八木一男の発言 (予算委員会)
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○八木(一)委員 総理大臣の御答弁は、総理大臣として熱意を込めてこの問題に取り組もうということを総体的に御披瀝になった、その点はけっこうだと思います。しかしながら、御答弁だけでは非常に不十分でございます。と申しまするのは、こん然一体となって相互の理解でこの問題を解決をしていこう。ところが、相互の理解がなかなかいかないというところに歴史的な大きな背景があるわけであります。たとえば、この同和地区に住んでいる人、未解放部落の人たちの中には、極度に貧困の人が非常に多い。その場合に、たとえば生活保護法の適用を受ける人が多い。あるいはまた失対の仕事をしている人が多い。その場合に、なぜその人たちがそれほどの貧困の状態になったかということを一般の人たちが理解をしない。あの人たちはなまけたからそういうことになった、そうして、そのために国費なり、市町村費を使わなければならない、その税金はわれわれが負担をする、そういうことは迷惑だというような、非常に無理解な問題がございます。一番問題は、結婚の問題や就職の問題でございまするが、問題を全部前から考え起こして、そうして、いわゆる未解放部落の人たちにはその差別を受けている現状、極度に貧困である現状について一切の責任がない。その責任は徳川幕府以来のすべての政権を担当した者の責任である。それを解決をすることが全国民的な課題であるということを、全国民が理解をしなければ問題は片づかないわけであります。したがって、歴史的にその問題をぜひ、総理大臣は御研究になっておられると思いますが、総理大臣はじめ各閣僚の方は研究をし、ほんとうの信念をもって、決心をもってこの問題に当たっていただきたいと思うわけであります。
この未解放部落の問題の淵源はいろいろの説がございます。しかし、その問題は、ずっと前の問題はいまの政治には影響がありませんので、いまの政治に影響のある部分から私なりに研究をしたことをかいつまんで申し上げて、御理解を深めていただきたいと思います。
私は奈良県の出身で、奈良県に居住をいたしております。奈良県においては未解放部落民の居住の率が全国で一番高いわけであります。しかも非常な差別と貧乏に苦しんだ人が、大正年間にそれに耐えきれないで決起をした、いわゆる水平社運動の発祥地でございます。したがって、浅学非才の者でございまするけれども、この問題については、ほかの方に負けないだけの熱意をもって研究をし、またその解決の方策について一生懸命に考え、努力をしたものでございます。
この問題の具体的な近代的な起こりは、徳川幕府にございます。徳川幕府が長い間の武家政治を確立するために、経済的な基盤を確立をしなければならない。したがって、そのときの主要産業である農業をしている人から収奪を継続的にしなければならないということを考えたわけであります。それがいわゆる本多佐渡守の、百姓をして飢えしむべからず、食わしむべからずという政策であります。そのようにぎりぎりまで農民、おもな産業のにない手である農民をしぼるためには、いろいろの方策をしなければならない。しぼり過ぎたならば一揆が起こる、しぼり過ぎなかったら武士が栄耀栄華ができないという問題で、極度までこれをしぼろうと考えました。そのために農民に栄誉を与えて、国の宝と称しておだててしぼりとる方策を一つしました。それと同時に、他の階層の人たちと分離をして、国民を分断をして、農民が孤立するような状態にして一揆を押えようというふうに考えたわけであります。そのために、身分制度を故意に確立をいたしました。士農工商という身分制度を確立いたしました。支配階級である武士、その次に農、工、商であります。技術者の工の部分に当たる人、あるいは実業家の商の部分に当たる人は、農民よりもある意味で力を持っている人がずいぶんあったわけでございまするけれども、それを故意に下に置いて、士農工商という序列をつくった。それでもあきたりないで、あと、えた、非人という階級を無理に置いた。そういうことにして、百姓に栄誉を与えてしぼり取ろうとしたわけであります。
その身分制度、その徳川幕府の制度の犠牲を受けたのが未解放部落民であります。したがって、人間外の扱いを受けて、たとえばどんなに経済的に進出をしようと、縄の帯しか締めてはいけない。同火同席は許さない。百姓のうちに立ち入ることは許さない。たばこの火を借りるのも、直接に借りてはいけないというような、非人間的な扱いが徳川時代に数百年行なわれてまいったわけであります。
