豊瀬禎一の発言 (本会議)
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○豊瀬禎一君 私は、日本社会党を代表いたしまして、ただいま提案されました国立大学総長の任免、給与等の特例に関する法律案につきまして質問をする冒頭にあたって、哲人カントが言った「為政者には多少の困難を伴おうとも、私はむしろ自由を尊重したい」との言葉を想起するのであります。政治においてしかり、ましてや学問研究の場におきましては、自由の保障なくしてはその進展が期せられないことは、何人もこれを否定することはできません。新憲法がその第二十三条におきまして、学問の自由の保障を言論や思想の自由の保障とは別個に明記いたしました趣旨も、ここに存するのであります。すでに一世紀前におきまして、ドイツのブルンチュリは、その著「国法汎論」におきまして、大学の制度に論及し、「学問上の独立権を与えるには、まず学校に学校社会としての独立権を与える必要あり」との卓見を披瀝いたしております。それは、草間研究の趣旨が真理の探求にあり、真理は事実に対するたゆみなき究明と忠実性によってのみその価値を見出すものであるからであります。そのためには、大学においてそのことに携わる人々の自由と独立の完全な保障を必要とするものであります。この研究と教授の自由の擁護のためには、国家や行政権力が不干渉の態度を堅持するとともに、学者自身に、これらの行政権力を断固として排除する勇気、すなわち、学問的精神が必要であります。かつて小野塚喜平次氏が、「学者の眼中もとより大臣なく、また政府あるなし。ただ真理あるのみ。この学者の独立的態度は実に学術進歩の必要条件にして、国家の発展上また欠くべからざるもの」と論じ、近くはバートランド・ラッセル卿が、「太陽のもとにいかなるものによっても畏怖せしめられることを拒否する精神」を強調しているのは、この学問の研究の自由と大学の自治との不離一体の原則を確認しているものというべきでありましょう。しかるに文部省は、さきに行政権による大学管理体制の強化を企図し、今また、大学の学長に身分的差別をつけ、大学の位置にも格差を設けようとしているのは、まさに、学術振興を阻害し、民主化に逆行するものと断ぜざるを得ません。私は、さきに総理が大学管理法案の提出に対し、これを阻止した英断に対し敬意を表するがゆえに、首相は、学問研究の自由と大学の自治の関係をどのように考えておられるか、まずお尋ねいたしたいのであります。
第二に、大学の使命と、本法案の趣旨との関係についてであります。
提案趣旨には、国立大学に対する国家的社会的要請はますます増大していると述べております。そもそも、国立大学の嚆矢である東京大学の指導精神がナショナリズムであり、これが日本の教育思想の源流として太平洋戦争まで続いたことは、皆さん御承知のとおりであります。明治十九年、帝国大学令第一条には、「帝国大学は国家の須要に応ずる学術技薬を教授し」云々と定めておりました。この「国家の須要に応ずる」という大学の国家目的への従属は、今日、憲法、教育基本法において完全に否定され、学校教育法第五十二条には、「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学藝を教授研究し」と定められておるのであります。すなわち、大学の使命は、基本法にいうがごとく、世界の平和と人類の福祉に貢献するための普遍的にして個性豊かな真理の追求にあるといわねばなりません。この方向に従った学問研究と教授とは、所得倍増計画のための人づくりや、特に、マン・パワー・ポリシーの性格に基づく国家的社会的要請とは、全く粗いれられないものであります。すなわち、マン・パワー政策は、戦時における国家総動員計画の原理を平時化恒久化したものであり、人間が、一国の産業と軍備の両体系の中に、適材適所主義の原則に従いながら、どんな比例において配分配置されねばならないかという、国家的一元的な策定を前提とした人的資源を意図しております。このことに対しまして、アイゼンハワーがその任期終了の演説において、「アメリカの民主主義は、今、新しい巨大な陰険な脅威にさらされている。それは軍部と産業ブロックと称すべき脅威である」と指摘いたしているのであります。文部省発行の教育白書の主張は、アイクが新たな民主主義の脅威と指摘しているその政策推進の一役をになっているアメリカの国防教育法に全く類似しているものを見出すことができるのであります。学長認証の制度は、この目的遂行を容易ならしめるための大学長に対するまず第一の箝口令とも見るべきではないでしょうか。首相は、大学本来の目的やその社会的使命と所得倍増のための人づくり、特にマン・パワー政策の推進との関係を、どのように考えておられるか、所信を承りたいのであります。
