1961-09-05
参議院
林道雄
決算委員会決算の提出手続及び審査方針に関する小委員会
林道雄の発言 (決算委員会決算の提出手続及び審査方針に関する小委員会)
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○調査員(林道雄君) それでは、初めに参議院の決算委員会とこの問題との関係と、私の意見の立場について申し述べます。
私が参議院の決算委員会に籍を置きましたのは、二十五年の三月十日でございまして、たまたまそれより三日前に衆議院の決算委員会におきまして、この問題につきまして参考人より意見聴取という企てがあった直後でございまして、従いまして、入りまして早々に目にとまりました速記録の一部が、この関係のものだったわけでございます。しかしながら、当時はまだ何らの下地の知識もございませんでしたので、国会における決算の審議には、かような根本的な問題があるのだなと心にとめました程度で過ぎましたけれども、その後委員会に出席いたしまして拝見いたしておりますと、少し身を入れて審議に当たられました先生方は、与党側といわず野党側といわず、一つの疑問にお突き当たりになることがわかりました。それはどういうことかと申しますと、一口に申しますならば、こんなに熱心に審議をしているのだけれども、これは一体どの程度の足しになっているのだろうか。国会における決算の審査は、これでいいのかということでございます。私も、その後同様意味の御質問をたびたび受けるに及びまして、これは重大な問題であるから、衆議院だけでなく参議院でも取り上げるべきである、というよりは、じっくりと審議のできる参議院でこそ取り上げるべき問題ではないかと考えるようになりました。
そうこういたしますうちに二十九年になりまして、前の専門員お二人がやめられまして、やがて、ただいまの池田室長がお見えになったのでございますが、その専門員欠員の数カ月をお預かりしておりました関係で、事務引き継ぎと申しますと大げさでございますが、状況の御報告を申し上げました。その中で、実はこういう問題があって、これは参議院でまだ手を染めてないけれども、これは参議院で取り上げるのがふさわしい問題だと考えるということはお伝えをいたしました。しかしながら、その後も参議院では、この問題には一切触れられませんで、また若干の時が流れました。
三十一年になりまして、自民党の白井勇先生が、これは少し深く掘り下げてお考えになりました模様で、御疑問もそれだけに深かったようでございまして、室長に対しまして、この問題について意見を書いて出すようにという御指名がございました。われわれも室長から言われまして、それぞれに思い寄りを書いて出したのでございますが、私もまだ意見がまとまっておりませんでしたままに、二十五年当時の衆議院の決算委員会の参考人の意見などを資料といたしまして、一応書いて出しました。
そのときの趣旨と申しますものは、当時決算の審査が非常におくれ勝ちでございましたので、決算審査に時機を失しては意味がないというような点を主眼としたものでございまして、もとより中途半端なものでございました。それはとにかく、そのときのわれわれの意見が、どの程度御参考になったかはわかりませんけれども、ともかくもそのときに室長が書かれまして、出されましたのが、過般お手元に配られました昭和三十一年八月一日の調査室資料と申すものでございます。
ところが私は、私自身知識が浅いせいもありまして、それを拝見しても、まだ納得がいかなかったのでございます。で、この問題は非常に重要な問題であるから、一つ自分の納得のいくところまで掘り下げて調べてみようと思いまして、それから図書館通いを始めました。私が、当時、目標といたしましたのは、衆議院の参考人の方々が触れておられない点から入ってみようということでございます。と申しますことは、憲法四十一条、四十三条、六十二条、八十三条、それに肝心の九十条と、その前身と見られます明治憲法七十二条、これらにつきましては、その解釈等をめぐりまして、皆さんが論じておられるのでございますけれども、それでは肝心の九十条ないしその前身と見られます明治憲法七十二条が、あの文言におさまりますまでに、どのような経緯があり、どのような論争が行なわれたかということにつきましては、ほとんど、皆さん触れておられないのでございます。一つこの点から入ってみようと思いまして、いざ取りかかってみまますというと、九十条が、あの文言におさまるまでの経緯と申しますのは、まだ時代が新しいせいもありまして、資料が公開されておりませんので、こまかい点は調べるべくもなかったのでありますが、あれが貴衆両院を通過いたしますときの空気と申しますもの、状況と申しますものは、今日問題になっておりますような肝心な点には一切触れられませんで、貴衆両院とも、決算に関するきわめて低調なる関心のもとに、あたかも明治憲法七十二条が、そっくりそのまま引き継がれたと見るしかないような状況のもとにおきまして、あれが通過しておるのでございます。
で、それならば、そっくり九十条の前身と見られるところの明治憲法七十二条が、あの文言におさまるまでに、どのような経緯があり、どのような論争が行なわれたかということを調べてみようと思いまして、その方に取りかかりました。これは時もたっておりますので、起草者たちの毛筆で書きました原稿やら、まだ世に出ておりません資料まであさることができまして、十分に調べることができました。
その結果、実に意外なことに気がついたのでございます。と申しますのは、明治憲法の起草者並びにこれに示唆を与えましたところの顧問格の人の意見と申しますのは、起草の当初から、やがて、それが七十二条の文言におさまりますに至りますまでにおきましての、申さば明治憲法施行の直前まで、一貫して、決算はこれを議案とするということの見解をとっていたということでございます。こういうことは、裏を返して申しますれば、議案として取り上げることを前提としておったところの七十二条に対しまして、明治憲法施行後に至りまして、便宜、ただいまの取り扱いなり、解釈なり、審査方針なりがとられたということでございまして、こういうことになりますというと、少なくとも明治憲法施行以後につちかわれましたところの先入観念というものは、一切白紙に戻して、純粋に検討すべき問題となります。
そこで、私も考えを白紙に戻しまして考えまして、また、ほかの方の御意見を伺いまして、一応意見をまとめましたのが、昭和三十四年の春ごろのことでございます。
で、そのころの状況はどうであったかと思しますと、衆議院におきましては、刊行物などに、衆議院の決算委員長の年頭の辞などが載っておりました際に、やがてはこの問題はまた取り上げるぞという気がまえがうかがわれましたが、参議院では、相変わらず、一切これには触れられなかったのでございます。で、すでにその当時でも、一般の公の刊行物に、ときどきこれに関する論説が載るような時期になっておりましたので、すでに公の問題でもございましたから、それでは一つ公の刊行物、信用のある公の刊行物に自分の意見を載せまして、広く批判を請うてみたいと思いまして、「法律時報」を選びまして、投稿いたしました。それが昭和三十四年の五月ごろでございます。これがなかなか採択になりませんで、やっとこれがとられまして、幸いに載りましたのが同年の十一月でございます。その当月号の「国会と決算」という小さな論説がそれでございます。これはたまたま時を得まして、その翌月の十二月からは衆議院におきまして再びこの問題が活発に取り上げられたのでございます。
