運輸委員会
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会
会議録情報#0
昭和三十三年八月十六日(土曜日)
午前十時四十二分開議
出席委員
委員長 塚原 俊郎君
理事 天野 公義君 理事 木村 俊夫君
理事 長谷川 峻君 理事 堀内 一雄君
理事 井岡 大治君 理事 土井 直作君
理事 正木 清君
井原 岸高君 生田 宏一君
宇田 國榮君 大久保武雄君
小淵 光平君 川野 芳滿君
菅家 喜六君 小泉 純也君
小林かなえ君 高橋 英吉君
高橋清一郎君 羽田武嗣郎君
前田 郁君 久保 三郎君
杉山元治郎君 館 俊三君
山田 長司君
出席国務大臣
運 輸 大 臣 永野 護君
委員外の出席者
防衛庁書記官
(防衛局第一課
長) 高橋 幹夫君
大 蔵 技 官
(主計官) 鹿野 義夫君
運輸政務次官 中馬 辰猪君
運輸事務官
(航空局長) 林 坦君
運 輸 技 官
(航空局技術部
長) 關口規矩二君
運 輸 技 官
(航空局技術部
検査課長) 大澤 信一君
海上保安庁長官 島居辰次郎君
参 考 人
(全日本空輸株
式会社社長) 美土路昌一君
参 考 人
(全日本空輸株
式会社常務取締
役) 福本 柳一君
—————————————
八月十四日
委員松岡駒吉君辞任につき、その補欠として伊
藤卯四郎君が議長の指名で委員に選任された。
同月十六日
委員小枝一雄君、關谷勝利君、原健三郎君及び
三池信君辞任につき、その補欠として井原岸高
君、小林かなえ君、大久保武雄君及び生田宏一
君が議長の指名で委員に選任された。
同日
委員井原岸高君、生田宏一君、大久保武雄君及
び小林かなえ君辞任につき、その補欠として小
枝一雄君、三池信君、原健三郎君及び關谷勝利
君が議長の指名で委員に選任された。
—————————————
八月十四日
運輸委員会開会要求書全日空の旅客機遭難事件
並びに志免炭鉱払下問題につき直ちに委員会を
開会致されたく、衆議院規則第六十七条第二項
の規定により左記連名にて要求します。
昭和三十三年八月十四日
運輸委員長塚原俊郎殿
運輸委員
井岡 大治
土井 直作
正木 清
池田 禎治
久保 三郎
島口重次郎
杉山元治郎
館 俊三
中崎 敏
山田 長司
伊藤卯四郎
—————————————
本日の会議に付した案件
空運(全日本空輸機遭難事件)に関する件
————◇—————
この発言だけを見る →午前十時四十二分開議
出席委員
委員長 塚原 俊郎君
理事 天野 公義君 理事 木村 俊夫君
理事 長谷川 峻君 理事 堀内 一雄君
理事 井岡 大治君 理事 土井 直作君
理事 正木 清君
井原 岸高君 生田 宏一君
宇田 國榮君 大久保武雄君
小淵 光平君 川野 芳滿君
菅家 喜六君 小泉 純也君
小林かなえ君 高橋 英吉君
高橋清一郎君 羽田武嗣郎君
前田 郁君 久保 三郎君
杉山元治郎君 館 俊三君
山田 長司君
出席国務大臣
運 輸 大 臣 永野 護君
委員外の出席者
防衛庁書記官
(防衛局第一課
長) 高橋 幹夫君
大 蔵 技 官
(主計官) 鹿野 義夫君
運輸政務次官 中馬 辰猪君
運輸事務官
(航空局長) 林 坦君
運 輸 技 官
(航空局技術部
長) 關口規矩二君
運 輸 技 官
(航空局技術部
検査課長) 大澤 信一君
海上保安庁長官 島居辰次郎君
参 考 人
(全日本空輸株
式会社社長) 美土路昌一君
参 考 人
(全日本空輸株
式会社常務取締
役) 福本 柳一君
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八月十四日
委員松岡駒吉君辞任につき、その補欠として伊
藤卯四郎君が議長の指名で委員に選任された。
同月十六日
委員小枝一雄君、關谷勝利君、原健三郎君及び
三池信君辞任につき、その補欠として井原岸高
君、小林かなえ君、大久保武雄君及び生田宏一
君が議長の指名で委員に選任された。
同日
委員井原岸高君、生田宏一君、大久保武雄君及
び小林かなえ君辞任につき、その補欠として小
枝一雄君、三池信君、原健三郎君及び關谷勝利
君が議長の指名で委員に選任された。
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八月十四日
運輸委員会開会要求書全日空の旅客機遭難事件
並びに志免炭鉱払下問題につき直ちに委員会を
開会致されたく、衆議院規則第六十七条第二項
の規定により左記連名にて要求します。
昭和三十三年八月十四日
運輸委員長塚原俊郎殿
運輸委員
井岡 大治
土井 直作
正木 清
池田 禎治
久保 三郎
島口重次郎
杉山元治郎
館 俊三
中崎 敏
山田 長司
伊藤卯四郎
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本日の会議に付した案件
空運(全日本空輸機遭難事件)に関する件
————◇—————
塚
塚原俊郎#1
○塚原委員長 これより会議を開きます。
議事に入るに先だちまして御報告申し上げます。長らく本委員会の委員でありました松岡駒吉君が、去る十四日不幸病のため逝去せられました。本委員会に席を同じくするわれわれにとりまして、まことに痛惜にたえないところであります。ここにつつしんで哀悼の意を表したいと存じます。
また、全日本空輸機の事故により発生した多数の遭難者の方々に対しましても、この際深く哀悼の意を表したいと存じます。
—————————————
この発言だけを見る →議事に入るに先だちまして御報告申し上げます。長らく本委員会の委員でありました松岡駒吉君が、去る十四日不幸病のため逝去せられました。本委員会に席を同じくするわれわれにとりまして、まことに痛惜にたえないところであります。ここにつつしんで哀悼の意を表したいと存じます。
また、全日本空輸機の事故により発生した多数の遭難者の方々に対しましても、この際深く哀悼の意を表したいと存じます。
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塚
永
永野護#3
