太田久雄の発言 (地方行政委員会)
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○参考人(太田久雄君) 私は建築局指導部設備課長の太田であります。
本州製紙の敷地は、江戸川の東の方にございまして、大正十一年ころから操業しているのでございますが、私の方の条例は、昭和二十四年八月十三日から、工場公害防止条例という条例が都議会の議決を得まして、工場から出る騒音、振動、爆発、煤煙、粉塵あるいは廃液等の人または物に与える害を除く条例でございます。その当時、本州製紙工場が稼働しておりましたので、既設工場届というものを出していただきまして、その当時はグラウンド・パルプと申すものを作りまして、なお抄紙機械を動かして、よそのところからもパルプを購入いたしまして、製紙を営んでおりました。三十二年の九月六日にNSCPのいわゆる自分のところでもパルプを作りたい、こういう申請を——増築並びに設備の増設が参ったのでございます。このNSCPは、硫酸アンモニアを使う製紙作業でございまして、その前に北区の方に一つ工場がございまして、その当時、機械がアメリカ製品でございまして、非常にその廃液について検討いたしたのでございます。何分にも日本でわずかしかない製紙パルプの製造方法でございましたので、でき上ってから私が行きまして、廃液を見ましたところ、PHがいわゆる中性である、七に近かったということで、それから繊維も、廃液をびんに取りまして見ますと、大したことがない、ただ色がついておりました。そういうふうな前の調査がございましたので、私の方ではいろいろ検討いたしました結果、江戸川の水量からながめて支障ないと認定いたしまして、三十二年の十一月の十六日に認可の形式をとったわけでございます。
その後三十三年の五月六日に、水上警察から連絡がございまして、漁民との間に紛争があるということを聞きましたので、経済局の水産課に御依頼をいたしまして、ほんとうに魚に影響があるかどうかということを御依頼したわけでございます。それからその翌日に、工場から三浦施設部長と根本調査課長が、私の方で呼びまして、来庁いたしまして、とにかくもっと廃液を出さない——だいぶ汚れているそうだが、いわゆる汚れた廃液を出さないようにしてくれというようなことを話しまして、会社の案はどうだというようなことを聞きまして、会社からもダイジェスター廃液を濃縮回収するとか、それから今までの貯水池を沈澱池に切りかえるという案がございましたが、私の方では、さらにもっと徹底的なことをしないといけないのじゃないかというようなことをお話し申し上げました。
それから五月十六日に口頭で経済局の水産課から、排水口から下流三十メートルと五百メートル及び上流の京成鉄橋の下でアユを入れて試験をしたという結果が参りました。それから五月二十八日に浦安町役場の川島観光産業課長さんが来られまして、非常に漁民が困っているから、どうしてもあの行政措置をとってほしい、こういうふうなことが参りましたので、私の方としては、都の水産課からの結果報告によって行政措置をいたします、こういうふうな御報告をしたのでございます。
それから一日置きまして五月三十日に、今度は初めて都内の漁業組合の方々が約十名参られまして、前日と同様な陳情をなさいました。で、私の方も、前日と同様な御返事しかできないので、とにかく漁業に影響があるという報告があれば、行政措置をとります、こういうふうにお伝えしたわけでございます。それから六月三日に作業を始めたという新聞記事がありましたので、さっそく会社の矢沢取締役と古川研究所長さん、それから小坂顧問と野田前工場長に来ていただきまして、どうしても水がよごれているならば、除外設備をやらなければいけない、こういうふうにお話しましたところ、漁民との間に交渉を持っておりまして、今明日中に話がつくからしばらく待ってもらいたい、こういうふうなお話でございました。