ところが、その後明治の時代になりまして、太政官布告が出まして、そのような身分制度はいけない、不平等なことはいけないということで、太政官布告が明治四年に出ました。以後、全部の国民を、大部分の国民を平民と称するということになったわけであります。したがって、そのような身分制度は一応形式的になくなったかに見えました。しかしながら、従前からあった位階勲等というものがそのまま存続をいたしました。新しく公侯伯子男という華族をつくりました。士族という名前を残しました。そのように、人よりもとうといとされる階層をつくったがために、国民が一視同仁でない、国民が同じでない、とうとい人があれば、逆に卑しまれる人があるという風潮は、そのような不完全な改革ではなくならないわけであります。そのようなことのために、昔の身分制度は抜けましたけれども、ほんとうの意味では、そのような差別観は明治時代もずっと同じく継続したわけであります。
ところで、しかしながら、名目的に平民という通称で全部呼ばれるようになったことは悪いことではございませんけれども、明治時代に徳川時代よりも悪いことが起こりました。というのは、徳川時代は身分制度で差別をしたけれども、おのおのが経済的には何とか食える制度をつくってあったわけであります。いわゆる未解放部落民には斃獣処理権という経済的な特権がございました。武士の馬、百姓の牛、それが死んだときには直ちにもよりの部落民がこれを処理をする。そうして馬具をつくるというような経済的な独占権があったわけであります。非人間的な扱いに対して、逆に、いささかの経済的な特権を確立をいたしておりました。ところが、明治解放で、それは一切職業選択の自由ということで、経済の自由ということでそれは取り払われました。身分制度はなくなって、いろいろの身分が大きく変わったのは、一つは武士の制度があります。武士は俸禄制度を持っておりました。五十石とか三百石、千石というようなものを世襲的に受け取ることができる制度でございましたけれども、これは明治改革でなくなりました。そのために、武士には当時の金で二億一千万円、現在の金に換算するとどのぐらいになりますか、数千億から一兆ぐらいに当たると思います。そのぐらいの秩禄公債という公債をこれに支給をいたしました。武士階級が新しい時代に成り立ち得る、そういう措置を明治政府はとったわけであります。
ところが、部落民に対しては、何もいたしませんでした。いままでそれだけ人間外の扱いを受けて、差別を受けている。ほかの経済界に発展する要素がないというのにかかわらず、明治の農地解放のときに、ただの一寸の土地も農村居住の部落民にこれを分け与えなかったわけであります。しかも、そのような身分制度が実際的に続いておりますから、差別が非常に続いております。新しい資本主義経済の中で、たとえばある町の国鉄、あるいは私鉄の駅前で、そこで商売をすれば繁盛をする。商業として成り立とうと決心をしても、その家を貸してくれない、土地を貸してくれない、もちろん売ってくれない。間々何とかしてそこで商売をしても、差別概念があって、その店の品物は買わないというような状態が続きました。商売人としても成り立たない。同様に、工業をすることも成り立たない。しかもまた、非常に差別が強いので、労働者として働く道をふさがれておったわけであります。武士のほうは、大部分新政府の官吏に登用をされました。逆に部落民のほうは、下級官吏どころか、一番末端の臨時工のようなところにも、その当時は差別概念があって雇用をしなかったわけであります。労働者として成り立たず、農民として成り立たず、そうして中小商工業者として成り立たない状態に明治政府は置いたわけであります。
そのために、それ以上に、いままでなかった、徳川時代にはそのような差別を受けておりました関係上税金というものがありませんでした。徴兵制度というものがありませんでした。ところが、新しく税金もかかるようになった、徴兵制度にもかかるようになったわけであります。経済的には不利な点だけが明治改革においては行なわれたわけであります。したがって、非常な貧困がそれから続きました。ところが、明治以降の資本主義の伸展期において、そのような膨大な半潜在失業群があることは、低賃金の体制によって搾取を強化して、資本家がもうけるためには非常にいい状態でありました。したがって、明治から大正にかけて、この問題を解決するための具体的な措置は何もとられないで放置をされたわけであります。
そのような貧困のために差別はますます助成をいたしました。身分的な観念からくる差別でございましたが、そのような状態において非常な貧困がある。貧困のために差別が助長をされてきたわけであります。そのような状態のもとでがまんしきれなくなった人たちが、結局米騒動のときに——これはほかの経済的に苦しんでいた人々と一緒にやったことでございますが、決起をいたしました。その後、自発的に問題を解決をしなければならないということで、水平社運動が大正十一年に起こりました。それに対して、当時の政府は、ようやく事の重大なことに気がついたか、またはいままでわざと忘れておいたのを、それではいけないということで、昭和十一年に十年計画というものをやってこれを解決しようということに当たりかけたわけであります。ところが、あのような支那事変から大東亜戦争に突入をいたしまして、これは一切実効を発揮することなくとだえてしまいました。その後、戦後を迎えたわけであります。戦後を迎えて民主主義の時代になりました。このような平和憲法、民主主義憲法ができたわけであります。しかしながら、いまの部落の人たちは、この憲法のほんとうの恩典を受けておりません。先ほど申し上げましたように、憲法の諸条文のあらゆる点に違反をした事実がいまの日本の国にあるわけであります。