○永野国務大臣 去る八月十二日に全日空の飛行機が事故を起しまして、多数の皆様方に言いしれぬ悲しみの種をまきましたことは、何とも申し上げられない、実に遺憾千万なことだと存じております。あとに残られたる遺家族の方々の御愁傷はもちろんでありますけれども、一般日本国民全体にわたって飛行機交通に対する非常な不安の念を持たれたことは、実に残念千万に存じておるのであります。私はあらためて心から遭難者遺家族の皆様方に哀悼のお言葉を述べたいと存じております。
むろん私どもは、今後なおまだあるいは生存者がどこかの島にたどり着いておられるかもしれません、しかしおそらく大多数は遭難されておるのではないかと非常に心配いたしておるのであります。従いまして、ただいまのところでは全力をあげてその遭難者の救済あるいは捜索、これを継続して参りたいと存じます。全力をあげて尽したいと存じております。その後には、今度は再びこういう間違いを起さないように万全の対策を研究したいと思っております。今日、事件発生後いろいろな点で不十分な、特に遺家族の方々の御満足のいかない点があったと思いますけれども、われわれは全力をあげてその救難事業に尽したつもりでございます。従いまして、そのあとの対策を考える余裕がなかったというのが実情だと思います。あとをどうするかというよりは、目先に起つておりまする遭難事故を、少しでも一人でもまず救い出したいと考えておつたのであります。しかし遺憾ながら今日まで生存者をわれわれは救い出すことができませんでした。せめてもの心やりとして、遺骸だけでもぜひとも探し出したい、それに万全を尽したいと存じております。しかる後に、今度はどうして将来こういう悲惨事を再び繰り返さないようにするかという点にわれわれの努力をしぼりたいと考えております。
それには一番大切なことは、機体を探し出すということがその原因を探求するのに最も大切なことだと思いますので、何とかして機体を探し出し、それを引き揚げたいと考えております。しかる後に、われわれの技術陣を総動員いたしまして、どういう理由でこんな悲惨な事実が起つたかということを的確に把握いたしますとともに、それの対策を具体的に考えていきたいと存じておるのであります。この点は大体技術的の話でありますけれども、昨日の閣議におきましても、そういう技術的の問題のほかに、政治的にあるいは政策的に考えなければならぬ問題がたくさんあると思います。総理初め、この点は非常に関心を持って、その善後処置を考えておりますので、早急に飛行機事故の対策委員会というものを相当大がかりにこしらえまして、再びこのようなあやまちを起すことのないように研究いたすつもりでございます。
繰り返して言うようでありますが、単に技術面だけでなくて、その機構上、政治経済の運営上われわれとしては考えなければならない点があるのではないか。その研究を委員会に諮問いたすつもりでおります。こまかい技術的の問題で、飛行機事故が起る前の経過、それから事故が起りましてから後の救難作業がどういうふうに行われておつたか、さらに今後どういう方針でわれわれはこの捜索を続けていくかという過去と現在と将来にわたる具体的の対策は、事務当局から詳しく御説明させまして御了解を得たいと存じております。
最初に一言この遭難事故の多数の犠牲者の遺家族の方々に対して、心からなる哀悼の言葉をささげますとともに、日本全体の大衆に非常に不安な念を与えたことをいかにも申しわけのないことと存じますので、それを一言申し述べさしていただいた次第でございます。どうぞ御了承を願いたいと思います。
この発言だけを見る →むろん私どもは、今後なおまだあるいは生存者がどこかの島にたどり着いておられるかもしれません、しかしおそらく大多数は遭難されておるのではないかと非常に心配いたしておるのであります。従いまして、ただいまのところでは全力をあげてその遭難者の救済あるいは捜索、これを継続して参りたいと存じます。全力をあげて尽したいと存じております。その後には、今度は再びこういう間違いを起さないように万全の対策を研究したいと思っております。今日、事件発生後いろいろな点で不十分な、特に遺家族の方々の御満足のいかない点があったと思いますけれども、われわれは全力をあげてその救難事業に尽したつもりでございます。従いまして、そのあとの対策を考える余裕がなかったというのが実情だと思います。あとをどうするかというよりは、目先に起つておりまする遭難事故を、少しでも一人でもまず救い出したいと考えておつたのであります。しかし遺憾ながら今日まで生存者をわれわれは救い出すことができませんでした。せめてもの心やりとして、遺骸だけでもぜひとも探し出したい、それに万全を尽したいと存じております。しかる後に、今度はどうして将来こういう悲惨事を再び繰り返さないようにするかという点にわれわれの努力をしぼりたいと考えております。
それには一番大切なことは、機体を探し出すということがその原因を探求するのに最も大切なことだと思いますので、何とかして機体を探し出し、それを引き揚げたいと考えております。しかる後に、われわれの技術陣を総動員いたしまして、どういう理由でこんな悲惨な事実が起つたかということを的確に把握いたしますとともに、それの対策を具体的に考えていきたいと存じておるのであります。この点は大体技術的の話でありますけれども、昨日の閣議におきましても、そういう技術的の問題のほかに、政治的にあるいは政策的に考えなければならぬ問題がたくさんあると思います。総理初め、この点は非常に関心を持って、その善後処置を考えておりますので、早急に飛行機事故の対策委員会というものを相当大がかりにこしらえまして、再びこのようなあやまちを起すことのないように研究いたすつもりでございます。
繰り返して言うようでありますが、単に技術面だけでなくて、その機構上、政治経済の運営上われわれとしては考えなければならない点があるのではないか。その研究を委員会に諮問いたすつもりでおります。こまかい技術的の問題で、飛行機事故が起る前の経過、それから事故が起りましてから後の救難作業がどういうふうに行われておつたか、さらに今後どういう方針でわれわれはこの捜索を続けていくかという過去と現在と将来にわたる具体的の対策は、事務当局から詳しく御説明させまして御了解を得たいと存じております。
