また一般電話によりまして、藤沢飛行場にも問い合せましたが、そのときまでにはないという回答があったのであります。また大島の航空標識所にも連絡しましたが、これは連絡がちょっとつかなかったようであります。また名古屋航務課に、テレタイプによりまして情報の有無について照会いたしております。それらをやりましたが、結局二十二時ごろ木更津、館山から、不時着はその辺にはないという通報がありました。このようにこの近傍の飛行場その他不時着しそうな場所についての照会をやつたのでありますが、これはもう行方不明であるというふうに判断いたしまして、東京センターのBスタンドを通じて米空軍の捜索救難機関に捜索機の出動を要請いたしたのであります。なお二十二時十分に、海上保安庁のオペレーションに捜索機及び捜索船艇の出動を要請いたしました。それから二十二時十五分に、海幕の方にまた出動を要請いたしております。
こういうふうに大体この手続は、捜索救難に関する手続に従いまして、ほとんど間断なく行われておつたのでありますが、大体二十三時四分ごろ、米空軍機はジョンソンから出たという報告を受けております。また浜松のヘリコプターは、ちょっとその当時出動不能でございました。これは明野の方へ移動しておったようでありまして、その方はちょっとできないから、横田の米空軍機の出動を依頼したということを航空幕僚監部から連絡がございました。警察庁にも連絡をとりまして、沿岸その他の情報収集をお願いいたしたのであります。その後は巡視船その他が出ております。これによって具体的な捜索活動に移つたのでございます。また当夜僚機としてすれ違いました航空機は、二十三時五十分には再び羽田国際空港から飛び立ちまして、この航空機の行方を捜索したのでありますが、何しろ暗夜のことではあり、十分に視界等もとれなかったのでございましょう。やがて帰って参りました。それから翌朝になりまして全体をあげて捜索に移つたのであります。それが翌朝の捜索に入るまでの模様でございます。その後の状況等につきまして捜索の具体的の面につきましては、海上保安庁及び海上自衛隊、米軍機、それからたまたま参っておりました航空大学校の飛行機、また各新聞社の航空機その他のものがこれに加わりまして一斉に捜索が行われたのでございます。