大出俊の発言 (国際労働条約第八十七号等特別委員会)
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○大出委員 御親切な答弁をいただいたわけでありますが、さらに重ねていまの御答弁について御意見を賜わりたいのであります。
四・一七というものをめぐって、青山に行くところにいまなお自民党東京都本部の違法スト対策本部という大きな看板がかけっぱなしになっております。あれをめぐってはたいへん皆さんの側もいろいろな意見があったようでありますが、結果的にまとまったということについては、ある意味ではやむを得ぬ結果だというふうにお考えの方も含めて好感をお持ちのようであります。そこが憲法二十八条にいうところの、すべての勤労者に対して団結する権利及び団交権その他の団体行動権を基本的権利として保障している、これは間違いない事実であります。これは当時スト権を中心とする労働基本権が完全に保障されることが、これは諸種の国際憲章にもありますが、貧困と隷属をなくし平和と生活を安全にすることができる、そういう意味における公共の福祉に合致をしていたのだというふうに学説的にはしるされております。ところが昭和二十四年の国公法改正や公労法制定時においては、政府は逆にこの公共の福祉ということばをスト禁止の法理として使うように変わってまいりました。そしてこれは、国鉄の弘前機関区事件の最高裁判決が二十八年四月八日でありますけれども、ここで述べられておる法理に使われているわけであります。それ以来有権解釈云々ということを含めて公共の福祉ということを皆さんが口にされる。ところが本来しからば歴史的に公共の福祉という観念が生まれてきたのはどこから出てきたか。人権相互の矛盾あるいは衝突、これを公平に調和させようとする趣旨、これによって、つまり人権相互に矛盾や衝突が生じたときにはこの大きな相互矛盾、衝突であるから、したがって具体的にこの人権を尊重する立場から検討をして、矛盾を起こし衝突をする人権について、その均衡をはからなければならないという筋道であるはずだと考えるわけであります。
そこで政府は、さきの四・一七をめぐっていろいろなことを言われました。言われましたが、いま私が申し上げたような、基本的な権利の相互矛盾をどう調整をするか、こういう努力が根底として払われていくのが、私は公共の福祉という観念を誤りなくとらえていく筋道だろうと考えるのでありますけれども、そこをどうやらかってにと言うと言い過ぎかもしれませんけれども解釈をされて、公共の福祉のために必要であるということによって、何でもかんでも組合の権利を抑えていこうとされる。言い過ぎかもしれませんが、公益は私益に優先するのだという旗を振りかざすことは、かつてのファシズムに通ずると私は思いますし、権力者の一方的な恣意によって、この公共の福祉の名前のもとにあらゆる人権が失われていくということは、対等という立場に立って正常な秩序を維持しようとする労使関係の真のねらいとするものではないのではないかと私は考えるわけであります。そこで官公労働者のストライキが国民に対して重大な迷惑を及ぼし、それによって公共の福祉がそこなわれるというのであるならば、ストライキによってこうむる国民の迷惑、もちろんこれは御指摘のとおりでございます。しかしストライキをやらないことによってこうむる官公労働者とその家族の生活に対する苦労というもの、これは具体的に比較検討をしてその均衡をとるのに必要な限度においてストライキを制限する、こういうことは私は可能な筋だと考えるわけであります。こういうつまり相手に立つ側のものの考え方というものを御理解の上でやはり政治というものが行なわれ、労働行政というものが立てられなければならぬ筋道だという点で、先ほど来御検討を賜われぬかと言っているのでありますけれども、この点についても御見解を賜わりたいのであります。いまの御答弁に関連いたしますから。