最初に一言この遭難事故の多数の犠牲者の遺家族の方々に対して、心からなる哀悼の言葉をささげますとともに、日本全体の大衆に非常に不安な念を与えたことをいかにも申しわけのないことと存じますので、それを一言申し述べさしていただいた次第でございます。どうぞ御了承を願いたいと思います。
塚
塚原俊郎#4
○塚原委員長 なお、本日は当委員会に参考人として御出席になっておられます全日本空輸株式会社社長美土路昌一君より発言を求められておりますので、これを許します。美土路昌一君。
この発言だけを見る →美
美土路昌一#5
○美土路参考人 私は今回不測のあやまちをいたしました全日本空輸の社長の美土路昌一でございます。
ただいま運輸大臣からお話のありましたように、今回の災いは、特に御本人はもとより御遺族の方々の御胸中を拝察いたしまして、まことに相済まぬことと存じておりまするとともに、私どもがせつかく日本の民間航空を一日も早く発達をいたさせたいと思いまして微力をささげながら、逆の効果になりまして、皆さんに非常に不安な影響を与え、またその事故の問題につきまして国民の方々に非常な御心配をおかけいたしましたことについて、責任の重大を深く痛感いたしておる次第でございます。
原因の調査につきましては私どももできまする限り調べておりまするが、当面の問題といたしまして——初めは一縷の望みを持ちましてどこかに不時着をいたしておるのではないかということから、飛行機の性能及び操縦士の技術の上から考えまして、その望みを持って捜索をいたしましたが、ついに最悪の場合に至ることに相なりました。その後引き続き善後の処置に、社員はもとより全力を上げるのは当然でございますが、航空局を初めといたしまして海上保安庁、防衛庁その他の関係の方々もまことに言語に絶する捜索救難の作業にお当りをいただきまして、今日に及んでおる次第でございます。
さような次第でございまして、この責任につきましては、いかなる言葉をもちましておわびを申し上げても足りないと自責をいたしておるのでございますが、たまたま本日、国民の代表としておいでになりまするこの国会において、その専門の運輸委員会が開かれるということを承わりまして、せめて面を冒してこの会に出まして皆さんにおわびの言葉を申し上げさしていただきたい、かように委員長に申し上げましたところ、それでは出てくるようにとその機会をお与えいただきましたことをまことにありがたく存じます。
幾たび繰り返しましても私どもの気持は足りないのでございますが、運輸大臣もお話しのように、もしこれが契機となりましてほんとうに国内国際を問わず、航空の安全ということが期せられまするようなことになりましたならば、なくなられましたお方々のせめてものお慰めになるのではないかと存じておる次第であります。まことにこういう事態を発生いたしまして、私といたしましてはいかなる言葉をもちましてもお許しは得られないと思いまするが、私の気持をおくみ取りいただきたい、かように存ずる次第であります。ほんとうに申しわけのないことをいたしました。心からおわびを申し上げます。
この発言だけを見る →ただいま運輸大臣からお話のありましたように、今回の災いは、特に御本人はもとより御遺族の方々の御胸中を拝察いたしまして、まことに相済まぬことと存じておりまするとともに、私どもがせつかく日本の民間航空を一日も早く発達をいたさせたいと思いまして微力をささげながら、逆の効果になりまして、皆さんに非常に不安な影響を与え、またその事故の問題につきまして国民の方々に非常な御心配をおかけいたしましたことについて、責任の重大を深く痛感いたしておる次第でございます。
原因の調査につきましては私どももできまする限り調べておりまするが、当面の問題といたしまして——初めは一縷の望みを持ちましてどこかに不時着をいたしておるのではないかということから、飛行機の性能及び操縦士の技術の上から考えまして、その望みを持って捜索をいたしましたが、ついに最悪の場合に至ることに相なりました。その後引き続き善後の処置に、社員はもとより全力を上げるのは当然でございますが、航空局を初めといたしまして海上保安庁、防衛庁その他の関係の方々もまことに言語に絶する捜索救難の作業にお当りをいただきまして、今日に及んでおる次第でございます。
さような次第でございまして、この責任につきましては、いかなる言葉をもちましておわびを申し上げても足りないと自責をいたしておるのでございますが、たまたま本日、国民の代表としておいでになりまするこの国会において、その専門の運輸委員会が開かれるということを承わりまして、せめて面を冒してこの会に出まして皆さんにおわびの言葉を申し上げさしていただきたい、かように委員長に申し上げましたところ、それでは出てくるようにとその機会をお与えいただきましたことをまことにありがたく存じます。
幾たび繰り返しましても私どもの気持は足りないのでございますが、運輸大臣もお話しのように、もしこれが契機となりましてほんとうに国内国際を問わず、航空の安全ということが期せられまするようなことになりましたならば、なくなられましたお方々のせめてものお慰めになるのではないかと存じておる次第であります。まことにこういう事態を発生いたしまして、私といたしましてはいかなる言葉をもちましてもお許しは得られないと思いまするが、私の気持をおくみ取りいただきたい、かように存ずる次第であります。ほんとうに申しわけのないことをいたしました。心からおわびを申し上げます。
塚
林
林坦#7
○林説明員 御指名によりまして、ただいままでに判明いたしております事故発生の経緯を御説明申し上げます。
全日本空輸所属の第三十五便JA五〇四五、型はダグラスDC3型でありますが、その航空機は、機長舟木和徳、副操縦士村尾新の操縦によりまして、スチュワーデス南部芙美、及び旅客三十名を搭載いたしまして、離陸重量は二万五千八百ポンドの状態で所定の飛行前の点検を実施した後、昭和三十三年八月十二日十九時五十三分東京国際空港を出発し、小牧の飛行場へ向つて飛行を行なつたのであります。
