地方行政委員会
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会
会議録情報#0
昭和三十三年六月二十日(金曜日)
午前十時三十九分開会
—————————————
委員の異動
六月十九日委員平井太郎君辞任につ
き、その補欠として森田豊壽君を議長
において指名した。
—————————————
出席者は左の通り。
委員長 小林 武治君
理事
大沢 雄一君
小柳 牧衞君
加瀬 完君
委員
伊能 芳雄君
郡 祐一君
館 哲二君
本多 市郎君
阿具根 登君
占部 秀男君
中田 吉雄君
松澤 兼人君
森 八三一君
白木義一郎君
政府委員
警察庁警備局長 山口 喜雄君
事務局側
常任委員会専門
員 福永與一郎君
説明員
警察庁警備局警
備管理官 濱中 英二君
自治庁行政局公
務員課長 今枝 信雄君
法務省刑事局長 竹内 壽平君
法務省刑事局公
安課長 川井 英良君
法務省人権擁護
局長 鈴木 才藏君
参考人
東京都建築局指
導部設備課長 太田 久雄君
東京都経済局農
林部長 関 晴香君
東京都江戸川区
葛西浦漁業協同
組合長 佐久間菊藏君
千葉県浦安第一
漁業協同組合員 柳町金太郎君
警視庁警備部長 玉村 四一君
—————————————
本日の会議に付した案件
○地方行政の改革に関する調査の件
(本州製紙江戸川工場における警備
警察に関する件)
(地方公共団体の職員の定員化に関
する件)
—————————————
この発言だけを見る →午前十時三十九分開会
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委員の異動
六月十九日委員平井太郎君辞任につ
き、その補欠として森田豊壽君を議長
において指名した。
—————————————
出席者は左の通り。
委員長 小林 武治君
理事
大沢 雄一君
小柳 牧衞君
加瀬 完君
委員
伊能 芳雄君
郡 祐一君
館 哲二君
本多 市郎君
阿具根 登君
占部 秀男君
中田 吉雄君
松澤 兼人君
森 八三一君
白木義一郎君
政府委員
警察庁警備局長 山口 喜雄君
事務局側
常任委員会専門
員 福永與一郎君
説明員
警察庁警備局警
備管理官 濱中 英二君
自治庁行政局公
務員課長 今枝 信雄君
法務省刑事局長 竹内 壽平君
法務省刑事局公
安課長 川井 英良君
法務省人権擁護
局長 鈴木 才藏君
参考人
東京都建築局指
導部設備課長 太田 久雄君
東京都経済局農
林部長 関 晴香君
東京都江戸川区
葛西浦漁業協同
組合長 佐久間菊藏君
千葉県浦安第一
漁業協同組合員 柳町金太郎君
警視庁警備部長 玉村 四一君
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本日の会議に付した案件
○地方行政の改革に関する調査の件
(本州製紙江戸川工場における警備
警察に関する件)
(地方公共団体の職員の定員化に関
する件)
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小
小林武治#1
○委員長(小林武治君) これより委員会を開きます。
まず、委員の異動を報告いたします。
昨十九日、平井太郎君が辞任され、森田豊壽君が補欠選任されました。
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この発言だけを見る →まず、委員の異動を報告いたします。
昨十九日、平井太郎君が辞任され、森田豊壽君が補欠選任されました。
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小
小林武治#2
○委員長(小林武治君) 本日は、地方行政の改革に関する調査として、本州製紙江戸川工場における警備警察に関する件を議題に供します。
前回の委員会の決定に基きまして、お手元に資料を配付しましたように、参考人として五名の方々にただいま御出席を願っております。議事の進め方といたしましては、まず、最初に参考人各位の御意見を伺い、そのあと質疑に入りたいと存じますので、この点あらかじめ御了承を願います。
それでは、これより参考人各位の御意見を伺いますが、その前に、各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中のところ、当委員会のために御出席を願いまして、まことにありがとうございました。地方行政委員会といたしましては、ただいま問題となっております事件につきましては、特に、去る六月十日に本州製紙江戸川工場において発生いたしました紛争を中心といたしまして、主として警備警察の観点からこの問題の調査を行うことと相なった次第でございます。参考人各位におかれましては、どうか忌憚なき御意見の御開陳を賜わり、当委員会の調査のために御協力を願いたいと存ずるのでございます。
なお、念のために申し上げますが、まず最初に、お一人大体十分程度で一通り実情なり御意見なりの陳述を願い、その後、委員からの質疑に対して、簡明に御答弁をいただきたいと存じますので、この点をあわせて御承知おきを願っておきます。
これより参考人各位に陳述をお願いいたします。まず、東京都建築局指導部設備課長太田久雄君に御発言を願います。太田参考人には、江戸川工場認可の経緯及び事件発生までの行政措置、及び今後の方針等について伺いたいと存じます。
この発言だけを見る →前回の委員会の決定に基きまして、お手元に資料を配付しましたように、参考人として五名の方々にただいま御出席を願っております。議事の進め方といたしましては、まず、最初に参考人各位の御意見を伺い、そのあと質疑に入りたいと存じますので、この点あらかじめ御了承を願います。
それでは、これより参考人各位の御意見を伺いますが、その前に、各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中のところ、当委員会のために御出席を願いまして、まことにありがとうございました。地方行政委員会といたしましては、ただいま問題となっております事件につきましては、特に、去る六月十日に本州製紙江戸川工場において発生いたしました紛争を中心といたしまして、主として警備警察の観点からこの問題の調査を行うことと相なった次第でございます。参考人各位におかれましては、どうか忌憚なき御意見の御開陳を賜わり、当委員会の調査のために御協力を願いたいと存ずるのでございます。
なお、念のために申し上げますが、まず最初に、お一人大体十分程度で一通り実情なり御意見なりの陳述を願い、その後、委員からの質疑に対して、簡明に御答弁をいただきたいと存じますので、この点をあわせて御承知おきを願っておきます。
これより参考人各位に陳述をお願いいたします。まず、東京都建築局指導部設備課長太田久雄君に御発言を願います。太田参考人には、江戸川工場認可の経緯及び事件発生までの行政措置、及び今後の方針等について伺いたいと存じます。
太
太田久雄#3
○参考人(太田久雄君) 私は建築局指導部設備課長の太田であります。
本州製紙の敷地は、江戸川の東の方にございまして、大正十一年ころから操業しているのでございますが、私の方の条例は、昭和二十四年八月十三日から、工場公害防止条例という条例が都議会の議決を得まして、工場から出る騒音、振動、爆発、煤煙、粉塵あるいは廃液等の人または物に与える害を除く条例でございます。その当時、本州製紙工場が稼働しておりましたので、既設工場届というものを出していただきまして、その当時はグラウンド・パルプと申すものを作りまして、なお抄紙機械を動かして、よそのところからもパルプを購入いたしまして、製紙を営んでおりました。三十二年の九月六日にNSCPのいわゆる自分のところでもパルプを作りたい、こういう申請を——増築並びに設備の増設が参ったのでございます。このNSCPは、硫酸アンモニアを使う製紙作業でございまして、その前に北区の方に一つ工場がございまして、その当時、機械がアメリカ製品でございまして、非常にその廃液について検討いたしたのでございます。何分にも日本でわずかしかない製紙パルプの製造方法でございましたので、でき上ってから私が行きまして、廃液を見ましたところ、PHがいわゆる中性である、七に近かったということで、それから繊維も、廃液をびんに取りまして見ますと、大したことがない、ただ色がついておりました。そういうふうな前の調査がございましたので、私の方ではいろいろ検討いたしました結果、江戸川の水量からながめて支障ないと認定いたしまして、三十二年の十一月の十六日に認可の形式をとったわけでございます。
その後三十三年の五月六日に、水上警察から連絡がございまして、漁民との間に紛争があるということを聞きましたので、経済局の水産課に御依頼をいたしまして、ほんとうに魚に影響があるかどうかということを御依頼したわけでございます。それからその翌日に、工場から三浦施設部長と根本調査課長が、私の方で呼びまして、来庁いたしまして、とにかくもっと廃液を出さない——だいぶ汚れているそうだが、いわゆる汚れた廃液を出さないようにしてくれというようなことを話しまして、会社の案はどうだというようなことを聞きまして、会社からもダイジェスター廃液を濃縮回収するとか、それから今までの貯水池を沈澱池に切りかえるという案がございましたが、私の方では、さらにもっと徹底的なことをしないといけないのじゃないかというようなことをお話し申し上げました。
それから五月十六日に口頭で経済局の水産課から、排水口から下流三十メートルと五百メートル及び上流の京成鉄橋の下でアユを入れて試験をしたという結果が参りました。それから五月二十八日に浦安町役場の川島観光産業課長さんが来られまして、非常に漁民が困っているから、どうしてもあの行政措置をとってほしい、こういうふうなことが参りましたので、私の方としては、都の水産課からの結果報告によって行政措置をいたします、こういうふうな御報告をしたのでございます。
それから一日置きまして五月三十日に、今度は初めて都内の漁業組合の方々が約十名参られまして、前日と同様な陳情をなさいました。で、私の方も、前日と同様な御返事しかできないので、とにかく漁業に影響があるという報告があれば、行政措置をとります、こういうふうにお伝えしたわけでございます。それから六月三日に作業を始めたという新聞記事がありましたので、さっそく会社の矢沢取締役と古川研究所長さん、それから小坂顧問と野田前工場長に来ていただきまして、どうしても水がよごれているならば、除外設備をやらなければいけない、こういうふうにお話しましたところ、漁民との間に交渉を持っておりまして、今明日中に話がつくからしばらく待ってもらいたい、こういうふうなお話でございました。
