中山伊知郎の発言 (大蔵委員会)

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○中山参考人 ただいまの御質問は、われわれ審議会の内部におきましても非常に問題になりました、おそらく今度の答申案をめぐる最大の問題点であろうと存じます。実際の数字を、私の手元にあるだけで申し上げますと、今度の減税を実行いたしました後におきまして、昭和三十七年度の当初予算に組まれました収入の幅で参りますと、昭和三十七年度は大体二二%になります。それから三十六年度の補正予算を組まれました後の負担率は、国民所得に対して二三%になっております。なお少しこまかい数字がついておるかと存じますが、それは省略いたします。要するに二〇%という基本線は明らかに昭和三十六年度において破られており、昭和三十七年度の減税をもっていたしましても、なおかつ二二%になっておるのでございます。その点から申しますと、二〇%という原則はどこへいったのだ、こういう御質問を受けますことは、まことに当然なことでございますが、これに対するわれわれの考え方はこうでございます。
 第一に、今までの過去昭和二十三年から十年以上の税負担率を見ますと、非常に高い。ある時期、二六、七%に及びました時期を除いて、大体一九%を最低として二〇%のところに平均的に落ちついている。そこで、現在の日本の経済状態をその当時と比べて、もっと上がっているか、上がっていないかと見る、これが一つの分かれ道でございます。と申しますのは、もう御承知のように、国民所得の水準が向上いたしますときには、御承知のように必ずしも低い率で負担率を押えなければならぬという理由はない。現に、イギリス、アメリカの税負担率は、国民所得の大きさに比例してとは申しませんが、それを土台にして二八%から三二%というような比率になっております。第二に、そのことは単に国民所得水準の向上ということだけではなくて、特に社会保障を中心とするそのような社会的あるいは公共的施設に対する出費に対して国民全体がどのくらいの承認を与えるかという、その態度並びに程度に依存しております。たとえばイギリスの三〇%に近い税負担率は、非常に大幅なイギリスの社会保障制度というものを前提として考えますと、まあ簡単に申しますと、軍備の点をしばらく除きまして、国民の明らかにオーケーした負担率なのでございます。従いまして、もしも日本の場合におきましても、これからさらに国民所得は向上する、その向上した国民所得の一部を、社会保障を中心とした国民生活安定に使うということを国民が決意しますならば、必ずしも二〇%という水準に押える必要はない。これはもう自明の理だと存じます。ところで、それにもかかわらず、それじゃなぜわれわれはそのような過去の経験と現在の状態、あるいは将来の方向を考えた上で、なおかつ二〇%という水準をおおむね妥当なものと規定したかと申しますと、これにはいろいろな理由があるのでありますけれども、現在の日本の状態というのは、まだ十分に安定した状態とは言えない、そのような状態の場合に、もし他のものに先だって税負担率だけが増加していくような状態をもたらすことは、いささか危険ではないか、従いまして、これは特に政府が予算を組まれる場合に、ある一つのそういう限界を持っておられた方が、はなはだ僣越な言い分でございますけれども、それは全然そういう歯どめを持たない予算のきめ方よりももっと堅実で、そして節約的で国民の期待に沿えるような予算になるのではないか、もしその上に必要があって、これだけの社会保障費を今度は出すのだから、税負担はこれだけ重くなるぞというような非常にはっきりしためどでもってあのワクを破られますならば、われわれは決してそのワクを破られることに不賛成ではない、こういう意図を含めておるのでございます。もっとはっきり申しますと、政府をどのくらい信用するかというところが問題なのでございます。これははなはだ悪いのでございますけれども、日本のことだけではないのでございまして、一般に財政問題ということになりますと、政府はアダム・スミス以来いささか乱費する傾向があるということに経済学ではなっておるのでございます。従いまして、そのような意味におきまして、できるだけ国民の金を有効に使っていただくためにはある目安が必要ではないか。その目安はいろいろ立てられましょうけれども、理論的に立てるのでなしに、経験的なものの方が重みがあるのじゃないか。そこで、二〇%という一種の平均値あるいはノーマルな値をそこにとりまして、これで一つやっていただきたいということを示したのでございます。ところが、そのときもうすでに二〇%の率をきめますときに一番強い反対のございましたのは、あるいは抗議のございましたのは、地方財政を担当される側でございまして、そんなことで縛られて地方財政をくぎづけされてはわれわれは困る、これは弾力的に解釈することにしたいという提案がございまして、実は了解事項としては、あれは弾力的な条項であるということがついておるのでございます。私は、しかし、そのような条項のついたままであれを認めましたことは、あるいは手落ちであったかもしれません。と申しますのは、それがあるからこそ一体どのくらい今の状態であれを守る気組みがあるかという御質問を受けることになりますので、その淵源はかかってこのような決定の仕方にあったということを今明らかにわれわれは考えております。しかしそのような事情を御了解下さいますならば、私の申し上げること、つまり二〇%というのはそのような意味において、一つの財政に対する納税者からの希望です。非常な太い線で現わしておる。これをはずれることはあるいはやむを得ないかもしれません。たとえばことしの予算を見ますれば、公共事業費と社会保障費が相当ふえているということで、これも二二%の理由になる一つでありましょう。もしそういうことでありますならば、これを国民に十分納得できるような政治的な解明をしていただきたい。そうすれば私は、単に二〇%の数字問題以上にこの理解が徹底して、日本の全体の財政も、また国政もよくなるのではないか、このように考えるわけでございます。
 それから第二の点は、これも今の問題に関連するのでございますが、われわれも最後の段階で、もうこの四千何億という自然増収の金額はわかっておる段階でございましたので、さてこの金額についてどれだけの減税を皆さんは——これは委員各位、委員の各自がそれぞれ独自の判断を持ってどのくらいのものを望まれますかということを実は公開の会議で、これは記録をとっておりますが、全部個人的に発言していただいた、私は会長という資格において発言を求めたのでございますが、結論を申しますと、一千億と言われたのが一番少なくて、三千億というのが一番多かった。その中間に落ちたということでございますので、私どもの審議会の空気といたしましては、私は総意を表わしているのではないかと思います。
 今度は審議会を離れて国民の側から見ますと、おそらく四千何百億もあるようなそういう自然増収の中で、わずか初年度には一千億くらい、平年度にいたしましても千三百ないし四百億というようなところを減税するのは、それは少し小さ過ぎるではないかという批判が起こることは、これは十分あり得ることだと思います。しかしこの減税の金額を平年度について今までの減税に比べますと、おそらく昭和二十八年度の減税に比べて最大のものの一つではないかと思いますので、ほかの事情を勘案いたしますと、これが少ないか多いかという点については議論の余地はあるかと存じますけれども、おおむね妥当なところではないか、こう思います。問題は、もしそのような国民的な世論というようなものがございましたら、これを今後の税制改正の場合に、たとえば自然増収に対してどのくらいの割合はいきなり国民に還元という意味で減税に持っていくべきだというような理論的の措置を考えていくことを、将来の問題としては私は持ちたいと思いますけれども、現在の問題といたしましては、これ以上申し上げますことは、全部自己弁護的になりますのでやめたいと思います。失礼いたしました。

発言情報

speech_id: 104004629X00719620207_008

発言者: 中山伊知郎

speaker_id: 31129

日付: 1962-02-07

院: 衆議院

会議名: 大蔵委員会