同機は、高度六千フィートで館山のホーマー・ビーコンの上を二十時九分に通過し、続いて大島のレンジ・ビーコンの上を二十時二十四分に通過し、当時対地速度は百三十八マイルと大体推定されますが、その際東京航空交通管制局に——これをわれわれはセンターと呼んでおりますが、そこにただいま申し上げましたことと、それから浜松ホーマー・ビーコンの通過予定を大体二十一時一分と報告いたしまして、センターはこれを確認いたしております。
大島レンジ・ビーコンを通過いたしましてから、同機は第一発動機——これは左の発動機でありますが、第一発動機が不調を来たしましたので、東京国際空港に引き返すべく、二十時三十六分その付近を五千フィートの高度で小牧から東京国際空港に向けて飛行中の全日空所属のJA五〇三九号機、その機長園山鋭一を中継して東京センターに報告し、管制指示を要求いたしております。センターは直ちに同機に対して、木更津のホーマー・ビーコンまで許可する、大島まで直航、六千フィートを維持せよという管制指示を与えております。次いで同機はセンターに対して、木更津まで直航したいと管制指示を要求したのであります。直ちにセンターは、木更津まで直航、高度は六千フィートを維持という許可を与えております。しかし同機は高度が五百フィート低下しておるので、五千五百フィートの高度の維持を要求し、そしてその許可を得ております。次いで同機は、東京国際空港までの直航を要求いたしておりまして、そこで直ちに許可を受けております。同機は東京国際空港の管制搭と連絡を保持するために、管制搭の周波数に切りかえて連絡を試みたのでありますが、どうも連絡ができなかったらしく、再び東京センターの周波数に切りかえております。
二十時四十三分、同機はセンターに緊急事態——これは私どもエマージェンシーと申しておりますが、その状態を通報いたしますとともに、引き続いて二十時四十四分、JA五〇三九の僚機に対しまして、第一発動機は停止した、ジャイロ・アウトである、旅客は満載である、今から東京国際空港に引き返す、もし帰れなければ木更津へ着陸する、高度は四千フィートだ、センターに方位を要求したが応答がないということを日本語で通報いたしまして、以後JA五〇三九との通信はそこでとだえております。
センターは緊急事態の通報を受けた後、さらに交信を試みたのでありますが、五〇四五の通信はとぎれとぎれでございました。それがちようど二十時四十八分ごろでありました。通信状態は非常に悪かったということでございます。
その後センターは厚木、東京、横田のレーダー、及び防空レーダーに捜索を依頼いたしましたが、五〇四五と認められる機影は発見できなかったのであります。
現在までのところ、その後同機は失速して墜落したものであるか、また降下を続けて不時着水したものであるかということは、まだ不明でございます。
十三日の十一時五十五分、海上自衛隊の警備艦によりまして、利島の三百二十七度、北々西でございますが、九・ニマイルの海上で、座席と機体の破片多数が発見されました。それ以後遺体十五が巡視船に収容されておるのであります。これが大体最初からの経緯でございます。
それに今申し上げました状態を捜索救難の関係から申し上げますと、八月十二日の二十時四十七分、東京コントロール・センターから、JA五〇四五機と無線連絡がとれなくなつたが、あなたの方の航務課には何か情報がないかという問い合せがあったのであります。それから二十時四十八分には、名古屋航務課へ、テレタイプにより、JA五〇四五機についての情報の有無をさつそく照会いたしております。そうして東京航空気象台へ、東京—小牧間の気象もチェックいたしております。ただいま申し上げておりますのは、少し前後いたしましたが、東京の羽田の航空保安事務所がこの当時とつておつた処置でございます。二十時五十分になりまして、全日空十六便、JA五〇三九機の機長園山氏から、会社専用の周波数によって、JA五〇四五機が左側エンジンが故障のため東京に引き返すとの連絡があったという通報がございましたので、東京のセンターに、東京管制塔にその情報を通報し、今後の情報の入手があり次第、羽田の航務課に通報するように要請をしたのであります。九時五分、東京センターすなわち入間川のセンターから、JA五〇四五機との交信が不能となつた、なお、この飛行機は左側エンジンが不調であるという連絡があった、そういう連絡がございましたので、その前の情報と考え合せまして、気象状況から判断して、大体九時三十五分ごろ東京に着陸するものとこちらは推定を加えたのでございます。そうして東京管制塔にその後の状況を尋ねたのでありますが、まだ何も通信がないということでございました。それが二十一時十分であります。二十一時二十分には、もよりの飛行場に不時着することも考えられましたので、東京管制塔を通じまして木更津管制塔に問い合せるように指示いたしましたが、木更津管制塔は十八時までが運用時間なので連絡が不能であるという回答がありました。木更津はその当時連絡が不能でございました。一般電話により、木更津航空標識所に不時着の有無の調査を指示いたしました。また海上保安庁救難課に、館山飛行場に不時着の有無を問い合せました。また一般電話によりまして、藤沢飛行場にも問い合せましたが、そのときまでにはないという回答があったのであります。また大島の航空標識所にも連絡しましたが、これは連絡がちょっとつかなかったようであります。また名古屋航務課に、テレタイプによりまして情報の有無について照会いたしております。それらをやりましたが、結局二十二時ごろ木更津、館山から、不時着はその辺にはないという通報がありました。このようにこの近傍の飛行場その他不時着しそうな場所についての照会をやつたのでありますが、これはもう行方不明であるというふうに判断いたしまして、東京センターのBスタンドを通じて米空軍の捜索救難機関に捜索機の出動を要請いたしたのであります。なお二十二時十分に、海上保安庁のオペレーションに捜索機及び捜索船艇の出動を要請いたしました。それから二十二時十五分に、海幕の方にまた出動を要請いたしております。