それで、衆議院におきましては、その後、あくる三十五年の一月から参考人の意見聴取ということが活発に行なわれまして、安保闘争に至るまで、ずいぶんこれはもまれまして、一応すっきりした結論は出ないまでも、中間結論が出るというところまで参ったのでございますが、参議院では、相変わらず取り上げなかったのでございます。
で、その間、私もなおその三十四年十一月号に載せました論説に多少の修正を加え、また加筆するところもありまして、私といたしましては、この問題に関する限り、一応結論を出したと考えられるところまで参ったのでございます。そこで、それを再び法律時報に投稿いたしまして、これが載りましたのが、本年五月号の「続・国会と決算」と申す私の論説でございます。
そういうような工合でございまして、先般、前委員長のときに、矢嶋先生から御発言がありまして、われわれの意見も聞いてみたらということになりましたときには、調査室としては、室長がすでに代表して意見を出されておるのであるから、その他の意見は聞く必要がないということでお取り下げになったのでございますが、私は決して三十一年、当初に出しました私の意見を、ここでまた蒸し返そうというものでもございませんし、またこの問題は、すでに公の問題でございまして、衆議院では、もう論議がかなり尽くされまして、中間結論も出ておるような問題でございますし、私の意見にしても、公の刊行物に二度まで載っているようなものでもございますし、またその性質から申しましても、今後、先生方が参考人から意見をお聞きになります場合の土台になるような性質のものでございますので、その点は、先生方にも室長にも御了承下さいまして、意見としてお聞きいただきたいと思います。なお、意見でございますので、中途半端なことを述べましたのでは徹底を欠きますから、あるいは僭越にわたる点もあるかもしれませんけれども、それも、あらかじめ御了承いただきまして、意見としてお聞きいただきたいと思います。
さて、この問題は、何もただいまに始まりましたことではございませんで、御承知のように遠く明治の昔から、たびたび爼上に上りながら、そのつど龍頭蛇尾の形となりまして、結論が出ずじまいで今日に及んでおるものでございます。
で、その様相を見ますというと、まず帝国議会ないし国会におきまする決算審査の現状に対しまして疑義が生じます。そういたしますと、決算も、これは議案とすべきものではないかという議論になります。そういたしまして決算を議案とすることの当否について議論をいたしておりますうちに、だんだんと初めの勢いがそがれまして、いっとなくまたもとの姿に引き戻されてしまいます。そうかといってそれで疑義が解消したわけではございませんで、またある期間を隔てて、それが再燃するということの繰り返しでございまして、要するに決算議案説と決算報告説との絶えざる抗争の歴史でございます。
かくいたしまして、近くは第一回の国会の当初におきまして、衆参両院の決算委員会で、それぞれに審査方針を決定いたしました際に、やがては、この法律を改正してでも、この問題を取り上げるぞという気がまえがうかがわれましたし、また、第七回国会及び第三十四回国会におきまする衆議院の決算委員会の参考人よりの意見聴取という企てとなって現われまして、その結果、衆議院では、昨年あたりから大幅に審査方針が改正されたようでございますけれども、まだこの問題に関して、すっきりした結論が出るというところまでは参っておらないようでございます。
なお、参議院におきましては、このたび、このように小委員会が設けられまして、今日、その実質的な第一歩を踏み出したわけでございますが、この問題は、よほど内容を整理してとりかかりませんと、そしてまた、よほどの熱意を持って取り組みませんと、またしても前轍を踏む懸念が多分にあるのでございます。
そこで、この問題に終止符を止ちますためには、それらの従来の経緯につきまして 帝国議会ないし国会におきまする決算審査の現状に対して、なぜ疑義が生じたのか、また議案説が相当強く唱えられながら、なぜ報告説を振り切って一本になり切れなかったのかという二つの点について、一応の結論を出しまして、その上に立ちまして、その後の方針を見定めて、最後の結論を導き出すべきものでございます。そういたしませんで、漫然と、また法律論やら何やらの枝葉の問題にとりかかりますと、またしても結論が出ずじまいになってしまう懸念が多分にある問題なのでございます。
そこで、帝国憲法時代とただいまとでは、あらゆる点で大へんに変わっておりますが、本問題に関します限り本質的な事情は全く同じことでございますので、例をただいまの国会の場合にとりまして、その間の状況を少しく具体的に申し述べますならば、まず第一点の、国会におきまする決算審査の現状に対して、なぜ疑義が生ずるのかという点でございますが、国会におきまする財政監督機能の双壁ともいうべき予算と決算のうち、予算が高い関心をもって迎えられておりますのに対しまして、それに対応するところの決算が、これはまた対照的ともいっていいほど不当に軽視をされておるという点に端を発しまして、国会における決算の審査は、これでいいのかという疑義が生ずるわけでございます。そういたしますと、決算といえば、すぐに引き合いに出て参りますところの予算が、国会の議決によって承認されておりますのに対しまして、それに対応して、その締めくくりをいたしますところの決算が報告で済まされておるという点が、いかにも取扱い上すっきりしない、何か底が抜けているようなだらしなさを覚えさせますところから決算も、これは議案とすべきものではないかというかねがね内在しておりますところの決算議案説が台頭するわけでございます。
そういたしまして、ここで問題は、第二点の議案説が相当強く唱えられながら、なぜ報告説を振り切って一本になり切れなかったのかという点でございますが、決算を議案とすることの当否について議論をいたします場合には、決算を議案とすること自体に、若干の問題がございますのと、決算を議案とすることを妨げます障壁がございますのと、さらにはまた、従来のこの問題の取り上げ方が適当ではなかったというようなこともございまして、あれやこれやで、百パーセント葬られてしまうということになるのでございます。この点は、この問題を解決いたします場合に非常に重要な点でございますので、その間の関係につきまして、順を追いまして、詳しく御説明をいたします。
で、百パーセント葬られてしまうのでございますが、もともと事の起こりは、決算の軽視ということが原因でございますので、その風が改まりません限り、問題もあとを断ちません道理で、これがある期間を隔ててまた再燃をするということの繰り返しであったわけでございます。
