永野護の発言 (日米安全保障条約等特別委員会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○永野護君 私は、日本国民の生活に最も重大な影響を与えるであろうと思われまする新安保条約の第二条の意義と、この条約ができましたいきさつ及びこの二条を将来どういうふうに具体的に運営していかれるかという方針を総理大臣に伺いたいのでありますが、この問題に入ります前に、私はぜひとも日本国民とともによく了承しておかなければならないのは、日本経済の実態いかんという問題であります。と申しまするのは、この安保条約の締結に関しまして賛否いろいろ議論がありますけれども、その中に日本経済の実態とあまりに遊離した議論が非常に多いからであります。現在の日本の国民生活は、敗戦後の生活といたしましては、古今東西類例を見ないぐらい恵まれたる環境にあるのであります。従いまして、この今の日本国民の生活を日本の実力相当の生活をしておるという観点から出発いたしますと、この安保条約の意義につきましてもいろいろな議論が成り立ち得るのでありますけれども、日本経済の本質を十分に考えてみますると、そういう議論をする余裕のない日本経済の実態であると私は考えるからであります。
 そこで、その総理の質問に入ります前に、企画庁長官に伺いたいのでありますが、日本経済は、はたしてこの日本に残されたる四つの小さな島の生産物で九千万人の人間を養い得るかどうかということを、一切の理論を抜きにして、あるいは世界観の問題を抜きにして、数字を示していただきたいのであります。一体、日本の経済の実態はどうかという問題をお聞きいたしますためには、どうしても、現在の日本の実情ばかりでなくて、さかのぼって、この徳川三百年の封建時代のいわゆる鎖国経済のときにさかのぼった説明を受けませんと、ともすると誤解が生じやすいのであります。と申しまするのは、徳川三百年の間、日本はどこの国のお世話にもならないで、いわゆる武陵桃源の夢を安らかにむさぼり得たために、日本人はほんとうに切実に日本の資源の不足を感ずる度合いが非常に薄かったのであります。しかし、この徳川三百年の間、日本人がどこの国の世話にもならないで生き得られたという裏には、いわゆる封建政治、封建経済でありまして、人民には何の自由もなく、職業選択の自由もなけらねば移動の自由もなく、個人の私生活に徹底した政府の関与ができまして、非常に徹底した人口制限政策と生活水準の抑圧政策があったからこそ、あの三百年の間の武陵桃源の夢が続き得たのであります。ところが、明治時代になりますると、この人口制限政策と生活水準の抑圧政策という二本の柱がくずれまして、資本主義経済に移りますと、自由を基礎にしたいわゆる民主主義政治になりましたので、徳川幕府の三百年の間のその夢を繰り返すことはできなくなったのであります。そこで、明治政府になりましたら、この標語が富国、強兵という二つの目標にしぼられまして、私ども子供時分に富国強兵ということを絶えず言い聞かされて参ったのであります。そうして強兵政策がある程度の火を結びますると、まずその強兵の結果得た武力によって軍旗を押し立てて海外に出まして、その軍旗のあとに経済人がついて参りまして、日本の経済権益を広げることによって、絶えざる生活水準の向上と人口の増殖に基づく衣食住に必要とする物資の総量を供給して参ったのであります。それで大戦前には、やや自給自足経済を営み得たのでありますが、ただどうにもならなかったのは石油問題であったのであります。アメリカが石油を日本に自由に供給してくれましたならば、あるいは第二次世界大戦というものは起こらなくても済んだかと思う程度に、ある程度の自給自足経済ができておったのであります。ところが、今度戦争に入りまして、戦時中の経済はもちろんでありますけれども、戦後になりますると、その様相が全く変わりまして、われわれの父祖が明治維新以来粒々辛苦して拡大してくれました私どもの経済権益は、一転して徳川幕府のときに残されましたる四つの島の生産力に頼って生きなければならないような状態が一瞬にして起こったのであります。今から考えますると、世界的の宝庫でありました満州を失い、台湾を失い、朝鮮を失い、千島を失い、樺太を失いまして、そして、そこに九千万……戦前から見ますると、内地の人口は六百何十万という消費人口だけがふえたという痛ましい現実がわれわれの前に残されたのであります。私は昭和二十年の終戦の詔勅を拝承しましたときに、率直に申しまして、ほっと一息をつくとともに、次の瞬間には、これは大へんなことになった、日本国民は半分ぐらい餓死しなければならないような状態が起こりはしないかと心配いたしたのであります。それは終戦後に残された日本の生産力というものは、徳川三百年の間三千万以上の人間を養い得たことはただの一回もなかったからであります。三千万以下の人口にこれを押さえまして、そうしてその生活水準を非常に低いところに押さえて、それで辛うじて衣食住に必要とする物資を供給して参ったのでありますけれども、終戦まで向上を続けた日本の経済生活水準と、九千万の人間が必要とする物資の総量は、とうてい日本に残されたる四つの島の生産力では供給ができないということを実感しておるからであります。ところが、現実の問題として、餓死者が出るどころか、戦前よりもむしろ恵まれたる生活を継続し得たのであります。これはまさに世紀の奇跡と言わなければならぬと思うのであります。古今東西に、いくさに負けて、そうしていくさ前よりもいい生活ができたという例は、ただの一つも実例がないのであります。ところが、これは非常な奇跡として日本国民は恵まれた立場にあるのでありますけれども、危険なのは、その奇跡の上にあぐらをかいて、安座して、そうしてこれを既成事実として何らのこれに対する反省をすることなく、その明日の生活を設計するところに、その危険があると思うのであります。
 そこで、私は、これから菅野長官に対しまして、明治時代、徳川時分はもちろんのこと、その時分のことを根掘り葉掘り聞きませんけれども、少なくも、日本の領土の四五%を失い、生産施設の四一%半を失ってぼう然自失しておりました昭和二十年以来の日本が、一体どうして生きてきたか。生き得ないと数字上どうしても思える日本が、単に餓死者がないばかりか、戦前よりもむしろ恵まれた生活をなし得たのは、一体どういうわけかということを、理論を加えないで数字についての御説明を願いたいのであります。日本人がどうして寒さ暑さに適応する衣料を十分に供給し得たか。腹の減らないように、腹一ぱい飯が食えたか。りっぱなああいうビルを初め、たくさんの住宅はどうして建ったか。建つはずがないじゃないかと一応思えるのでありますから、私は、その参考といたしまして、日本人が衣食住に今の生活水準を維持して、衣食住に必要とする物資の総量は一体どのくらいあるのか。そうして、それに対して衣食住に必要とする物資の総生産量はどのくらいあるのか。これがバランスが合っておればもう問題はないのであります。そのバランスが合わないとすれば、それは一体どうして過去十五年間日本は生きてくることができたかということを伺いたいのであります。

発言情報

speech_id: 103414961X00519600610_002

発言者: 永野護

speaker_id: 17914

日付: 1960-06-10

院: 参議院

会議名: 日米安全保障条約等特別委員会