こういうふうに大体この手続は、捜索救難に関する手続に従いまして、ほとんど間断なく行われておつたのでありますが、大体二十三時四分ごろ、米空軍機はジョンソンから出たという報告を受けております。また浜松のヘリコプターは、ちょっとその当時出動不能でございました。これは明野の方へ移動しておったようでありまして、その方はちょっとできないから、横田の米空軍機の出動を依頼したということを航空幕僚監部から連絡がございました。警察庁にも連絡をとりまして、沿岸その他の情報収集をお願いいたしたのであります。その後は巡視船その他が出ております。これによって具体的な捜索活動に移つたのでございます。また当夜僚機としてすれ違いました航空機は、二十三時五十分には再び羽田国際空港から飛び立ちまして、この航空機の行方を捜索したのでありますが、何しろ暗夜のことではあり、十分に視界等もとれなかったのでございましょう。やがて帰って参りました。それから翌朝になりまして全体をあげて捜索に移つたのであります。それが翌朝の捜索に入るまでの模様でございます。その後の状況等につきまして捜索の具体的の面につきましては、海上保安庁及び海上自衛隊、米軍機、それからたまたま参っておりました航空大学校の飛行機、また各新聞社の航空機その他のものがこれに加わりまして一斉に捜索が行われたのでございます。
この発言だけを見る →全日本空輸所属の第三十五便JA五〇四五、型はダグラスDC3型でありますが、その航空機は、機長舟木和徳、副操縦士村尾新の操縦によりまして、スチュワーデス南部芙美、及び旅客三十名を搭載いたしまして、離陸重量は二万五千八百ポンドの状態で所定の飛行前の点検を実施した後、昭和三十三年八月十二日十九時五十三分東京国際空港を出発し、小牧の飛行場へ向つて飛行を行なつたのであります。
同機は、高度六千フィートで館山のホーマー・ビーコンの上を二十時九分に通過し、続いて大島のレンジ・ビーコンの上を二十時二十四分に通過し、当時対地速度は百三十八マイルと大体推定されますが、その際東京航空交通管制局に——これをわれわれはセンターと呼んでおりますが、そこにただいま申し上げましたことと、それから浜松ホーマー・ビーコンの通過予定を大体二十一時一分と報告いたしまして、センターはこれを確認いたしております。
大島レンジ・ビーコンを通過いたしましてから、同機は第一発動機——これは左の発動機でありますが、第一発動機が不調を来たしましたので、東京国際空港に引き返すべく、二十時三十六分その付近を五千フィートの高度で小牧から東京国際空港に向けて飛行中の全日空所属のJA五〇三九号機、その機長園山鋭一を中継して東京センターに報告し、管制指示を要求いたしております。センターは直ちに同機に対して、木更津のホーマー・ビーコンまで許可する、大島まで直航、六千フィートを維持せよという管制指示を与えております。次いで同機はセンターに対して、木更津まで直航したいと管制指示を要求したのであります。直ちにセンターは、木更津まで直航、高度は六千フィートを維持という許可を与えております。しかし同機は高度が五百フィート低下しておるので、五千五百フィートの高度の維持を要求し、そしてその許可を得ております。次いで同機は、東京国際空港までの直航を要求いたしておりまして、そこで直ちに許可を受けております。同機は東京国際空港の管制搭と連絡を保持するために、管制搭の周波数に切りかえて連絡を試みたのでありますが、どうも連絡ができなかったらしく、再び東京センターの周波数に切りかえております。
二十時四十三分、同機はセンターに緊急事態——これは私どもエマージェンシーと申しておりますが、その状態を通報いたしますとともに、引き続いて二十時四十四分、JA五〇三九の僚機に対しまして、第一発動機は停止した、ジャイロ・アウトである、旅客は満載である、今から東京国際空港に引き返す、もし帰れなければ木更津へ着陸する、高度は四千フィートだ、センターに方位を要求したが応答がないということを日本語で通報いたしまして、以後JA五〇三九との通信はそこでとだえております。
センターは緊急事態の通報を受けた後、さらに交信を試みたのでありますが、五〇四五の通信はとぎれとぎれでございました。それがちようど二十時四十八分ごろでありました。通信状態は非常に悪かったということでございます。
その後センターは厚木、東京、横田のレーダー、及び防空レーダーに捜索を依頼いたしましたが、五〇四五と認められる機影は発見できなかったのであります。
現在までのところ、その後同機は失速して墜落したものであるか、また降下を続けて不時着水したものであるかということは、まだ不明でございます。
十三日の十一時五十五分、海上自衛隊の警備艦によりまして、利島の三百二十七度、北々西でございますが、九・ニマイルの海上で、座席と機体の破片多数が発見されました。それ以後遺体十五が巡視船に収容されておるのであります。これが大体最初からの経緯でございます。
それに今申し上げました状態を捜索救難の関係から申し上げますと、八月十二日の二十時四十七分、東京コントロール・センターから、JA五〇四五機と無線連絡がとれなくなつたが、あなたの方の航務課には何か情報がないかという問い合せがあったのであります。それから二十時四十八分には、名古屋航務課へ、テレタイプにより、JA五〇四五機についての情報の有無をさつそく照会いたしております。そうして東京航空気象台へ、東京—小牧間の気象もチェックいたしております。ただいま申し上げておりますのは、少し前後いたしましたが、東京の羽田の航空保安事務所がこの当時とつておつた処置でございます。二十時五十分になりまして、全日空十六便、JA五〇三九機の機長園山氏から、会社専用の周波数によって、JA五〇四五機が左側エンジンが故障のため東京に引き返すとの連絡があったという通報がございましたので、東京のセンターに、東京管制塔にその情報を通報し、今後の情報の入手があり次第、羽田の航務課に通報するように要請をしたのであります。九時五分、東京センターすなわち入間川のセンターから、JA五〇四五機との交信が不能となつた、なお、この飛行機は左側エンジンが不調であるという連絡があった、そういう連絡がございましたので、その前の情報と考え合せまして、気象状況から判断して、大体九時三十五分ごろ東京に着陸するものとこちらは推定を加えたのでございます。