そこで、そもそもこの問題の端緒となりましたのは、ただいま申しましたように決算の軽視ということでございますので、この問題を解決しようという場合には、何はさておき、何が決算を軽視せしめた原因であったかということを突きとめる必要がございます。国会におきましては、御承知のように決算は一種の報告ということになっております。一種の報告と申しますのは、報告し放しのものではなくて、その後に内容の審査を伴なうところの報告というニュアンスに富んだ表現でございます。しかしながら両院一致の意思表示をもって承認をするというものではございませんので、究極におきまして、報告たるに変わりはございません。御承知のように衆参両院には、それぞれ決算委員会がございまして、衆議院では昨年あたりから大幅に審査方針が改められたようでございますが、明治憲法施行以来七十年の慣行をもちまして、会計検査院の検査報告を中心として審査いたして参りました。その結果、特に事態の芳しくないものがございました場合には、その面に対して注意、警告、要望等を発しまして、それらの状況を審査報告に盛りまして本会議で報告をして、各院それぞれに議決をするといういき方で進められて参りました。しかしながら両院一致の意思表示をもって承認するという筋合いのものでございませんので、その審査報告書の内容と申しますものは、行政面の改革に関しまする注意、警告、要望というようなものが主たるものとなりまして、決算自体につきましては。単に、異議がないという消極的な表現をもってするにとどめられておりまして、このあり方のうちにありまして、どこに決算を軽視せしめる原因があったかと申しますと二つあるのでございます。
その第一点は、形式の問題でございまして、これは従来、決算は議案か報告かということで争われておりましたところの取扱いの問題でございます。つまり国会における財政監督機能の双璧ともいうべき予算と決算のうち、予算が国会の議決をもって承認されているのに対して、それに対応してその締めくくりをいたしますところの決算が報告で済まされておるという点が、いかにも取り扱い上すっきりしない。何か底が抜けたようなだらしなさを覚えさせますところから、これが決算審査の士気にも影響いたしまして、ひいては低調を来たし、不当軽視を招くに至ることは一応考えられるところでございます。しかしながら、この関係は、あくまでも国会における決算の取り扱いにすっきりした筋が通るかどうかという問題でございまして、これが決算軽視の原因となるものといたしますならば、ただいま申しましたような間接的な原因となるのでございまして、これをもって直接決算軽視の本質的原因と見なすことはあたりません。と申しますのは、その証拠には、かりにほかの点を今のままといたしまして、取り扱いだけを議案扱いにしてみましたところで、実際上、ほとんど何らの効果も期待し得ないところをもってしても、明らかでございます。
これに対しまして第二の点は何かと申しますと、内容の問題でございまして、審査方針でございます。国会におきましては衆議院では、昨年あたりから大幅に審査方針が改められたようでございますが、明治憲法施行以来七十年の慣行をもちまして、会計検査院の検査報告を中心といたしまして審査をいたして参りました。しかしながら会計検査院の検査報告を中心といたします限り、言葉をかえて申しますならば、財政経理の末端に生じましたところの不当事項を中心といたします限り、いかに慎重に審議をいたしましても、またいかに峻烈な警告が発せられましょうとも、公務員の綱紀粛正を要望するという一線で、すべてがとどまってしまうほかないのでございます。その公務員と申しますのも、それらの行政処分によりまして、政府の屋台骨がゆすぶられるというような上級のものではございませんで、いわばそれらの不当事項を発生せしめましたところの当人及びその直属の上司といった人々でございます。それらの人々の行政処分によりまして、その年度々々の決算が永久に倉庫入りをしてしまう。その陰に隠れまして当然追及されなければならなかったはずの政府の大きな責任が、永久に不同に付されることになる。別言をもっていたしますならば、国会における決算の審査は、何ら政府に痛痒を与えるものではないというところに、この審査方針を不適当なものとする決定的理由がございます。
こう申しますと、現状維持を主張なさる方は、そんなことはない、これによって、ずいぶん行政面が改革されているということを申されるのは常でございましょう。しかし、それはそうでございましょう。しかし、それはやらない場合に比較してのことで、いやしくも国会におきます決算の審査、申せば国の決算の最終段階の批判の場におきます審査の効果が、さような比較上のものであっては断じてならないのでございまして、基準とすべきことは、国会としての審査がなされているかどうかということ、それなのでございます。
この間の消息を最も端的に表わしておりますのは、私が三十四年の十一月号の法律時報に「国会と決算」という小さな論説を載せました直後、行政面の方々から——名前ははばかりますが、幾つかの御批判をいただきました。それがそろって同じであったことは、あなたの言うことは、まことにもっともで、その通りだ、しかしそれは、あまり声を大にして言ってほしくない。というのは、決算委員会に呼び出されることは厄日みたいなもので、まことにやり切れないものであるけれども、正直なところ、今のやり方ならば、痛くもかゆくもないのだから、ということであったのであります。おそらくその辺がほんとうだろうと思いますし、多年この委員会の審議に当たられました先生方には、さもあろうと容易に御想像になれるところと考えます。
また第九十回帝国議会の貴族院の帝国憲法改正案特別委員会におきまして、九十条のくだりで、ある議員から決算に対して不承認と議決した場合に法律上何らの効果を持ってこないということは遺憾であるが、その点をどう考えるか、という御質問があったのに対しまして、金森国務大臣は、政府はそれに対する責任を、その程度に応じてとらねばならない、究極においては総辞職というような場面にまで及ぶということも考えられるのであって、それ以上の大きい責任のとり方は、おそらくないと考える。というように答えておられますが、このような大きな責任追及というものは、現行の会計経理の末端において発生した不当事項を中心とする審査からは期待し得べくもないのでございまして、この点、現行の審査方針は、憲法の精神にも沿っていないと申さなければなりません。ただ、ある時期を対象として考えます場合には、この審査方針にも意義があったときもあるのでございます。それはいつかと申しますと、このたびの戦争直後の数年間でございます。この時期におきましては、国政百般の乱れにつれまして、会計経理の面も著しく紊乱をきわめましたので、国会におきましても不正事項、不当事項、不経済事項というようなものの絶滅が、当面唯一の目標だったわけでございます。
