中山伊知郎の発言 (大蔵委員会)
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○中山参考人 ただいまの御意見は、自然増収というのが完全にそのような意味での税金の取り過ぎであるということを前提といたします限り、当然出てくる結論だと存じます。ただその点について、私は自然増収があった場合に、その使途について必ず減税一本に回さなければならないかどうかについては疑問があると思っております。その意味は、ある一年の予定された収入に対して、経済成長がたとえばあるパーセント予定よりもよけいいった。そのことは皆さん御承知のように、税収につきましてはあるマルティプライアがかかりますので、大体平均いたしますと一・三から一・五という乗数によって増収効果が表われますから、だから、もしも二%経済成長が予定以上にあったといたしますと、その二%に一・五%をかけただけの税収の増加があることは当然でございます。このことを、直ちにこれは全部還元すべきだというふうにすることは、逆に申しまして、もしもその場合に二%の国民所得の減少があった場合にどうするかという問題を考えますと、これは一体増税でまかなうべきものでありましょうか、それとも公債にいくべきものでありましょうか、その他の措置をとるべきものでありましょうか、そのような問題を考えますと、そう単純に増収の場合だけ全部を還元せよという議論は、すなおには成り立たないのではないかと存じます。
ただ、一番ポイントはこうなんですが、もしもそういういろいろな事情を考慮した上で、なおかつ取り過ぎという観念がはっきり当てはまるようなものであったらどうするか。これはもう明らかに返すのがあたりまえだということになります。その場合の取り過ぎという概念は、たとえばここに大蔵省の人がおられますけれども、非常にじみな内輪の計算をして、実際の税金はいつもそれ以上上がるようにする、これは大蔵省の徴税当局としては一番楽な方法だと思うのです。そういう楽な方法をある程度以上にやることによって、自然増収があるといいましたならば、これはもう明らかに初めから自然増収ならざるものを予定した自然増収ですから、われわれ国民の側からいいまして明らかに取り過ぎでありますから、初めからそれは調整すべきである。不幸にして今までの日本の経済の成長の仕方が非常にちぐはぐであったために、このような計算がいささか狂い過ぎているのではなかろうか。少な過ぎるのももちろん悪いのですが、多過ぎても決してよくはない。少なくとも経理上の問題からいきますと、過不足同罪だということが言えるのであります。そういう点から申しますと、自然増収であるから何か措置がしやすいように考える、従ってみんなが何かそれを歓迎するような——もしかりに今後五・四%の成長率でいきます場合に、自然増収がマイナスになる場合にはみんながさびしく感ずるような状況というものは、私は本来改むべきものだと思っています。その意味におきましては、もっと計算を正確にし、自然増収の中身を国民にもわかるように説明しろ、こういう御意見といたしましては、私は十分にお説に従いたいと思いますけれども、しかしそのようないろいろな内容を含んでおります自然増収を、自然増収という名のもとに、全部が国民の側から見て取り過ぎである、従って、これは必ず返すべきものであるというふうに単純に推論することはいささかちゅうちょされるというのが、ただいまの私のお答えでございます。