それから六月四日には、今度は都内の漁業組合の方と、それから浦安の漁業組合の方が約十名来庁いたしました。そのときに非常に漁民の方々の苦衷がわかりましたので、さっそく現場へ行ってみましょう、こういうことで、都の水産課とも連携をとりまして、六月の五日の木曜日に、船を千葉県側が一そう、東京都側が二そう御都合していただきまして、浦安沖並びに排水口までさかのぼりまして現地調査をいたしたわけでございます。その翌日、六月六日の金曜日に復命をいただきまして、非常に漁民の方々の心持が激しくなっている、こういうことと、多少「シオフキ」あたりが非常に弱っている、こういうことを聞きましたので、さっそく会社の方を呼びまして、そのときに堀専務と小坂顧問が来ましたので、私から口頭でもって、被害が全然認められないということの断定はできないから、さっそく汚水を流出するのをとめていただきたい、こういうことで強く要請いたしました。そのときに堀専務と小坂顧問は非常に渋りましたのですけれども、とにかく会社に持ち帰りましてその旨を伝えていただきたい、こういうことで了承して帰りましたわけでございます。それから、それは午前でございまして、正午ごろだったと思いますが、そのときに、都内の漁業組合の方及び浦安の漁業組合の方が約十名ばかり来られましたので、私は、会社の方へとめるように要請してあるから必ずとまりますということを申し上げまして、あなた方の苦衷はよくわかりましたということを伝えましたのですが、なお疑念が沸くと困りますから、皆さんのいる前で電話を会社にかけまして堀専務に停止するよう強く勧告をいたしまして、その場で承諾をもう一度いただいたわけでございます。そうして六月七日の土曜日に作業停止という報告が参っております。これは電話報告でございます。六月九日の——日曜日に、東京都の農林部長から、魚族に影響ある旨の公文書がうちの部長あてに参りました。
で、六月九日、月曜日の日の午前に堀専務が、作業を開始したい旨を申し出てこられたのだそうですが、ちょうど私はほかに、建築審査会にかかる工場の書類がありまして、その工場を見ておかないとちょっと返事ができない線がございましたので、午前出張しておりました。その留守中に参ったので、午後からまた参りますというて帰られたわけでございます。それから、その日の午後に鈴木孝という方と高井さんという方が来まして、作業を開始したいというような要請がありましたわけです。——ちょっとここは訂正いたします。高井氏が来られたので、午前にそういう作業開始したいという話が会社にあるということを聞いたが、それでは困る。とにかく会社は誠意を示して、作業を停止して、それから漁民と交渉いたさなければいけません。作業を開始していて交渉では困るということを強く話しまして、すぐに会社べ持ち帰って、この前のように、勧告は生きているのだから、とにかく会社へ行って連絡をしていただきたいということで両氏は帰られましたわけです。それでさらに私は疑念があるものですから、堀専務に電話をかけようといたしましたところ、鈴木氏が出て、重役会議も、重役の方にも話して了承を得たから、作業はやめることに決定した。それから私は、これから工場へ参りますから、とにかく工場にもそのことを、作業をとめるように通知をしたからという連絡がありましたので、私も安心しておったわけでございます。
それから六月十日に、火曜日に、浦安の漁業組合の方が国会並びに都庁べ陳情に参るという情報が入りましたので、私の方もその旨を、今までのことを何しまして、会社の方へ作業停止を強く要請してあることを代表の方に述べたいと思って、席に待っておったのでございますが、議事堂の前の方にいらっしゃるということを聞きまして、議事堂の前で浦安の方々とお会いしたわけでございます。ところが、現に工場は、あなた方が幾らそんなことを言っても、工場は稼働しているじゃないか、こういうことで、いや、私の方では電話連絡したところ、稼働していないということを聞いているので安心しているのだという、稼働していないということを聞いているのだ、こう話しましたところ、そういうことはないはずだ、現に稼働しているのだ、それでは行ってとめましょうということで、うちの指導部長と私と一緒に現地に自動車で行ったわけでございます。そうして、事務所で工場長にお会いしまして、そのときに、機械はとまっておりますね、こう言って念を押しましたところが、とまっておりますというので、さっそく今度の増設の設備の所へ参りましたわけでございます。ところが、機械はとまっておりました。
それから六月十一日に、とにかく六月十日にこういうふうになったんだし、公文書を出さなければいけないというので、木材の皮むき作業並びにパルプを蒸煮する作業を停止して、適当と認める除外設備ができるまで停止されたいという文書を都知事名で堀専務にお渡ししたようなわけでございます。それが今までの経過でございます。
この発言だけを見る →本州製紙の敷地は、江戸川の東の方にございまして、大正十一年ころから操業しているのでございますが、私の方の条例は、昭和二十四年八月十三日から、工場公害防止条例という条例が都議会の議決を得まして、工場から出る騒音、振動、爆発、煤煙、粉塵あるいは廃液等の人または物に与える害を除く条例でございます。その当時、本州製紙工場が稼働しておりましたので、既設工場届というものを出していただきまして、その当時はグラウンド・パルプと申すものを作りまして、なお抄紙機械を動かして、よそのところからもパルプを購入いたしまして、製紙を営んでおりました。三十二年の九月六日にNSCPのいわゆる自分のところでもパルプを作りたい、こういう申請を——増築並びに設備の増設が参ったのでございます。このNSCPは、硫酸アンモニアを使う製紙作業でございまして、その前に北区の方に一つ工場がございまして、その当時、機械がアメリカ製品でございまして、非常にその廃液について検討いたしたのでございます。何分にも日本でわずかしかない製紙パルプの製造方法でございましたので、でき上ってから私が行きまして、廃液を見ましたところ、PHがいわゆる中性である、七に近かったということで、それから繊維も、廃液をびんに取りまして見ますと、大したことがない、ただ色がついておりました。そういうふうな前の調査がございましたので、私の方ではいろいろ検討いたしました結果、江戸川の水量からながめて支障ないと認定いたしまして、三十二年の十一月の十六日に認可の形式をとったわけでございます。
その後三十三年の五月六日に、水上警察から連絡がございまして、漁民との間に紛争があるということを聞きましたので、経済局の水産課に御依頼をいたしまして、ほんとうに魚に影響があるかどうかということを御依頼したわけでございます。それからその翌日に、工場から三浦施設部長と根本調査課長が、私の方で呼びまして、来庁いたしまして、とにかくもっと廃液を出さない——だいぶ汚れているそうだが、いわゆる汚れた廃液を出さないようにしてくれというようなことを話しまして、会社の案はどうだというようなことを聞きまして、会社からもダイジェスター廃液を濃縮回収するとか、それから今までの貯水池を沈澱池に切りかえるという案がございましたが、私の方では、さらにもっと徹底的なことをしないといけないのじゃないかというようなことをお話し申し上げました。
それから五月十六日に口頭で経済局の水産課から、排水口から下流三十メートルと五百メートル及び上流の京成鉄橋の下でアユを入れて試験をしたという結果が参りました。それから五月二十八日に浦安町役場の川島観光産業課長さんが来られまして、非常に漁民が困っているから、どうしてもあの行政措置をとってほしい、こういうふうなことが参りましたので、私の方としては、都の水産課からの結果報告によって行政措置をいたします、こういうふうな御報告をしたのでございます。
それから一日置きまして五月三十日に、今度は初めて都内の漁業組合の方々が約十名参られまして、前日と同様な陳情をなさいました。で、私の方も、前日と同様な御返事しかできないので、とにかく漁業に影響があるという報告があれば、行政措置をとります、こういうふうにお伝えしたわけでございます。それから六月三日に作業を始めたという新聞記事がありましたので、さっそく会社の矢沢取締役と古川研究所長さん、それから小坂顧問と野田前工場長に来ていただきまして、どうしても水がよごれているならば、除外設備をやらなければいけない、こういうふうにお話しましたところ、漁民との間に交渉を持っておりまして、今明日中に話がつくからしばらく待ってもらいたい、こういうふうなお話でございました。
それから六月四日には、今度は都内の漁業組合の方と、それから浦安の漁業組合の方が約十名来庁いたしました。そのときに非常に漁民の方々の苦衷がわかりましたので、さっそく現場へ行ってみましょう、こういうことで、都の水産課とも連携をとりまして、六月の五日の木曜日に、船を千葉県側が一そう、東京都側が二そう御都合していただきまして、浦安沖並びに排水口までさかのぼりまして現地調査をいたしたわけでございます。その翌日、六月六日の金曜日に復命をいただきまして、非常に漁民の方々の心持が激しくなっている、こういうことと、多少「シオフキ」あたりが非常に弱っている、こういうことを聞きましたので、さっそく会社の方を呼びまして、そのときに堀専務と小坂顧問が来ましたので、私から口頭でもって、被害が全然認められないということの断定はできないから、さっそく汚水を流出するのをとめていただきたい、こういうことで強く要請いたしました。そのときに堀専務と小坂顧問は非常に渋りましたのですけれども、とにかく会社に持ち帰りましてその旨を伝えていただきたい、こういうことで了承して帰りましたわけでございます。それから、それは午前でございまして、正午ごろだったと思いますが、そのときに、都内の漁業組合の方及び浦安の漁業組合の方が約十名ばかり来られましたので、私は、会社の方へとめるように要請してあるから必ずとまりますということを申し上げまして、あなた方の苦衷はよくわかりましたということを伝えましたのですが、なお疑念が沸くと困りますから、皆さんのいる前で電話を会社にかけまして堀専務に停止するよう強く勧告をいたしまして、その場で承諾をもう一度いただいたわけでございます。そうして六月七日の土曜日に作業停止という報告が参っております。これは電話報告でございます。六月九日の——日曜日に、東京都の農林部長から、魚族に影響ある旨の公文書がうちの部長あてに参りました。
で、六月九日、月曜日の日の午前に堀専務が、作業を開始したい旨を申し出てこられたのだそうですが、ちょうど私はほかに、建築審査会にかかる工場の書類がありまして、その工場を見ておかないとちょっと返事ができない線がございましたので、午前出張しておりました。その留守中に参ったので、午後からまた参りますというて帰られたわけでございます。それから、その日の午後に鈴木孝という方と高井さんという方が来まして、作業を開始したいというような要請がありましたわけです。——ちょっとここは訂正いたします。高井氏が来られたので、午前にそういう作業開始したいという話が会社にあるということを聞いたが、それでは困る。とにかく会社は誠意を示して、作業を停止して、それから漁民と交渉いたさなければいけません。作業を開始していて交渉では困るということを強く話しまして、すぐに会社べ持ち帰って、この前のように、勧告は生きているのだから、とにかく会社へ行って連絡をしていただきたいということで両氏は帰られましたわけです。それでさらに私は疑念があるものですから、堀専務に電話をかけようといたしましたところ、鈴木氏が出て、重役会議も、重役の方にも話して了承を得たから、作業はやめることに決定した。それから私は、これから工場へ参りますから、とにかく工場にもそのことを、作業をとめるように通知をしたからという連絡がありましたので、私も安心しておったわけでございます。