従いまして、その時期におきましては、この審査方針も、まことに当を得たものであったわけでございまして、かくいたしまして、この方針は、明治憲法施行以来七十年の慣行の中におきまして、皮肉にも最近、戦後の数年におきまして、初めてその真価を発揮したと申しても決して過言ではないと思います。しかし特殊な条件下にあったともいうべきその一時期を除きましては、帝国議会ないし国会におきまする決算審査の目標は、そのような不当事項の究明だけではなくて、法律に即した取り扱い、正規の手続によるものについても、いかにしたならば国費をより効率的に使用し得るかというような積極的な意味を持つものでなくてはならなかったはずであったのでございます。また同じ不当事項にいたしましても、すでに過去の問題となったものの究明ばかりでなくて、現在起こりつつある不当事項を未然に防止する方向へ重点が移さるべきであったのでございます。
以上述べましたところで明らかなように、明治憲法施行以来七十年の慣行をもちまして、今日なお続けられておりますところの現行の審査方針には、根本的に改正されなければならない幾多の理由があったのでございまして、それが等閑に付されていたことこそ、決算の審査を低調ならしめ、ひいては疑義を生ぜしむる根本原因であったと申さねばなりません。で、その証拠には、かりに現行の取り扱いのままで報告扱いとしておきましても、審査方針を適当なものに改めるにおきましては、決算審査の面目は、その日から改まることは容易に想見できることも明らかでございます。
以上、述べましたところで明らかなように、まず今までの低調というものは——決算委員会審査の低調というものは、審査方針に、ほとんど全部の重みがかかっておって、それにわずかに取り扱いの問題の影響があったと、こう見なければならないと思います。
そこで、本題に戻りまして、帝国議会ないし国会におきまする決算の審査というような根本問題が、なぜ七十年の長きにわたってすっきりとしたものとならずに遷延して参ったかという点でございますが、その第一には、旧憲法におきましても新憲法におきましても、憲法の条文そのものが明確を欠いておったという点をあげなければなりませんが、それと同時に、従来のこの問題の取り上げ方が適当でなかったという点も指摘されなければなりません。と申しますのは、もともと事の起こりは、決算の軽視ということでございます。といたしますならば、何が決算を軽視せしめた原因であったかということを突きとめまして、その原因を取り除くことが肝要だったわけでございます。といたしますならば、審査方針の改正こそが急務であったはずでございます。ところが、従来はこの点にはほとんど触れられませんで、もっぱら決算は議案とすべきものではないかという取り扱いの問題で争われて参ったわけでございます。で、この取り扱いの問題も、先ほど申しましたように、決算軽視の間接的な原因にはなり得ますので、全然関係なしとは申せませんけれども、これは申さば、甲に原因を有するものを乙をもって解決をはかったということでございまして、ここに、問題の取り上げ方にズレがございます。そればかりでなく、決算を議案とすることの当否について議論をいたします場合には、決算を議案とすること自体にも、若干の問題がございます。その最も大きなものは、決算が議案となりまして、それが否決された場合に起こって参ります。決算が否決されました場合、さかのぼってその数字を訂正するということは、これは不可能でございますので、当然に政府の責任追及ということになりましょうけれども、決算となって現われましたその予算を執行いたしました政府と、決算結審時の政府とは、必ずしも同一のものではないという場合が当然に起こって参ります。また、たまたまこれが同一のものでございましても、与党が、その否決を支持するはずはございませんので、結局決算の否決ということは、名あって実なきものとなります。また、もろもろの統計類を、決算が国会で議決されるまでまとめることができないというようなことになりますと、かりにこの審議が長引きましたような場合には、これはまた目に見えない大きな影響が各方面に及んで参ります。これらが決算を議案とする場合の不利なる要素となります。そしてこの要素は、旧憲法時代から今日まで一貫して存在しますところの本質的な要素でございます。かてて加えまして、旧憲法時代には、政府の権柄を強くし、少しでも帝国議会の干渉を少なくすることを必要とするという政治情勢なり社会事情がございましたし、今日ではそういうものはなくなりましたけれども、それにかわりまして、七十年もの長きにわたって、このやり方でやってきて別に支障がなかったという慣行の力が、現状維持論者の有力な背景をなしているのでございます。これらが決算を議案とすることを妨げる障壁となります。
ただ、これらの不利なる要素、これを妨げる障壁がございましても、もし、決算は議案とすべきものではないかということ自体で純粋に取り上げられます場合には、決算を議案とすることの意義との勘案におきまして、議案とする説が勝利を博する可能性は十分にあるのでございます。ただそこにもってきて、先ほど申しましたような問題のズレ、つまり決算の軽視の風を改めさせるために、その原因である審査方針の検討をしないで、関係のほとんどない議案説をもってきて解決をはかるというような問題の取り上げ方のズレがあるというようなことになりますと、ただいま申しましたような不利なる要素、これを妨げる障壁というようなものが百パーセント、マイナスの要素となってしまいまして、問題をつぶしてしまうことになるのでございます。
ところが、この二つの問題、すなわち決算軽視の風を改めさせるという問題と、決算は議案とすべきものではないかという問題、この二つの問題は二つながら非常に重要な問題でございまして、決算軽視の風を改めさせるという問題は、国会における決算審査にとって、ぜひとも結論を出して、その風を改めさせなければなりませんのと同時に、決算は議案とすべきものではないかという問題も、国会としては、一度は真剣に検討をして結論を出しておかなければならないところの国会としてはむしろ本筋の問題なのでございます。そこで、ただいままで、長々と述べましたが、ここまでに述べましたところは、実は私の私見というものではございませんで、どなたがお考えになられましても到達なさらなければならないはずの既成の事実なのでございます。で、これから先の、それではどうしたらいいかという点が、私の私見にわたるところでもございますし、また同時に先生方が、この小委員会におきまして、参考人から意見をお聞きになりまして御検討なさるべき点なのでございます。従いまして、この小委員会におきまする今後の審査方針も、これまで私が述べましたところは、既成の事実としてお認めになられまして、ここを出発点として、それならばどうしたらいいかという点について、決算審査軽視の風を改めさせる問題、すなわち審査方針改正の問題と、決算は議案とすべきものではないかという問題、すなわち取り扱いの問題とを明らかに区別をして——と申しますことは、参考人をお呼びになるとしても、それぞれに向いた参考人を呼ぶというような配慮もなされまして、それぞれに結論をお出しになることが絶対に必要であると考えるところでございます。これが、私が特に先生方に今日お話したく存じておりましたところでございますので、この機会に申し上げておきます。ぜひ御記憶いただきたいと思います。
