大出俊の発言 (国際労働条約第八十七号等特別委員会)
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○大出委員 そうなると、いまの御答弁についてもう一言申し上げなければならぬことになったわけでありますが、実体法に即して、ないしは最高裁の判決に基づく有権解釈という立場での政府のたてまえは私はわかるわけであります。しかし三・一五判決のことをいま言われたのでありますが、三・一五判決は文字どおりこれは三・一五、昨年の三月十五日、公労協ストライキの日に出たわけでありまして、前日に、そこにおいでになる大橋労働大臣がたいへん御苦心をされ、私どもとの間でまとめて、幸いに事なきを得たのでありますが、三月十五日、予定いたしていた日に出されたという、どういう意味で一緒になったかわかりませんが、一つの歴史があるわけであります。この最高裁第二小法廷で出された判決の主たる内容は、調べてみますと、何と二行しかないのであります。世の中どうも封建時代の夫婦別れでも三くだり半ということがある中に、あれだけの大問題を結論づけるのに二行、こういうことになっているわけであります。内容は、国鉄檜山丸事件、全逓松江事件についての高裁判決についての最高裁の判決、こういうことになるわけであります。当時最高裁判所はどう言っているかといいますと、公労法十七条は罰則はない——罰則はないのであります。解雇するということだけであって、免職ではないのでありますから、罰則は公労法ではございません。それがかりに禁止されている公労協のストライキであっても、刑罰を科すべきものではない、労組法一条二項の刑事免責というものがあるのだということが高裁の結論であったわけであります。詳細な理論構成をして出されております。にもかかわらず、何らの反論もなく、口頭弁論さえ行なわれていないということで出されたのが例の三・一五の判決であり、しかも判決を出す通知が来たのは一週間前、これも異例のことでありまして、かつてない。だから結果的にはどうも政治的ではないかという問題が最高裁の決定にいなやを言うわけではありませんが、何となくそういう異論、政治的ではないかというものの考え方が一般にある。
そこで私は当時の、三十八年三月十六日の朝日新聞をここに持っておるのでありますが、この中で、成城大学教授の三藤正さん、一橋大学教授の吾妻光俊さん、国際基督教大学教授の鮎沢厳さん、この三人の方々が朝日新聞にこの三・一五判決についての意見を申し述べております。この中で、三藤さんの言っておられるのは、出てしまった判決なのでいなやを言うわけではない。——法律関係者として当然でしょう。しかしこの中で言っておりますのは、労働問題に非常に心配を持っておるわれわれからすると、「一般論を言えば、労働問題では先輩格の欧米諸国でも、公共企業体労組の争議権を否定しているところはほとんどない」ということを断定をいたしております。「そのかわり、労使とも国民に対する大きな責任を身につけていて、ストが決行されるようなこともきわめて少ない」、こういうふうに理論づけております。したがって三・一五判決は判決として、ストライキの問題について、このあたりで労使双方が、戦後これだけたったのだから、ひとつおとなになって考えなければならぬ時期がきている、こういう意味のことを言っているわけであります。吾妻光俊さんの論評は、これは私の先生でありますけれども、この方が言っておりますのは、「ただ、この機会に、私が特に強調したいのは、憲法で保障された労働基本権、特に争議権が、公労法等の法律で制限禁止されていることの意味を、裁判所に対して、十分の労働法的感覚(つまり、労働法上の違法と民刑法等のいわゆる市民法上の違法との性格の違いに着眼するという物の見方)」、私は正しいと思うのでありますが、「をもって、検討してもらいたいという点である。」、こういう注文をつけております。そしてさらにその後に、「私は、一面において、争議行為のレッテルを張ればすべての責任から解放されるという安易な考え方を排斥すると同時に、争議行為という在来の法律の予定していない社会現象を在来の法律上のものさしをむやみに当てはめてはならないということを強く主張していきたい」、これが吾妻さんの論評であります。さらに国際基督教大学の鮎沢さんは、「しかし、国際的にも国内的にも、ますます重大になりつつある労働問題に留意しているものは、満足ばかりしておられない。」三・一五判決についてであります。そして「公労法に「公共企業体等」ということばによってカバーされた、もろもろの企業や事業が本質的に、みな一様に国家の安寧や社会福祉やに直接的に重大な関係を持つものであるかないか、そのすべてにおいて行なわれる争議行為が直ちに国家の安寧や秩序や公共の福祉に重大な結果をもたらすものであるかないか」の点が問題の中心である。ILOのレポート等もありますけれども、一律に何もかも、きのう稻葉先生がいみじくも、言われたように、日本の労働法体系、さらに公務員における法体系というものはまさに一律に何もかも一緒くたに規定してしまっている。これはつまり先ほど申しました一九四八年の政令二百一号の結果として公務員二百七十万の権利を押えたこの安易感、安心感というものがさらに合理的に、——今日民主主義の世の中ですから相手を説得し、納得せなければ大衆というものは政府の政治方針に従わないものであります。それを説得しようとなさらないところに、労働法体系あるいは公務員の労働関係の法体系に手をつけようとなさらないところに問題点がある。
そこで労働関係法令審議会というものがございまして、私が官公労事務局長の時代に労働省から御相談がありました。こういうことをやりたいのだが出してもらえないだろうかということで、その当時にいま参議院におります野々山君だとか全逓の委員長である宝樹だとかいう諸君が入りまして、労働省の石黒国際労働、後の課長でありますが、当時法規課長等々、いろんな方が関係をれていろいろ審議をされた歴史が二回ございます。一回のときには公労法四条三項というものは国際的にないのだからどけておきたいという担当法規課長の御意見等もありましたが、時の労働大臣が入れてしまったといういきさつなどもありまして、そういう形の論議はむしろ労働省の側から積極的に組合に話があって行なわれたわけであります。われわれは言い分が一ぱいあったけれども好感をもって迎えて委員も出し、しかも意見が通りませんでしたが、かつては吾妻光俊さんが責任者でありましたから、その方々にお願いをして少数意見までつけていただいて、きわめて民主的に協力をしていった歴史もあります。したがって私はこの機会にいま申し上げた観点から考えまして、どうしてもこの辺でスト権問題をめぐるこの種のたくさんの論評があるのでありますから、何らかの機関を設け、天下の良識を集めて世の中が納得するように論議をする必要がある時期だと思うのでありますが、再度お答えをいただきたいと思います。