それから六月十日に、火曜日に、浦安の漁業組合の方が国会並びに都庁べ陳情に参るという情報が入りましたので、私の方もその旨を、今までのことを何しまして、会社の方へ作業停止を強く要請してあることを代表の方に述べたいと思って、席に待っておったのでございますが、議事堂の前の方にいらっしゃるということを聞きまして、議事堂の前で浦安の方々とお会いしたわけでございます。ところが、現に工場は、あなた方が幾らそんなことを言っても、工場は稼働しているじゃないか、こういうことで、いや、私の方では電話連絡したところ、稼働していないということを聞いているので安心しているのだという、稼働していないということを聞いているのだ、こう話しましたところ、そういうことはないはずだ、現に稼働しているのだ、それでは行ってとめましょうということで、うちの指導部長と私と一緒に現地に自動車で行ったわけでございます。そうして、事務所で工場長にお会いしまして、そのときに、機械はとまっておりますね、こう言って念を押しましたところが、とまっておりますというので、さっそく今度の増設の設備の所へ参りましたわけでございます。ところが、機械はとまっておりました。
それから六月十一日に、とにかく六月十日にこういうふうになったんだし、公文書を出さなければいけないというので、木材の皮むき作業並びにパルプを蒸煮する作業を停止して、適当と認める除外設備ができるまで停止されたいという文書を都知事名で堀専務にお渡ししたようなわけでございます。それが今までの経過でございます。
小
小林武治#4
○委員長(小林武治君) 次に、京都経済局農林部長関晴香君から御発言を願います。
関参考人には、江戸川工場の汚水の放流が漁場に与えた影響、これに伴う措置の経過並びに今後の方策についてお述べ願います。
この発言だけを見る →関参考人には、江戸川工場の汚水の放流が漁場に与えた影響、これに伴う措置の経過並びに今後の方策についてお述べ願います。
関
関晴香#5
○参考人(関晴香君) 私どもの方に漁業者より、水が悪くて困る、会社側に善処方を望みたいという陳情がございましたのは四月二十三日に正式にございました。これは江戸川水系の九漁業権者から参ったわけでございまして、水産課及び私どもの方にございます内水面の漁場管理委員会というのがございます。この両方に要望書の提出がございました。
次に、四月二十五日、委員会におきましてこれを取り上げまして、建築局の指導部長あてに善処方の要望書を提出いたしまして、さらに私どもは、私どもの水産試験場の調査を依頼いたしまして、さらに工場を調査しようということを決定したわけでございます。続きまして、五月八日には、内水面の委員の六名の方と、水産試験場員一名と、水産課の課員二名で工場を現地に視察いたしております。その結果見ただけでございますが、これは悪質排水と一応見たところ結論を下しまして、こういう施設ではまずいではないか、もっと害のないような設備を必要とするという旨を口頭でその足で工場側に申し入れをいたしました。しかし、これは見ただけの結論でございますので、五月十三日、十四日にかけまして水産試験場と水産課と合同の上で水質並びに生物試験を実施いたしました。その結果、十六日、先ほど指導部設備課長の言うように、その結果を報告したのは十六日でございます。
その試験の内容は、結局、排水口付近並びにその下流二カ所におきまして水を取って参りまして、その水でアユ、コイとかを飼ってみまして、何時間あるいは何日たってそれが参る、死ぬというような実験がおもでございました。その結果やはり相当の悪質の水である。ただし下流に行くに従って、もちろん水量によって薄められますので、被害がゆだんだんなくなるのは当然な結果でございますが、一応排水口から相当下までには有害である。魚族は寄りつかないというのがはっきりわかって参りました。ただ、これが海水面までの影響ということは、そのときはまだ検討いたしてございませんでした。そこで私ども、そういう結果を指導部の方に連絡いたしましたので、指導部の方で先ほどのように会社側に連絡していただいたわけでございます。
そこで、五月二十四日に千葉県の浦安並びに私どもの方の関係の漁民が工場に集団陳情いたしたわけでございますが、あくる日には会社側もその結果排水を中止して、相談に応じようというようなことでございましたが、これも直ちに排水停止はむずかしいというようなことで、漁民との間に話し合いがついておりません。
五月二十六日以降三十一日までは、会社側が排水を停止して、組合側と折衝を開始したのでございますが、やはりその間の折り合いがつきませんで物別れになっております。
三十日の日には、東京都側の組合側も、適当な時期に都で一つ中に入ってこれの解決にあっせんしてもらいたいという申し入れを正式に受けたわけでございます。私どもも時期を見て——やはりこれは時期がございますので、時期を見て当然私どもの立場から中に立って、漁民側の納得のいくように、また工場もこれで納得がいかして、成り立っていくように、時期を見て当然乗り出すべきであろうというような態勢で待っていたわけでございます。ところが、その組合側と会社側の交渉を見ておりますと、なかなか水をとめるという問題で話し合いがつかないうちに日がたったわけでございますが、あらためまして私どもも、先般の調査でできませんでした海水面の被害状況を調査しようということになりまして、六月四日に調査を実施いたしました。さらに六月五日には水産課、水産試験場、それから建築局の方と一緒に現地の視察も行なったわけでございます。
その結果、やはり海水面にも影響があるということで、建築局に対しまして、会社側に操業停止をしてもらうようにお願いしたのでございますが、その後なかなか、出たりとまったりで、会社側がとめておりませんので、さらに建築局に頼みまして、会社側に対してとめるように要望いたしております。その後、やはりどうしても会社側の誠意が、とめるという誠意が疑われますので、これでは困るということで、公文書をもって、先ほど設備課長が言ったように、建築局あてに停止方を一つ命じてもらいたいという公文書で先に依頼したわけでございます。その結果、現在まで水がとまっているわけでございますが、工場といたしましては、現在ああいう排水をする以上、私どもの水産の方の立場から申し、保護の立場から申しますと、ああいう設備で、沈澱池も作らずに放流しておるということは非常に手落ちであるというような結論を下しておりますので、会社側では沈澱池を作っているようでございますが、沈澱池を作らないと、ああいうパルプ作業におきましてはこまかい繊維が流れ出ます。そうしますと、これが長期のうちには海面に停滞いたしまして、どうしても有機物でございますので、発酵いたしまして、貝類の生息に非常にこれは障害があるという結論で、この点も前々から施設の設置を申し入れたときにもそういうことを申し入れておったわけでございます。現在そういう線で会社側も沈澱池の設備を急いでいるようでございます。
私どもは、ではそれだけで果して有害——魚族に被害を与えないかということにつきましては、まだこれは疑問がございますので、一応沈澱池その他の設備の改善ができましたならば、その暁にその水をもう一ぺん検査いたしまして、できれば、それは会社側並びに漁民側、ことにこれは千葉県、東京都、両方の漁場に関係がございますので、千葉県の方にも立ち会っていただいて、そこで公正なその水についての検査を行なって、これが有害でなければ操業を開始してもいい、もし有害ならば、それが除去されるまでは水をとめてもらいたいというような意向で、そういう検査を行いたいと現在考えておるわけでございます。
これが私どもの水産資源保護の立場から考えますと、一応会社側といたしましては、海面まで達すれば非常に薄められて無害であるということは言っておりますが、そういうパルプの残滓の堆積による被害ということにつきましては、会社側も認めているようでございますので、沈澱池を今作りつつありますが、その他の面につきましては、これがやはり共同調査をいたして完全なものに持っていくためには、これはやはりもう一ぺん検査を立ち会ってやらなければならぬ、先ほど申しましたように、かように考えておりますが、もともと、この意見を申し上げますと、こういう工場の悪水の出る、これを防止するということにつきましては、東京都には先ほどの工場公害防止条例によりまして、一応は防いでいるわけでございますが、これだけでは不十分だと思っております。さらに私ども、水産資源の方には水産資源保護法という法律によりまして東京都では漁業調整規則を作っておりまして、それによって取締りもできるようになっておりますが、この取締りだけでは、工場側の施設が有害である場合に、その施設を改造または除去を命ずることができるわけでございますが、それに違反したところで大した刑罰もございませんし、罰金やわずかの刑罰であくまでも続けられるということになりますと、これは非常に不十分な規則でございますし、もっと徹底した、やはり一般の汚水防止に対します、もっと根本的な法律が出ますればやりいいんではないかというように、今般ことに問題になりましたので、いろいろ東京都の条例、それから水産資源保護法等について考慮しておりますが、なかなか十分ではないというふうに現在考えておる次第でございます。
一応今までの経過と意見を述べさせていただきました。
この発言だけを見る →次に、四月二十五日、委員会におきましてこれを取り上げまして、建築局の指導部長あてに善処方の要望書を提出いたしまして、さらに私どもは、私どもの水産試験場の調査を依頼いたしまして、さらに工場を調査しようということを決定したわけでございます。続きまして、五月八日には、内水面の委員の六名の方と、水産試験場員一名と、水産課の課員二名で工場を現地に視察いたしております。その結果見ただけでございますが、これは悪質排水と一応見たところ結論を下しまして、こういう施設ではまずいではないか、もっと害のないような設備を必要とするという旨を口頭でその足で工場側に申し入れをいたしました。しかし、これは見ただけの結論でございますので、五月十三日、十四日にかけまして水産試験場と水産課と合同の上で水質並びに生物試験を実施いたしました。その結果、十六日、先ほど指導部設備課長の言うように、その結果を報告したのは十六日でございます。