さて、私といたしましては、そのどちらを先にいたしてみましてもよろしく、また同時に並行して検討をするというのもいいと思いますけれども、もともと事の起こりは、決算軽視という事柄でございますので、まずもって審査方針を改正して、決算審査の権威を高からしめて、その上で決算を議案とすべきものではないかという国会本来の問題に取り組むのが、順序からいって順当であればあるというように言えると思います。
かくいたしまして、当面の目標は、憲法並びに現行の取り扱いをそのままとしながら、いかにして憲法八十三条の精神を生かすべきかという審査方針改正の問題にしぼられるわけでございます。
そこで、まずそういうことになりまして、まず第一に大写しとなって参りますのは、決算審査の結果を予算に反映させるということでございます。この言葉は、すでに言い古された言葉でございまするけれども、従来そう言われておりました意味合いと、私がここでそう申します意味合いとは少少違います。従来は、会計検査院の検査報告を中心としまする従来の審査方針によって審査しました結果を来たるべき予算編成の際に役立たせるということでございました。しかしながら会計検査院の検査報告を中心といたしまする審査、つまり会計経理の末端に生じましたところの不当事項を中心といたしまするところの審査の結果が反映し得ますのは予算執行の面でございまして、これをもって直接予算編成の面に反映させるということには飛躍がございます。私が申しますのは、そういうことではございませんで、決算の審査の結果を、決算となって現われましたところの当の予算に反映させまして、その結果を、あらためて来たるべき予算編成に反映させるという意味でございます。大へんややこしい申し方をいたしましたが、これを具体的に申しますならば、これこれのことをするのに、これだけのものが要ると言って要求されまして、それではこれだけやるから、これでやってみろということで政府に預けられましたのが予算でございます。しかりといたしまするならば、その執行の過程におきまして生じましたところの不当事項の詮議もさることながら、まず第一義的に出てこなければならないのは、その予算の執行によって、その予算の編成の際に、公約された政府の諸政策が、はたして実行に移されたかどうかということの詮議がなされなければなないと思います。
そこで、決算の結果から政府の政策を総決算いたしまして、その結果を来たるべき予算編成の際に役立たせるということでございますならば、初めて決算審査の結果を予算に反映せしめるという意義が生きて参ると思います。
ただ、これをいたしますためには、ただいまの審査方針を根本的に改正いたさなければなりません。と申しますのは、決算におきましては、御承知のように、一般法案の提案理由の説明にあたりますものに総括説明というものがございます。これはきまりきった文句でございまして、これにその年度年度の計数を入れかえましたものを政府と会計検査院から読み上げまして、それで決算の審議に入っておったのでございますが、こんなことからは、今の申しますような政策審議がとうてい期待し得べくもないのでございます。まずその総括説明のやり方から、根本的に改正しなければならないのでございます。
どうしたらいいかと申しますと、まず少なくとも政府の公約をいたしました重要施策につきまして、議定予算と、それに対応するところの計画事業量を明示してもらいまして、それが実行の段階に入って、事業の実行面におきましてはどれだけの実績になって、計画事業量と実績の差はどれだけであってそれはどういうことで生じたか。また予算使用量の面におきまして、議定予算と使用済み予算額はどういうことになっておるか。その差はどういうことで生じたか。また繰り越し額、不用額等はどうなっておるか。それはどういうことで生じたか。さらにはまた使用いたしました予算額と事業実績との効率的関係はどうなっておるかというような点について、検査院と政府から詳しい説明を受けまして、またそれを裏づけるだけの資料をもらいまして、それに基づきまして、その後に続きます各省庁別の審査について、その年度については、どの省とどの省を重点とすべきかということを大きくまずきめまして、またこまかくは各省庁については、どの点を重点としょうかというような点をはっきりときめまして、あらかじめ審査の日——従来もきめてはおりましたけれども、もっとこまかい正確なものをきめまして、重点と質問時間、質問者数というようなものもきめまして、あらかじめ政府並びに会計検査院にもそれを知らせまして、十分の資料を持って来させまして、短時間に重点審議を果たすようにしなければ、これは、とてもそんな大きなことを申しましても、目的は達しないと思います。そういうような方針にいたしまして、まず一応各過年度の決算については審議をする、これを第一義的なものといたしましてやるのが適当であると思います。
一方、従来の審査の主役でありましたところの会計検査院の検査報告でございますが、国会の決算審査といたしましては、第二義的なものであるとは申しましても、決算審査の大きな対象たるに変わりはございません。と言うことは、検査報告所載の不当事項そのものが決算審査の大きな対象となるということではございませんで、これから申し上げます意味によるものでございます。すなわち、旧会計検査院法には、第十四条に、「会計検査院ハ憲法第七十二条ニ依リ決算ヲ検査確定スルト同時ニ左ノ事項ニ付報告書ヲ作ルヘシ」こうありまして、三項目にわたって検査報告記載事項が指定してございまして、次の第十五条に「会計検査院ハ各年度ノ会計検査ノ成績ヲ上奏シ其ノ成績ニ就テ法律又ハ行政上ノ改正ヲ必要トスヘキ事項アリト認ムルトキハ併セテ意見ヲ上奏スルコトヲ得」と規定されております。これが現会計検査院法では、第二十九条に「日本国憲法第九十条により作成する検査報告には、左の事項を掲記しなければならない。」とありまして、八項目にわたってやはり検査報告記載事項が書いてございまして、次の三十条に「会計検査院は、前条の検査報告に関し、国会に出席して説明することを必要と認めるときは、検査官をして出席せしめ又は書面でこれを説明することができる。」となっておりますが、この二つを並べて見まして直観されますことは、会計検査院は、それ自体では各省等を押える力を持っていないことでございまして、旧憲法時代は上奏権によって、その存在と権威を確保いたしまして、また新憲法下におきましては、国会への報告によって、その威信を保全するという事実でございます。現在におきましても、各省等は検査報告に不当事項を掲載されただけでは、別に痛痒を感じないのでありまして、それが国会に提出されて、決算委員会で論議されることが痛いのでございます。もちろん決算委員会が検査院の上部構造ということで終始するのでは無意味でございますが、右のような実情を考慮いたしますときに、検査院は、その与えられました権能によって検査した結果を有効適切に各省等に作用し、徹底させる上におきましては、しばらく従来のような検査報告をテキストとする審査方法もある程度存置する必要があるのではないかと考えます。