そうして東京管制塔にその後の状況を尋ねたのでありますが、まだ何も通信がないということでございました。それが二十一時十分であります。二十一時二十分には、もよりの飛行場に不時着することも考えられましたので、東京管制塔を通じまして木更津管制塔に問い合せるように指示いたしましたが、木更津管制塔は十八時までが運用時間なので連絡が不能であるという回答がありました。木更津はその当時連絡が不能でございました。一般電話により、木更津航空標識所に不時着の有無の調査を指示いたしました。また海上保安庁救難課に、館山飛行場に不時着の有無を問い合せました。また一般電話によりまして、藤沢飛行場にも問い合せましたが、そのときまでにはないという回答があったのであります。また大島の航空標識所にも連絡しましたが、これは連絡がちょっとつかなかったようであります。また名古屋航務課に、テレタイプによりまして情報の有無について照会いたしております。それらをやりましたが、結局二十二時ごろ木更津、館山から、不時着はその辺にはないという通報がありました。このようにこの近傍の飛行場その他不時着しそうな場所についての照会をやつたのでありますが、これはもう行方不明であるというふうに判断いたしまして、東京センターのBスタンドを通じて米空軍の捜索救難機関に捜索機の出動を要請いたしたのであります。なお二十二時十分に、海上保安庁のオペレーションに捜索機及び捜索船艇の出動を要請いたしました。それから二十二時十五分に、海幕の方にまた出動を要請いたしております。
こういうふうに大体この手続は、捜索救難に関する手続に従いまして、ほとんど間断なく行われておつたのでありますが、大体二十三時四分ごろ、米空軍機はジョンソンから出たという報告を受けております。また浜松のヘリコプターは、ちょっとその当時出動不能でございました。これは明野の方へ移動しておったようでありまして、その方はちょっとできないから、横田の米空軍機の出動を依頼したということを航空幕僚監部から連絡がございました。警察庁にも連絡をとりまして、沿岸その他の情報収集をお願いいたしたのであります。その後は巡視船その他が出ております。これによって具体的な捜索活動に移つたのでございます。また当夜僚機としてすれ違いました航空機は、二十三時五十分には再び羽田国際空港から飛び立ちまして、この航空機の行方を捜索したのでありますが、何しろ暗夜のことではあり、十分に視界等もとれなかったのでございましょう。やがて帰って参りました。それから翌朝になりまして全体をあげて捜索に移つたのであります。それが翌朝の捜索に入るまでの模様でございます。その後の状況等につきまして捜索の具体的の面につきましては、海上保安庁及び海上自衛隊、米軍機、それからたまたま参っておりました航空大学校の飛行機、また各新聞社の航空機その他のものがこれに加わりまして一斉に捜索が行われたのでございます。
塚
塚原俊郎#8
○塚原委員長 質疑の通告がありますので、順次これを許します。
なお、きようは質疑者が大へん多いのでございますから、どうぞ重複がないよう、なるべく簡潔にお願いいたします。
堀内一雄君。
この発言だけを見る →なお、きようは質疑者が大へん多いのでございますから、どうぞ重複がないよう、なるべく簡潔にお願いいたします。
堀内一雄君。
堀
堀内一雄#9
○堀内委員 このたびの全日空の事故は、躍進途上にあります日本の航空界、ことに永野大臣が非常な積極的な考えを持ってやられておる折さきでもありまして、私は日本の航空発達のために非常に遺憾に存ずるのでございますが、これにつきまして運輸大臣並びに関係者当局に若干の質問をいたしたいと思います。と申しますのは、私はこのたび遭難されました多くのみたまに対して心から哀悼の意を表しますとともに、御遺族に対する御慰問の上につきましても、このあやまちを再びしないようにすることが最もよいお慰めではないかと存ずるのでございまして、そういう意味からただいま運輸大臣が、今後の問題について、永久的の問題については協議会等を作つて今後十分の研究をするという閣議の決定のお話がありましたが、これはまことに当を得たことでございますが、その資料にもと存じてわれわれの疑問といたすような点についてお伺いいたしますので、一つこの際ほんとうにざつくばらんな御回答を願いたいと存ずるのでございます。
そこで、ただいまの御報告をお伺いいたしましても、今度の事故は完全に機材の問題に属するようでございますので、そういう意味から、新聞紙上等に伝えられておるところにおきましても、出発以前における機材の点検といったような点においてあやまちがなかったか、この点につきましては技術本部長なりそういう方からお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →そこで、ただいまの御報告をお伺いいたしましても、今度の事故は完全に機材の問題に属するようでございますので、そういう意味から、新聞紙上等に伝えられておるところにおきましても、出発以前における機材の点検といったような点においてあやまちがなかったか、この点につきましては技術本部長なりそういう方からお伺いしたいと思います。
關
關口規矩二#10
○關口説明員 機長が、機体装備品及び燃料については整備が確実に行われていることを確認いたしております。東京を離陸する前に仙台及び千歳へ飛んでおりますが、仙台では作動点検、目視点検、取りつけ状態点検、寸度測定、ドレーン点検、操縦席点検、発動機試運転、それから燃料の量、同じように仙台から朝東京に引き返しまして、九時五十分にも同様の点検をいたしております。なお千歳から戻つて参りましたときに、十九時十分に同様の点検をいたしております。それを機長は確認しておるという報告を受けております。
この発言だけを見る →堀
堀内一雄#11
○堀内委員 ただいまのお話で機長はそれを確認しておるということでございますが、機長はもちろんでございましょうが、会社というか、飛行場というか、そういうような方面においてこの点検の組織と申しますか、系統と申しますか、責任者、そういうものの関係はどんなふうになっておりますか。これを要すれば美土路社長がお見えのようでありますから、そのいずれでもよろしゅうございます。