その試験の内容は、結局、排水口付近並びにその下流二カ所におきまして水を取って参りまして、その水でアユ、コイとかを飼ってみまして、何時間あるいは何日たってそれが参る、死ぬというような実験がおもでございました。その結果やはり相当の悪質の水である。ただし下流に行くに従って、もちろん水量によって薄められますので、被害がゆだんだんなくなるのは当然な結果でございますが、一応排水口から相当下までには有害である。魚族は寄りつかないというのがはっきりわかって参りました。ただ、これが海水面までの影響ということは、そのときはまだ検討いたしてございませんでした。そこで私ども、そういう結果を指導部の方に連絡いたしましたので、指導部の方で先ほどのように会社側に連絡していただいたわけでございます。
そこで、五月二十四日に千葉県の浦安並びに私どもの方の関係の漁民が工場に集団陳情いたしたわけでございますが、あくる日には会社側もその結果排水を中止して、相談に応じようというようなことでございましたが、これも直ちに排水停止はむずかしいというようなことで、漁民との間に話し合いがついておりません。
五月二十六日以降三十一日までは、会社側が排水を停止して、組合側と折衝を開始したのでございますが、やはりその間の折り合いがつきませんで物別れになっております。
三十日の日には、東京都側の組合側も、適当な時期に都で一つ中に入ってこれの解決にあっせんしてもらいたいという申し入れを正式に受けたわけでございます。私どもも時期を見て——やはりこれは時期がございますので、時期を見て当然私どもの立場から中に立って、漁民側の納得のいくように、また工場もこれで納得がいかして、成り立っていくように、時期を見て当然乗り出すべきであろうというような態勢で待っていたわけでございます。ところが、その組合側と会社側の交渉を見ておりますと、なかなか水をとめるという問題で話し合いがつかないうちに日がたったわけでございますが、あらためまして私どもも、先般の調査でできませんでした海水面の被害状況を調査しようということになりまして、六月四日に調査を実施いたしました。さらに六月五日には水産課、水産試験場、それから建築局の方と一緒に現地の視察も行なったわけでございます。
その結果、やはり海水面にも影響があるということで、建築局に対しまして、会社側に操業停止をしてもらうようにお願いしたのでございますが、その後なかなか、出たりとまったりで、会社側がとめておりませんので、さらに建築局に頼みまして、会社側に対してとめるように要望いたしております。その後、やはりどうしても会社側の誠意が、とめるという誠意が疑われますので、これでは困るということで、公文書をもって、先ほど設備課長が言ったように、建築局あてに停止方を一つ命じてもらいたいという公文書で先に依頼したわけでございます。その結果、現在まで水がとまっているわけでございますが、工場といたしましては、現在ああいう排水をする以上、私どもの水産の方の立場から申し、保護の立場から申しますと、ああいう設備で、沈澱池も作らずに放流しておるということは非常に手落ちであるというような結論を下しておりますので、会社側では沈澱池を作っているようでございますが、沈澱池を作らないと、ああいうパルプ作業におきましてはこまかい繊維が流れ出ます。そうしますと、これが長期のうちには海面に停滞いたしまして、どうしても有機物でございますので、発酵いたしまして、貝類の生息に非常にこれは障害があるという結論で、この点も前々から施設の設置を申し入れたときにもそういうことを申し入れておったわけでございます。現在そういう線で会社側も沈澱池の設備を急いでいるようでございます。
私どもは、ではそれだけで果して有害——魚族に被害を与えないかということにつきましては、まだこれは疑問がございますので、一応沈澱池その他の設備の改善ができましたならば、その暁にその水をもう一ぺん検査いたしまして、できれば、それは会社側並びに漁民側、ことにこれは千葉県、東京都、両方の漁場に関係がございますので、千葉県の方にも立ち会っていただいて、そこで公正なその水についての検査を行なって、これが有害でなければ操業を開始してもいい、もし有害ならば、それが除去されるまでは水をとめてもらいたいというような意向で、そういう検査を行いたいと現在考えておるわけでございます。
これが私どもの水産資源保護の立場から考えますと、一応会社側といたしましては、海面まで達すれば非常に薄められて無害であるということは言っておりますが、そういうパルプの残滓の堆積による被害ということにつきましては、会社側も認めているようでございますので、沈澱池を今作りつつありますが、その他の面につきましては、これがやはり共同調査をいたして完全なものに持っていくためには、これはやはりもう一ぺん検査を立ち会ってやらなければならぬ、先ほど申しましたように、かように考えておりますが、もともと、この意見を申し上げますと、こういう工場の悪水の出る、これを防止するということにつきましては、東京都には先ほどの工場公害防止条例によりまして、一応は防いでいるわけでございますが、これだけでは不十分だと思っております。さらに私ども、水産資源の方には水産資源保護法という法律によりまして東京都では漁業調整規則を作っておりまして、それによって取締りもできるようになっておりますが、この取締りだけでは、工場側の施設が有害である場合に、その施設を改造または除去を命ずることができるわけでございますが、それに違反したところで大した刑罰もございませんし、罰金やわずかの刑罰であくまでも続けられるということになりますと、これは非常に不十分な規則でございますし、もっと徹底した、やはり一般の汚水防止に対します、もっと根本的な法律が出ますればやりいいんではないかというように、今般ことに問題になりましたので、いろいろ東京都の条例、それから水産資源保護法等について考慮しておりますが、なかなか十分ではないというふうに現在考えておる次第でございます。
一応今までの経過と意見を述べさせていただきました。
小
小林武治#6
○委員長(小林武治君) 次に、東京都江戸川区葛西浦漁業協同組合長の佐久間菊藏さんにお願いします。
佐久間参考人からは、会社及び官公署との交渉連絡等を中心とした事件の経過、概要についてお述べを願います。
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佐
佐久間菊藏#7
○参考人(佐久間菊藏君) この発生につきましては、ただいま課長さんあるいは部長さんから、この経緯について官庁の方の、私ども上りました経緯についてはお話がございましたので、これを略しまするが、要するに、今回の放流の事態は、御存じのごとく、千華県と東京都の境の江戸川水系でございますので、若干趣きも違っております。また、土地柄と申しますか、そういったことにつきましても相当の開きがあるように考えられます。もちろん、浦安町と葛西のあの両河面に属する漁業の形態はほぼ同じでございます。従いまして、組合員の数もほぼ匹敵しておりまして、利害関係はおのおの五分の立場に立っておると考えます。ただ東京都の葛西の場合は東京都に属しておりまするが、浦安町の漁師町と違いまして、半農半漁の形態が浦安町よりも多いようでございます。会社側は、この交渉に当りまして、私ども最初に上りましたのは五月十二日でございまするが、先ほど部長さんのお話がございました通り、四月の二十三日に陳情書を提出してあります。それは先ほどお話がございました通り、内水面関係の組合が、御存じの通り内水面の漁業権というものは、放流事業、すなわちコイとかフナとかあるいはウナギ、またはアユ等の稚魚を放流する義務を持っております。その義務とすることにおいて河川漁業の漁業権を獲得するということになっておりまするので、そういったことの実情をよく書面に書きまして、この事実の損害についての内容を書きまして、そうして何といってもあの大量の放流を完全な処置をしていただいて流してもらいたい、さもなければあの放流を中止してもらいたい。しこうして四月の一日からあの事業を始めて黒い水を流しておる期間の、五月十二日に至る約四十日間のこの黒水に対する損害の補償のことも考えてほしいというような文面でございます。それを四月の二十三日に提出しております。その後二、三回、これは二、三人で、日にちは忘れましたが交渉にごく内輪で伺いましたが、電話等で伺いましたが、何の反応もありません。たまたま五月の十二日の、潮どきの関係と申しますか、あの水系が極度に黒く変色いたしましたので、地元が相当に騒ぎだしましたので、千葉県の浦安町の本組合の組合長と私と、また理事が一名ずつ付きまして、四人で最初の会見をしております。そのときには工場の方は朝永総務課長がただ一人会見に当っておりまするが、あなた方の申されるようなことはないと思う、そういったことは初耳だというようなことで、会社の幹部とよく相談をして善処しましょうというぐらいな抽象的な回答で別れております。次に、十三日にも同じように、放流をとめてもらうかあるいは何とか処置をしてもらいたいということを申し出ましたが、やはり前日と同様、会社の幹部とよく相談して善処しましょうというようなことを申しております。そうして、今までの御迷惑をかけていることについては、何らかの形においてお答えをしましょうという程度の回答をしております。
十五日、十六日、十七日というように行っております。十七日は会社の幹部の四名が船に乗りまして、水系を調べましたが、あいにくの雷雨で中止しております。その後ずっと交渉に入っておりましたが、徹頭徹尾、幹部のいわゆる本社の重役連中と相談をして、はっきりと会社でも善処をするということを二、三回繰り返しておりましたが、様子を承わりまするところ、会社側は五月中においては、本社の重役連中とは一切話はしておらないようでございます。会社の工場長、以下各課長、部長程度の者が会社内において相談をして、どっちかといいまするとあまり誠意は示しておりません。たまたま二十四日、浦安町の漁船約三十隻、推定でございまするが、三百名程度と思います。東京側が約七十名、こういった数で、すべて船で行きまして、放流個所を見まして、そうして会社に中止してもらうよう強力な交渉をいたすべく上りましたるところ、若干の小ぜり合いがございまして、会社から汚水の流れる水のマンホールのふたをあけましてそれをとめた、れんが等を入れてとめまして、事務所等のガラスも二、三枚破壊しておりますが、そのときに小松川警察署長さんみずから、三十名程度の警官が来まして鎮撫しております。代表者が会社の事務室に入りまして、約、代表者が八名程度と思いますが、会社側で新旧工場長、その他事業部長、職員の組合長等が会いまして、すでに破壊によりまして工場の水はとまりましたので、やむなく工場の黒い水を流すことは中止しております。しかしながら、従来からやっております白い水の出る方の機械は運転しておりました。そのときの会見におきまして、白い水の流れる機械はともかく、今まで障害はあったけれども、無害とはいえないけれども、この程度のものば会社の立場もあるから黙許してやろう。黒い水を流すことについては被害もおいおいはっきりしてくる段階にあるから中止してほしいということで、会社もそのときの私どもの気持をのみ込みまして中止しております。