そこで問題は、会計検査院が粒々辛苦して調べ上げた検査の結果を効果あらしめるという意味で、会計検査院の検査報告は従来通り国会の審査対象からはずすことができないということになるのでございます。ただ、これにつきましては、すでに会計検査院という厳然たる官署がありまして、厳正なる検査をしたその批難事項につきましては、政府当局と会計検査院の間で善後措置を講じているものでありますから、よほど特殊なものでない限り、これを蒸し返えして国会が審査する必要がないのでございます。この場合は、各批難事項につきまして、それを発生せしめた根本原因とか善後措置とか、国損回復の状況とか、同様事態の再発を防止するためにとられた対策とか、関係責任者の処分等が一見してわかるような一覧表を政府当局並びに会計検査院から提出せしめまして、それに対して大所高所から国会としての批判を下せば、それで足りるものと考えます。あるいはまた、もともと会計検査院の検査に権威を保たせ、その効果を発揮せしめることが本来の目的なのでございますから、当該年度の重点的傾向なり重点事項なりを各省庁別にあらかじめ会計検査院から報告してもらいまして、それを重点として取り上げることにする方が、さらに的を射た審議となるかもしれません。いずれにいたしましても、会計検査院の検査報告に関する審査、言葉をかえれば、不当事項に関する審査は、その程度のものであってよいと考えます。
以上は、過年度の決算についてでございますが、新憲法下におきましては、さらにこれに加えまして、予算執行の段現階に対する監視ということが決算委員会の使命となります。これにつきましては、すでに実施されたものもございますけれども、従来の慣行の力に押されまして、まだそれほど活発に行なわれておらないのでございます。従まいして、今後の決算委員会の方向といたしましては、すでに過去の問題となった過年度の決算に関しましては、政策審議に主力を注ぎ、不当事項の詮議は、むしろ会計検査院にまかせまして、その報告に対して大局から見ました批判を加えるにとどめることといたしまして、国費の不経済使用の監視や、国損の発生を未然に防ぐこの執行過程に対する監視に、もっと積極的に重点が移されるべきものであると考えます。ただし、決算委員会の間口は非常に広うございますので、野放図に問題を取り上げましては、とうてい効果ある審査はできませんから、過年度の決算審査の場合と同様に、提議された問題について、まずどれを取り上げるかをきめまして、取り上げた各件について、さらにどれを重点とするか、所要日数はどれくらいにするか、質問者及び質問予定時間はどうするかということにつきまして、大体のところを具体的に決定いたしまして、政府当局並びに会計検査院にも、あらかじめ審議内容を通告して十分な資料を準備させまして、内容的にも時間的にもむだなく審議を進めまして、最初に選んだその問題の重点の審議だけで結論を出していくというように、一つ一つ片づけていきませんと、限りある時間の中で有効なる審議はできないと思います。
次に、これは決算委員会の運営上の具体的な問題でございますが、決算委員会のあり方につきまして、決算委員会は、超党派であるということが常に言われておりますし、ある意味におきましては、その通りであると考えますけれども、従来そう言われておりました意味合いに、私はそのまま入り込めないのでございます。と申しますものは、従来は会計検査院の報告書を中心とする審査、換言すれば、不正、不当、不経済事項というような、だれが考えてもよくないことを中心としているからでございまして、これが前に述べましたような政策審議を中心とすることになりますならば、おのずから様相は変わってくると思うのでありまして、またそれでいいのでありまして、決算委員会の運営は、それが模範的に行なわれていると言われております英国におきまして、時の野党が常に委員長の席を占めておりますように、やはり野党攻勢が中心になりまして、活発な政府批判を展開いたしまして、それに対して、与党も与党としての意見を述べ、結局一つの結論に落ちついていくという姿になるべきだと思います。それでも、超党派という言葉が用いられるといたしますれば、いかに激論が戦わされても、常に円滑に適正な結論にまとまっていくということでございまして、これならば、まことにりっぱなものだと考えます。
また、従来決算委員会に対する総理大臣始め各大臣の出席率が悪いというところから、いやしくも一国一省の重大な責任を負う身でありながら、無責任であるという非難がなされておるのでございますが、これはまことにその通りであると同時に、国会としては、別な意味で反省しなければならない点を示唆しているものであると考えます。何となれば、従来の審査の中心は、大臣としてはほとんど知らない程度の事項でありまして、局長以下の部課長くらいが、最も答弁に適した種類のものであったために、よけいにその風が助長されたことは争えないことであります。だからといって、最高責任者である大臣の欠席が許されるということではありませんけれども、そのような問題が、国会における決算審査の中心をなしていたということは、国会として反省しなければならないと思います。しかしながら、この問題も、今後政策審議を中心とすることに至れば、おのずから解消することと思います。
ところで、以上に述べました審査方針改正案は、現状にあって国会における決算審査の権威を高めようとするものでありましたが、さらに根本的にこれを考えますならば、まだ徹底を欠いているうらみがあるのでございます。
ここで再び、どうしても振り返らないでいられませんのは、決算議案説であります。前段までのところでは、政策審議をなすことをもって、決算審査方針の改正案の骨子として、国会における決算の取り扱いにつきましては、特に議案とすることを強調しなかったのでありますが、それは改正の重要点が、審査方針の改正という内容上の問題にあったからでございます。しかしながら、すでに内容の問題が解決したとなりますれば、画龍点睛の意味で、形式上の問題である取り扱いにつきましても、決算はこれを議案とすることによって、すっきりした筋を通すべきであると考えます。
遠く明治憲法の起草時代に顧問格のモッセが申しました「抑々会計検査院ノ組織殊ニ其国会ニ対スル位地ニ付テハ各国異同アリト雖モ国会ハ会計検査院ノ予メ決算ヲ検査シ其報告ヲ為シタル後完結ノ決議権ヲ有スル事ニ付テハ各国概ネ一轍ニ出タリ」という言葉が、今もなおそのまま通用するところでございまして、英米のように、国会そのものが、会計検査院を手足として検査を行なっているところはいざ知らず、会計検査院が独立官庁であり、これが報告を提出するというようなわが国のあり方におきまして、国会における取り扱いが報告であるということは、いかにもすっきりしないところでございます。
以上までのところを整理いたしますと、一つ、小委員会におきましては、決算に対する不当軽視の問題と、決算は議案とすべきではないかという問題を明別してそれぞれ結論を出すべきこと。
一つ、従来の審査方針を根本的に改正して、政策審議を第一義的に取り上げ、会計検査院の検査報告に関する審査はしかるべき範囲に限定すべきこと。
一つ、予算執行の現段階に対する監視に重点を移すべきこと。
一つ、決算は議案とすべきことの四項目でございまして、これが実現されるならば、国会における決算審査は面目を改めるに至るであろうと思います。