策三に、文部大臣にただしたいのは、この法案の蔵している本質的矛盾についてであります。政府は、七大学の学長を認証官にし、給与を引き上げるその理由として、これらの大学が大規模であり、大学院を有し、その伝統が古いということを理由といたしております。現在、東大におきましても、法律上の正式名称は御承知のとおり「学長」となっているにもかかわらず、「総長」という公式文書を出しているやに聞いておりますが、まことに笑止千万にたえない特権意識というべきでありましょう。しかるに、この際、七大学長のみ他の大学と差別して総長と呼称させ、しかも、給与にまで差をつけ、あまつさえ、東大、京大のみに二万円上げるという、国立大学学長を三段階に差別いたしているのであります。このことは、学校差別を法律で公然と慫慂し、従来の学閥、門閥にさらに拍車をかけることになると思うが、大臣の所信を承ります。
第二に、天皇が認証することにした点についてであります。政府は、この制度により、学長の国家的社会的地位の向上を目ざしたと言っています。しかしながら、大学の教授は、真理の究明者として、天皇に対してもこれを教授する立場にあります。これを天皇に認証させるということは、本末転倒もはなはだしいというべきでありましょう。国家的社会的地位の向上のための本来的課題は、大学の自治が保障され、学術研究のための予算や設備が完備し、全教官の待遇の改善がはかられ、特に研究の成果やその所論が尊重され、かりにも、曲学阿世の徒などといった思想や、文部大臣荒木萬壽夫君のごとく、公開の席上において学者の個人名をあげてこれを誹誇するがごときは、厳に慎むことが肝要であると思います。これに対し、荒木大臣の見解を承ります。
第三には、大学や教授の評価は、その規模とか伝統の古さによってなさるべきものではなく、その専門の学術研究に対する熱意やその造詣の深さ、あるいは人類への貢献等によるべきで、学長職必ずしも学問的水準の評価にはなり得ないのであります。時に、その行政的手腕に重点を構いて学長が選出ざれることなきにあらずであります。今回の制度により、逆に大学間の格差を生じ、大学協会自体の運営や、さらには、学内の運営についても支障を生ずる憂いなしとしないという声が、当該学長や教授の間に起こっているのは、まことに注目すべき事態であります。むしろ文部省は、この際、博士とか教授、助教授とかいった、千数百年前の大宝令の遺物のごとき職階制や上下の差をなくすことこそが、草間の自由のよりよい保障となると思うが、大臣の所見を承わります。
第四には、政府は、この措置によって、大学の教職員、さらには教育者全体の地位を高めたいといっています。教育基本法には、教員の身分の保障と給与の適正が特記されておりますが、文部大臣は、現行の給与によってこの教育基本法の特記の精神が充足されていると思っているかどうか。また、教育者の地位を高めたい、待遇の改善をはかりたいといっているが、いついかなる方法で、大学の教職員の給与、研究費の引き上げ、特に教育者全体の地位の向上をはかろうとするのか、その具体的な政策をお聞きいたしたい。
最後に、人事院総裁にただしたいのであります。人事院は、今回の七大学の給与改正によって、他の大学にも改善措置を講ずる旨、新聞報道をいたしておるようでありますが、これは事実であるかどうか。もし事実であるとすれば、この認証制度の問題は、文部省が、すでに昨年七月ごろから文教委員会において、その政策、見解を明らかに表明しておったのであります。この事実にかんがみまして、人事院が給与改定勧善にあたって、大学教職員全体に対する格段の配慮を行なわなかったのは、いかなる理由に基づくか。また、その際、他の大学の学長、教官全員に対する別途の勧告を行なわなかったのは何ゆえか。また、提案趣旨の中には、大学の教職員はもちろん、教育者全体の給与の改善、地位の向上をはかりたいと述べておるが、人事院として、この点について、いついかなる方法によって、大学の教職員の給与改善あるいは教職員全体の給与改善の措置、勧告を行なおうとしているのかどうか、この点につきまして総裁の見解をただしたいと思います。(拍手)
〔国務大臣池田勇人君登壇、拍手〕