たまたまその間、いろいろ会社の経営面において黒い水を流す機械も回さなくちゃならないということで、浦安の本組合あるいは葛西等に、会社の事業部長あるいは事業課長等が、何とか黒い水を流すことについて了承していただきたいと、それについては損害をこうむっていることについてもはっきりすれば御相談に応ずるというような、いわゆる懐柔政策といいますか、そういったことで個々に訪問をしております。しかしながら、損害をこうむったことよりも、むしろ今後黒い水を流してもらうこの事実こそ漁民の最もおそれることだというので、強硬に、この点はいれませんで中止方を、はねております。しかるところ、五月二日にそういった交渉段階において流しております。約この間五日か六日続けております。そうして、先ほど設備課長さんからお話がございました六月の四日か五日に都の方へも参りまして、都の方の勧告によって中止しておりまするが、先ほど設備課長さんからお話がございました、監督官庁に私どもがお伺いをしたということは、あの大量の汚水を、会社が何の施設もなく——参考までに申し上げまするが、あの鉄管、約四十五センチか五十センチであろうかと思います、直径。その鉄管から二本どうどう出している大量の水というものは、会社で言うごとく、大したあなた方に損害を与えるほどの悪い水じゃないということもわかりまするが、問題は多量でございます。しかも薬品が入っているということは、ことしのドライも関係しておりまするが、下流に参りますると、海の水も相当にありまするので、塩水ということば言うまでもなく、いろんな薬品の作用を起すものでございまして、化学作用といいますか、酸化作用といいますか、非常に黒く変化するのでございまして、かえって下流に流れていった方が黒く変色をするという、こういう事態になっておりますので、あの大量の水を流すということは、何か工場法あるいは都条例等において、工場の取締規則に抵触していないかということをお聞きするために監督官庁の方へ上ったような次第でございまして、その措置は、先ほど課長さんから申された通りでございまするが、私どもがたびたびそういったことで取締りの点についての疑問はないかということで官庁の方へお願いをしております。その間、お話もございました通り、いろいろ水産動植物についての試験場の試験もございまして、はっきりと、程度のこまかいデータは別としましても、はっきりと損害をこうむっているということは、科学的にもこれは調べておられまして、また長年の漁業を専門にやっております私どもの勘からいいましても、当然これはうなずけることなのでございます。一たびノリの養殖時期ともなりますると、この損害はむしろ大きいのじゃないか。ノリの生活史上における夏のノリの胞子の潜伏時期といいますか、そういったことについて、かよわい胞子の潜伏期においてこうした沈澱する悪い水が流れたならば、ノリの胞子も減るのじゃないかという一つの憂いもいえるわけでございます。幸にしてノリの時期ははずれておりますので、まだ損害は少いということがわかるわけでございます。
たまたま、そういったことでございまして、先ほどちよっと部長さんからお話がございました、七日から八日につきまして仲介人が入っております。これは、こういった紛争の中に入る仲介者というものの人格は、いずれにいたしましても、非常に巧妙な手段を使っておりますので、私どもも一時まかした形も出たわけでございまするが、よく調べてみますると、会社の、極端な言葉でございますが、回し者といいますか、会社の回した人物でございまして、あの組合は会社の言い分を賛成したから君たちも一応のんだらどうだ、ある組合に行けば、東京都側は納得したから君たちも納得をしろというような手を使っております。結局、それというのもあとでばれましたので、それはとうとう立ち消えになりましたが、たまたま六月の九日の夜というものは、東京都あるいは浦安町の両方の関係において夜も寝ずに騒然といたしまして、ついに十日のあの事態が惹起した次第でございまするが、以上でございまして、なお諸先生方の御質問についてまたお答えをしたいと、かように存じますので、以上をもって私のお話を終ります。
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たまたま、そういったことでございまして、先ほどちよっと部長さんからお話がございました、七日から八日につきまして仲介人が入っております。これは、こういった紛争の中に入る仲介者というものの人格は、いずれにいたしましても、非常に巧妙な手段を使っておりますので、私どもも一時まかした形も出たわけでございまするが、よく調べてみますると、会社の、極端な言葉でございますが、回し者といいますか、会社の回した人物でございまして、あの組合は会社の言い分を賛成したから君たちも一応のんだらどうだ、ある組合に行けば、東京都側は納得したから君たちも納得をしろというような手を使っております。結局、それというのもあとでばれましたので、それはとうとう立ち消えになりましたが、たまたま六月の九日の夜というものは、東京都あるいは浦安町の両方の関係において夜も寝ずに騒然といたしまして、ついに十日のあの事態が惹起した次第でございまするが、以上でございまして、なお諸先生方の御質問についてまたお答えをしたいと、かように存じますので、以上をもって私のお話を終ります。
小
柳
柳町金太郎#9
○参考人(柳町金太郎君) 暴力警官がわれわれ浦安町漁業民に対する暴行を加えたことにつきまして、今からお話し申し上げます。
私は浦安町第一漁業協同組合に属する組合員の一員であります。住所は浦安町堀江千百五十番地に住む柳町金太郎と申す者でございます。
今回、本州製紙より悪水放出に対する対策のための町民大会が去る六月十日午後一時に開催され、それは浦安町幼稚園でございます。私もその席上に出席しまして、そのとき小安浦次氏の開会のあいさつに引き続きまして、議長選出に移り、議長選出の方法を議場に諮りたるところ、議場において議長に岡島多三郎氏にと発言があり、これに満場一致で賛成がありました。岡島氏を議長に推し、岡島氏は即時議長に就任し、引き続き議長としての就任あいさつがあって、これより浦安町漁業協同組合長の本州製紙悪水放出反対に対する交渉の経過報告があり、引き続き浦安町町長のの悪水放出の反対の陳情並びに交渉の経過報告が終り、なお引き続き、浦安町漁業協同組合総代会議長醍醐喜一氏の悪水放出に関する交渉の一部経過報告の後、浦安町長より陳情の際の暴力防止注意事項あって後、議長発言によって各所陳情の決議文が朗読され、終って司会者小安浦次氏によって閉会を宜し、即時十台の観光バスに約八百人(推定)が分乗して、浦安町を経て国会及び東京都庁、本州製紙工場に向って出発をしました。
しかし私は、バスの満員のためと、私のやむにやまれぬ都合上のために自宅に帰って参りました。それから私は夕方まで、無事に陳情を終り皆さんが帰宅することを心から漁町民の一員としてお祈りしておりましたところが、ちょうど午後九時ころと推定する時刻に、自宅で私がテレビを見て、何の気もなく戸外に出ると、ちょうど私の家は川沿いにございます。そのために、何の気もなく川向うで話をしているのを耳にしました。そのとき、今、本州製紙工場内で漁民のみんなが騒いでいるということを聞きましたので、心配の余り本州製紙工場に行ってみたところ、何か人の話を耳にしたところ、だれか大けがをしたということを耳にしたので、これは大へんだと思いまして、工場の表門まで行ってみると、漁民の皆さんが騒いで、何とかしてとめられるものならと思い立ちまして、私としましても、元浦安町の町議会議員だった関係と、漁民の代表であったこともありまして、そのため何とかしてしずめたいと思いまして、人をかき分けまして警察官のところへ行きました。警察官の皆さんの中には、どなたか指揮官の方がおるでしょうか、皆さんに指揮官の方がおりましたら、漁民のこの沸騰した騒ぎを、ぜひ指揮官の方が納得のいくようにお話しできれば、何とかしずまるだろうと、再三懇請したのであります。それについて警察官は何としても耳をかしてくれませんでした。そのうち、指揮官らしき人の声によって、突っ込めというと同時に私はめった打ちにされました。それも、しかも警棒でたたかれ、くつでけられ、血まみれになって——私は日本の国民であります。助けてくれとは決して言いません。その際、おれを何をするんだ、おれに何をするんだということを叫んだのであります。しかしながら相手は全部警官でありました。遺憾ながら警官だったので、だれも助けてくれるはずはありません。そのうち、私ちょっと見た瞬間、ネズミ色の指揮官らしき警察官の方が、その黒い暴力警官をかき分けて、そうして私を助けてくれた。この方がかばってくれなかったならば、今私はこの世のものではないと私は思います。これは名前をはっきり申し上げます。私は顔を見まして、その態度から、自分を助けてくれた人はどなたかという熱心から、ようやくその方のあり方がわかりました。それは千葉県の葛南警察署長さんです。それは、私はこの間はっきりお礼を申し上げて参りました。
警察官としてあの際私に対しての行動は、どう考えますか。警察官としたならば、国民を保護する立場に置かれるものではないかと私は思います。それに対して、暴行を加える、間違えば死の一歩手前までの行動は断固として許しがたいことと思います。これが反対の立場であったならば大へんなことでしょう。暴言を吐いたとか暴力をふるった場合には、警察官は何をもってするか。警察官は、公務執行妨害ですぐ検束されるでしょう。それに対して、われわれ良民に対して警察官が暴行を加えた場合の処置はどうする、どういう法律があるかということを私は叫ばざるを得ません。ぜひこの点について、でき得るならば、関係当局の方々に、直接関係ある指揮官に対して処断をお願いしたいと思います。それから、まだ私以外に、警棒その他で相当の負傷者が出ております。葛南病院の医師の診察によって判明した者が、ここに五十名中、警棒でなぐられ、くつでけられ——零細漁業に一日でもできなければ生活に困る人が、警棒でなぐられ、くつでけられた者が四十三名おります。その他の者は五名、約五十名。それで、あとは、私ほか数十名の者が上野の池之端の金井病院におります。しかも、そのうち佐藤金蔵——一昨日の法務委員会におきまして警察当局の、質問に対するお答えも十分聞いておりました。うそが大部分と私は推定します。そのほか、まだ軽傷でいる者が約百名近くおると思います。その方々は、漁民であるがゆえに、われわれも漁民でありますが、何も口のきけない人が大部分です。言いたくとも言えない、警察官がおそろしい、警察官になぐられる者は泣き寝入りになるのだ、われわれが暴力をふるった場合には警察官は公務執行妨害だ、そんな片手落ちの法律がどこにあるということを私は断ぜざるを得ません。そこで、ここに負傷者の氏名が書いてございますから、これを一々読み上げますから、これによって一応御了承願います。
この発言だけを見る →私は浦安町第一漁業協同組合に属する組合員の一員であります。住所は浦安町堀江千百五十番地に住む柳町金太郎と申す者でございます。