ところが、実は最後に、もう一つ、根本的な問題があると思います。それは何かと申しますと、前に述べましたように、わが国の予算は、金額だけで示されておりまして、これに対応するところの事業量というものが全然示されていないところに、予算と決算が全然切り離される原因があるところでございます。そこで、少なくとも重要施策については、計画事業量を明示して、政策審議に資そうというのが前述までの趣旨でございましたけれども、それはあくまでも現状において国会の権威を保たしめるための一案でございまして、根本的改正とは言えないのでございます。すなわち、予算並びに決算という、いわば会計の始まりと終わりという意味からすれば、この二者は細大漏らさず明確なる関係を持っていなければならないのでございまして、議定予算並びにそれに対応するところの計画事業量が明確に示され、これが執行過程を経まして予算の使用実績と事業施行実績はどうなったか、国費使用の効率はどうであるか等が一見してわかるように、予算から決算まで筋の通った財政機構を確立することこそ究極の問題でございます。その点につきましては、私はまだ調べておりませんので、それについて述べる資格はございませんが、米国において行なわれておりますパーフォーマンス・バジェット等、多々参考になるべきものがあるのではないかと考えられますので、本問題を本格的に取り上げます場合には、しかるべき権威者による委員会でも組織して、予算編成から決算まで筋を通したような財政機構に改めることを腰をすえて研究すべきではないかと考えます。
それには行政審議会が、昨年十二月七日に行政管理庁長官に提出しました答申におきまして、米国におきまするフーバー委員会、つまり政府行政部機構委員会の例にならいまして、日本でも超党派的な権威の高い機関を設けまして、行政の画期的な体質改善をはかるべきことを提案しておりますので、もしこの提案が採用されて、このような機関が設けられました場合には、最も根本的な行政の改善対策として、予算制度の改革について、十分な研究を実行させることが必だ要と考えます。この予算制度の改革は、決算審査のあり方をすっきりしたものにするという観点からばかりでなく、行政そのものの浄化を目ざすという意味で決算委員会の本来の目的にも合致するものでございます。
こんな工合にいたしまして、私といたしましては、国会における決算の審査の本来の目的である国の財政経理の合理化、清浄化を主眼といたしまして、各年度の決算についての批判もさることながら、さらに根本にさかのぼりまして、国費の浪費の大きな原因となっております政府部内の予算ぶんどり、セクショナリズム等の弊害を刈除する方面にも審査範囲を拡充すべきだと考えるものでございます。
で、これで私の意見は一応終ったわけでございますが、こういうような改正を実施いたします場合に、非常に大事なことが二つございますので、それを申し述べます。
つまりこれを実施いたしますために必要な第一点は、現在の取り扱いないし審査方針は適当なものではないから、必ずこの際改正するという大方針を最初にはっきり確立しておくことが必要であるということでございます。このようなことを、ことさらめきまして、何もわざわざ必要ないのじゃないかとお考えになる向きがあるかもしれませんが、これなかりせば、明治以来たびたびこの問題が爼上に上りながら、いつも慣行に押されて龍頭蛇尾となって、うやむやに葬られてきたのであると私は考えます。
本件に関しまして、今日決算委員会の委員の方々のお目にとまり、お耳になされた資料、また委員の方々に意見をお聞かせしましたところの参考人たちが資料といたしましたもの、さらにはまたわれわれが日常見聞いたしますところの資料となりますものは、いずれ、ほとんど明治憲法時代のものでございます。このことは、明治憲法が、わが国最初の憲法であったということとも関連いたしまして、あたかも現在のやり方が、明治憲法制定当時に十分に検討を尽して、わが国にとっても最適のものであると銘を打たれたところの、オーソドックスな取り扱い及び審査方針であるという先入観念となっております。そして、それは七十年の慣行に裏づけられております。現に現在の方針に深い疑問を持ってかかりました私でさえも、何か障害に直面いたしますと、やはりこれまでのやり方以外にはないのかもしれないという心持ちがしたくらいでございます。ところが、冒頭に申しましたように、憲法九十条の母体と見られます。明治憲法七十二条について、該憲法の起草当時の実情を探ってみますと、実に意外なことを発見したのであります。すなわち、明治憲法の起草者並びにこれに助言を与えておりましたところの数名の顧問格の人々の意見といたしましては、起案の当初から、やがて七十二条があの文言に落ちついたのちに至るまで、一貫して、決算はこれを議案として取り扱うという見解をとっておったのでございます。
こうなりますと、議案として取り扱う建前で決定されました七十二条に対して、現在に伝わる報告扱いがなされ、現行のような審査方針がとられたということでありまして、七十二条即現行のあり方を示すものであるという考え方の根拠は全然薄れてしまうのでございます。この間の状況を大観してみると、明治憲法の精神に立脚して自由に立論したので、条理上、当然に議案説となりました。それが、明治憲法時代に入りまして、ときの都合で報告説に変わりました。それが今日の民主主義の時代になりまして、自由に検討がなされまして、三転して、また議案説が擡頭したということでありまして、帝国議会ないし国会におきまする決算審査を権威あるものたらしめようという意図において明治憲法起草時代と現代とは変わりはありません。変わっていたのは、明治憲法時代だけでございます。この時代がいかに変わっていたかということは、これまた御要求があれば資料をもって御説明いたしますが、学校において憲法の講義がなされることさえおそれまして、いよいよそれが避け得られない大勢となりますや、上から一方的な解釈を押しつけて、他を許さなかった時代でございます。こういう時代の取り扱い審査方針を現代に無反省に引き継ぐべきいわれはいささかもないと思います。しかしながら、今日これを再検討しようという場合に、資料として目前にあるものは、非常に歪められた時代のものばかりでございます。その上に、現行の取り扱い及び審査方針には七十年の慣行が背景をなしております。この分厚くかつ高い壁を突き破るには、理路整然とした改正の理由と、必ずそれを断行するという大標識を初めに打ち立てておく必要があるのであります。
さらに観点を変えて、旧憲法下と新憲法下の決算審査のやり方を比較してみますと、旧憲法時代には、各議院は、議院法によって、国務大臣及び政府説明員以外の各官庁、地方議会、臣民との交渉を一切禁止されておりました。従って、決算の審査報告に基づきまして、国務大臣または政府説明員の説明を聞きまして、それで納得のいかないものがあるときは、決議案、または上奏案を作成して議長に提出するにとどまっておりました。もとより委員派遣等は許されませんでしたし、会計検査に当たった当の会計検査院に質問をし、これから説明を受けることさえ許されなかったのでございます。要するに、議会の干渉を許さず、政府が思いのままにやれるように仕組んだやり方であったと申せます。