戦後の民主憲法において、基本的人権を尊重しなければならない憲法下において、戦後の政府は、戦前の政府の百倍もの勢いをもってこの問題の解決に当たらなければならないのに、残念ながら最初の政府はそういうことではございませんでした。そして、その間に農地改革が行なわれました。農地改革が行なわれたけれども、その農地改革においても、部落農民はその均てんはあまり受けておらないわけであります。というのは、この農地改革は、小作権を持っておる人に自作農創設の道をつくるという方策をもって行なわれました。ところが、農村居住の部落民は、明治から大正にかけて最初は小作権を一つも持っておりませんで、一生懸命に農業労働者として働いて、わずかに一番悪い土地、山の陰で実らない、川のそばで、台風が来たら流れてしまうというような劣悪な土地の小作権を、わずかに二、三反もらったというにすぎないわけであります。したがって、農地解放によって、農地居住の部落民は、わずかに一部の人が農地解放の利益を得ましたけれども、それはほんとうにわずかでありました。いまの部落農民の平均反別は三反半ぐらいであります。全国の零細農中の零細農であります。そうしてまた中小企業は、皮革とか、あるいはげたとか、そういうものが伝統産業としてございましたけれども、これは大きな皮革産業に侵略をされる、あるいは様式の違いでげた産業等は凋落をするということで、伝統の産業も衰微の一途をたどっております。
また労働問題においては、そのような差別が実際にありました。関西以西のいわゆるしっかりとした、安定した企業においては、就職試験を受けても、身元引き受け能力の問題を口実にいたしまして、実際、部落出身の子弟については、そのような大きな産業では採用をいたしておりません。したがって、非常に不安定な中小企業、あるいは臨時工、社外工あるいは失対労働者というのが、この部落居住の労働者として働く人たちのいまの状態であります。
このような状態のために、非常に貧困が加重をされております。その環境は、総理大臣御承知のとおり、見て、これがわれわれ日本国民の居住であるかというようなところが非常に多いわけであります。衛生環境も非常に悪い。それがまた差別を助長をいたしております。そこの地区に入った人は、環境は悪い、非衛生である、そのことでそこに近寄らない。したがって、その居住の人たちとは交際はしないというような状況であります。若い青年が一生懸命に勉強をして中学校を出る。ところが、自分よりも成績が悪い、その事業に不適当であると思われる人が大きな企業に就職をする。一生懸命やっても、このような差別で就職ができなければ、その人たちは虚無的になります。虚無的になった青年のある一時的な言動をとらえて、粗暴である、したがってつき合うことはやめておこうというようなことで、差別が貧乏を生み、貧乏が差別を助長しているわけであります。
この問題をほんとうにあらゆる角度から解決をしていかなければなりません。その解決の方法は何か。いま総理大臣がおっしゃったように、お互いの理解で民主主義の観念に従ってやることが大事であります。しかし、その問題のもとは何か、生活の根源が成り立っておらないことにあるわけであります。雇用の問題であります。零細農業の問題であります。零細漁業の問題であります。零細工業の問題であります。そして、そのようにいままで農地を分けられず、最初から雇用の差別を受けた、中小企業は成り立たないようにされている。その問題をこれから急速に解決をして、ほかの国民と同じく、自分の努力によってその生活を向上する、そういう道を、その基盤をつくることが大事であります。そのことのためには非常に大きな強力な政策が必要であります。そのようなことのために、政府がこれにほんとうに本腰で取っ組んでいただく必要があろうと思うのであります。
少し長くしゃべりまして恐縮でございますが、そういう問題で一般的な差別言辞を弄する、そういうことをなくする、差別的な態度をなくするということをしなければなりませんが、それを根本的に直すためには、そのようなよって立つ経済的基盤、劣悪な環境の条件、そして劣悪な教育の条件、そういうものを政府の強力な政策によって解決をし、そして、民主主義理念の進展とともに、これを急速に解消するという問題が必要であろうと思うわけであります。その点について総理大臣の御所見を伺いたいと思います。