それから六月四日には、今度は都内の漁業組合の方と、それから浦安の漁業組合の方が約十名来庁いたしました。そのときに非常に漁民の方々の苦衷がわかりましたので、さっそく現場へ行ってみましょう、こういうことで、都の水産課とも連携をとりまして、六月の五日の木曜日に、船を千葉県側が一そう、東京都側が二そう御都合していただきまして、浦安沖並びに排水口までさかのぼりまして現地調査をいたしたわけでございます。その翌日、六月六日の金曜日に復命をいただきまして、非常に漁民の方々の心持が激しくなっている、こういうことと、多少「シオフキ」あたりが非常に弱っている、こういうことを聞きましたので、さっそく会社の方を呼びまして、そのときに堀専務と小坂顧問が来ましたので、私から口頭でもって、被害が全然認められないということの断定はできないから、さっそく汚水を流出するのをとめていただきたい、こういうことで強く要請いたしました。そのときに堀専務と小坂顧問は非常に渋りましたのですけれども、とにかく会社に持ち帰りましてその旨を伝えていただきたい、こういうことで了承して帰りましたわけでございます。それから、それは午前でございまして、正午ごろだったと思いますが、そのときに、都内の漁業組合の方及び浦安の漁業組合の方が約十名ばかり来られましたので、私は、会社の方へとめるように要請してあるから必ずとまりますということを申し上げまして、あなた方の苦衷はよくわかりましたということを伝えましたのですが、なお疑念が沸くと困りますから、皆さんのいる前で電話を会社にかけまして堀専務に停止するよう強く勧告をいたしまして、その場で承諾をもう一度いただいたわけでございます。そうして六月七日の土曜日に作業停止という報告が参っております。これは電話報告でございます。六月九日の——日曜日に、東京都の農林部長から、魚族に影響ある旨の公文書がうちの部長あてに参りました。
で、六月九日、月曜日の日の午前に堀専務が、作業を開始したい旨を申し出てこられたのだそうですが、ちょうど私はほかに、建築審査会にかかる工場の書類がありまして、その工場を見ておかないとちょっと返事ができない線がございましたので、午前出張しておりました。その留守中に参ったので、午後からまた参りますというて帰られたわけでございます。それから、その日の午後に鈴木孝という方と高井さんという方が来まして、作業を開始したいというような要請がありましたわけです。——ちょっとここは訂正いたします。高井氏が来られたので、午前にそういう作業開始したいという話が会社にあるということを聞いたが、それでは困る。とにかく会社は誠意を示して、作業を停止して、それから漁民と交渉いたさなければいけません。作業を開始していて交渉では困るということを強く話しまして、すぐに会社べ持ち帰って、この前のように、勧告は生きているのだから、とにかく会社へ行って連絡をしていただきたいということで両氏は帰られましたわけです。それでさらに私は疑念があるものですから、堀専務に電話をかけようといたしましたところ、鈴木氏が出て、重役会議も、重役の方にも話して了承を得たから、作業はやめることに決定した。それから私は、これから工場へ参りますから、とにかく工場にもそのことを、作業をとめるように通知をしたからという連絡がありましたので、私も安心しておったわけでございます。
それから六月十日に、火曜日に、浦安の漁業組合の方が国会並びに都庁べ陳情に参るという情報が入りましたので、私の方もその旨を、今までのことを何しまして、会社の方へ作業停止を強く要請してあることを代表の方に述べたいと思って、席に待っておったのでございますが、議事堂の前の方にいらっしゃるということを聞きまして、議事堂の前で浦安の方々とお会いしたわけでございます。ところが、現に工場は、あなた方が幾らそんなことを言っても、工場は稼働しているじゃないか、こういうことで、いや、私の方では電話連絡したところ、稼働していないということを聞いているので安心しているのだという、稼働していないということを聞いているのだ、こう話しましたところ、そういうことはないはずだ、現に稼働しているのだ、それでは行ってとめましょうということで、うちの指導部長と私と一緒に現地に自動車で行ったわけでございます。そうして、事務所で工場長にお会いしまして、そのときに、機械はとまっておりますね、こう言って念を押しましたところが、とまっておりますというので、さっそく今度の増設の設備の所へ参りましたわけでございます。ところが、機械はとまっておりました。
それから六月十一日に、とにかく六月十日にこういうふうになったんだし、公文書を出さなければいけないというので、木材の皮むき作業並びにパルプを蒸煮する作業を停止して、適当と認める除外設備ができるまで停止されたいという文書を都知事名で堀専務にお渡ししたようなわけでございます。それが今までの経過でございます。