今回、本州製紙より悪水放出に対する対策のための町民大会が去る六月十日午後一時に開催され、それは浦安町幼稚園でございます。私もその席上に出席しまして、そのとき小安浦次氏の開会のあいさつに引き続きまして、議長選出に移り、議長選出の方法を議場に諮りたるところ、議場において議長に岡島多三郎氏にと発言があり、これに満場一致で賛成がありました。岡島氏を議長に推し、岡島氏は即時議長に就任し、引き続き議長としての就任あいさつがあって、これより浦安町漁業協同組合長の本州製紙悪水放出反対に対する交渉の経過報告があり、引き続き浦安町町長のの悪水放出の反対の陳情並びに交渉の経過報告が終り、なお引き続き、浦安町漁業協同組合総代会議長醍醐喜一氏の悪水放出に関する交渉の一部経過報告の後、浦安町長より陳情の際の暴力防止注意事項あって後、議長発言によって各所陳情の決議文が朗読され、終って司会者小安浦次氏によって閉会を宜し、即時十台の観光バスに約八百人(推定)が分乗して、浦安町を経て国会及び東京都庁、本州製紙工場に向って出発をしました。
しかし私は、バスの満員のためと、私のやむにやまれぬ都合上のために自宅に帰って参りました。それから私は夕方まで、無事に陳情を終り皆さんが帰宅することを心から漁町民の一員としてお祈りしておりましたところが、ちょうど午後九時ころと推定する時刻に、自宅で私がテレビを見て、何の気もなく戸外に出ると、ちょうど私の家は川沿いにございます。そのために、何の気もなく川向うで話をしているのを耳にしました。そのとき、今、本州製紙工場内で漁民のみんなが騒いでいるということを聞きましたので、心配の余り本州製紙工場に行ってみたところ、何か人の話を耳にしたところ、だれか大けがをしたということを耳にしたので、これは大へんだと思いまして、工場の表門まで行ってみると、漁民の皆さんが騒いで、何とかしてとめられるものならと思い立ちまして、私としましても、元浦安町の町議会議員だった関係と、漁民の代表であったこともありまして、そのため何とかしてしずめたいと思いまして、人をかき分けまして警察官のところへ行きました。警察官の皆さんの中には、どなたか指揮官の方がおるでしょうか、皆さんに指揮官の方がおりましたら、漁民のこの沸騰した騒ぎを、ぜひ指揮官の方が納得のいくようにお話しできれば、何とかしずまるだろうと、再三懇請したのであります。それについて警察官は何としても耳をかしてくれませんでした。そのうち、指揮官らしき人の声によって、突っ込めというと同時に私はめった打ちにされました。それも、しかも警棒でたたかれ、くつでけられ、血まみれになって——私は日本の国民であります。助けてくれとは決して言いません。その際、おれを何をするんだ、おれに何をするんだということを叫んだのであります。しかしながら相手は全部警官でありました。遺憾ながら警官だったので、だれも助けてくれるはずはありません。そのうち、私ちょっと見た瞬間、ネズミ色の指揮官らしき警察官の方が、その黒い暴力警官をかき分けて、そうして私を助けてくれた。この方がかばってくれなかったならば、今私はこの世のものではないと私は思います。これは名前をはっきり申し上げます。私は顔を見まして、その態度から、自分を助けてくれた人はどなたかという熱心から、ようやくその方のあり方がわかりました。それは千葉県の葛南警察署長さんです。それは、私はこの間はっきりお礼を申し上げて参りました。
警察官としてあの際私に対しての行動は、どう考えますか。警察官としたならば、国民を保護する立場に置かれるものではないかと私は思います。それに対して、暴行を加える、間違えば死の一歩手前までの行動は断固として許しがたいことと思います。これが反対の立場であったならば大へんなことでしょう。暴言を吐いたとか暴力をふるった場合には、警察官は何をもってするか。警察官は、公務執行妨害ですぐ検束されるでしょう。それに対して、われわれ良民に対して警察官が暴行を加えた場合の処置はどうする、どういう法律があるかということを私は叫ばざるを得ません。ぜひこの点について、でき得るならば、関係当局の方々に、直接関係ある指揮官に対して処断をお願いしたいと思います。それから、まだ私以外に、警棒その他で相当の負傷者が出ております。葛南病院の医師の診察によって判明した者が、ここに五十名中、警棒でなぐられ、くつでけられ——零細漁業に一日でもできなければ生活に困る人が、警棒でなぐられ、くつでけられた者が四十三名おります。その他の者は五名、約五十名。それで、あとは、私ほか数十名の者が上野の池之端の金井病院におります。しかも、そのうち佐藤金蔵——一昨日の法務委員会におきまして警察当局の、質問に対するお答えも十分聞いておりました。うそが大部分と私は推定します。そのほか、まだ軽傷でいる者が約百名近くおると思います。その方々は、漁民であるがゆえに、われわれも漁民でありますが、何も口のきけない人が大部分です。言いたくとも言えない、警察官がおそろしい、警察官になぐられる者は泣き寝入りになるのだ、われわれが暴力をふるった場合には警察官は公務執行妨害だ、そんな片手落ちの法律がどこにあるということを私は断ぜざるを得ません。そこで、ここに負傷者の氏名が書いてございますから、これを一々読み上げますから、これによって一応御了承願います。
小
小
柳
柳町金太郎#12
○参考人(柳町金太郎君) 右のような事情でございますから、警察当局はもちろん、関係当局におかれましても十分に、われわれ漁町民はもとより、国民が、警察官をこわいものでないということを、警察官と国民のあり方をはっきりとお示し願いたいと存じます。
この発言だけを見る →小
玉
玉村四一#14
○参考人(玉村四一君) 六月十日の本州製紙の事件についての概要について簡単に御説明申し上げます。
六月十日に浦安町の漁民の人々が約七百名、町民大会を開きまして、国会、それから都庁、本州製紙の会社に対して陳情並びに決議文の手交というような集団的な行動があるということにつきましては、あらかじめ千葉県当局から情報を得ておったのであります。しかしながら、実のところを申し上げますと、私どもの考えといたしましては、その陳情団が町長さん、議長さんあるいは漁業組合長さんというような町の幹部の人々が引率をされてこられることでありますし、また、国会陳情につきましては、川島幹事長が代表者と会うという約束をすでにされておる、面会についても何らの手違いもないというようなことなどから、純朴な漁民の人々が事をかまえるということはなかろうというので、実は何らの警備措置をしておらなかったのであります。ところがその十台のバスに乗って国会前のチャペル・センターのところに到着しましたのが二時十九分ごろと思いますが、チャペル・センターの前が自動車をとめるのに適当でないというので、警察官の誘導で永田町小学校の前に自動車をとめて、そこに一般の人々は乗っておってもらう、それから代表者は国会に向うということであったのであります。ところが、二時四十分過ぎでありますが、その全部の人がバスから降りられまして、この参議院のそこの道路を交通整理しておったのでありますけれども、交通整理の警察官の指示を無視して突っ走った。そしてそれが集団になって二、三百人の人々が参議院の常任委員会室に——これはだれかが間違って、川島幹事長は参議院のあの建物の中におるのだということだったのだと思いますが、そこへかけ足でだっと押し寄せてしまって、中に百人余りの者が入り込んだ。そのためにそこのガラスをこわしたり、あるいは植木鉢をひっくり返してこわしたような派生的な事件が起きたのであります。代表の人々は川島さんと会いまして、そして川島さんが永田町小学校の付近で全部に会う、全部から陳情を聞くという話を聞いてきて、それを引率して帰ろうとしたのでありますが、この常任委員会の建物の周辺で、なかなか統制に服さない。そこで町長さんに警察の広報車をお貸しいたしまして、その広報車によって、幹事長は永田町小学校の建物の付近で会うのだからそちらへ行こうというので、ようやく全体が永田町小学校の方へ移って、そこで陳情をして終った、こういう状態が発生をしたのであります。
その事態が起きましてから、実は警視庁といたしましては、これはなかなかそう簡単なことだけではいかぬ、やはり行く先、行く先であるいはこういうことが起きやせぬか、そのためには、もし起きた場合には最小限度でそういう秩序を保っていただくように配意をしなくちゃいかぬというので、都庁に対しましても、所轄署に言いつけまして一応の手配をしました。また本州製紙の本工場に対しましても、もし事態が起きたならば、それを最小限度に整理することができるように手配をしなさいということを所轄署に言いつけました。小松川の工場に対しましても、工場へ行ったら、そういうことが起きるかもわからぬというので、小松川署長にもそのことを指示したのであります。そしてこの状態を、国会の周辺でやや統制のとれない集団としての行動があるという情報を伝えたところ、小松川警察署を管轄しております七方面の本部長から、小松川署の署員だけでは——当時交通安全運動の最終日でありましたので、そういうことなどに人がたくさん取られておるので、機動隊の応援派遣を求めたいという申し入れがありました。そこで、四時二十分ごろだと思いますが、第二機動隊の三個中隊を小松川警察署まで派遣をするという指示を私がいたしたのであります。
そこで、その際、小松川警察署長と本州製紙の工場との間に、いろいろなそれぞれの情報について話し合いをしておったのでありますが、本州製紙の工場からも、工場の中で待機をしてもらいたいという出動の要請がありました。私の方は、警察側の立場として、これはやはり事前に配置をしておいた方が、もし事が起きたときに最小限度に食いとめられる、そういうことを措置できるというつもりで派遣を命じたのでありますけれども、会社側からもそういう応援の、要請がありましたので——しかしながら、漁民の人々を刺激してはいけないというので、五時三十分ごろに、工場の食堂に全員を入れまして、建物の中に入れまして、そこで待機をするということにしたのであります。