これに対しまして、現在のやり方におきましては、前に述べましたような制約が一切撤廃されたばかりでございませんで、国会が調査し得る範囲が、ほとんど無制限に拡張されました。特に国政調査権を発動するにおきましては、単に行政の面ばかりではなく、司法の面におきましても、それが調査の範囲をこえない限り可能となったのでございます。このほとんど対照的と見られますあり方の相違は、そのまま官僚主義と民主主義の相違を示すものにほかなりませんが、この著しい推移のうちにあって、ひとり決算の取り扱い及び審査方針が、依然として旧態を維持していることはむしろ奇観でございます。
以上の諸点から結論を下しますれば、現在の取り扱い及び審査方針は、少なくともこれまでの先入観念を一切白紙にして、純粋にかつ根本的に再検討すべき段階に到達しているものであり、さらに現在のあり方では、政府当局に何ら痛痒を与え得ないという一事に想到いたしますときは、再検討の結果は、当然に根本的な改正になることは予想されるのでございます。そうなれば、次に問題となるのは、慣行を肯景とする反対をいかにして排除すべきかということでございますが、七十年の慣行の力というものは、侮りがたいものがございます。そこで、改正に踏み切ろうとするには、この際、必ず断行するという大標識を当初に打ち立てておく必要がある。これが第一点。
第二点は、改正しようとする場合には、取り扱いないし審査方針は、決算の性格から考えて、かくあるべしという案を素朴に考えて、これに合わない法律、規定があれば、その方をこれに合うように改正するというくらいの意気込みでやることが必要であるということでございます。
第七回国会及び第三十四回国会におきまする衆議院の決算委員会におきまする参考人の意見をみますと、大体二つに分けることができます。学者は、大体におきまして、議案説をとりまして、実務者は、大体におきまして報告説をとっております。これは学者は、憲法の精神から立論いたしますので、当然に議案説となるものでございまして、実務者は、決算の成立の過程、決算を議案とした場合の効果というようなものから考えますので、報告説に傾かざるを得ないのでございまして、双方とも当然なことでございます。
そこで、憲法九十条の文言からは、決算を議案とすることも報告とすることも、必ずしもよいとも悪いとも言えぬというような状況のもとにおきまして、もろもろの意見の中から現行の法律にもなるべく合うようなあり方を見出そうということになりますと、結局こんとんとしてしまいまして、当初の大目標が薄れる公算がきわめて大きいのでございます。従って改正しようという場合には、すべての関係から離れて、素朴に、かくあるべしという案を打ち出して、それが実行できるように法律や規定を改正すべきであると考えます。
以上をもちまして、私の意見を結ぶにあたりまして、ただ一言、大へん古いことで恐縮でございますが、先ほどちょっと出しました明治憲法起草当時の顧問格の人物の一人であるモッセの言葉を引用さしていただきたいと思います。
「若シ国会ニ財政ノ整理ニ参与スルノ権ヲ与フルトキハ勿論此監督権ヲ与ヘサルヘカラス決算ヲ監督シ且其完結ニ付テノ決議権ヲ与ヘサルトキハ徒ラニ唯予算表ノ確定ニ参与セシムルモ何ノ益カアル予ノ信スル所ニ依レハ国会ノ財政ニ参与スルノ利益ハ唯此一点ニアリテ彼ノ予算表ノ確定ニ参与スルカ如キハ之ニ比スレハ至テ微々タルモノナリ
抑々会計検査院ノ組織殊ニ其国会ニ対スル位地ニ付テハ各国異同アリト雖モ国会ハ会計検査院ノ予メ決算ヲ検査シ其報告ヲ為シタル後完結ノ決議権ヲ有スル事ニ付テハ各国概ネ一轍ニ出タリ
然リ而シテ財政ノ憲法ニ準拠スルヤ否ヲ確実ニスルニハ此方法ヲ以テ未タ完全ナルモノトセス蓋此方法ニ拠ルトキハ収入支出ノ既ニ終リタル後ニ始メテ監督ヲ行フモノニシテ縦令国会ニ於テ完結ヲ拒ムノ決議ヲ為スモ最早予算表ノ毀損ヲ恢復スルヲ得ス而シテ大臣弾劾法ノ完備スル国ニ於テモ其責任ハ唯稀ニ一ノ訴訟方便トナルニ過サルノミ故ニ立憲制度ノ国ニ於テハ既住ノ事実ヲ審査スル代りニ未成ノ違犯ヲ予防スルノ方法ヲ設ケサルヘカラス
最近墺国著述者ノ語ニ依レハ監督ハ行政ノ行為ニ対スルノミラス共意思ニ対シテ之ヲ施行スヘシ又監督ハ既成ノ不正ヲ発見スルヲ以テ足レリトスヘカラス必ス予メ意志ノ施行ヲ妨クルヲ以テ目的トスヘシト云フ」。
こういうのでございまして、こまかい議論はあるといたしましても、大綱といたしましては、まさに今日の審査方針としても、そのままあてはまる言葉であると思います。
ただ、この当時には、日本は政府の権柄を強くいたしまして、帝国議会の干渉を少しでも少なくすることを必要とする政治情勢なり社会事情なりがございましたのと、予算制度がまだ確立されていなかったことを理由といたしまして、それらの条件が備わるまで当分見送るべきであることを、そのあとで進言しているのでございますが、今日では、まさにその条件は完備しているのでございますから、一日も早く国会の決算審査として、あるべき姿に改めるべきであると考えます。
私が、当時の資料をあさりながら感じましたことは、明治憲法七十二条が、あのような明確を欠いた文言になっていることには、その辺の考慮が払われていたのではないかということでございました。と申しますのは、起草の当初は、決算を議会に提出するのは、議会で承認を得るためであるとし、あるいは政府の責任を解除するためであるとして、明確にそういった文言が書いてあったのでございますが、明治二十年を境としまして、その後に書かれました幾多の草案には、いずれも七十二条の文言が書かれているだけなので、あるいは何かの理由で起草者たちの考え方が、明治憲法施行時代に行なわれていたような消極的な解釈に変わったのではないかと思ったのでございますが、その中の「大日本帝国憲法衍義試草」、これはまだ世の中に出ていない資料でございますが、それと「憲法説明稿本」という注釈のついている二つの資料を見ますと、依然として、一は承認を得るためであるとし、他は政府の責任を解除するためであるとし、明らかに議案扱いにしているのでございます。
この事実と、モッセなどが、非常に積極的な意見を述べつつ、当時の日本の状態から見て、当分暫定的な措置をとることが適当であることを進言している事実とを勘案いたしますとき、明治憲法の七十二条の文言が明確を欠いていた意味に通ずるような心持がするのでございます。つまり、当分は消極策に出ざるを得ないが、日本の状態が整い次第、本来の積極策にも出られる余地を残した文言ではなかったかと思うのでございます。これは全く私見中の私見に属しますが、はたしてその推測が、当たっているものといたしますれば、七十二条を、そのまま引き継いだものとみられます現在の九十条の文言の不明確な点についても、この解釈はそのまま準用されるわけでございまして、今日こそ、明治憲法の起草者たちが待望いたしておりましたところの時代が到来しておるものと言わねばなりません。いな、その時期は、すでに過ぎていると言わなければならなと思います。
大へん長々と述べましたが、以上をもちまして、私の意見を終わります。