鈴木力の発言 (文教委員会)
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○鈴木力君 時代によって国民の受け取り方が異なる、このことはよくわかります、一般論として。しかし、これは過去の問題ですから、論議してもあるいは水かけ論になるかもしれないのですけれども、提案理由の説明にもありますように、紀元節というのは明治になってから始まって七十年といいますか、経てきたものですね。しかし、これは私は国民の生活になじんでいなかった。というのは、いま長官は、祝日ができたころはなかなかなじみにくいものであると言うけれども、私は七十年を経てなじまなかったということを感じ、つまり日本が、祝祭日が法制化されましたときに、過去において五節句というのはなくなっているわけです。しかし、その五節句は国民の中にきちっと生きておるわけです。なくなっても生きておる。ところが、この紀元節というのは、これは今日私は大部分の国民の中には生きていないと思うのです。これは学校、官庁がやっていないのは、制度上ないのですから。かつては制度上あったからやったので、いまは制度上ないからやっていない。これは制度の問題です。国民の生活の中にとけ込んでおったかということになりますと、たとえば村祭りもこれは民俗の伝承として伝わるところではありますけれども、いまの五節句について申し上げますと、五節句は法制上なくなっても国民の生活上には生きておった、これはなじんだと思うのです。しかし、紀元節という祝日は法制的になくなったとたんに国民の生活から消えてなくなっておる、だから、私は新しく建国の日をつくる場合に、いまないわけですから、いつという議論はできませんけれども、そういう反省の上に立ってつくらないと、またあとで後悔のほぞをかむことになりはしないか、こういう原則的な考え方を持っておるわけです。だから、その点についての検討をなさっているのかどうかということを伺ったわけです。