この際、この工場の実情をちょっと申し上げますと、工場は、正門から入りまして、約七十メートルくらい直線の道路があります。その七十メートルくらい行ったところに倉庫が三棟あって、事務所がその次の建物にある。それを直角に左に曲りまして、建物の間をさらに百二、三十メートル行って、一番端のところの左側にその食堂があるのであります。その食堂の中に全員を入れたのでありまして、工場の入口とか、その他のところには警察官の配置は全然しておらなかった。といいますのは、初めからこういう問題になるような行動が起きるということを考えておらなかった。また先ほど、どなたかの御発言にもありましたように、五月二十四日にも千名近い者が集団交渉に行かれたのでありますが、その際にも三百人くらいの人が工場の構内に入りまして、さらにそのうちの代表者が工場長その他と折衝したのでありますけれども、この際にも、先ほどお話がありましたように、マンホールへれんが、石を入れまして、そのマンホールの機能を阻害した、あるいはガラスをこわしたり、電話機をこわしたというような散発的な暴力行為があったのでありますが、それを、先ほどお話がありましたように、三十名程度の警察官が行きましてなだめて帰したという実情があります。そういうことでありますので、それほど大きな問題になるということは考えておらなかったのでありますが、この集団は、三時五十五分にバスで国会を出発いたしまして、それが皇居前広場の楠公銅像付近でバスをとめまして、そうして代表者十四名だけが都庁へ行ったのであります。そうして指導部長やあるいは施設課長ですか、そういう人に会われたのじゃないかと思うのですが、四時五十分に都庁でそれらの人と面会をしておるのであります。それで五時十二分に皇居前を出まして、大体六時八分ごろと思いますが、そのころに工場の正門に着いたのであります。これはあとで調べてわかったことでありますが、工場の正門は、そのとき鉄の格子のとびらが閉めてあった。そうしてその工場の守衛が、そこへ何かこういう外へ札を出しまして、代表者を何名か、五名でしたか、五名以外は立ち入り禁止という、代表者何名というのが小さい字で書いてあったそうですが、外から見ますと、立ち入り禁止という言葉を大きく表わしたものを、こういうものをそこにかけた。そこで、そのバスに乗った人は、何だ、全然入れないのかということが原因になったのではないかと思いますけれども、どっとおりて、その門を乗り越えて、そうして、先ほど申しました直線七十メーターくらいのこの倉庫のところをまた曲って、そうして左に曲って、右側にあります事務所などに対しまして石を投げ、棒きれでたたき、足げりしたりして、ガラスやとびらをこわしたり、あるいは工場長の部屋を、入口から距離にはかって十四、五メーター、曲り曲って、そういうところに行くまでの器物をこわすというようなことが発生をしたのであります。
そのことが発生したことを待機しておりました警察官が知りまして、急遽その待機しておった食堂の中から飛び出しまして、そうして漁民の人に接触したのが、ちょうど直角に曲って、工場を直角に曲ったところから食堂に行くちょうど中間のところ、中間のあたりで警察官が出てきて漁民と対峙した、こういう格好になるのでありまして、対峙しましたのは入口から約百メーター、百二、三十メーター以上のところの場所であります。この場所で、警察官が行って、やめやめといって制止をし、それから、現に破壊行為をやっております人々四名を検挙いたしました。現行犯として検挙したのでありますが、その際、警察官に対しまして、その周辺にありました石やコンクリートのかけらなどを盛んに投石しまして、警察官は実はそういう事態になると思っていなかったものですから、普通の制服制帽の格好で行っておりましたので、そこでけが人を出しまして、こういう事態が起きまして、これは、しかも漁民の人々は、ただ石を投げるということでなしに、検挙者を返さなければ帰らぬ、検挙者を返せということですわり込みをした、これは六時十五、六分ごろの状況であります。
そこで、警察といたしましては、できるだけこの事態をすみやかに処理をしたいと考えまして、そうして何とか早くこれを処置しなければいかぬじゃないかということで、町長や関係者の幹部を呼びまして、町長も実は何回も警察のマイクを使って一般の人々に、われわれは代表であるから、諸君はそういう乱暴はせぬでくれということを何回も言うておったのであります。こういう状態におきまして、実は二機動隊がだいぶけが人を出しましたし、しかも数百人の群衆と対峙しておる間に盛んに投石をされるというような状態にありますので、どうも部隊勢力が足りない、すみやかに部隊を増強してもらいたいという要望がありまして、六時三十分に第四機動隊、それから六時五十分に第三機動隊の応援派遣をいたしました。従って、その現場に着きました警察官は、最終的には七時三十分ころでありますが、七時三十分ころには約六百名くらいの警察官が集まった、到着したということになるのであります。しかしながら、これは第一次的な衝突が六時十五分から二十分までに終ってからの対峙しておる部隊であります。しかもそのうちの第三機動隊全員は、この会社の工場内にあります、液体塩素ですか、何かものすごい被害を与える薬品の倉庫といいますか、そういうものがあるのであります。それが二つあるのでありますが、一つ破壊すると四里四方の人間に被害を及ぼすというようなものだそうであります。そういうものを防護するために配置をしたり、あるいはガソリン倉庫を防護するために配置をしておりましたので、実際にその人々と対峙をしておったのは第二機動隊と第四機動隊・約四百名ぐらいのものであります。
それからその後、六時十五分ごろからずっと九時半ごろまでの間は、大体十回程度の投石が、思い出したように石を投げてくる、それによって新聞記者の人もけがをするというような状況が発生をしております。しかも、うしろの方から、ずいぶん遠いところから石を投げますので、すわり込んでいる人々のところべも石が飛んでくるというような状況でもあったのであります。それで九時三十分ごろまで約三時間対峙をしておりました。
私は、できるだけ手間をかけてこれらの人々の退去を求めるという七方面本部長の意見と私の意見が一致をしまして、できるだけ、くたびれるだろうけれども、手間をかけてやろうじゃないかということで、本部で私は指揮をしておったのであります。ところが、九時四十五分ごろでありますが、そのすわり込んで対峙をしておる場所でなくて、第四機動隊が構内奥深く侵入するのを防ぐためにあらかじめ配置をしてあった、入口から直線に入った、倉庫と倉庫との間のところに、三輪車を先頭にしまして約百名ぐらいの人々がその警戒線を突破した、このころはだいぶ漁民の人々は酒を飲んでおったようでありますが、酒の勢いにもまかせてか、その付近にあった消火器やあるいは交通標識の棒や、板きれや、あるいは丸太ん棒や石やというようなものを投げかけながら突進をしてきたのであります。その現場で約十名以上の警察官がそれによって負傷をしました。たまたまそのときに、故意であったか、あるいは投げた棒か何かがさわったのでありますか、会社の電線がスパークをいたしまして、その倉庫の壁がまさに焼かれようとするような状況にあった。またそのときに火事になるといって騒いだところが、消防車を引っぱり出してきて、その消防車をひっくり返しておるというような状況があり、しかも警察官に対しまして、先ほど申しましたような暴行などが、石などが盛んに飛んでくる状況にありましたので、やむを得ずこれらの人々を退出させなければならないということで、この際、初めてその部隊の一部が警棒を使ってこの人々を門外に押し出したのであります。その後、門外に押し出された人々が、六回にわたって、自転車やあるいはその辺にある石や、いろいろのものを投げ込んできたり、あるいは四回にわたって門を開いて、その警察官が警戒しておる中に突っ込んできたり、繰り返しておったのでありますけれども、大体十一時二十分ごろにおおむねこれらの人々は退散をしておるというような状態であったのであります。
概要は以上のようであったことを御報告申し上げます。
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その事態が起きましてから、実は警視庁といたしましては、これはなかなかそう簡単なことだけではいかぬ、やはり行く先、行く先であるいはこういうことが起きやせぬか、そのためには、もし起きた場合には最小限度でそういう秩序を保っていただくように配意をしなくちゃいかぬというので、都庁に対しましても、所轄署に言いつけまして一応の手配をしました。また本州製紙の本工場に対しましても、もし事態が起きたならば、それを最小限度に整理することができるように手配をしなさいということを所轄署に言いつけました。小松川の工場に対しましても、工場へ行ったら、そういうことが起きるかもわからぬというので、小松川署長にもそのことを指示したのであります。そしてこの状態を、国会の周辺でやや統制のとれない集団としての行動があるという情報を伝えたところ、小松川警察署を管轄しております七方面の本部長から、小松川署の署員だけでは——当時交通安全運動の最終日でありましたので、そういうことなどに人がたくさん取られておるので、機動隊の応援派遣を求めたいという申し入れがありました。そこで、四時二十分ごろだと思いますが、第二機動隊の三個中隊を小松川警察署まで派遣をするという指示を私がいたしたのであります。
そこで、その際、小松川警察署長と本州製紙の工場との間に、いろいろなそれぞれの情報について話し合いをしておったのでありますが、本州製紙の工場からも、工場の中で待機をしてもらいたいという出動の要請がありました。私の方は、警察側の立場として、これはやはり事前に配置をしておいた方が、もし事が起きたときに最小限度に食いとめられる、そういうことを措置できるというつもりで派遣を命じたのでありますけれども、会社側からもそういう応援の、要請がありましたので——しかしながら、漁民の人々を刺激してはいけないというので、五時三十分ごろに、工場の食堂に全員を入れまして、建物の中に入れまして、そこで待機をするということにしたのであります。
この際、この工場の実情をちょっと申し上げますと、工場は、正門から入りまして、約七十メートルくらい直線の道路があります。その七十メートルくらい行ったところに倉庫が三棟あって、事務所がその次の建物にある。それを直角に左に曲りまして、建物の間をさらに百二、三十メートル行って、一番端のところの左側にその食堂があるのであります。その食堂の中に全員を入れたのでありまして、工場の入口とか、その他のところには警察官の配置は全然しておらなかった。といいますのは、初めからこういう問題になるような行動が起きるということを考えておらなかった。また先ほど、どなたかの御発言にもありましたように、五月二十四日にも千名近い者が集団交渉に行かれたのでありますが、その際にも三百人くらいの人が工場の構内に入りまして、さらにそのうちの代表者が工場長その他と折衝したのでありますけれども、この際にも、先ほどお話がありましたように、マンホールへれんが、石を入れまして、そのマンホールの機能を阻害した、あるいはガラスをこわしたり、電話機をこわしたというような散発的な暴力行為があったのでありますが、それを、先ほどお話がありましたように、三十名程度の警察官が行きましてなだめて帰したという実情があります。そういうことでありますので、それほど大きな問題になるということは考えておらなかったのでありますが、この集団は、三時五十五分にバスで国会を出発いたしまして、それが皇居前広場の楠公銅像付近でバスをとめまして、そうして代表者十四名だけが都庁へ行ったのであります。そうして指導部長やあるいは施設課長ですか、そういう人に会われたのじゃないかと思うのですが、四時五十分に都庁でそれらの人と面会をしておるのであります。それで五時十二分に皇居前を出まして、大体六時八分ごろと思いますが、そのころに工場の正門に着いたのであります。これはあとで調べてわかったことでありますが、工場の正門は、そのとき鉄の格子のとびらが閉めてあった。そうしてその工場の守衛が、そこへ何かこういう外へ札を出しまして、代表者を何名か、五名でしたか、五名以外は立ち入り禁止という、代表者何名というのが小さい字で書いてあったそうですが、外から見ますと、立ち入り禁止という言葉を大きく表わしたものを、こういうものをそこにかけた。そこで、そのバスに乗った人は、何だ、全然入れないのかということが原因になったのではないかと思いますけれども、どっとおりて、その門を乗り越えて、そうして、先ほど申しました直線七十メーターくらいのこの倉庫のところをまた曲って、そうして左に曲って、右側にあります事務所などに対しまして石を投げ、棒きれでたたき、足げりしたりして、ガラスやとびらをこわしたり、あるいは工場長の部屋を、入口から距離にはかって十四、五メーター、曲り曲って、そういうところに行くまでの器物をこわすというようなことが発生をしたのであります。