この発言だけを見る →美
福
福本柳一#13
○福本参考人 私は全日本空輸の福本柳一と申します。
整備の概況について申し上げます。技術上のこまかいことにつきましては、会社の直接その衝に当る責任者でなければわからぬのでありますが、整備関係の、会社で持っておる全般について申し上げますと、職員は百名でこれに当つております。そうしましてこれは整備に規定上要求されております有資格者がなければならぬのでありますが、この点につきましては百名のうち五十六名が、国家試験に合格いたしております整備の有資格者としてこれに当つておりまして、その余は補助員であります。従いましてこの五十六名のうちには大部分が、四十余名が二等整備士でありまして、八名が三等整備士というような順序で、水準といたしましては要求されておるところの資格を十分に満たしておると考えておる次第でございます。
それから組織といたしましては、ライン・メーンテナンス班、それからチェック班、修理班、それからビルド・アップ班、その他まだ多少の分れはありますが、さように分けておりまして、運航をいたす場合におきましては、このライン・メーンテナンス班がこれに当るわけでありますが、これは最も重要なものでありまして、絶えず交代制をもちまして、それぞれ班長のもとに数名が配置されまして、出発の前、出発の後必ずこれを点検するようにいたしておる次第でございます。当日の五〇四五の点検につきましては、羽田におきまして責任者に私は直接聞いて参つたのでありますが、所定の点検は完了いたしたと申しております。それから千歳から五〇四五機に乗りまして羽田へ帰ってきて、遭難をいたしました舟木機長に交代をいたしたわけでありますが、その帰ってきて引き継ぎをいたしました操縦士は、石田操縦士と申しまして、これは私の会社におきましては運航管理長をいたしておるきわめて優秀な操縦士なのであります。この操縦士に当時の模様を聞いてみますと、自分が羽田へ着くまでの間は、エンジンの調子も機体その他についても何ら異常を認めないで、運航中におけるところの機体の状況はよかったということを次の舟木機長に引き継ぎをいたした、かように申しております。
概略以上の通りであります。
この発言だけを見る →整備の概況について申し上げます。技術上のこまかいことにつきましては、会社の直接その衝に当る責任者でなければわからぬのでありますが、整備関係の、会社で持っておる全般について申し上げますと、職員は百名でこれに当つております。そうしましてこれは整備に規定上要求されております有資格者がなければならぬのでありますが、この点につきましては百名のうち五十六名が、国家試験に合格いたしております整備の有資格者としてこれに当つておりまして、その余は補助員であります。従いましてこの五十六名のうちには大部分が、四十余名が二等整備士でありまして、八名が三等整備士というような順序で、水準といたしましては要求されておるところの資格を十分に満たしておると考えておる次第でございます。
それから組織といたしましては、ライン・メーンテナンス班、それからチェック班、修理班、それからビルド・アップ班、その他まだ多少の分れはありますが、さように分けておりまして、運航をいたす場合におきましては、このライン・メーンテナンス班がこれに当るわけでありますが、これは最も重要なものでありまして、絶えず交代制をもちまして、それぞれ班長のもとに数名が配置されまして、出発の前、出発の後必ずこれを点検するようにいたしておる次第でございます。当日の五〇四五の点検につきましては、羽田におきまして責任者に私は直接聞いて参つたのでありますが、所定の点検は完了いたしたと申しております。それから千歳から五〇四五機に乗りまして羽田へ帰ってきて、遭難をいたしました舟木機長に交代をいたしたわけでありますが、その帰ってきて引き継ぎをいたしました操縦士は、石田操縦士と申しまして、これは私の会社におきましては運航管理長をいたしておるきわめて優秀な操縦士なのであります。この操縦士に当時の模様を聞いてみますと、自分が羽田へ着くまでの間は、エンジンの調子も機体その他についても何ら異常を認めないで、運航中におけるところの機体の状況はよかったということを次の舟木機長に引き継ぎをいたした、かように申しております。
概略以上の通りであります。
堀
堀内一雄#14
○堀内委員 ただいまの御説明で大体点検の状態はわかったのでございますが、要するにこの事故の防止には、機材の整備ということと運航の熟練ということが私は根本的に必要だと思うのでございます。羽田の空港におきまして、この全日空関係の整備等につきましては、だれが責任を持っておりますか。
この発言だけを見る →福
福本柳一#15
○福本参考人 私からお答え申し上げます。羽田におきましては川端という整理の、これは会社におきましては運航部次長という職務を持っておりますが、この川端と申します運航部次長が最高の責任者でございます。
この発言だけを見る →堀
堀内一雄#16
○堀内委員 私は先年日本航空を初め、国内航空の問題につきまして、当時の飛行機は十人乗りか何かの小さいものを使つておつたので、こんなところからいろいろの事故の原因があるということで、そこから全日空というものができ、政府からもいろいろな補助、融資等をいたしたように考えておるのでございますが、その結果DC3というような飛行機をお買いになつたということは非常にけつこうなのでございますが、聞くところによりますれば、DC3は、すでに新しく製造することはやめておる飛行機であり、ただ部分品の程度は作つておるということになっておるのでございます。この全日本空輸によって買い上げましたDC3という飛行機は、大体いつごろ作つた飛行機で、どのくらいの航空距離を今日まで飛んでおり、また、ことに今度の五〇四五機はどのくらいな経歴を持っておるか、その辺についてお伺いしたい。
この発言だけを見る →關
關口規矩二#17
○關口説明員 DC3というのは一九三六年から製造されまして、約二万機製造されました。終戦前、日本においてもこれを製造いたしておりました。この五〇四五機が製造されましたのは一九四二年七月十八日、輸入のための当初の滞空検査に合格いたしましたのが昭和三十二年十二月三十日であります。輸入時の総使用時間が二万一千九百五時間三十八分、八月十二日までの総使用時間を言いますと二万三千百三十八時間三十三分でございます。
この発言だけを見る →堀
堀内一雄#18
○堀内委員 そういたしますと、この飛行機は、今までに約二万三千時間飛んで、こちらへ来てからまた千時間くらい飛んだということですね。その前にはどこで二万三千時間くらい飛んでおつた飛行機ですか。
この発言だけを見る →關
堀
堀内一雄#20
○堀内委員 ただいまのお答弁によりまして、この飛行機が中古の相当使つたものであるということはわかったのですが、私がこの際心配するのは、DC3のほかにも同じような飛行機を使つておられるのですが、その辺のことについて会社当局からお伺いしたい。
この発言だけを見る →福
福本柳一#21
○福本参考人 ダグラス3型のほかには、ヘロンという飛行機を三機使つております。それからダブという飛行機を四機使つております。旅客輸送に主として使つておりますのはダグラス、ヘロンがおもでありまして、ダブという飛行機は小さいもので、四機を輸送には充てておりますが、これはきわめて量といたしましては少いものであります。
この発言だけを見る →堀
堀内一雄#22
○堀内委員 私のお伺いしておるのは、あなたのところで旅客用に使つておるDC3が、どのくらいの程度の中古かということをお伺いしておる。そして今日までのところ、どのくらい飛んでおるかということをお伺いしておるのです。
この発言だけを見る →關
關口規矩二#23
○關口説明員 現在全日空が持っておりますDC3の、購入前の飛行時間を申しますと、一万四千時間、三万九千時間、少いのは五千二百時間、そういった程度のものでございます。
この発言だけを見る →堀
堀内一雄#24
○堀内委員 時間の関係もありますから、質問はこの程度にいたしますが、要するに三万九千時間使つた飛行機を買つてきて、どの程度オーバーホールしたりいろいろしておるか知りませんが、そういうものを買つてきてやらなければならないというところに、日本の民間航空の非常な弱点があると思うのでございますが、この点につきましては、あとで一緒に一つ運輸大臣からお伺いしたいと思います。
その次に、今度の事故直接の問題についてお伺いします。救命具を三十四個スチュワーデスのところにまとめて置いたというようなことが、新聞に見えておるのでございますが、事実私どもが国内機へ乗つてみましたところでも、私は今になればそれが思い当るのでございますが、この救命具の位置並びに取扱い、または取扱いの教育というようなことについては、日本の法規においてどんなふうになっておりますか。
この発言だけを見る →その次に、今度の事故直接の問題についてお伺いします。救命具を三十四個スチュワーデスのところにまとめて置いたというようなことが、新聞に見えておるのでございますが、事実私どもが国内機へ乗つてみましたところでも、私は今になればそれが思い当るのでございますが、この救命具の位置並びに取扱い、または取扱いの教育というようなことについては、日本の法規においてどんなふうになっておりますか。
林
林坦#25
○林説明員 救命具につきましては、全日空といたしましては、会社の整備規程の中に、救命具を積むということ、しかもそれをいすの下に置くということを規定いたしまして、それを運輸大臣が認可しております。従って、この積んであった状態その他につきましては、さらにいろいろと調査をしてみる必要はもちろんあると考えております。
この発言だけを見る →堀
堀内一雄#26
○堀内委員 ただいまのお話ですと、これは会社の内規で取扱い方法をきめておるということでございますが、それを認可したといたしますれば、この規程を確実に実施しておるやいなやというようなことの監督といったようなことは、当局としてはどんなふうにやつておりますか。
この発言だけを見る →林
林坦#27
○林説明員 会社における運航規程あるいは整備規程等は、非常にこまかい内容を有するものでございます関係上、会社できめまして、それを運輸大臣が審査して認可するという建前になっております。従って、これらの規程の励行状況その他につきましては、私どもも常に関心を持って見ておるところでございまして、昨年もいたしたのでございますが、ことしも安全性の向上検査というのを全般的に行う段取りになっておりました。ちようどその安全性向上検査というのが始まるところで、この事故をやつたのでございます。それらは、それを通じまして監督しまた指導する、こういうことになっております。
この発言だけを見る →堀
堀内一雄#28
○堀内委員 こういう事故が起ると、こういう問題が起るのでございますが、とかく許可、認可というようなことでいろんなりつぱな規程は作りますが、その実行ができていないというところに事故の原因があるのでございまして、それを政府が監督するというところに、私は行政機関の責任があるんじゃないかと思う。それは会社としてもむろんやらなければなりませんが、事故の起きる原因はおおむね、そうした規程をやつておると思っておつたところがやつていなかったというようなことが事故の原因になるのでございまして、そういうような意味から、ただいまのお話の程度でありますと、今日まで監督というような点で十分でなかったように私は思うのでございます。この点につきましても、あとで運輸大臣に一緒にお伺いいたしたいと存じます。
その次に、教育の問題についてお伺いいたします。国際航空の飛行機に乗つたときには、あの救命具やいろいろのものの使い方のお話があるのでございますが、国内航空では、私は数回乗りましたが、そうした話は聞かなかったように思っておる。そこで、こういうようなことについては、会社の規程でやつておるのですか。
この発言だけを見る →その次に、教育の問題についてお伺いいたします。国際航空の飛行機に乗つたときには、あの救命具やいろいろのものの使い方のお話があるのでございますが、国内航空では、私は数回乗りましたが、そうした話は聞かなかったように思っておる。そこで、こういうようなことについては、会社の規程でやつておるのですか。
林