そのことが発生したことを待機しておりました警察官が知りまして、急遽その待機しておった食堂の中から飛び出しまして、そうして漁民の人に接触したのが、ちょうど直角に曲って、工場を直角に曲ったところから食堂に行くちょうど中間のところ、中間のあたりで警察官が出てきて漁民と対峙した、こういう格好になるのでありまして、対峙しましたのは入口から約百メーター、百二、三十メーター以上のところの場所であります。この場所で、警察官が行って、やめやめといって制止をし、それから、現に破壊行為をやっております人々四名を検挙いたしました。現行犯として検挙したのでありますが、その際、警察官に対しまして、その周辺にありました石やコンクリートのかけらなどを盛んに投石しまして、警察官は実はそういう事態になると思っていなかったものですから、普通の制服制帽の格好で行っておりましたので、そこでけが人を出しまして、こういう事態が起きまして、これは、しかも漁民の人々は、ただ石を投げるということでなしに、検挙者を返さなければ帰らぬ、検挙者を返せということですわり込みをした、これは六時十五、六分ごろの状況であります。
そこで、警察といたしましては、できるだけこの事態をすみやかに処理をしたいと考えまして、そうして何とか早くこれを処置しなければいかぬじゃないかということで、町長や関係者の幹部を呼びまして、町長も実は何回も警察のマイクを使って一般の人々に、われわれは代表であるから、諸君はそういう乱暴はせぬでくれということを何回も言うておったのであります。こういう状態におきまして、実は二機動隊がだいぶけが人を出しましたし、しかも数百人の群衆と対峙しておる間に盛んに投石をされるというような状態にありますので、どうも部隊勢力が足りない、すみやかに部隊を増強してもらいたいという要望がありまして、六時三十分に第四機動隊、それから六時五十分に第三機動隊の応援派遣をいたしました。従って、その現場に着きました警察官は、最終的には七時三十分ころでありますが、七時三十分ころには約六百名くらいの警察官が集まった、到着したということになるのであります。しかしながら、これは第一次的な衝突が六時十五分から二十分までに終ってからの対峙しておる部隊であります。しかもそのうちの第三機動隊全員は、この会社の工場内にあります、液体塩素ですか、何かものすごい被害を与える薬品の倉庫といいますか、そういうものがあるのであります。それが二つあるのでありますが、一つ破壊すると四里四方の人間に被害を及ぼすというようなものだそうであります。そういうものを防護するために配置をしたり、あるいはガソリン倉庫を防護するために配置をしておりましたので、実際にその人々と対峙をしておったのは第二機動隊と第四機動隊・約四百名ぐらいのものであります。
それからその後、六時十五分ごろからずっと九時半ごろまでの間は、大体十回程度の投石が、思い出したように石を投げてくる、それによって新聞記者の人もけがをするというような状況が発生をしております。しかも、うしろの方から、ずいぶん遠いところから石を投げますので、すわり込んでいる人々のところべも石が飛んでくるというような状況でもあったのであります。それで九時三十分ごろまで約三時間対峙をしておりました。
私は、できるだけ手間をかけてこれらの人々の退去を求めるという七方面本部長の意見と私の意見が一致をしまして、できるだけ、くたびれるだろうけれども、手間をかけてやろうじゃないかということで、本部で私は指揮をしておったのであります。ところが、九時四十五分ごろでありますが、そのすわり込んで対峙をしておる場所でなくて、第四機動隊が構内奥深く侵入するのを防ぐためにあらかじめ配置をしてあった、入口から直線に入った、倉庫と倉庫との間のところに、三輪車を先頭にしまして約百名ぐらいの人々がその警戒線を突破した、このころはだいぶ漁民の人々は酒を飲んでおったようでありますが、酒の勢いにもまかせてか、その付近にあった消火器やあるいは交通標識の棒や、板きれや、あるいは丸太ん棒や石やというようなものを投げかけながら突進をしてきたのであります。その現場で約十名以上の警察官がそれによって負傷をしました。たまたまそのときに、故意であったか、あるいは投げた棒か何かがさわったのでありますか、会社の電線がスパークをいたしまして、その倉庫の壁がまさに焼かれようとするような状況にあった。またそのときに火事になるといって騒いだところが、消防車を引っぱり出してきて、その消防車をひっくり返しておるというような状況があり、しかも警察官に対しまして、先ほど申しましたような暴行などが、石などが盛んに飛んでくる状況にありましたので、やむを得ずこれらの人々を退出させなければならないということで、この際、初めてその部隊の一部が警棒を使ってこの人々を門外に押し出したのであります。その後、門外に押し出された人々が、六回にわたって、自転車やあるいはその辺にある石や、いろいろのものを投げ込んできたり、あるいは四回にわたって門を開いて、その警察官が警戒しておる中に突っ込んできたり、繰り返しておったのでありますけれども、大体十一時二十分ごろにおおむねこれらの人々は退散をしておるというような状態であったのであります。
概要は以上のようであったことを御報告申し上げます。
小
小林武治#15
○委員長(小林武治君) 以上で参考人各位の陳述は終了いたしました。
これより質疑に入ります。質疑のおありの方は順次、御発言を願います。
なお、政府側からは鈴木人権擁護局長、濱中警察庁警備管理官、常井法務省刑事局付検事が出席いたしております。
この発言だけを見る →これより質疑に入ります。質疑のおありの方は順次、御発言を願います。
なお、政府側からは鈴木人権擁護局長、濱中警察庁警備管理官、常井法務省刑事局付検事が出席いたしております。
加
加瀬完#16
○加瀬完君 玉村参考人に伺いますが、警察のいわゆる今お話の実力行使、この実力行使といいますのは、社会上正当な業務行為と認める程度、解釈をつけ加えるならば、相手方が不正な攻撃を加えてくる相手でなければ、強度の傷害を生じせしめる実力行使を加えることは妥当でない。すなわち、抵抗の抑止のためにのみ必要な行為が許されるのだ、こういうことが通説になっていると思いますが、玉村参考人の御意見はいかがですか。
この発言だけを見る →玉
玉村四一#17
○参考人(玉村四一君) 抵抗の抑止をするために実力を行使するのだという今のお話でありますが、実力行使という言葉が、実は私いろいろこれは使われると思いますけれども、群衆に対して実力を行使するということにつきましては、部隊で実力行使をするということにつきましては、今おっしゃったこと、私はそれでいいと思うのであります。ただ、犯人を逮捕するというのも、これは実力行使でありますので、一つ一つ、実力行使という言葉が不正確な言葉でありますので、今おっしゃった意味が、群衆から反抗なり攻撃なりがあって、それを抑止するために必要な警察が力を使って是正、抑制するというのが実力行使だと、こういうことでいいかとおっしゃる言葉に対しましては、私はそれでいいと思うのであります。
この発言だけを見る →加
加瀬完#18
○加瀬完君 柳町参考人の陳述によりますと、警棒でのけがが多かったということでございますが、この警棒、警じょう使用規程というものは警察庁からも出ておりますし、警視庁からも出ておりますが、警視庁の出された内容と警察庁の出されておる内容と同じものだと解釈してよろしゅうございますか。
この発言だけを見る →玉
玉村四一#19
○参考人(玉村四一君) 実は私ここで、比較をしておりませんので、同じものであるかどうかということははっきり申し上げかねるのでありますが、精神としては同じ精神で作られているものだと考えます。
この発言だけを見る →加
加瀬完#20
○加瀬完君 同じものだというのは、少くも警察庁で出されておる昭和二十七年八月の国家警察訓令の第三十八号でありますか、これに基いて、当然警視庁の警棒、警じよう使用及び取扱規程というものが出ておると思いますが、そう解釈してよろしいでしょう。もっと説明を加えるならば、警察庁できめております警棒、警じょうの使用以外に警視庁で警棒、警じょうの使用というものに、何といいましょうか、今問題になっているような、ある程度の人権侵害をしていいというワクを広げてきめてあるということではないでしょう。
この発言だけを見る →濱
濱中英二#21
○説明員(濱中英二君) 警察庁で定めておりまする警察官警棒、警じよう使用及び取扱規程と警視庁の規程とを比較いたしまして、警視庁がそれ以上にワクを広げているというようなことはございません。あくまでもその精神内でございます。
この発言だけを見る →加
加瀬完#22
○加瀬完君 そういたしますと、警棒、警じょうは武器に準ずるのだ、基本的な考え方として。頭部を打ってはならない、傷害を与えた場合は救護措置をし、かつ上司に直ちに報告をしなければならない、こういう原則は確認されていると認めてよろしいですか。
この発言だけを見る →玉
玉村四一#23
○参考人(玉村四一君) 警棒は武器に準ずるものであるということ、これは警棒は時によっては、使いようによっては武器であるという場合もあると思うのであります。たとえば職務執行法の七条の場合に該当する場合には、武器としても使用することがあるのではないかと思いますが、——他の規定の七条でありますかによって使われる場合には、これは武器として使われる場合もあると思います。しかしながら、常に必ずしも武器として使われるものではなくて、制止等のための用具として使われる場合もあると思います。それから頭部を打ってはならぬ、必要以上の傷害を与えないように考慮をしなくちゃならない、あるいは、それによって傷害を与えた場合には報告をしなければならぬということにつきましては、警察官全体がこれを確認していると思います。
この発言だけを見る →加
加瀬完#24
○加瀬完君 柳町参考人に伺いますが、今いろいろお話しになられましたが、あなたの方の漁業組合から私のところに、あなたが当日けがをしたとき着ておったシャツだというので、こういうものが届けられておりますが、これはあなたのものに相違ございませんか。
この発言だけを見る →柳
加
柳
加
加瀬完#28
○加瀬完君 ほかの被害者で、けがを受けた者で、警察側から特別救護を受けたという、あなた方の組合員あるいは浦安漁業組合の組合員で、そういう御近所の方のお話を聞いておりますか。
この発言だけを見る →柳